解夢 -ほどけるゆめ- ①
――おねえさま
ああ、また来てくれたのね。
――遊びましょう、おねえさま
――ほら、新しい鞠を貰ったの
本当、綺麗な青色……矢車菊ね。
――おねえさま
――ねぇ、おねえさま
わたしを慕ってくれる、幼い小さな手。
わたしの、妹……?
また無理をして――いけませんよ
体を冷やしましたね
お気持ちはわかりますが
さぁ、お部屋にお戻りください
夢うつつに誰かの声を聴いた気がして、希沙良は目を開く。
紫葵の屋敷に来てからというもの、何かを紐解くように夢を見る。……ちゃんと夢から覚めているのだろうか。ゆっくりと視界が形を結んでいき、帳台の天井の模様が見えた。
周囲に鈴鳴の姿はなく、代わりに枕元に薄紅色――萩色の鞠が転がっていた。
(鞠……青じゃない)
夢で見た鞠の色を思い出し、手の上の鞠をしげしげと見つめる。
青い鞠――あれは……
「誰の鞠、かしら……」
「はぎまりつきの」
いつの間にか口に出ていた疑問に答える声がある。驚いて顔を上げると、傍に女童が立っていた。萩鞠月が腕を上げると、耳の下で真っ直ぐに切りそろえられた黒髪がさらりと揺れる。
「おはよう、萩鞠月」
どうぞ、と鞠を手渡すと、萩鞠月は大事そうに胸に抱えた。
「昔ね、青い鞠で遊んだことを思い出したの」
「あお」
「貴女のは萩色ね」
「しのあおい、くれた」
「名前に合わせてくれたのね。綺麗」
二人で鞠を見ていると、とつとつと障子が叩かれた。花飾の影が映っている。
「朝ごはんみたい。行きましょう」
萩鞠月を伴って広間に行くと、紫葵の姿はなかった。
ほっとして、それからじわじわと喉元に込み上げる何かを感じた。昨夜の言葉を思い出して、緊張で全身が強張る。
「えっと、紫葵は……?」
希沙良の問いに、花飾は困ったように首を横に振る。始めは控えているだけとも思ったけれど、どうやら喋れないらしい。希沙良が首を傾げると、舟持が現れた。
「紫葵様は、お出かけですよ」
「そうなの」
顔は合わせづらい。けれど、一人で食事するというのも、今となっては味気ない。紫葵以外は従者の役割を守って、はっきりと線引きして共に食事をとることはなかった。
(いつ、帰ってくるのかしら)
紫葵はその翌日も、姿を見せなかった。
(何か、おかしい)
希沙良には確信めいたものがあった。紫葵が近くにいる。何故かはわからないが、感覚的に彼を感じていた。そして、嫌な胸騒ぎがする。
(そういえば、紫葵の部屋ってどこなのかしら)
聞いてしまえば早いし、おそらくは教えてもらえるはずだ。けれど、出かけていると欺かれた以上、今は隠される可能性がある。それならば、勝手に探すしかない。屋敷内を散策した時、奥までは入って行かなかったため、まだ知らない区画がある。
(奥……よね)
しばらくあちこち捜し歩いて、渡り廊下の先から舟持が歩いてくるのを見つけた。常に笑い顔で表情の変化があまりない男にしては珍しく、驚いたような顔をしている。
「希沙良様」
「紫葵は、いるのね」
「流石です……隠せませんね。ここには主の結界が張られているのですよ?」
苦いものが混ざった笑みを浮かべつつ、ふぅと一息つくと、舟持は体の向きを変えて、希沙良に奥を指示した。
「眠ったところですので、お静かに」
「具合が、悪いの?」
「紫葵様は大分弱っておいでです」
「なぜ――」
胸がひやりとして呟き、月夜に見た消え入りそうな紫葵の姿を思い出す。舟持の返事を待ったが、わずかに首を振るのみだ。
(理由は言わないのね……言えない?)
紫葵から口止めされているということか。
「紫葵様は心配させまいと、黙っていたのです」
「そうなのでしょうね、わかっているわ」
紫葵は希沙良のために動いている。それだけは、わかっていることだ。
随分屋敷の奥まで来たように思う。いくら広い屋敷とはいえ、外から見るよりも広く感じる。それもあやかしの術なのだろうか。
どうぞ、と舟持に示されて、希沙良は一人で部屋に入った。薄暗く、肌寒い。帳をめくってみれば、青白い顔で横たわる紫葵がいる。生気のない作り物めいた美しい貌にぞっとする。耳を近づけると、微かな息遣いがあった。
(そうね、わたしが見ていたのはいつも笑っている顔だった。それから、困ったような顔)
こんなに弱っていたなんて――それにしても、あやかしにも人間のように体が弱いとか病気だとか、そういったことがあるのだろうか。額に触れてみたところで、ただ冷たいだけだ。
(元から肌は冷たかったわね)
屋根の上で触れた手を思い出し、ぶるぶると頭を振る。顔が熱い。それどころではないのに。
「舟持め――黙っていろと言ったものを」
微かな掠れた声に、慌てて距離をとる。とたん、紫葵の顔が曇った。もう一度傍に寄れば、ゆるりと笑みがこぼれる。
「大丈夫?」
「希沙良がいれば元気になる」
「もう……いつから、こうなの?」
「すぐ良くなるよ」
「本当に?」
紫葵は頷いて、身体を起こそうとするから、希沙良は手を伸ばしてそっと押し留めた。
「寝ていないと、だめよ」
「……話しておきたいことがあって」
「元気になってからでいいわ」
「……わかった。やっと決心が固まったんだけど」
紫葵は苦笑して一度目を閉じて、肩に置かれた希沙良の手を握った。
「花飾達と、仲良くしていて。あまり一人で外に出ないようにね。何かあったら僕を呼んで」
「わかったわ。時々、来てもいい?」
「うん。希沙良が来るなら、嬉しい」
紫葵の穏やかな笑みを見ていると、心が落ち着くのを感じる。自分がそうなれたらいいと、思う。
「元気になって」
希沙良は心からの笑みとともに言った。まだぎこちない希沙良の笑みだけれど、紫葵もまた、微笑んでくれた。