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第二章 捜し人は何処? chapter-1

 ディーンは内心、辟易していた。

『ジラータル大陸』の中心、『首都・テルノアリス』から南西に位置する街、『ディケット』。妙な事件に巻き込まれはしたものの、何とか無事に危機を乗り越え、やっと辿り着くことのできた憩いの場だ。

 だというのに、ディーンの気分は優れない。快晴の空とは裏腹に、その心情風景は曇天である。

 その理由は、一人の少女の存在にあった。

 この街に着いてから、すでに一時間以上が経過しているのだが、その間ディーンは、リネ・レディアという黒髪の少女にずっと付き纏われているのだ。

 しかも彼女の行動は、それだけには留まらない。なぜそんなに気になるのかという程、ディーンに様々な質問を投げ掛けてきたのである。

「どこから来たの?」

 から始まり、

「何で一人旅してるの?」

 と続き、

「何歳なの?」

 と畳み掛け、

「その紅い髪かっこいいね!」

 などと謎の褒め言葉まで飛び出す始末。

(一体何が目的なんだこの女……)

 ディーンの心情などお構いなしで、なぜか楽しそうに付き纏い続ける少女。その極め付けは、ディーンが通りの一角に宿屋を発見した時に起こった出来事だ。

 ディーンが中に入り、受付で泊まる旨を宿の主人に伝えると、まるでそれを待っていたかのように、付いて来た少女はこう言ったのだ。

「じゃあ、あたしもここに泊まろ♪」

 少女の妙な発言に内心かなり困惑していたディーンではあったが、どうにか他人のフリを続け、その場を後にした。

(同伴者だと思われなかったのが不思議なくらいだよな、ホント……)

 宿での顛末を振り返りつつ、ディーンは目の前に並べられた湯気の立つ料理に手を伸ばす。

 現在ディーンは、宿から少し離れた位置にある小さな食堂にて昼食を取っている。

 無論、一人でではない。ここまでの経緯を鑑みれば、その理由は深く考えるまでもないだろう。

 テーブルに並べられた料理の向こう。ディーンと反対側の席に陣取っているのは、件の謎少女リネ・レディアである。

 傍から見れば友人同士、或いは恋人同士が向かい合わせで昼食を取っているように見える。

 が、残念ながら真実は残酷なものだ。

 彼らは恋人どころか友人ですらない。数時間前にたまたま同じ列車に乗り合わせ、ほんの少し言葉を交わした程度の関係。要するに赤の他人である。

 現にこの食堂に辿り着くまでの間、ディーンの方はずっと沈黙を守り続けた。

 黒髪の少女に何を聞かれようと無視し、たまに出るお世辞発言みたいなものにすら反応を示さず、一貫して言葉を交わさなかったのだ。

 彼が口を利いた相手と言えば、宿の主人と食堂の店員のみ。普通これだけ長い時間無視を決め込まれれば、話し掛ける方も心が折れてしまうものだろう。

 だが悲しいかな、テーブルの向こうで美味しそうにミートスパゲッティを頬張っている少女には、その普通が適用されなかったようだ。

 まさしく鋼の心、鋼の精神である。

「………………あんた、よっぽど暇人なんだな。もっとまともな時間の使い方しようとは思わねぇのか?」

 とうとう我慢できなくなったディーンは、ついに口を開いてしまった。自分が頼んだ牛肉のステーキを銀色のナイフで切り分けながら、少女の様子を一瞥してみる。

 するとその瞬間、丁度顔を上げた所だったリネと、ばっちり目が合ってしまう。ディーンが言葉を発したのが余程嬉しいのか、顔の周りで星が煌きそうな満面の笑み浮かべ、言う。

「やっと口利いてくれた! さっきからずっと黙ったままなんだもん。もう一生口利いてくれないんじゃないかと思って、何度泣きそうになったことか……」

 まるで舞台女優のように芝居掛かった手振りで、実にわざとらしく目頭を押さえるリネ。

 対してディーンは、明らかにふざけている様子の少女に不満を募らせる。

(……その割には根気よく話し掛けてきてたよな。って言うか一生って。どんだけ付き纏う気なんだよ)

 ステーキを咀嚼しながら、少女への対応を模索していたディーンは、試しにと思ってこう切り出してみた。

「これ以上付き纏うようなら、然るべき所に不審者として突き出すぞ?」

「じゃああたしは、あなたがテロリストを退治した人だって言うわよ?」

「……」

 まるで最初から答えを用意していたかのように、リネは滑らかな口調でそう言い返してきた。

 脅しが通じないどころか、逆に脅しに掛かってくるという強かさ。見た目の割に、何とも恐ろしい少女である。

「わかったよ。俺の負け、降参、全面降伏。どうぞ何なりとご質問下さいませ、ご主人様」

 食事する手を止め、両手を上げてそう告げるディーン。無論言葉とは裏腹に、その表情からは誠意など一切感じられない。

「……何か言葉にいちいち棘があるよね、あなたって」

「延々と付き纏ってくる不審者に言われる筋合いねぇっつーの」

 あくまでも冷たく切り返すディーンに、リネは色白い頬を膨らませて応じる。が、ディーンが負けを認めたことが効いているらしく、

「じゃあ今度こそ質問に答えてよね」

 と言って、楽しげに話し始めた。

 我ながら情けないと思いつつも、ディーンは食事を続けながら、少女の質問に一つずつ答えていく。

 質問の内容は概ねさっきと同じだったが、ディーンが答えを返す度に、リネはその黒真珠のような瞳をキラキラ輝かせながら、何度も頷き続けていた。

(何か、好奇心旺盛な子供みたいな奴だな、こいつ……)

 ディーンが目の前の少女に対して、率直な評価を下した頃。奇妙な食事会は一通り進み、両者の話はミレーナ・イアルフスのことに及んでいた。

「――じゃあ、そのミレーナって人を捜し出す為に、一人旅を?」

「まぁな」

 師匠ミレーナとの出会いから、今に至るまでのある程度の出来事などは説明した。が、もちろん彼女の正体などに関することは伏せている。

 と、食後の紅茶を飲んでいたリネが、なぜか急に躊躇ったような表情になった。

「……あのさ、もう一つ聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「何だよ?」

 まだあるのか、と思いつつも、ディーンはやや首を傾げて問い返した。妙に畏まっている様子のリネに、ほんの少しだけ興味が湧いたのだ。

 だが――

「あなたって、魔術師なの?」

「!」

 その質問が飛んできた瞬間、ディーンは自分の浅はかさを呪った。少女の質問を許容するべきではなかった、と。

 意表を突かれ、取り繕うこともままならないディーンは、呆然と少女を見つめ返した。

 リネの方も、ディーンの表情から何かを察したのか、少し慌てた様子で言葉を付け足す。

「さっき列車から降りる時、あなたが退治した人達を見ちゃったんだ。そしたら、三人ぐらいだっけ? まるで炭みたいに黒く焼けてる人がいたから、もしかしたらと思って……」

「……」

「……ごめん。もしかして、指摘されたくないことだった?」

「……いや……」

 気遣わしげな顔をする少女から視線を外し、ディーンは思わず押し黙った。少しでも間をもたせようと、リネと同じように、テーブルに置かれているティーカップに手を伸ばす。

(参ったな……。やっぱやり過ぎだったか……)

 甘くほろ苦い液体を啜りつつ、やや考え込むディーン。

 彼自身、列車での件はもう少し自重するべきだったという思いがある。あれだけ派手な大立ち回りを演じたにも拘らず、何の説明もせず逃げ出してきたのだ。それが魔術師の仕業であると気付かれれば、問題になるのは明らかだろう。

 先程リネは冗談めかして(とディーンは思っている)、こちらの素性を明かすと言っていたが、本気でそんなことをされた日には堪ったものではない。面倒事を避ける為にも、ここは正直に認めてしまうべきだ。

「あんたの言う通り、俺は魔術師だ。炎系統の魔術が専門でね。連中を退治する時にも、それを使ったんだ」

 認めはするが、素性を全て明かしてしまう程、ディーンはお人好しではない。ミレーナの正体を話していない以上、『深紅魔法』という単語も口にしないのは当然である。

 そんなディーンの苦労を知るはずもないリネは、なぜか嬉しそうな表情で、

「やっぱりそうなんだ! ねぇねぇ! 何かやってみせてよ!」

 などと呑気な台詞を口にした。

 まるで宴会の席で「一発芸を披露しろ!」と煽るような、非常に軽い口調である。

「俺は大道芸人じゃねぇんだよ」

 苛立ち紛れに吐き捨ててみるが、好奇心旺盛少女様に効果は薄いようだ。ディーンの言葉に対して、「えっ、見せてくれないの?」と言いたげな表情を浮かべている。

 正直、心の疲労感が半端ではない。本人にそんな気はないのだろうが、少女と会話を重ねれば重ねる程、話そうという気概が削がれていく一方だ。

 何か良い逃げ道、もとい打開策はないかと逡巡していたディーンは、そこでふとあることを思い付いた。

「あんたの方はどうなんだ?」

「え?」

 突然の質問が意表を突いたのか、或いは質問の意味がわからなかったのか。リネは目を丸くして、僅かに首を傾げる。

 両者の間に生まれた、一瞬の沈黙。質問返しという名の反撃の機会は今しかない。

 別段、彼女の生い立ちに興味がある訳ではなかったが、やはり一方的にやられっぱなしというのは面白くない。況して相手が同年代の少女となれば尚更だ。例え少々時間が掛かろうとも、やられた分はやり返してやろうではないか。

 妙な気概だなと自覚しつつ、ディーンは再度口を開く。

「さっきから俺ばっかり質問に答えてて不公平じゃねぇか。あんたの方こそ、少しは自分のことを説明したらどうなんだ? どこから来たのかとか、一人旅してる理由とか、それくらい教えろよ」

「ああ、そっか……。そうだよね」

 問い返され、しかし納得した様子のリネは、その華奢な腕を組んでウ~ンと唸り始める。何をどう話したものかと思案しているような顔付きだ。

 しばらく無言で待っていると、話すことを決めたのか、リネは腕組みを解いて口を開く。

「どこから来たかって言われると、この街から西の方、かな。一人旅してる理由は……、特にない」

「ふぅん……」

「…………………………」

「って終わりかよ!」

 あまりにも簡略化されていた返答内容に、ディーンは思わず声を張り上げてしまった。まるでこちらの気概を見透かし、嘲笑うかのような所業である。質問に答えているようで、しかしその実、全く答えになっていないのだから。

「あ、あれ? あたし何かおかしなこと言った?」

「……」

 こいつワザとやってんじゃねぇのか、という念を込めた視線でリネを一睨みし、ディーンは軽く頭を抱えた。

 少女に対する不満と、自分自身に対する呆れを溜め息に変換する。

「まぁいいや。あんたの詳しい生い立ちになんて、別に興味ねぇし」

「むっ、またそういう言い方して――」

「けど、いい加減答えてもらうぜ。何だってあんた、そうやってしつこく俺に付き纏ってくるんだ? まさか何の理由もなく付いてきたなんて言わねぇよな?」

「! それは、えっーと……」

 改めて理由を問い質すディーンに、リネはやや困惑したような表情を浮かべて口籠る。

 両者の間に、やや重い沈黙が訪れる。

 一体何がそんなに答え辛いのか知らないが、話す気がないなら仕方がないと、ディーンは両腕を組みながら口を開く。

「よし、わかった。そっちがその気なら、こっちも覚悟を決めてやる。さっきの一件を告発されるのと引き換えに、然るべき所にあんたを突き出すまでだ。注意しても付き纏うのを止めない不審者です、ってな」

「……」

 リネは視線をテーブルに落として、無言を貫いている。

 その表情が一瞬、悲しげな色を帯びた気がしたが、ディーンは無視して立ち上がろうとした。

 すると、その時。

「前に一回だけ、噂を聞いたことがあったの」

「! ……あん?」

 意を決したように口を開いたリネの態度に、ディーンは浮かせていた腰を再び下ろした。

 余程重要なことを語ろうとしているのか、テーブルの向こうのリネの表情は真剣そのものだ。

「噂って、何の?」

「どんな人間が相手でも絶対に殺さない、殺そうとしない、炎を操る紅い髪の魔術師がいるらしい、って」

「!」

「これってディーン、あなたのことだよね?」

 真摯な眼差しでディーンを見つめ、リネは断言するかのように告げる。

 対してディーンは、自分の存在が噂になっていることに少々驚くと共に、妙に納得してしまった。

 彼は行く先々で様々なトラブルに巻き込まれてきた。その内容は大抵争い事が絡むものだった為、ディーンは必然的に、魔術を使って戦う姿を周囲に晒す羽目になったのだ。故にリネが口にしたような噂が流れるのも、至極当然であると言える。

「列車であなたが戦ってる姿を見た時に、もしかしたらと思ったの。そしたら案の定、テロリストの人達はみんなあんな風に……」

 炎で焼かれていた、という訳なのだろう。

 つまり先程リネは、ある程度の確信を持ってディーンに尋ねていたということだ。

 あなたは噂になっていた、紅い髪の魔術師なのか、と。

「……あんたの言う通り、多分その噂の対象は俺のことだろう。だけど、それが俺に付き纏う理由とどう繋がるんだ?」

 率直な疑問をぶつけるディーンに対し、リネは尚も真剣な表情で語り続ける。

「列車を襲ったあの人達は、誰も死んでなかった。人殺しって揶揄されてるはずの魔術師と、殺し合ったはずなのに。……だから知りたくなったの。あなたが一体、どういう人間なのか。人殺しなのに、どうして人を殺さなかったのか。自分の目で、確かめたくなったの」

 真摯な言葉と真剣な表情。遊び半分で口にしている訳ではないようだ。

 こんな表情も浮かべられるのかと感心する一方、ディーンにはどうしても解せないことがあった。

「何でそんなこと確かめたがる? 仮にも人殺しって揶揄されてるような奴が相手なんだぞ。もしもその噂が別人のことで、俺が平気で人を殺すような魔術師だったら、どうするつもりだったんだ?」

「……それは……」

 切り返す言葉が見つからなかったのか、リネは言い淀んでやや目を伏せる。

 そう。今こうしてディーンとリネが何事もなく会話しているのは、あくまで結果論でしかない。

 もしもディーンが殺戮を由とする魔術師だったなら。しつこく纏わり付いてくる少女を、気紛れに弄ぶような人間だったなら。リネは間違いなく無事では済んでいなかっただろう。それだけ得体の知れない魔術師に関わろうとするのは、愚かで危険な行為なのだ。

 無論、全ての魔術師がそうだという訳ではないが、それでも決して低い確率だとは言い切れない。そして恐らく、リネ自身もそんなことは充分理解しているはずである。

 にも拘らず、彼女は自ら魔術師に関わることを選んだ。逆に言えばそれは、相応の覚悟を以て望んでいるということに他ならない。

 ならば、彼女がそれだけの覚悟を決めている理由として、考えられるのは……。

「もしかしてあんた、魔術師に何か因縁があるのか?」

 思い付いたままの考えを、ディーンが単刀直入に尋ねた瞬間だった。伏し目がちだったリネの表情に、ほんの僅かにだが暗い陰が差した。

 余程話し辛いことなのだろう。能天気な質問を繰り返していた姿はどこへやら、リネは俯いて黙り込んでいる。

「なるほど。話せないって訳ね」

「……ごめんなさい」

 謝るくらいなら最初から付き纏うな、と口にし掛けたディーンだったが、リネがやけにしおらしい顔で謝る為、無理矢理溜め息に変換しておいた。

 どうやら彼女には詳しく語れない事情があるようだが、素性を完全に明かしていないのはこちらも同じである。

 秘密があるのはお互い様。ならばこれ以上の詮索は野暮というものだ。

「話はわかった。けど確かめるったって、これからどうするつもりなんだよ? ……言っとくけど俺は、あんたの願いを叶える為にさっきみたいなテロリストを探し出して戦う、なんて真似は御免だからな」

 茶化すつもりでそう口にした瞬間、リネはパッと顔を上げて慌てたように言う。

「そ、そんなこと頼んだりしないよ! ディーンには怪我してほしくないもん」

「……!」

「とにかく、ディーンに付いていけば、魔術師のことが色々わかるんじゃないかなぁと思って……」

 こうしてしつこく付き纏ってくる、ということらしい。まだ釈然としない部分はあるものの、彼女にも一応、明確な理由があったようだ。

(それにしても、一体どういう立場のつもりでそんな台詞吐いてんだよ、お前)

 ディーンには怪我してほしくない。

 反射的になのか、或いは意識的になのか。いずれにしろ、少女の口から出た言葉の真意は、ディーンに掴み切れるものではなかった。

(…………………………)

 黙考すること、約十秒。リネが魔術師に拘る理由が、気にならないと言えば嘘になる。だが、詳しい事情を話そうとしない人間に付き合ってやる義理はない。こちらにだって都合はあるし、やるべきことはいくらでもあるのだ。

 よって、導き出される答えは一つ。

「悪ぃけど、あんたの相手をしてられる程、こっちも暇じゃないんだ。魔術師に付き纏いたいなら、他の奴を当たってくれ。もちろん人畜無害な奴をな」

「そ、そんなぁ! 他の奴って言われたって、探す宛てがないんだもん!」

「それこそ俺の知ったことか。――じゃあな、好奇心旺盛な不審者さん」

「ちょっ、ちょっと待ってよー!」

 今にもすがり付いてきそうな少女を軽くあしらい、ディーンは昼食の代金を支払う為、荷物を持って席を立った。

 するとリネは慌てた様子で席を立ち、ディーンの後を追い掛けてくる。どうやら彼女はまだ、自らの目的を諦めていないらしい。

(……まだ付いて来る気か、この女)

 とりあえず、リネのことは無視して放っておこうと決め(とはいえ離れる気配がないので非常に鬱陶しい)、ディーンは店内を歩いて、入口近くにあるカウンター席に近付いた。

 食堂内のテーブル席と比べ、レジも兼ねたカウンター席に座っている客は少ない。ふと見ると、カウンターの向こうにいる店主らしき女性の背後の棚には、手入れの行き届いたグラスと一緒に、何十種類もの酒瓶が所狭しと置かれている。どうやらこの食堂は、夜は酒場として営業しているらしい。

「――なぁ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「ん? どうしたんだい?」

 昼食の代金を支払う際、ディーンは女店主を呼び止め、こう切り出した。

「この人を見掛けたことないか?」

 ディーンがマントの内側から取り出し、女店主に差し出した一枚の写真。その写真には、金色に煌めく長い髪を生やした二十代前半の女性と、四、五歳くらいの紅い髪の子供が笑って写っている。

 幼い頃のディーンと、若い頃のミレーナだ。

 若い頃などと口にすると、どこからともなく彼女の鉄拳が飛んで来そうだが。

「今から十年ぐらい前の写真だから、少し雰囲気が変わってるかも知れねぇんだけど……」

「捜し人かい? う~ん、そうだねぇ……」

 カウンターの上に置かれた写真を覗き込みながら、女店主は顎に手を当て、難しい表情を浮かべる。

 すると横合いにいたリネが、女店主と同じように写真を覗き込みながら、なぜか楽しそうに口を開く。

「ねぇ、もしかしなくても、一緒に写ってる男の子ってディーンだよね?」

「……だったら何だ」

「だよね! わぁ~可愛い~!」

(……こいつもしかして、わざと俺の邪魔してんのか?)

 本人を目の前にしてよくそんな台詞が吐けるな、と感心する一方、話の腰を折るリネの発言に少々苛立つディーン。

「それでどうなんだ? 見覚えはあんのかよ?」

 隣のリネが鬱陶しくて、つい催促するように詰め寄ると、女店主は少し不満そうに顔を顰める。親切に考えてやっているのに、と言いたそうな表情だ。

 しまったと思ったディーンだったが、時すでに遅し。女店主は写真から目を離し、グラスの手入れをし始めながら告げる。

「さぁねぇ。見掛けたことはあったかも知れないけど、残念ながら覚えてないよ。こういう商売してるから、客の出入りが激しいもんでね」

(……まぁ、そうだろうな)

 ミレーナ・イアルフスが行方不明になったのは、今から一年程前のこと。最近と言えば最近だが、それでもかなりの月日が経っているのは事実だ。

 記憶も情報も、時間が経てば埋もれてしまうし、何よりこの街には立ち寄っていない可能性だってある。そんな状況では、有力な情報を期待する方が酷だろう。

 無論、それらを承知しているディーンは、女店主に喰い下がるような真似はしない。

「悪い、邪魔したな」

 短く告げて踵を返すと、背後から女店主が、

「いやいや、力になれなくて申し訳ない。早く見つかるといいね」

 と声を掛けてきた。先程のやり取りから邪険にされているのではないかとも思ったが、どうやらそうでもなかったらしい。

(早く見つかるといい、か……)

 確かにその通りだなと、ディーンはやや暗い気分に浸る。

 ミレーナの行方を捜し始めて、すでに一年。彼女が立ち寄りそうな場所や地域は重点的に回ったのだが、それでも何一つ手掛かりが見つかることはなかった。

 この広大な『ジラータル大陸』の大地は、東西南北ほぼ均一の形で広がっていて、その至る所に街や村が点在している。その中から人間一人を捜し出すのは、決して容易なことではない。況して手掛かりが一切ないとなると、さらに絶望的だ。このまま一生見つけられない可能性だってあるのではないかと、ディーンは本気で思ってしまう。

 食堂を出て、街の通りの一角で歩みを止めたディーンは、何をする訳でもなくその場に佇んだ。

 これからどうしたものか、といういつも通り、今まで通りの難題が、少年の歩みを阻害する。

「――ねぇねぇ。提案があるんだけど」

 不意に右隣から声が聴こえた為、ディーンは何の疑問もなく振り向き、そして固まった。

 歩きながら思案していたせいか、今に至るまで本気で気が付かなかったのだ。例の黒髪の少女リネ・レディアが、食堂を出てからずっと、自分の隣を歩いていたことに。

「そうかそうかよーしわかった」

 瞬間、まるで聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべたディーンは、ゆっくりとリネにこう告げた。

「お望み通り実力行使に出てやるよ。火葬と土葬、どっちが好みだこの野郎」

「なっ……何で表情に反して、台詞と行動が物凄く物騒になってるのかなー……?」

 両手を組んで指の骨を鳴らしているディーンから、やや距離を取りつつ、リネは苦笑いを浮かべる。

 そんな膠着状態を続けること十数秒。さすがにこのままでは話が進まないと思い直したディーンは、一旦溜め息を吐いてから、改めてリネに問い掛ける。

「何だよ、提案って?」

「あの、あたしからこんなこと言うのも何なんだけど。手掛かりを掴みたいんだったら、『ギルド』に行ってみたらいいんじゃない?」

「……! 『ギルド』、ねぇ……」

 恐らくリネからしてみれば、それは至極妥当な提案だったのだろう。だがディーンには、彼女の提案に諸手を挙げて賛同できない理由があった。

 その理由とは、先程から繰り返している、列車テロ事件に関わった人物として事情聴取を受けるのが面倒だ、というものだけではない。

「あっ! もしかして、あなたがさっきの事件の関係者だって、あたしが『ギルド』の人にバラすかも知れないって疑ってる?」

 ディーンが乗り気でないことを雰囲気から察したのか、リネは心配するかのような表情で言う。

「別にそういう訳じゃねぇよ」

「じゃあ何で行き難そうにしてるの?」

「……」

 若干首を傾げ、不思議そうに尋ねてくるリネに対し、ディーンは思わず黙り込んでしまう。

 実は以前、ディーンはたった一度だけ、無所属の人間として『ギルド』の仕事に関わったことがある。その際、あるギルドメンバーと諍いを起こし、以来一部のメンバーと折り合いが悪くなったのだ。

 が、別段その一件自体を気にしている訳ではない。今でもディーンは、自分が間違ったことをしたとは思っていないし、諍いを起こした相手にどう思われていようが、自分の知ったことではないと考えている。

 ただ問題なのは、当時のメンバーの中で唯一、ディーンに味方しようとした人物がいたことだ。

 その人物はディーンと違い、正式に『ギルド』に所属している為、恐らく今でも事件の当事者達と顔を合わせる機会がある。

 故にディーンは、どうしても気にしてしまうのだ。自分が『ギルド』に顔を出すことで、その人物に少なからず迷惑が掛かってしまうのではないか、と。

 悪い想像ならいくらでもできる。

 例えばその人物が、ディーンと仲良く話している所を他のギルドメンバー達に目撃されてしまうとする。結果待ち受けているのは、その人物への謂れのない迫害だ。

 そんな展開だけは御免被る。なぜなら『彼』はディーンにとって、友達と呼ぶべき存在なのだ。

(『アイツ』を窮地に立たせる訳にはいかない。例え何があっても、絶対に)

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