18ページ
神父は神に使える者。なのに、神父も科せられた者とは、どういう事だろうか。
「現世のわたくしは牧師でした。教会に懺悔をしに来る、迷える子羊の話を聞くのが役目だったわたくしは、自分の利益になる子羊には手を差し伸べ、利益にならない子羊には手を差し伸べなかったのです。お陰で、現世での生を終えたわたくしは、地獄に送られ刑を科せられました。由希子さんのように、生きながらにして地獄に来てしまった人を現世に戻すようにと。我が主から頂いた、願いを叶える天使の羽は五十枚。わたくしは五十人の迷える子羊を現世に戻さなければ、人として生まれ変わる事が許されないのです」
神父は、地面で苦しみのたうちまわっている、青黒い鬼となった青年を見る。
「彼の場合は、悪魔になってしまった者を神の下へ送らないといけないようです。当然、悪魔は彼の言う事を聞かず、彼の持つ力欲しさに挑んで来るでしょう。そんな悪魔と闘わなければならない過酷な条件を科せられるとは、彼は生前にかなり重い罪を犯したようですね」
「鬼変率一〇〇%」
一〇〇%となった時、雷鬼は急に動かなくなった。一瞬だけ静寂が広がったが、次に雷鬼はゆっくりと身を起こした。口から涎を垂らしながら立ち上がる。体の表面がバキバキと音を立てて、皮膚が硬い鱗状に変わっていく。それを喜ぶかのように、雷鬼は拳を振り上げて空に向かって吼えた。
「鬼変率一一〇%」
神父は胸の辺りで十字を切る。
「ああなるともうダメですね。主よ彼の御霊を救い給え、アーメン」
「そんな」
悲愴感を浮かべて言う由希子の前で、雷鬼は手を広げた。
「絶鬼の剣よ」
雷鬼の手に絶鬼の剣が現れる。雷鬼は絶鬼の水色の刃を見た。
「結局、生きている時の繰り返しなのか……」
雷鬼は笑う。
「ははは、ふはははは」
青年の笑いは暫く続き、神父は全身を淡く光らせる。
「あの者は狂い始めたようです。由希子さん、天使の羽を使って早く現世に戻って下さい。わたくしは地獄の番人として、あの者と戦う事になると思いますので」
神父の口調がきつくなる。のん気に歌っていた神父とは大違いだ。
雷鬼の体は、鱗状の皮膚がささくれ立って刃物のようになり、鋭利な刃を持った鎧をみにつけているようだ。青年だった雷鬼の笑いはまだ続き、ガラス細工のような半透明の絶鬼の刃に、醜くくなってしまった青年の、雷鬼としての顔が映る。雷鬼は笑いをやめて黄金色の瞳で刃に映った自分の顔を見ていたが、暫くして黄金色の瞳から涙がこぼれた。
「生きていた時は正義の名の下に人と闘い、地獄に落ちれば悪鬼の粛正という大義名分の下で人だった鬼と闘う。生きていても、死んでいても、結局は同じ。オレは闘う宿命から逃れられない。そして最後も同じ」
雷鬼は絶鬼の刃先を自分の胸に向ける。手に力を入れ心の臓を貫いた。剣を掴んだ姿のまま、雷鬼の体は地面に横たわった。
余りにもあっけない雷鬼の最後。周りにいた人々の誰が、雷鬼の自決を予期しただろうか。
由希子も、またその中の一人。
「あの人はどうなったの?」
由希子は神父に聞く。彼の死を受け入れられないのだ。
「あの悪魔は地獄での生を終えました。普通なら、彼の御霊は神の下へ召され、過酷な試練を受けてから再構成され、また輪廻に戻されるのですが、あのままの状態を見ると、それも許されないようですね」
由希子は雷鬼に歩み寄った。
「なんで、なんでなの。悪い鬼を倒して私を助けたわ。きっと、その前も、その前も、悪い鬼を倒してきたんでしょ。私も鬼だったけど、まだ人に戻れるって教えてくれたわ。善い事もしてるじゃない。なんで神様はこの人の罪を許さないの」
由希子は空を見上げて泣き出した。
「なんで許してくれないの。せめて人の姿に戻してあげてよ」
刃物のようにささくれ立っている雷鬼に触れることができず、由希子は雷鬼の傍で泣く。
神父は由希子の隣に腰を下ろした。
「地獄で善い行いをしても拭えないほど、生前の罪は重いのでしょう」
由希子は握っている天使の羽を見た。
「確かこの羽って、私の願いを叶えてくれるのよね」
「それはダメです。願いを叶えたらその羽は消えてしまいます。あなたが現世に帰らないと、ご両親が悲しむと思いますよ」
神父の言葉を聞いて由希子は眼を閉じる。
「パパ、ママ……」
「そうです。ご両親の下へ戻って下さい」
神父が安堵の笑みを浮かべた時、由希子は眼を開いた。
「パパ、ママ、ごめんなさい。天使の羽さん、お願い。彼を生き返らせて」
「由希子さん!」
慌てふためく神父の前で、由希子の手の中の天使の羽は再び輝いた。




