俺は平凡な日常を愛してるんだ。やれやれだぜ。
一限は現国だった。ヤクザみたいな風貌の教師が清流のような淀みない調子で「檸檬」の読みどころ(「黄色い爆弾」の妄想が、一種の無化作用うんぬん……)、それからさりげなく次のテストに出題する箇所を挟みつつ、綴ってゆく。
この教師は自身の厳格を押し付けてくるだけあって教えるのがうまく、わりかし好きだが、現国は嫌いだ。
まったく、現代における国語教育は大いなる矛盾を孕んでいると思う。みんなも分かると思うが、テクストは無限の可能性を秘めている。
そこで俺が大いに不満なのは、日本の国語教育において、その無限の可能性を捨象して「作者の気持ち」などという、あくまでテクストを読み込んでゆくための一つのファクターでしかないそれ、ーーどこまで突き詰めても結局解明不可能な問題(ましてや学生風情の脳力で!)に還元してしまうことなのだ!
もっとタチが悪いのは、自身がテクストの可能性を提唱しておきながら、かれらが組みせざるを得ない教育の功罪に、無意識的にも一役買っている自己矛盾に他ならない!
それを自覚し、諦め、受験対策に始終しているかれの方がまだマシと思える。
そうして英語社会家庭科と続く座学をだんだらと聞き流していたら、今日の講義が終わったので、荷物をまとめていると、やにわに俺の肩を叩くものがあった。
「帰りゲーセンに寄らねえか?」
と俺を誘うは新島である。
渋谷のチーマーみたいな装いで自分を飾り立てるが、学園物語における普通人の代表といったモブ中のモブだ。
神様が本来ならば一人ひとりが持っているはずの個性をうっかり付与し忘れたから、こうして実存主義的な抵抗を試みざるを得ないのだろうが、やっぱり無個性だぞお前。
「友人に対してなんて失礼な批評をする奴だ。お前もしょせん絶対者の操り人形に変わりねえだろ」
「絶対者なんていないね。いるのは上位世界に住んでるってだけで、その実、俺たち人間と同じレベルの人間だけさ。確かに俺たちはそいつが構築したであろう世界から外に存在しえないさ。でも俺たちを構築したのが神でない以上、俺たちはそいつの意識的領域を離れて縦横無尽に飛び回ることができる。ただし、断言してもいい、お前はしょせんモブ、意識的領域から抜け出ることは絶対ないさ」
「お前ぶん殴るぞ」
「とにかく今日も無理だ。先約があるからな」
「いつもご苦労さん、なんかもう次回から誘いたくなくなったな……」
まあいい、次は空けといてくれよ、と捨てゼリフ(?)を吐いて立ち去る新島。かくも友情とは美しいものだ。
さてと俺は息をついて、いったん窓の外に目を移す。
隙間なく塗り込めたコンクリート壁ようにのっぺりとした雲が空一面に拡がっている。
運動部連中の気狂いじみて必死な叫び声が聞こえてきて、天まで届けとでも言いたいのだろうが、それらは分厚い雲の外を突き破ることはない。到達してすらいなかろう。
だが俺はそんなことに興味はない。俺はこの安寧とした日常に満足していると自負している。分不相応な野望は失墜せらるるが世の常だ。バベルの塔は崩れ去ったしイカルスが残したのはブザマに溶けた蝋の翼と地に叩きつけられ付けられ四方八方に飛び散った血潮のみである。そうやって大切ないのちを失うよりかは、安定不動の世界で地熱にぬくぬくあたためられていた方がまだマシってものさ。
どうも詩人的感傷は俺の性には合わん。こちとら夢は公務員、一生安定が俺の至上命題である。
残りの荷物をまとめると俺は使い古してボロボロのスクールバックを肩に引っ掛けて教室から出た。
今日も部活だ。