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「やめて。ここにいる事がバレちゃう」

 由希子が言っているうちに、青年が振り下ろした手斧の刃は激しい音を立ててドアノブに食い込み、ドアノブは落ちて床に転がった。壊した時の音は、きっとあの三人に聞こえただろう。由希子は、感じている恐怖を言葉にして青年に向ける。

「音を立てずに壊す方法はなかったの? 今の音、絶対あの人達に聞こえたよ。私達、捕まっちゃうよ」

「うるさいな。少し黙れよ」

 青年は、穴が開いたドアの中の構造をいじり、ドアを開け、中の売り場を覗き込みながら言った。

「大丈夫。行ける。走るぞ」

「無茶よ」

 そう言う由希子も、青年のあとに続いてドアを潜り、一緒に売り場の通路を走る。考えるより先に、口の動きよりも早く、足は無意識に動く。視界の端に三人の男が映れば、足は更に速く動きエスカレーターを目指した。

 青年もエスカレーターを目指して走る。手斧を持って走る分、青年の手足の動きが鈍い。その横に由希子が並び、由希子は青年を抜かして走って行く。

「早く走らないと、あの人達に追いつかれちゃうよ」

「走りながら、よくしゃべれるな」

 青年は手斧が邪魔で全速力で走れないようだ。

 三人の男は、音がしたほうを見て、由希子と青年の姿に驚く。

「鍵をぶっ壊したのか」

 出し抜かれたとばかりに、焦りを顔に浮き上がらせて、由希子と青年を急いで追いかけた。

「女を逃がすな」

「もう女どうこうの問題じゃねえぞ」

「二人共始末しないと厄介な事になる」

 由希子にもその声は聞こえていた。心の中で「殺されるのはイヤ。触られるのもイヤ」と繰り返し叫びながら走る。由希子は床を蹴り(ひざ)を高く上げセーラー服のスカートを(ひるがえ)し、手を大きく振って口から何度も息を吐いた。陸上部員ではないが、体育の授業で(つちか)われたせいで、走る姿が自然と陸上選手の様になってくる。由希子が息を乱さず速く走れるのは高校生という若さだからか。

 青年も由希子に続いて走る。だが、口から出る息は荒い。

 三人の男達は必死で走っていたが、由希子達に追いつけなかった。大して走っていないのに息が上がってきている。

「防火服が重い」

 手ぶらの男はヘルメットと上着を脱ぎ捨てた。

 由希子の耳に、ヘルメットが床に当たって転がる音が届く。由希子は走りながら何かと思い振り返った。素顔を(さら)し黒いシャツ姿で走る男が眼に入る。男の歳は三十前後。顔の作りは意外と悪くない。普通に暮らせば人並みに幸せでいられるだろうに、なぜ火事場泥棒をするのか、由希子には理解ができなかった。そうして後ろの男に気を取られた瞬間、由希子の振り下ろした腕がパイプハンガーに当たった。パイプハンガーは由希子の腕の動きに合わせて、かかっている服をぶら提げたまま後ろに倒れる。

「あ、そっちに倒れないで!」

 由希子は振り返って足を止めて踏ん張り、手を伸ばしたが、パイプハンガーを掴む事ができなかった。パイプハンガーは不運にも、由希子のあとに続いて走っていた青年に倒れ込む。

「うわっ」

 青年はとっさに飛び上がって倒れて来たハンガーや服を避けるが、着地した所にパイプハンガーが倒れ込んだため、パイプハンガーに足を取られて転倒した。

 由希子は青年に駆け寄る。

「ごめん」

「いいから、あんたは先に逃げろ」

「でも……」

「オレは大丈夫だから。あいつらが来る。早く走れ」

 青年は立ち上がる。

「う、うん」

 由希子は心配そうに青年を見ていたが、青年に(うなが)されてまた走り出した。途中振り返って見ると青年も走り由希子について来ていた。右からは三人の男が走って来ている。

 青年はエスカレーターに集中しない由希子に(さけ)ぶ。

「もう後ろを見るな。走れ」

 由希子は青年と視線を(から)ませてから無我夢中で走った。エスカレーターはすぐそこ。たどり着けば、あとは一階まで下りて外に出るだけ。外に出れば本物の消防隊員がいて火事場泥棒の魔の手から救ってくれる。由希子は手を伸ばした。エスカレーターのベルトを掴む。振り返って青年の無事を確かめた。

「いる?」

「ちゃんといる。下りろ」

「うん」

 青年の声に(うなず)きながらエスカレーターの階段を見下ろしながら下りた。エスカレーターは、火事で安全装置が働いて止まっている。動いているエスカレーターを下りている時は分からなかったが、止まっているエスカレーターはとても下りにくく、段差が高く感じられて、それを見下ろしながら一段ずつ下りるのは怖い。由希子の逃げるスピードは急に遅くなった。

「エスカレーターって下りにくい」

内股(うちまた)で下りるからだ」

 青年がすぐ後ろから言う。

「女なんだから仕方ないでしょ」

 由希子と青年が一つ目のエスカレーターを下り切った時に、あの三人がエスカレーターのベルトに手をついた。サバイバルナイフを持った男が舌舐(したな)めずりをして言う。

「やっぱり女っていいな」

 隣にいた手振らの男が聞く。

「なんでだ?」

「ケツを振りながらゆっくり下りて行く」

 女子高生の未成熟な色気が(たまら)ない、といった感じで、サバイバルナイフの男が恍惚(こうこつ)とした表情をしている。

 ハンマーを持った男が言った。

「こんな事なら早くエスカレーターに行かせてやればよかったな」

 三人は、不気味な笑い声を出してエスカレーターを下り始めた。

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