8ページ
青年の剣をハンマーで弾き返し、よろめいてバランスを崩した青年目がけてハンマーを振り下ろす。
青年がすれ違うように避けた時に、ハンマーが鬼の腕をつけたまま天井に舞った。
「あぁぁ」
鬼は言葉にならない声を上げて左手で右肩を押さえる。右肩からは鮮血がほとばしり、鬼の前に先ほどまで繋がっていた腕が落ちた。ハンマーを掴んでいる腕は、体から離れていると言うのに痙攣を起こし、ハンマーを持ったまま、陸の上の魚のように跳ね上がっている。
鬼は自分の腕を拾おうとして二、三歩進み、次の足を踏み出したところで床に倒れた。鬼から流れ出た血が床一面に広がる。
由希子は煙と一緒に血の匂いを吸い込んだ。煙のせいでまた咽ながら、血の匂いで吐きそうになりハンカチで口を押さえた。
サバイバルナイフの鬼は言う。
「火事の煙で苦しいのに、なぜ人に拘る。鬼になれば、煙も血の匂いも甘美に思え楽になるものを」
どんなに楽になろうと鬼になってはいけない。鬼になれと言われれば言われるほど由希子の頭の中で警鐘が鳴る。
酸欠で意識が朦朧としながら由希子は囁くような小声で言い返した。
「鬼はイヤ」
青年はサバイバルナイフの鬼に立ち向かいながら言う。
「たまにあんたのような人がいるんだよな。鬼になるのを拒む人が」
由希子はもう呼吸するのが精一杯で何も言い返せない。ただただ煙の中で戦う青年を見守るだけ。
青年は横に舞って閃くサバイバルナイフを剣先で掬うように下から押し上げ、円をかいてナイフの刃先を押さえ込み、ナイフを持っている鬼の腕を掴んだ。体の向きを変えて鬼と並んで立つ。
「輪廻の順が後回しになるが、まだ間に合う。人に戻って静かに暮らすんだ」
「ふっはっは。笑わせるな。お前も鬼のくせに」
鬼は青年を押し返した。
青年は一度離れ距離をとる。
「仕方ない」
言葉のあとに青年が持っている剣の刃が一瞬波打って動く。
「お前は!」
鬼が言いかけた時、青年は隙をついてサバイバルナイフの鬼を下から上へ切り裂いた。サバイバルナイフが真ん中から切れて床に落ちる。そのあとに鬼の体も斜めに切れて上半身が床に落ち、胴体を失くした足が力を失って膝が曲がり、床に右膝をつけてから倒れた。流れ出た大量の血が由希子の足元まで広がる。
由希子は床を這って鬼の血から遠ざかった。腰が抜けてしまって這って逃げる動きがぎこちない。
鬼は下半身が無いのに頭を持ち上げた。
「明王の童子だったのか」
言い終えてから鬼は頭を床に落とした。鈍い音が由希子の耳に届く。
残るは手斧の鬼、ただ一体。元はハンサムな顔立ちだが鬼面になってから前の面影は無い。
「明王の童子の中に鎧に身を包み戦う姿をした指徳童子がいると聞く」
「オレはそんな高尚なもんじゃない」
青年の背中が膨らむ。衣類が破け剥き出しになった背中の筋肉がなみなみと動く。
手斧の鬼も更に筋肉が盛り上がり首も太くなっていく。
「なら、お前は何者だ?」
「見ての通り、オレはお前と同じ鬼だ。心まで鬼になってはいないが」
鬼は手斧を振り上げた。
「それだけの違いで、お前は俺の邪魔をするのか」
「それだけ? 冗談じゃない。大きな違いだ」
青年は剣を振って鬼の手斧を弾き飛ばした。次に剣を突き出す。しかし、刃は鬼の腹の前で止まった。鬼は笑う。
「くっくっく。鬼の力を使い皮膚を硬くした。俺を貫けるものか」
「くそっ、硬過ぎる」
青年は間合いを取ってから両腕を振り上げた。日本人特有の黒い瞳は黄金色に変わる。青年の顔が膨れ上がり頭に角が生える。それと同時に天井に向かって吼えた。
「うおぉぉ」
低い声が何種類も合わさったような、低音の雄叫びがすべての物を震わせる。
由希子も頬に空気の振動を感じる。近くにあった商品ケースのガラスが割れ、外と隔てている窓ガラスまでもが割れる。
もうそこに青年の姿は無かった。服が破れ剥き出しになった青黒い上半身。口には牙が生え手斧の鬼と変わらぬ姿になっている。
向かい合って立っている鬼は床にある手斧を拾う事なくにんまりと笑顔を作った。
「俺の体が剣で貫けないと知り、自ら鬼と化したか」
青年だった鬼は舌舐めずりをして、爪が伸びた手で涎をぬぐった。
「力が漲る」
鬼同士は組み合った。




