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「こっちだ」

 床に座っている由希子には、手がしゃべり自分を呼んでいるように見えた。手の後ろには、由希子を見下ろして立っている青年がいる。顔はハンサムでもなければ不様でもない。どこにでもいる普通の顔である。青年に特徴があるとすれば長い髪。後ろで一つにまとまり青年の動きに合わせて背中で揺れている。

「早く逃げよう」

「なんで?」

 戸惑う由希子の手を青年は掴んで引っ張った。

「何を言ってるんだ。この状況が判らないのか」

「え?」

 由希子はショートヘアを揺らして辺りを見回す。煙が通路に流れ込んできている。

「煙……」

 青年は更に手を引っ張って由希子を立たせた。

「火事だって言ってるだろ。何度言ったら分かるんだ」

 青年は二十歳前後。上は白のシャツ、下は青のジーパンをはいている。青年は由希子の手を引っ張って走らせようとするが、由希子は走らない。

「私の友達が……。さっきまで一緒にいたの」

 由希子が走らないため、走ろうとした青年は自ら繋いだ由希子の手に引っ張られるようにして仰け反(のけぞ)った。青年が顔をしかめる。

「いねぇよ。見れば分かるだろ」

 振り向き様の表情で、青年がどれほど苛立(いらだ)っているのかが分かる。由希子は青年の手を振り解いた。セーラー服のスカートが揺れる。

「友達を探さないと」

「いないんだから必要ねぇよ。きっと逃げたんだろ」

「そんな事分からないじゃない」

 青年は腕を掴んで由希子を歩かせる。

「ここにいなければ先に逃げたと思うのが普通だろ。それか後ろの火の中だ」

 青年が指をさした先を見るために、由希子は振り返った。少し先に渦を巻く真っ赤なものがある。真っ赤な渦までまだ距離があるのに、由希子の顔を照らし熱い空気が頬を撫ぜる。真っ赤な渦は炎だった。

「いやぁー」

 由希子は一目散に逃げ出した。由希子の腕から青年の手が外れる。

「おい、助けに来たオレを置いて行くな」

 青年は由希子を追いかけて走り出す。

「闇雲に逃げるな。危ないぞ」

 青年の忠告を聞かず由希子は必死に走って逃げるが、その先は行き止まりになっていた。

「シャッターが下りてる。私達がいるのに」

 由希子はシャッターを見て怒る。

 青年は由希子に追いつく。

「高熱を感知したら自動で防火シャッターが下りるんだよ」

 青年は左右を見ている。

「大丈夫。シャッターが下りている時は、こっちの通り抜け用のドアから行ける」

 青年は右にあったドアを開けるがすぐに閉めた。

「ドアの向こうはダメだ。凄い勢いで燃えてる」

 由希子はドアに触れて言う。

「でも、そんなに熱くないからあんまり燃えてないんじゃない。通れる逃げ道があるかもしれないのに、探さないですぐにドアを閉めるなんて」

 由希子は青年の制止を聞かずドアを開けた。

「あちっ」

 真っ赤な炎が目の前で渦を巻き、火傷しそうになった由希子はすぐにドアを閉めた。青年はしかめっ面で由希子を見る。

「開けるなよ。防火シャッターは熱も遮断するように作られてるの」

「そういう事は先に言ってよ」

「普通分かるだろ」

 その間にも炎は刻々と二人に迫る。青年は言い合いをしている暇は無いと由希子から視線を外し、逃げ道を探して周りを見回す。

 由希子は、助けられたのだが、青年の言い方が気に入らない。

「なんなの、あの人」

 胸に溜まった鬱憤(うっぷん)を溜め息と一緒に出してから、熱風が当たった腕を撫ぜて、心の中に突然湧いた死への恐怖を忘れるために、由希子は青年と一緒になって周りを見回す。

「一体ここはどこなの?」

「どこってデパートの十三階だろ」

 二人は目を合わさずに、逃げ道が見つからない苛立ちをぶつけ合っている。

「デパートですって。殺風景な通路で何もないじゃない」

 由希子の声が裏返る。青年は手当たり次第にドアノブを回して鍵が開いているドアを探す。

「しっかりしてくれよ。ここは従業員専用の通路だろ」

 由希子は混乱する。

「私こんな所知らない。友達といたのは……。えっと、えっと……。そんな、思い出せない」

「お客さんかよ。あんたは逃げているうちに友達とはぐれて、迷ってここに来てしまったんじゃないのか?」

 青年は、目につくドアに行きドアノブを回しているが、どれも開かない。

「なんでどれも鍵がかかっているんだ」

 由希子は考え込んで立ち尽くす。

「私、友達と買い物に来てたって事?」

「知らねぇよ。なんでオレに聞くんだ」

 言い合いをしているうちに、いくつ目かのドアが開く。

「お、開いた。こっちは燃えてない。行くぞ」

「行くってどこへ?」

 青年は棒立ちになっている由希子の手を掴んだ。

「火の無い所。逃げるんだよ」

 青年に引っ張られて由希子はドアを潜った。

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