第四章 過去から逃れる術はなく chapter-1
『首都テルノアリス』は、ジラータル大陸最大の都市であり、大陸内の政治を動かす王族や貴族が住まう、巨大な城がある街だ。都市全体を囲むように、二十メートルにも及ぶ高さの外壁が、東西南北二キロメートルに亘って張り巡らされている。
外壁の袂には、徒歩専用の出入り口となる門が、東西南北にそれぞれ二カ所ずつあり、その門の横を通過する形で、線路が都市の内部にまで伸びている。
リネは今回が初めてらしいが、ディーンは昔、ミレーナに連れられて何度か『首都』へ来たことがある。彼も初めて『首都』を見た時は、その大きさに驚いたものだった。
上空から見ることが出来れば、正方形型になっているはずの『首都』の街並み。その中心に聳えるのが、目的地である『テルノアリス城』だ。
体格の良い二人の門番が控える南西門の検問所を抜け、都市内部に入ったディーン達。
するとそこには、まさしく別世界が広がっていた。
「うわぁ~! 凄~い!」
まるで宝石でも眺めているかのように、リネは目を輝かせながら、忙しなく辺りを見回している。
(ま、興奮するのも無理ねぇか)
少女のはしゃぐ姿を横目に見つつ、かつての自分を思い浮かべるディーン。初めてこの街並みを見た時、恐らく自分もあれぐらい興奮していたことだろう。
今まで歩いてきた荒れ果てた荒野から一変、まさに様変わりという感じだ。
大小様々な大きさの建物が並ぶ大通りには、武具を扱う店、野菜や果物を売る商店、昼間から賑わっていそうな酒場、お洒落な看板を軒先に飾る洋服店などなど。初めて見る者にとっては、目を引く物ばかりだ。大通りを行き交う人の数も、大陸に点在するどの街よりも遥かに多く、その広さも比較にならない。
ディーンも何度か来たことがあるとはいえ、気を付けていないと道に迷いそうだ。
「とりあえず、俺はこれから城に向かおうと思うが、お前達はどうする?」
遠く都市の中心に見える白い巨城を見つめた後、ジンがこちらに視線を投げつつ尋ねてきた。
「そうだな、俺達は――」
と、逡巡しようとしていたディーンの耳に、明るく呑気な声が届いてくる。
「あ! あれ何だろ!? おもしろそ~!」
一体何を見つけたのか、ディーンが振り向いた時には、すでにリネは何処かへ向かって走り出していた。
ジンと共にその場に取り残されたディーンは、遠ざかる少女の背中を見つめ、盛大な溜め息を吐く。
「……とりあえず、俺はあのバカを回収してくる」
「フフ。ご苦労様、だな」
苦笑するジンを横目に歩き出そうとしたディーンは、しかしあることを思い付いてその足を止める。そういえばまだ、肝心なことを決めていなかった。
「王族への報告が済んだら、どこで合流する?」
「ん? ああ、そうだな……」
問い掛けると、ジンは顎に手を当ててしばらく考え込んだ後、何かを思い付いたようにこちらを見た。
「都市の東側、ジェニック通りにある『ライム』という店を知ってるか?」
「『ライム』? ……いや、聞いたことねぇけど」
「わからないようなら、この先に都市の案内所がある。そこで店の場所を尋ねるといい」
ジンは通りの前方を軽く指差しながら、どこか面白そうな表情で告げる。
思わせ振りなジンの提案に、ディーンはやや首を捻った。わざわざ案内所を利用させてまでその店、『ライム』とやらに行かせたい理由があるのだろうか?
「ただの待ち合わせ場所だってのに妙に拘るな。その店に何かあんのかよ?」
「まぁ、行ってみればわかるさ。ジン・ハートラーの知り合いだと店主に言えば、それで通じるはずだ」
「はぁ……」
生返事を返すディーンの肩を軽く叩いて、ジンは人混みの中に消えていった。
対して、一人取り残されたディーンは、首を捻り続ける。何だか隠し事をされているみたいで、酷く気になってしまう。
(……なるほど。確かにあんまり、気分の良いもんじゃねぇな)
リネに散々隠し事をしていた自分を、今更ながらに責めるディーン。
が、それも束の間のことだった。
「ってそうだ! リネの奴どこ行った!?」
僅かな時間とはいえ、完全に失念していたディーンは、慌てて辺りを見回してみた。
だが当然と言うかやっぱりと言うか、近くにリネの姿は見当たらない。大通りには昼間というせいもあってか、多くの人々が行き交っている。
「あんの好奇心旺盛娘ぇ……! 少しはジッとしてらんねぇのか!」
目を離したお前が悪い、とどこかの誰かに言われそうな気がしたが、構わずディーンは走り出した。
どうやら、ジンが紹介してくれた『ライム』という店に行くのは、確実に遅れることになりそうだ。
◆ ◆ ◆
「……やべぇ。迷った」
恐らく一時間は経過しただろう。リネを捜して不馴れな街の中を右往左往している内に、気付けばディーン自身が道に迷ってしまっていた。
ジンに教えられた案内所に立ち寄っておけば、もう少しマシな結果になっていたかも知れない。やはり、何度か来たことのある街だからという油断が、仇となってしまったようだ。
(どうすっかなぁ。一旦城を目指して、ジンに協力してもらうか?)
迷ってしまったとはいえ、都市の中心に位置する『テルノアリス城』の姿は、ここからでも辛うじて見えている。あれを見失わないように上手く進めば、辿り着くことは可能なはずだ。
「ったく。何だって俺がこんな面倒な真似を――」
と、目下の所行方不明である少女に対して、悪態をつこうとした時だった。ディーンはふと、視界の端にある物を見つけ、歩みを止める。
それは店の看板。数メートル先にある、一階建ての煉瓦造りの建物。その上部に掲げられた鉄製の看板に、『LIME』という文字が書かれているのだ。
見間違い、読み間違いでなければ、あれは『ライム』と読むのではなかろうか。
「もしかしてジンが言ってた店って、これか?」
目的の人物よりも先に、友人との待ち合わせ場所を見つけてしまうという妙な展開。喜ぶべきか悲しむべきか、ディーンには判断がつけられない。
(……って言うか、何屋なんだよこの店)
少し離れた所から建物の様子を窺ってみたディーンは、率直な疑問を感じた。
建物には『LIME』と書かれた看板以外、目立った装飾類が見当たらない。どういう店でどんな商売をしているのか、外側からでは全くわからないのだ。
あまりに質素な外観のせいか、逆に怪しさすら感じてしまう。こんな得体の知れない店にジンが出入りしていることも不思議だが、彼が何の為にここへ行かせようとしていたのかがさっぱりわからない。
尚も首を捻るディーンだったが、ここで待っていても埒が明かないと思い直し、店の入口に向かって歩き出した。
しかし、その瞬間。
「また会ったな、紅い髪の少年」
「!」
突然、背後から聞き覚えのある声がして、ディーンは思わず立ち止ってしまう。声の主に、心当たりがあったからだ。
昨日の今日で忘れるはずがない。昨夜あの遺跡で遭遇した謎の男、アーベントの声だ。
「おっと。動くなよ」
振り向こうとしたディーンの背中に、何か鋭く尖った物が触れた。恐らくナイフのような物だろう。
ディーンはその場に佇んだまま、背後のアーベントに声を掛ける。
「まさかこんな所であんたに会うとは思わなかったぜ。買い物でもしてたのか?」
「クク、本当にそう思うか?」
背後でアーベントが愉快そうに笑う。
動くなと言われたディーンだったが、ほんの少しだけ首を回し、背後に視線を向けた。アーベントは最初に会った時と同じように、フードを被ってその表情を隠している。
「冗談に決まってんだろ。……ここで何してやがる」
「まぁ、ちょっとした下準備をな。その作業も終わりそうだという所で、偶然貴様を見つけたという訳さ。――良い機会だ。少し話をしようじゃないか、少年」
「話? テロリストが俺に何の用だ」
怪訝な顔で尋ねると、アーベントは僅かに辺りを気にするような素振りを見せた。
「ここでは人目につく。せっかくだから場所を変えよう。余計な邪魔が入らない為にもな」
「俺がそれに従うと思うのか?」
挑戦的なディーンの言葉に、アーベントは「ふむ……」と声を漏らした。数秒考えるような仕草を見せたかと思うと、平淡な口調でこう言い放ってきた。
「ならば仕方がない。昼間から街の大通りで、惨劇を見ることになるだけだ」
「! まさかてめぇ……!」
告げられた瞬間、ディーンはその言葉の意味を悟った。
従わなければ、周りの人間に危害を加えると、暗にこちらを脅している。
通りを歩く人々は、二人の間でどんなやり取りが行なわれているのか、全く気付いていない。自分達の身に危険が迫っていると、想像すらしていないだろう。
「察しが良くて何よりだ。さぁどうする? 少年」
「……!」
肩越しに見えるアーベントはフードのせいで表情が読み取れないが、その声を聞けばわかる。この男は本気だ。ディーンが従わなければ、周りの無関係な人間に本気で危害を加えてしまうだろう。
こうなるともう、選択の余地はない。
「……わかった。どこに行けばいい?」
従うことに若干の抵抗を覚えつつも、ディーンが渋々同意すると、アーベントは満足そうに口を開いた。
「そこの角を右に曲がれ。目的地に着くまで、妙な真似はするなよ」
背中をナイフのような物で軽く押され、ディーンはアーベントと共に歩き出す。
通りを行き交う人混みに紛れ、『首都』を狙うテロリストと、まるで友達のように街中を歩くという、何とも奇妙な体験の幕開けだった。
◆ ◆ ◆
「どうしよう。迷っちゃった……」
大通りの一角で、肩を落とす一人の少女。同行者である少年二人と逸れてしまってから、どれくらい時間が経っただろうか。
(やっぱり、無理してはしゃぎ過ぎたのがいけなかったかな……)
自分の様子がおかしいと、二人に悟られたくなかったリネは、元気を装ってあちこち動き回っていた。
それが完全に仇となったのだろう。ふと気付けば、後を追ってきていると思っていた二人の姿は見当たらず、自分が今どこにいるのかすらわからなくなっていた。
今頃二人はどうしているだろう? 恐らくジンなら、リネの身を案じてくれそうなものだが、問題はディーンの方である。
「何で俺が捜さなきゃいけねぇんだよ、面倒臭ぇ」
と、仏頂面を浮かべて捜そうともしない様子が、リネには容易に想像できてしまうのだ。
(こういう時のディーンって、特に冷たいもんなぁ……)
髪の色とは正反対の冷たさを発揮するディーンの姿を思い出し、自然と俯くリネ。
しかし、何気なく自分の右手を見つめた瞬間、ある思いが湧き上がってきた。
この街を訪れる少し前、リネが無理矢理握った手を、ディーンは振り払おうとはしなかった。しばらくして照れ臭くなった彼女が手を離すまで、ずっと。
こうして右手を見つめていると、あの時感じたディーンの体温が、蘇ってくるような気がする。
それが本当に、とても嬉しくて。
「捜してくれてるといいな、あたしのこと」
気が付くと、リネはそんな風に呟いて微笑んでいた。それが隠しようのない本音だと理解しつつ、リネは右手を優しく握り締める。
捜していてほしいのは事実だが、だからといって人任せにしておく訳にはいかない。こういう時こそ、自分から捜しに行くべきだ。
そう思って歩き出そうとした時だった。
「――準備はできたか?」
人気のない裏通りへと続いている、建物と建物の間にできた細い脇道。その入口付近に差し掛かったリネは、誰かが小声で話していることに気が付いた。
何となく不穏な雰囲気を感じ取ったリネは、建物の陰に身を隠し、そっと裏通りの方を覗いてみた。
距離は五メートル程離れているだろうか。陽の光が届きにくくなった裏通りの一角で、黒いフーデッドマントを纏った複数の人間が、輪を作って何かを話し込んでいる。皆一様にフードを被っている為、人相も性別もはっきりしない。
(あんな所で何してるんだろ?)
疑問に思うリネを他所に、怪しげな人物達の内の誰かが口を開く。
「問題ない。いつでも行ける」
「よし、ならば急ごう。直にアーベント様も、指定の場所に着くはずだ」
(! アーベント……!?)
確かその名前は、昨夜ディーンとジンが遭遇した、テロリストのリーダーの名前ではなかったか。
衝撃のあまり声が出そうになったリネは、慌てて自分の口を塞いだ。裏通りの方の様子を窺ってみるが、どうやら気付かれてはいないらしい。
やがて件の人物達は、裏通りの奥へ向かって足早に進み始めた。その背中が、足音が、徐々に遠退いていく。
(もしかして今の人達、テロリストの一味なんじゃ……)
物陰から出たリネは、裏通りの奥を見つめて立ち尽くした。
証明できるものは何一つない。アーベントという名前も、ただ同じだけの別人のことかも知れない。
だが、もしも自分の予想が当たっていたら。このまま彼らを見送ることで、何らかの被害が出てしまったとしたら。
また目撃する羽目になるかも知れない。
あの悍ましい光景を。
ずっと忘れられずにいる、あの惨劇を。
「……確かめなきゃ。自分の目で」
不安も恐怖も確かにある。だが、だからといって見過ごせない。
ディーンやジンが、『あの光景』に巻き込まれる可能性がないとは言い切れないのだから。
挫けそうになる心を律して、リネは裏通りへと足を踏み入れた。
眼前には、闇へと繋がる道が続いている。