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あやかし邸の嫁候補  作者: 烏居あす
第一章
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帰処 -かえるところ- ②

 ――きさら

 ――きさら

 ――わたしの、かわいい子……


 何度も、何度も優しく頭を撫でられる。

 白いきれいな手を、知っていた。

 あれは、誰だったろう。なぜ、忘れていたのだろう。

 ……忘れていた? 違う、わたしはずっとひとりだった。こんなのは、ただの夢。


「…………」

 目覚めると、優しい手の感触は消えていた。もちろん、いつも通り部屋には希沙良ひとりきりで、誰かがいた気配さえない。

 いや、土間の方から物音がしている。

 手をついて膝でにじり寄って、細く障子を開ける。そこに立っていたのは昨日見た女中の少女だった。


 少女は敏感に振り返って、にっと笑った。

「おはよう、希沙良」

「おはよう……」

 何故ここにいるのか解せない、と眉根を寄せる希沙良を見て、少女はまた笑う。

「意外と顔に出るよね、希沙良は」


「教えてほしいことがあるのだけど」

「うん」

「きさらって、どう書くの? ひらがな?」

「漢字があるよ。それより、先に朝餉を食べなよ」

「ええ」

 頷いて、しばし少女と見つめ合う。両者とも、動かない。


(……何だ、作ってくれるわけじゃないのね)

 新しい世話係なのだろうか、けれど何をしてくれるわけではない。

 希沙良が瓶に水を入れて顔を洗い、髪をまとめる間、上り框に腰かけて足をぷらぷらと揺らしていた。着物の袖を襷で留めながら、少女を振り返る。

「……貴方も食べる?」

「うん」

 当然の如く頷く少女に、頷き返す。


(変な子。女中……なのよね?)

 しかしながら、変に畏まらないでいてくれるのは気が楽だった。希沙良が野菜を洗っていると、少女の声がのんびりと後ろからかかる。

「料理はどうやって覚えたの?」

「はじめは見様見真似。後から世話係のおばあさんを問い詰め続けたら、根負けしたみたいで料理の本を持ってきてくれた」

「本、好きなんだね」

「唯一の娯楽だもの」


 老婆にしつこく迫ったら、本をくれて、少しずつ読み書きを教えてくれた。本を与えておけば静かになるとわかった老婆は、いろいろな本を持ってきてくれるようになった。おかげで床の間はすっかり本に占拠されている。

「希沙良」

「なに?」

 振り返ると、少女は目を細めて笑っている。


「呼んだだけ」

「……おとなしくしていて」

「わかったよ」

 視線を前に戻したけれど、背後で小さく笑ったような吐息が漏れたのを聞き逃さなかった。

(本当に変な子なんだから……)

 呆れたように内心呟きながら、口角が上がってしまう。しかめっ面に変えようと唇を引き結ぶと、また背後で小さな笑い声がした。



 希沙良が用意した朝餉を二人で食べた後、縁側で向き合って座って、少女が持つ筆がさらさらと紙の上を滑るのを見つめた。

「はい、できた」

「これで、きさらって読むの?」

「そう」

「ありがとう」

 少女が書いてくれた希沙良の文字を目の高さに掲げ、しげしげと見つめる。


(きさら……きさら)

「綺麗な字だよね。大事にされているのがわかる」

「そう思う?」

「うん」

「貴女は、わたしのお母さんを知っているの?」

「知っていると言えば、知っている。情の深い人だったよ」

(やっぱり、亡くなっているのよね)


 世話係だった老婆や、年増の女中らが、希沙良を産んですぐ亡くなったと言っていたが、信じていなかった。どこかで生きていると願いたかった。それでも、顔を見たこともなく、会ったこともないために、何の感情も浮かんでこない。ただ、からっぽだった。

 黙り込んだ希沙良を、少女が表情を変えずに覗き込む。希沙良は何度か瞬きして、別のことを言う。

「貴女、何歳なの? いつのお母さんを知っているのよ」

「ふふ」

 少女は笑って、首を傾げる。


 希沙良も憮然とした顔で首を傾げ、ややあって小さく吹き出した。

「あ、笑った」

「笑ってないわよ」

「そうかな?」

「笑ってないわ」

「じゃ、いいよ。そういうことで」

 少女の唇の端が柔らかく上がる。


 希沙良は人が自分に微笑むのを見るのは初めてだった。

 誰かと過ごす時間を、初めて心地よく感じていた。

(……悪くないわ)

 けれど、それを口に出すことは出来なかった。



 少女は朝になると希沙良の元を訪れ、一緒に食事をとって、その後も一緒に過ごしたり、ふらりと消えたりと、何とも自由だった。

 今は日当たりの良い縁側で、希沙良を膝枕して小さく鼻歌を歌っている。

(女中の仕事は良いのかしら? 世話係なら、これも仕事のうちなんでしょうけど)

 別に希沙良が膝枕を求めたわけではなく、座ったまま眠そうにしていた希沙良の肩を優しく押さえて倒したのは少女の方だった。


 これもまた初めての体験だった――はずだが、何故かひどく懐かしい気がしていた。

(前に、誰かにしてもらったことがある……?)

 いつしてもらったというのだろう。

 母がいて、愛情をかけられたのだと思いたい一心に、夢を見たのだろうか。

(きっと、そんなところね……)

 希沙良は考えることをやめ、眠りの底へと沈んでいった。

(こんなふうに過ごせていければ、いいのに……)

 少女の手が、優しく肩を撫でた。



 いつしか、少女が訪れるのを待つようになってしまった。

 外を覗いては、来ないだろうかと。けれど、待っているとは知られたくなく、時々ちらちらと見るくらいにしておく。

 何度目かに庭を見た時。

 そこに人影があった。


 陽が沈んだ後の夜までの間に訪れる、幻想的な紫紺の闇に染められたような髪を持つ美しい青年だった。菫の雫のような紫の瞳が、静かに希沙良を見つめている。その白貌はあまりにも美しく、そこに立っていることが異質に見えるほど。いや、どこにいようとも、彼が景色に馴染むことなどないだろう。

 白の着物に藍色の袴を合わせた青年は、格子戸まであと数歩というところまで近づいて、立ち止まった。

「なぜ、そこにいるの」

 よく通る涼やかな声は耳に甘い。


 少し、怖い。

 希沙良は知らず緊張して、手を握った。冷や汗ですべる。

「わたしにも、よくわからないわ。忌々しい妾の娘だとか、化け物だとか言われるけれど」

「――――」

 青年は視線を俯け、何事か呟いた。なにか、悪態をつくような。それさえも綺麗に見えて、なぜだかおかしい。

 この人は誰なのだろう。視線を逸らし、もう一度庭を見ると、その姿はなかった。

 最初からいなかったかのように。


「……ゆうれい?」

 呆然と呟いて、何度か瞬きし、目を擦る。

 ぎゅっと目を閉じて、少し待って、開ける。

 今度は、綺麗に着飾った少女が立っていた。

 髪を結い上げた同じ年頃――いや、少し年上の萌黄色の着物の少女。目尻が下がった目元は、何故か見覚えがある気がした。少女の方でも困惑したような顔で希沙良を見つめている。


「貴女は、だれ?」

 希沙良が声をかけると、少女は短く息を吸って、素早く身を翻して駆け去った。追いかけることなど出来ずに、今度こそ誰もいなくなった庭を見て、佇む。

「よく人が来る日ね……こんなの初めてだわ」

 自嘲気味に呟く。

 けれども、訪れを待ついつもの女中の少女は、とうとう現れなかった。



 その夜のこと。

 真田の屋敷の前に、暗い色の着物を纏った糸目の男の姿があった。

 手には古めかしい朱色の提灯がひとつ、やけに明るく辺りを照らしている。対応に出た屋敷の者が怪訝な顔で見つめていると、糸目の男は丁寧に頭を下げて言った。

「当家のお嫁様はいらっしゃいますか――お迎えに上がりました」


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