魔王覚醒編 番外編 ホトトギス
「リリーナ、見て。小鳥よ」
「うん、小鳥だね。なんて小鳥なんでしょうね?」
「私も知らない。あ、そうだ。リリーナ、鳴かぬならリリーナはどうする? ホトトギス」
「あ、あれか。アサならどうする?」
「私が先に聞いたのに!……まあいいけど。私なら別にホトトギスが鳴いても鳴かなくてもいいけどね。そう、鳴かぬなら別に鳴かなくていいホトトギス、だね」
「思ってた通りの答え。でもね、アサ、それ間違っているよ。正しく言えば質問の仕方が悪い。だって、私達現代っ子なんだから。ほら、現代の日本で小鳥を愛でる若いものはほぼいないでしょ。ホトトギスは娯楽、欲しい物、あるいはしたいことの表なのよ。そうね、現代風で言うと、繋がぬならあなたはどうする、インターネット、かな? 信長の場合、繋がぬなら契約会社を変えようインタネット。秀吉の場合は、繋がぬなら契約会社に問い合わせしよう、インターネット。で、家康の場合は繋がぬなら繋がるまで待とう、インターネットだね。私の場合、えーと、誰かに借りられたなら、どうする、読みたい本だね」
それなら、わたくしの場合は鳴かぬならどうする? リリーナ、でしょうか。もちろんどんな手段を使ってもいい声で鳴かせる、リリーナでございますわ。
「なるほど、じゃあ私の場合は振り向かぬなら曲げずに頑張ろうリリーナ、だね。リリーナはどうする? 本」
「誰かに借りられたなら、あれ? 待つしかない? この例もよくないわね。そうね、本を借りた人は本を返さないことで有名、またはどうしても今読みたいのなら別の図書館に行って借りるけど。えーとね、私多分秀吉タイプだと思う。私が思うに、現代の日本人は7割秀吉タイプで家康タイプは2割、残り1割か、それ以下は信長タイプだと思う」
「信長タイプ1割もいるんのか? 信長ってサイコパスじゃん」
「えっとね、命は尊いのが一般認識の日本でも自分を愛せない人はいらない、自分のものにならないものはいらないと言う人も少ながらずいると思うの。みんながみんな愛されて健やかに成長したわけじゃないし。サイコパスだってみんな罪を犯すわけでもないでしょ」
「それはそうなんだけど」
「それに、サイコパスは怖い人というより、バカだと私は思う」
「え? どうして?」
「サイコパスのすることは短気で本末転倒が多いと思う」
「どういうこと?」
「まあ、一言サイコパスって言ってもサイコパスは色んなのがいるけどね」




