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あやかし邸の嫁候補  作者: 烏居あす
第一章
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帰処 -かえるところ- ④


 五日はあっという間に過ぎた。

 今までならば日が沈めば床についていたけれど、このところ毎晩、夜空を見上げていた。針のように月が痩せ細っていくのを、ただ眺める。終わりが近づいていく。

 そして、夜空から、月が消え失せた。


 希沙良が部屋の隅で正座していると、玄関で鍵の外れる音がした。

 目をそちらにやれば、先日やって来た壮年の男が、一人で立っていた。男の持つ燭台の火が、揺らめきながら男を照らす。妙に光る瞳は、狂気じみてぎらついている。

「あの化け物を、お前が手引きしたのか」

 声は低く割れていて、正気とも思えない。希沙良は男を見据えたまま立ち上がる。

「どこまでも忌々しい。化け物め、なぜ帰って来た」

「何のことです。帰って来た……?」

 問うたところで、男から答えはない。はじめから、希沙良と会話をするつもりなどないのだ。


「化け物に連れられて、あのまま居なくなっていれば――戻って来たところで、さっさと始末してしまえばよかった!」

 獣のような敏捷さで、男が飛びかかって来た。突然のことに対処も出来ず、希沙良は床に投げ出されて、圧し掛かられて動けない。乾いた大きな手が、首に絡んだ。

「お前が不幸を呼んでいるんだ! 遥子(はるこ)の姿をした化け物め!」

 何の話をしているのだろう。男が口走る言葉は意味が分からない。

 ぐっと喉を押され、息が苦しくなる。視界がぼやけていく。何度か爪が男の手を掻いたけれど、大した抵抗にはならない。

 意識が途切れる――


「お父様!」

 切り裂くようなはっきりとした少女の声に、男の動きが止まる。手が緩んだ隙に男の下から転がるように這い出て、蹲って激しく咳き込む。

 戸口に、目尻の下がった少女が立っていた。晶子――希沙良の腹違いの姉にあたる少女。

 床に手をついて呼吸を整える希沙良の視界に、再び男がゆらりと映り込んだ。

「お父様――!」

 もう一度少女が叫んだ時、男と希沙良の間に割り込む影があった。


「お迎えに上がりました、真田の姫」

 糸目の男はにんまりと唇を釣り上げて笑う。

 今度は誰かと、目を眇める。糸目の男は希沙良の腕を支え、立ち上がらせた。

「あなたは……?」

「失礼、わたくしは桜居(さくらい)の者。貴女様をお待ちしておりました」

 これが、嫁取りに現れた化け物の使いというのか。

「我が主は貴女様を求めておいでです」


(化け物とは思えない――もっとも)

 希沙良は芳雪を化け物と思うつもりはない。父のことは嫌いだ。だからと言って全ての人を嫌うわけではない。

(わたしは人のことも、芳雪のような存在も、何もわかっていない)

 少なくとも、真田の主――父に対する嫌悪や恐怖を、芳雪やこの糸目の男に対しては抱いていなかった。何もわからないからこそ、これから出来ることもあるのかもしれない。

(芳雪……わたしには、まだ何か出来るのかしら)

 今の希沙良を支える全ては、芳雪の言葉だけだった。


 真田の主は、呆けたように佇むばかりだ。希沙良は睨むでもなく、ただ男を見つめていた。

「さぁ参りましょう」

 糸目の男が希沙良に向けて手を差し出したけれども、希沙良は躊躇って動けない。糸目の男は手を返し、希沙良の手首をがっちりと掴んで、引きずるように歩き出す。抵抗も出来ないほどに強引さだ。

「そうだ、食われてしまうがいい、化け物め!」

 父の金切声が背中にかかった。身を切りつけるような声と言葉にびくりと肩を震わせる。糸目の男が強く腕を掴んでいてくれたことが、むしろ希沙良を救ってくれた。


 この場所から出られるのなら、解放されるのなら、まだ先に光があるように思える。希沙良にとっては、父が怪物のようだった。

 僅かに振り返ると、いつの間にか父親の傍に寄っていた晶子と目が合った。男が持ってきた燭台の灯りしかない薄暗い中でも、青白い顔で震えているのがわかった。

(これでもう、会うこともない)

 玄関の敷居を跨いだとたん、周囲にふっと蝋燭が灯った。


 玄関の向こうに見えていた前庭が消えている。

 どこまで続いているのか、果てなく見える暗闇に蝋燭が道しるべのように、奥へ奥へと連なるように並んでいた。

「……え?」

 思わず振り返ると、そこに今日まで暮らした牢獄のような家はない。

「参りましょう、姫」

「――――」

 希沙良は男へと視線を戻して、目を見開いた。男の背後に大きな車輪のついた屋形が現れている。轅の先にいるべき牛はおらず、まさか糸目の男が牽引するのではあるまいと、目を瞠る。

「ここは幽道(かくりのみち)、我々の通り道です。さぁ、どうぞ。お乗りください」

「……ええ」

 恐怖が全くないと言ったら嘘になる。


 希沙良は無意識に下唇を噛んで、男に支えられて屋形に乗り込んだ。床に座ったのを確認して男が簾をおろし、少ししてから揺れ始める。動き出したらしい。

(どこに、連れて行かれるのかしら)

 始めのうちはおとなしく座っていた希沙良だったが、しばらくすると端に寄って物見の小さな戸を開けた。糸目の男は車副として傍らを歩いており、屋形を引くものの姿はない――いや、時々光の加減で鬼火のような瞳を持つ、牛に似た生き物が先導しているのが見えた。


 相変わらず景色は暗闇でしかない。

 けれど、蝋燭はなくなり、代わりに朱色の提灯がぶら下がって道を作っていた。どこから吊るされているのやら、上は闇に消えている。浮かんでいるといった方が正しいのか。

「これは……?」

 小さく囁いた声にも、男が律儀に振り返る。

「もう桜居の領地に入ったのですよ」

「領地があるのね」

「桜居は四大領地の一つです。この提灯は桜居の証。間違えて他の領地へ迷い込みませぬよう、お気を付けください」

 もし道を外れて提灯の下から出てしまえば、どこへ迷い込んでしまうのか。


「間もなく着きますよ。門をくぐります」

 糸目の男が言った後、一度だけがたんと牛車が大きく揺れた。何かを踏み越えたようだ。なすすべもなく床に転がった希沙良は、牛車が止まったことに気付いて、手をついて御簾の傍に戻る。隙間から覗けば、立派な門扉の遠く向こうに屋敷が見えた。

 古めかしく、しかしどこか懐かしいようで、不思議と親しみがわく。惚けて見上げていた希沙良の近くで、糸目の男が唇を吊り上げて笑う。

「さぁ、姫様、中へ――」


 差し出された男の手に反射的に掴まって――いきなり強く引かれた。

「えっ――きゃあ!」

 妙な浮遊感の後、冷たい石畳に投げ出された。恥ずかしくも悲鳴をあげてしまって、珍しく頬を染めた希沙良がどうにか立ち上がると、そこは既に屋敷の中のようだった。門から屋敷まで随分長かったように思えたが、一瞬のことだった。開け放たれた玄関から見える門扉はがっちりと閉ざされ、糸目の男の姿はない。

(な……なに……?)


 外は夜闇が満ちていたが、屋敷の中は明るい。天井にきらきらと光る硝子の大きな灯りがあった。思わず見とれてしまったが、それどころではない。

「どなたか、いらっしゃいませんか――」

 語尾は薄れて消えてしまった。広い屋敷には、人の気配はあった。衣擦れの音やひそかな息遣いがある。しかし、姿は一切見えない。

 途方に暮れて立ち尽くした希沙良を、突然何かがぐいぐいと押す。

「えっ」

 首を巡らせてみたものの、背後には何もいない。けれど、相変わらずぐいぐいと押されている。

(やだ、本当に化け物屋敷じゃないの)


 上げ框で転びかけて、床に手をついて慌てて声をあげる。

「待って。草履を脱がせて」

 化け物屋敷だろうと何だろうと、土足で上がるのは気が引けた。その行儀の良さがあだとなり、希沙良はころころと床を転がされるはめになった。

「待ってったら!」

 見えない何かに怒鳴ってみても、聞くつもりはないらしい。転がされる間に草履が脱げて、どこかへ飛んでいった。


 ようやく止まったと思ったら、今度は袖を上に引かれる。立て、ということなのだろう。

「もう……」

 あっという間によれよれになった希沙良は、袖や裾を払いつつ立ち上がり――そうなんじゃないかとは思っていたが、やっぱり襖が開いたとたんに中へと放り込まれた。

 気持ちの準備と体の準備は違う。予想はしていても受け身が取れるわけでもなく、畳の上に転がって突っ伏して止まった。

「いきなりなんなの……」

 何を考えたところで無駄に思えた。これでは対処の仕様がない。


 困惑して顔を上げると、奥に長く続く部屋にはいくつもの膳が並べられ、最奥部は一段高くなって席が二つ設けられていた。席の真上の天井から白い紗幕が垂れて、裾は両端の柱に紅い紐で結んで留められている。

(宴の席? 婚姻の儀式だとでもいうの……?)

 席には誰もいないのに――いや、やはり、誰かがいるような気がする。ただ、姿が見えないだけだ。


 手をついて座り込んでいた希沙良の腕を、誰かが両側からそっと持ち上げた。今度は気遣うような優しさが感じられ、先ほどとは違う何かだとわかる。

「あの席に行けばいいのね……」

 逆らったところで何の得にもならない。諦めて従うことにした希沙良は、腕を引かれるまま最奥部まで進んでいく。さわさわと空気が揺れた。両側から見られている。

(餌の品定めかしら)

 ぎゅっと唇を引き結ぶ。


 見えない何かは希沙良を台の上の席へと導くと、肩を軽く抑えた。座れという意味だと受け取り、希沙良は朱色の座布団の上に座った。隣の座布団に婿がいるのだろうかと横目で見たけれど、案の定何の姿もなかった。

 前に置かれた膳に目を落とすと、朱色の盃がひとつ。既に何かの液体で満たされている。思わず手を伸ばして盃をとってみたが、咎めるものはなかった。


(黄金色の……お酒?)

 甘くまろやかな、何とも良い匂いが鼻孔をくすぐる。とろりとした水面が、ゆらゆらと覗き込む希沙良の顔を映す。

(異界のものを口にすれば戻れなくなるのだったわね)

 死の国、山や海といった異界に入り込んだ者は、そこで振る舞われたものを口にすれば二度と元の場所へは戻れなくなるという。

 希沙良には帰るべき場所はない。あやかしの来訪に命を救われたくらいだ。もうとうに居場所は失われていた。


(戻れなくても、それでも、いい――)

 ぐいと盃をあおると、甘い美酒が喉を下った。天から降る蜜があるのだとしたら、このように美味なものなのだろうか。

 希沙良が覚えていたのは、そこまでだった。視界がぐにゃりと歪んだかと思うと、全てが途切れた。


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