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第一章 紅い髪の少年 chapter-1

 少年には親がいない。

 いや、より正確に言うなら、『本当の』親がいない。

 今から十二年前、この『ジラータル大陸』で起きた『倒王戦争(とうおうせんそう)』と呼ばれる争い。その大きな戦禍に巻き込まれる形で、少年の両親は命を落とした……、らしい。

 なぜ、らしいなどという曖昧な表現になってしまうのか。その理由は、少年が当時のことをあまりよく覚えていないからだ。

 両親の顔も名前も、一切覚えていない。自分が名前を付けられていたのかどうかすらもわからない。記憶が、思い出が、少年の中には存在していなかった。

 繰り返すが、少年には本当の親がいない。しかし、育ての親ならいる。戦争孤児だった少年を拾い、育ててくれた恩人とも呼ぶべき人間。

 ミレーナ・イアルフス。

 それが、彼女の名前である。

 ミレーナは少年の育ての親であり、また『とある技術』の師匠であり、同時に偉大な人物でもあった。

 彼女は、幼くして全てを失った少年を憂い、血の繋がりを超えた絆の証として、自身の偉大な姓を授け、名を与えてくれたのだ。

 ディーン・イアルフス。

 それが、今の少年の名前だ。

 そういった経緯があったからこそ、ディーンは育ての親兼師匠であるミレーナを深く尊敬し、敬愛し、誇りに思っている。故に彼は、ミレーナを少しでも侮辱した者には容赦がない。

 例え相手が、どこの誰であろうと。

「悪いんだけど、誰か縛れるような物持ってねぇかな? 何でもいいんだ」

 気絶している男から視線を外し、ディーンは未だ放心状態の乗客達に呼び掛けた。が、皆驚いた顔をして固まっている為、なかなか返事が返って来ない。

 どうしようかと逡巡し掛けたその時、ようやく乗客の内の一人が我に返り、少々慌てた様子でディーンの方へと歩み寄ってきた。

「あの……、こんな物でも大丈夫ですか?」

 黒髪にやや白髪の混じった年配の男性は、そう言って白い布切れを何枚か差し出した。これなら猿ぐつわに使えるし、強盗の身体を工夫して縛れば、動きを封じることも出来るだろう。

 ディーンは適当に礼を言って布切れを受け取り、強盗の傍らに屈んで、手早く拘束作業を開始する。

 年配の男性は、ディーンの手付きが慣れているのに気付いたらしく、不思議そうな表情で作業の経過を見守っている。

 と、その時だった。

「ねぇ、ちょっといい?」

 作業の途中で別の声を耳にしたディーンは、特に感慨も湧かないまま顔を上げた。

 するとそこにいたのは、さっきの年配の男性とは違う若い女性だった。歳は二十代前半、と言った所だろうか。

 相手の顔を確かめた後、再び作業を開始する為、ディーンは視線を元に戻す。その上で、女性に言葉を返した。

「見ての通り作業中なんで、手短にしてくれ」

「えっと……、これからどうするつもりなの? 一人捕まえたって言っても、まだ他に仲間がいるはずでしょ?」

「そいつらも全員倒すんだよ。心配しなくても、全部俺が片付けるさ」

 強盗の拘束を終え、床に転がっていた拳銃と腰に携えられていた短剣を取り上げると、ディーンは即座に立ち上がった。

 見回りの為に、いつ他の仲間がやってくるかもわからない以上、あまりのんびりとはしていられない。

 そう考え、すぐさま歩き出そうとしたディーンを、しかし目の前に立っている若い女性が引き止める。

「倒すって……キミ一人で? そんなの危険よ! あなたまだどう見たって十代じゃない! 子供にそんな危ない真似させられないわ!」

 若い女性は単純に、ディーンの身を案じているらしい。やけに真剣な表情で制止してくる女性の隣では、年配の男性が「そうだ、止めた方がいい」と賛同するような言葉を口にしている。

 だが、生憎その心遣いは、ディーンにとっては迷惑にしかならなかった。

 この程度の状況など、ディーンは幾度となく経験している。確かに危険なのかも知れないが、だからといって、それが事態を静観する理由にはならない。

 そもそもミレーナを侮辱された時点で、ディーンの意志は固まっている。今まで通り、自分らしい行動を起こすだけだ。

 となれば、こちらの事情を制止する二人に説明している時間はないし、そんな面倒な真似をしてやる義理もない。急がなければ、更に面倒な事態が巻き起こる可能性は充分にある。

 よって、取るべき行動は一つ。

「悪いけど、邪魔しないでくれ。協力して貰えたのは有り難いけど、荒事にまであんた達を付き合わせるつもりはない。他の仲間も倒さなきゃいけない以上、足手纏いを増やしたくねぇんだ」

 ディーンは二人を突き放すつもりで、表情を消し、敢えて冷たい言葉を選んだ。

 すると案の定、若い女性も年配の男性も、随分と驚いた様子で言葉を失った。その表情から察するに、どうやらこちらの意図が伝わったというよりも、ディーンの言動に衝撃を受けているらしい。

(ま、変に憤慨されるよりはマシか)

 これ以上二人が喰い下がってこない内にと、ディーンは前方車両に繋がる扉に向かって歩き出す。

 すると、その時だった。

「おい。何か騒がしかったみてぇだが、大丈夫なのか?」

 突然、前方の扉が右にスライドして開き、銃を持った男が二人、車両の中に入ってきた。

 どれだけ楽観的に考えたとしても、導き出される答えは一つ。彼らは明らかに、今現在床で伸びている強盗の仲間である。

 男達は車両内の状況を見回すと、その表情を徐々に険しい物へと変化させていく。

 対してディーンは、思わず頭を抱えそうになった。

(何でこのタイミングで入ってくるかなぁ……)

「こりゃ一体どうなってやがる! おいクソガキ! あれはてめぇの仕業か!?」

 片方の男が語気を強めながら銃を構え、顎で後ろの状況を差した。たったそれだけで、再び車両内に緊迫した空気が流れ始める。

 ただ一人、紅い髪の少年を除いて、ではあるが。

「だったらどうする?」

 クソガキ呼ばわりされたことに内心で苛つきながらも、ディーンは相手を挑発する為、底意地の悪い笑みを浮かべてみせた。

 それが癪に障ったのだろう。強盗は床を踏み抜かんばかりの力強い足取りで前に進み出ると、ディーンの眉間に右手の拳銃を突き付けながら叫んだ。

「ブッ殺すに決まってんだろ!」

 強盗の躊躇いのない行動に、乗客達が息を呑む。

 しかしディーンは、あくまでも冷静だった。男の太い指が銃の引き金に掛かろうかという瞬間には、すでに動き出していたのだ。

 相手の右手首の辺りを左手で掴み、強引に上へと持ち上げる。直後、僅か一秒差で銃の引き金が引かれ、乾いた発砲音が車両内に響き渡った。

 発射された弾丸は天井の一部を破壊し、細かい破片を周囲に飛び散らせた。それに続く形で、乗客の何人かが悲鳴を上げる。

 それらを無視し、素早く動き続けるディーンは、緩慢な反応しか出来ない男の腹に、右拳を叩き込んだ。

「げぇふっ!」

 痛みに悶える男を他所に、ディーンは素早く引き戻した右拳を、今度は男の左頬に叩き込んだ。

「ぐはっ!」

 実に呆気なく殴り飛ばされ、座席の間に倒れ込んだ男は、意識を失ったらしい。

 微動だにしなくなった男を意識の外に追いやり、ディーンは呆然と突っ立っていたもう一人の男の懐に飛び込んだ。

 相手も反撃を試みたようだが、すでに遅い。流れるような動作で放たれた左右二発の拳が、男の腹部に連続で叩き込まれる。

「がっ!」

 痛みを堪え切れず崩れようとする男。しかしここで、ディーンの容赦のなさが発揮される。

 その場で軽く跳躍したディーンは、身体を右に捻り、速度の乗った回転蹴りを男の右頬に炸裂させた。

「ぐわっ!」

 最初の男とは逆方向になる形で、強盗は床に倒れ込む。だがこちらの男はまだ、意識を失ってはいない。

 視界が明滅しているであろう男の上に、ディーンは素早く馬乗りになった。そして胸倉を強引に掴んで、相手の顔を引き寄せる。

「質問に答えろ。あんたの仲間はあと何人いる? さっさと答えないと、身体中の関節が曲がるはずのない方向に曲がることになるぞ」

 脅し文句と並行して、男の右脚、膝関節の辺りを鷲掴みにする。

 剣呑な目付きで睨むディーンに、男は「ヒッ!」という情けない声を上げた。どうやら、答えを間違えたら本気でやられると、あっさり信じてくれたらしい。

(この程度でビビるような奴が強盗なんかしてんじゃねぇよ……)

 内心で拍子抜けしているディーンのことなどお構いなしで、男は弱々しく口を開く。

「じゅ、十人だ……」

「配置は?」

「こ、この車両以外は、各車両に二人ずつ待機してる……」

「リーダーは?」

「部下二人を連れて先頭車両、機関室にいるはずだ……」

「目的は?」

「お、俺は下っ端だから聞かされてねぇ。ホ、ホントだ!」

 矢継ぎ早に問い質すと、男は降参とばかりに両手を挙げながらそう締め括った。先程の脅しが効いているのなら、恐らくこれ以上の情報は出て来ないだろう。

 しかし予想していたとはいえ、相手は結構な人数を率いている。全員が武装しているとなると、まともな戦い方ではこちらが不利になってしまう。

 それならばと、ディーンは瞬時に思考を巡らせ、決断する。

「立て」

 男の胸倉を掴んだまま無理矢理立ち上がらせ、反対側に倒れている強盗の許まで連れて行くディーン。その場で少々乱暴に膝をつかせると、先程乗客から貰った布切れを男に放り渡し、告げる。

「それでそいつの口と手足を縛れ。動けないようにしっかりとな」

「わ、わかった」

 と言う男の作業速度を促す為、ディーンは先程強盗から奪った拳銃の銃口を、男の背中に押し当てた。もちろん引き金を引くつもりなどないが、明らかに男の手際が良くなっていく。

(これじゃあ、どっちが強盗犯かわかんねぇな……)

 小さく溜め息を吐いたディーンは、作業を終えて肩越しに振り向く男と目が合った。相変わらず怯えているらしく、拙い口調で「こ、これでいいか?」と尋ねてくる。

「ああ、ご苦労さん。そんじゃ、あんたにはもう少し付き合ってもらうぜ」

「なっ、何だよ? これ以上何させようってんだ……?」

「ちょっと派手に暴れ過ぎたからな。さっきの銃声を聞いて、あんたの仲間が様子を見に来るかも知れねぇ。だから、あんたを使って油断させるんだよ」

 またも乱暴に男の襟首を掴み、無理矢理立ち上がらせたディーンは、微かに震えている背中に再度拳銃を突き付け、緩く微笑んでみせた。

「さぁ、行こうか?」

 穏やかな口調と表情に反して、ディーンから発せられる威圧的な覇気に、強盗は従う術しか見出せなかったのだろう。無言で頷くと、前方車両に向かい始めた。






 ◆  ◆  ◆






「あんたの紅い髪は、まるで炎みたいね」

 以前ミレーナは、ディーンの髪を眺めつつ、そんな台詞を口にしたことがあった。

 正直な所、ディーンは自分の髪の色があまり好きではない。

 師匠の言葉を借りるなら、炎のように紅いその髪は、途轍もなく目立ってしまう。更に言うなら、その髪の派手さが災いしているからなのか、彼は行く先々で何度となく、トラブルに巻き込まれるのだ。

 わかりやすい例えを挙げるなら、まさに今この瞬間などである。

 ただし今回の場合、先に手を出したのはディーンの方だ。いくら絡まれたからとはいえ、彼に全く非がないとはお世辞にも言い難い。

 しかし彼の性格上、そして彼の生い立ちを加味すると、この展開は仕方がなかったとも言える。

 先程も述べたことだが、ディーンは自らの育ての親であり師匠でもあるミレーナを、深く尊敬し、敬愛し、誇りに思っている。それは例え、どれだけ時間が経っても変わらない想いだ。

 だからこそディーンは、そんなミレーナを侮辱の対象にされると、どうしても黙っていられなくなる。

 彼女は、全てを失って彷徨っていた自分に、居場所を与えてくれた大切な存在。だからこそディーンは、どんなことがあっても彼女を大切に想い続けると心に決めている。

 しかし、だ。

 彼女を強く想い続けるのと同時に、少なからずディーンは考えてしまう。もしかしたらミレーナは、自分のことをそれ程気に掛けていないのではないか、と。

 そんな風に考えてしまう理由はただ一つ。


 今から一年前、ミレーナが突然、何も言わずにディーンの前から姿を消したからだ。


 何の前触れもなく、置き手紙の一つすら残さず、彼女はいなくなった。それはまるで、ディーンと共に過ごした十数年の時を、想い出を、捨て去るかのような行動だった。

 理由は、どれだけ考えてもわからなかった。

 ディーン自身、ミレーナのことを全く疑わなかったと言えば嘘になる。自分との生活に嫌気がさして、決別の道を選んだのではないか。そんな風に思い悩んだ日もあった。

 だが同時に、そんなはずはないと断言する自分がいた。

 自分がよく知るミレーナは、そんな無責任な真似をする人間ではない。彼女は何の繋がりもない戦争孤児だった自分を拾い、十数年もの間育ててくれた人だ。

 何か理由があるに違いない。黙って姿を消さなければならなかった、訳が。

 その考えに至った時、気付けばディーンは旅に出ていた。

 彼女を捜し出す為に。何も言わずにいなくなった理由を、彼女の口から聞き出す為に。

 そうして明確な手掛かりもないまま、広大な『ジラータル大陸』を駆けずり回り、気付けば一年という月日が過ぎ去っていた――






 案の定、さっきの銃声を聞いて強盗の仲間が数人、ディーンの行く手に現れた。その度に彼は、連行している男に次のような演技をさせた。

「後部車両でこのガキが暴れてやがったから、取り押さえたんだ。こいつをどうするか、一応ボスに指示を仰ごうかと思ってよ……」

 そんな台詞を男に言わせ、仲間が油断した隙を狙って急襲し、次々と気絶させる。

 いつ見破られても可笑しくない安易な作戦でありながら、ディーンの行動は嘘のように上手く行った。それこそ上手く行き過ぎて、後で手痛いしっぺ返しを喰らうのではないかと勘繰ってしまう程に。

 車両を一つ制覇する度に、周りの乗客達に力を借り、強盗を縛り上げて沈黙させる。

 そんな作業を繰り返している内に、ディーンと連れの男は、とうとう最後の客車の前に辿り着いた。ここを制圧すれば、残るは機関室のみである。

 客車同士を繋ぐ連結部分。その狭い通路の上で、ディーンは高速で流れていく景色を一瞥した。視線の先には、濁りのない青空と、寂寥とした荒野がどこまでも広がっている。

「な、なぁ」

 不意に、前を歩かせていた強盗の男が、おずおずといった様子で声を掛けてきた。

 最後の客車へと繋がるスライド式の扉の前で、ディーンは男の言葉に耳を傾ける。

「お前、一体何者なんだよ? ガキのくせに、何だってそこまで戦い慣れてやがるんだ?」

 男の今更のような発言に、ディーンはやれやれと溜め息を吐いた。

 ここまでの経緯を目にしていれば、大抵の者は気付くだろうし、武芸に秀でた者なら、一番最初の戦闘を目にした時点で気付くだろう。この紅い髪の少年が、只者ではないことに。

 ディーン・イアルフスが、同年代の子供と比べても明らかに戦闘技術に長けている理由。それにはもちろん、育ての親兼師匠であるミレーナ・イアルフスが関わってくる。

 彼女はディーンに、ありとあらゆる技術を叩き込んでくれた人物だ。ここまでに披露した体術だけに限らず、剣術や銃の扱い方、そして……。

 だが今ここで、目の前の男に全てを懇切丁寧に説明してやるつもりはない。さっさと残る客車と機関室を制圧して、このくだらない事件を終わらせてしまうべきだ。

「あんたには関係ないだろ。ほら、さっさと次に行くぜ」

 ディーンが催促すると、男は渋々といった様子で扉の取っ手に手を掛け、ゆっくりと右にスライドさせる。

 すると同時に、

「いい加減にしてって言ってるでしょ!?」

 と、女性のものと思しき怒鳴り声が響いてきた。

 一体何だ、とディーンは男の肩越しに客車の内部を見やる。すると客車の中程辺りで、強盗一味と見受けられる二人組の男――の片方と、乗客らしき少女が激しく言い争っている。

 同年代に見えるその少女の容姿を、ディーンは遠巻きに見つめてみた。

 黒く艶めいた、首の付け根辺りまでの長さの髪。服装は白い半袖のシャツに革の短パン。両手には黒い革製のグローブと、何だかとても男勝りな格好をしている。だが服から露出している少女の肌は、その服装に反して白く、肌理が細かい上、体型もやや細身の割に、胸や腰の部分は女性らしい豊満な形をしている。

 一通り少女の容姿を観察していたディーンはふと、少女の腰に巻かれている茶色い革製のベルトに、視線を吸い寄せられた。

 恐らくは拳銃を仕舞う為の物であるホルスターが取り付けられているのだが、なぜかそこには何も収められていない。推測するに、あの強盗達が奪い取ってしまったのだろう。

 それにしても、彼女は一体、何に対してあそこまで憤慨しているのだろう? 相手は武装した強盗犯だと、あの少女はきちんと理解しているのだろうか?

「もうこんな無意味なことは止めて! どうせすぐに鉄道警備隊に捕まっちゃうんだから!」

「だから黙ってろって言ってんだろ! これ以上騒ぐと容赦しねぇぞ!?」

 経緯は全く掴めない。掴めないがしかし、ディーンは今の会話から、少女の意思のようなものを感じ取った。

(もしかしてあの娘、強盗を説得しようとしてるのか?)

 そうだとしたら、実に能天気な考えであると言わざるを得ない。

 強盗側にどのような理由があるのか知らないが、これ程大掛かりな犯罪を犯す以上、相手にはそれ相応の気概があると見るべきだ。そんな人間が、年端もいかない少女の説得に、素直に応じるとは思えない。武装しているとなれば尚更だ。

 遠巻きに少女を見つめ、ディーンは僅かに嘆息する。

(勇敢と無謀の意味を履き違えてるんじゃないか? あの娘……)

 そんな風に思っていたその時、ようやく強盗の一味が、ディーン達の存在に気付いた。

 少女との言い争いが、明らかに尾を引いているのだろう。かなり苛立った様子で口を開く。

「あん? おいお前、何しに来やがった? ――その後ろの奴は?」

「あ、あの、実は――」

 男がそう言い掛けた所で、ディーンは妙な方向に逸れ掛けていた思考をすぐさま切り替えた。

 ここまで来てしまえば、もう安い演技を続ける必要はない。そう判断し、ディーンは背後から、男の首筋に勢い良く右手刀を叩き込んだ。

「ぐっ!?」

 たった一撃で、男は糸の切れた操り人形の如く、支えを失い床へと倒れ込んだ。

 明確な敵意を持ったディーンの行動を目の当たりにした結果、少女の傍にいた強盗達の顔付きが、更に険しくなる。

「てめぇ……! 一体何のつもりだ!?」

「いい加減、演技するのも飽き飽きしてた所だったんだ。残念ながら、後部車両は全部制圧させてもらったぜ?」

 憤慨する男達を挑発する為、ディーンは両手を組んで指の骨を軽く鳴らした。

 それだけで周りの乗客達は、争いが始まろうとしていることを察知したのだろう。皆一斉に、座席の影に身を隠すように屈んだ。

 ただ一人、さっきの少女を除いて。

「ガキが……! 粋がってんじゃねぇぞ!」

 そう言って片方の男が、傍らの少女を捕えようと手を伸ばす。

 だがその行動を察知していたディーンは、誰よりも速く動き出していた。

 疾走の勢いを跳躍の力に変え、ディーンは少女を捕えようとする男の顔面に、強烈な右膝蹴りを叩き込んだ。

「おぶっ!」

 衝撃と痛みで握っていた拳銃を零し、後ろに仰け反る男を無視して、ディーンはすぐ傍で棒立ちになっていたもう片方の男に突貫する。

「! ちぃっ!」

 接近するディーンに、男は腰のベルトに携えていた短剣を掴み、鋭利な刃を差し向けてきた。

 だが残念ながら、反撃は失敗に終わる。

 凶刃が振り回されるよりも速く、固く握り締められたディーンの右拳が、男の顔面をしっかりと捉えた。

 顔の中心を思い切り殴り飛ばされた男は、客車の窓に衝突し、物言わぬまま床へと倒れ込んだ。

「痛って……」

 あまりにも綺麗に命中してしまったせいか、右手が鈍い痛みを発している。一応骨は折れていないようだが、地味な痛みによって思考が阻害されてしまう。

 故にディーンは、周囲への警戒がおざなりになっていた。

「クソガキィィィ!」

「!」

 油断はいついかなる時も、自身を追い込む仇となる。

 かつてミレーナに幾度となくそう説かれていたはずのディーンは、しかしその教えを守り切れるまでには至っていなかった。振り向くと、先程顔面を蹴り飛ばしてやったはずの男が、いつの間にか短剣を手に取り、切り掛らんとしている。

 しまった……! と、そう思った時だった。

 突如として銃声が鳴り響き、ディーンを狙っていた男の右肩が裂け、鮮血が飛び散ったのだ。

「ぐああっ!」

 撃たれた男は受け身も取れずに床へと倒れ込み、傷の痛みから苦悶の表情を浮かべている。

 ディーンは今度こそ男を無力化しようと、尚も起き上がろうとする男の顔に、容赦なく左手で掌底を喰らわせた。

 鮮やかに命中した一撃は、男の意識を奪い去り、ついに相手を無力化させるに至った。

 客車内に、ようやく静寂が訪れる。

「……ったく。さっきの一撃で気絶してりゃあいいものを……」

 男の手から短剣を剥ぎ取りながら、ディーンは愚痴っぽく呟く。そしてやっと、銃声が響いてきた方を見やった。

 するとそこには、銃を構えた状態で静止している黒髪の少女の姿があった。発砲の証として、黒光りする銃口からは白煙が上り、周囲には微かに火薬の臭いが立ち込めている。

(……?)

 銃による援護を感謝しようとしたディーンは、しかしふと気付いて首を捻る。心なしか、銃を構えている少女の顔が、青ざめているように見えたのだ。

 何となく疑問に思っている間に、少女はディーンの視線に気付いたらしい。銃を下ろすと、心配そうな表情を浮かべて告げる。

「大丈夫? 怪我しなかった?」

「……! ああ、何ともない。悪いな、助かった」

「どういたしまして」

 ディーンの労いに対し、少女は屈託のない笑顔を見せてから、握っていた拳銃をベルトのホルダーに仕舞う。どうやらあれが、強盗に奪われていた彼女の持ち物のようだ。

(……気のせい、か?)

 ディーンが感じた疑問に反して、少女には特に動揺した様子は見受けられない。

 とはいえ、表情の変化が見られたのは、ほんの一瞬のことだった。強盗に隙を突かれたばかりで少々焦っていた為、見間違えたのだろうか?

(そうだとしても、この状況でよく笑ってられるな、こいつ)

 意外と図太い神経の持ち主なのか、とディーンは適当に考える。

 と、少女は徐に、窓際に倒れている強盗の傍へと歩み寄りながら、

「それにしても、さっき言ってたことって本当なの? 後部車両を全部制圧した、って話」

 と口にした。

 何をするつもりなのかと見ていると、少女は男のズボンのベルトを手早く奪うと、それで男を後ろ手に拘束し始めた。

 少女の手際の良さに内心首を傾げつつも、ディーンはもう一人の男のズボンからベルトを奪い取りながら、口を開く。

「ああ、本当だ。あとは機関室を占拠してる連中だけだから、さっさと乗り込んで始末する」

 十秒程で拘束作業を終わらせ、再度立ち上がったディーンは、未だに屈んで身を隠している乗客達に呼び掛ける。

「とりあえず、あんた達は後方車両に移動してくれ。多分その方が、ここにいるよりは安全だからさ」

 ディーンのぶっきら棒な言い方に、乗客達は異論も唱えず従った。どうやら先程までの攻防を傍観した結果、強盗達の処理はディーンに任せようと判断したらしい。

 人任せにし過ぎているような気がしないでもないが、ディーンとしても、別段彼らを責めようとは思わない。むしろ最初の乗客達のように、変に喰い下がられないだけ有難かった。

 だからこそディーンは、面倒なことになる前にと、作業を終えた少女にも後退を促す。

「あんたも後部車両に引っ込んどけよ。後片付けは俺がするから」

「ダメだよそんなの。あたしにも手伝わせて」

「……」

 まさに予想通り、懸念していた通りの返答だった。

 少女が率先して強盗の身体を拘束し始めた辺りから、ディーンにはこうなる予感があった。あったがしかし、ここまで予想通りだと拍子抜けすらしてしまう。

 ならばとディーンは、少女を突き放そうと更に言葉を付け足した。

「いや、気持ちは有り難いけど、あんたじゃ足手纏いにしか――」

「さて問題です。最後に刺されそうになってたあなたを助けたのは、一体どこの誰でしょう?」

(……喧嘩売ってんのかこの女)

 言葉を遮られた上に、わざとらしく嫌味な質問をされれば、誰だって良い気はしないものである。

 ディーンの苛立ちを知ってか知らずか、少女は屈託のない笑みを浮かべて返答を待っている。

 正直反論したい気持ちの方が強かったが、それでも自分が油断していたのは事実だし、助けられたのもまた事実だ。

 仕方がない、とディーンは浅く溜め息を吐く。

「……わかった。協力してくれ」

「そうこなくっちゃ!」

 強盗団の手から順調に列車を解放しつつあるとはいえ、少女の喜びようは些か能天気過ぎている。強盗と言い争いをしていたこともそうだが、彼女は本当に状況の深刻さを理解しているのだろうか?

 不満も懸念も一切消えないディーンだったが、とりあえずはと先へ進み、機関室と客車を繋いでいる連結部分へと差し掛かった。

 すぐ目の前には、最後の扉が待ち構えている。

「あっ、そういえば……」

 本来であれば、更に緊張感が増す場面であるにも拘らず、少女はふと何かを思い出したように、ディーンの顔を覗き込んできた。

 黒真珠を思わせる少女の大きな瞳が、真っ直ぐこちらを捉えている。

「あたしの名前は、リネ・レディア。あなたの名前は?」

 問われ、数秒黙した少年は、素っ気なく自分の名前を口にする。

「……ディーンだ」

「……………………えっ、それだけ?」

 少年の受け答えが気に入らなかったのか、リネと名乗った黒髪の少女は、不満げな視線を向けてくる。

 敵の本拠を目の前に集中力を削ぎたくないディーンだったが、隣の少女が喰い下がってくるので、やむを得ず口を開く。

「何だよ。何が気に喰わないんだ?」

「ディーンって言うのはファーストネームでしょ? あたしはあなたのフルネームを聞いてるんだけど」

「いいだろ別に。あんたには関係ない」

「むっ、何その言い方。何か名乗りたくない理由でもある訳?」

「……」

 むくれるリネを尻目に、ディーンは肯定の証として無言を貫いた。

 彼女の指摘通り、ディーンには自らの名前を名乗りたくない、もとい名乗らないようにしている理由がある。

 ディーンの育ての親であり、師匠でもあるミレーナ・イアルフスは、この大陸に於いて知らない者はいない程の、かなりの有名人なのだ。彼女のフルネーム、或いはセカンドネームを聞いただけで、殆どの人間は眼を丸くして驚く。

 だからこそ、その偉大なセカンドネームを受け継いだ弟子としては、あまり人前でその名を名乗らないようにしている。

 理由は単純。『あの』ミレーナの弟子なのか! ……と騒がれるのが嫌だからだ。

 もちろん、それ程までに有名な彼女のことを誇りに思うし、尊敬もしている。だが、それとこれとは話が別なのだ。

 まだまだこの話題を引っ張りそうなリネを無視して、ディーンはスライド式の扉の取っ手に手を掛ける。

「お喋りは終わりだ。行くぜ」

 少年は瞬時に頭を切り替えて、一気に扉をスライドさせた。


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