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「何をするの」

 由希子の涙鬼の表情が(ゆが)む。

 青年の手から発せられた稲妻(いなずま)は由希子を包んだ。

「オレが、あんたの中にある涙鬼の力を吸収すれば」

「やめて、パパとママの所に戻れなくなる」

 由希子は抵抗するが、青年の手は由希子から放れない。由希子は人へ変化し始めた。

「いや、せっかく手に入れた力を失いたくない」

 由希子は青年の腕の中で暴れ、青年を振り払った頃には完全に人に戻っていた。現世に帰る(すべ)を失った由希子に、人としての感情が戻る。人の感情は鬼だった由希子を執拗(しつよう)に責めたてた。

「私、私は・・・」

 泣きながら地面に崩れ落ちるようにしてしゃがみ、腰が抜けて尻を地面に落として座り込む。震えている自分の手を見た。

「私が人を刺すなんて」

 あの時、剣の刃はなんの抵抗も無く青年の腹の中に入った。手に残っているその感触が気持ち悪く、おぞましい記憶となって由希子を(さいな)む。人としての感情が戻ったのはいいが、今度は人を刺した現実を受け入れなければならず、鬼になってしまったショックは大きいようだ。

 青年は自分の腹から剣を抜いた。

「オレなら大丈夫。こんな傷はいつもの事だから。それに今のオレは、人であって人じゃない。だから、あんたが刺したのは人じゃない。気にするな、由希子」

 腹に開いた剣の傷が治癒して塞がっていく。

 青年は由希子を気づかって手にある絶鬼の剣を消した。泣いている由希子に歩み寄る。

 地面にひれ伏して泣いている由希子は、先ほどの狡猾で妖艶(こうかつでようえん)な涙鬼とは思えないほど幼く見える。

「ごめんなさい。あんな事をするなんて」

 あんな事に、キスは含まれているのだろうか。

「その……。初めての事で戸惑っていると思うが、地獄は罪人の集まり、争い事はよくあるんだ。それでオレのような地獄の番人がいるんだ」

 青年が由希子に説明をしていると、歌が聞こえてきた。先ほどまで血みどろの争いがあった地獄とは思えないほど、のん気で陽気な歌声だ。

「泣いてばかりいる子猫ちゃん。犬のおまわりさん。困ってしまってワンワンワンワン。ワンワンワンワン」

 一部始終を見ていた野次馬の中から神父の姿をした中年の男が現れた。神父は人を掻き分けるようにして野次馬の集団から出ると、ゆったりと歩いて由希子に近づいた。

「どうも、こんにちは」

 笑顔で挨拶をする。

 由希子は泣き顔を上げた。

 神父は胸の高さまで腕をあげて手を開く。そこに本が現れる。その本を開いて中にある文字を指でなぞった。

「えっと……。あなたは広田由希子(ひろたゆきこ)さんですか?」

「そうですけど」

 由希子は返事をしてから鼻をすする。

「よかった。ずっと探していたんですよ」

 神父は返事を聞いて喜ぶ。両手で本を閉じると本は手の中で消えた。何も無くなった両手を差し伸べて由希子を立たせる。

「さあどうぞ。これをお受け取り下さい。我が(しゅ)からです」

 神父は(ふところ)から真っ白な羽を取り出す。由希子の手にその羽を握らせた。

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