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第九章 新たなる出発

 目を覚ますと、そこは見覚えのない部屋だった。

 自分の身体を優しく支えている柔らかいベッドの上で、リネはゆっくりと上半身を起こす。

(……? ここ、どこだろ?)

 周りを見回し、リネは少々首を捻る。

 石造りの四角い部屋の中には、四角い金属製のテーブルと一人用のソファーが四つ、さらに壁際には金属製の棚が二つ置かれている。そのどれもが、金や銀で細かい装飾が施された、値の張りそうな品だ。

 まるで貴族のお屋敷に招かれたかのような豪華さに、リネはふと思い付く。

「もしかしてここ、『テルノアリス城』……?」

 なぜ自分はこんな所にいるのだろう? と考えた所で、ようやく脳が働き始めたらしい。今まで体験したあらゆる出来事が、記憶の奔流となって頭の中を駆け巡った。

 囚われの身となっていた自分の許に、颯爽と駆け付けてくれたディーン。リネを化物と呼んで揶揄するアーベントを、彼は力強い口調で否定し、最後まで勇敢に立ち向かってくれた。

(そういえばあたし、みっともないぐらいに泣いちゃったんだっけ)

 今思い返してみても、恥ずかしさで身体中が熱くなってくる。だがそれと同時に、ディーンが自分を助けに来てくれたという事実が、嬉しさとなってリネの頬を緩ませる。

(直接会ってお礼が言いたいけど……、勝手に動き回ったりしても大丈夫なのかな?)

 そもそもここに運ばれた経緯さえ、記憶が曖昧なリネにはよくわからない。アーベントから受けた傷の痛みが、彼女の意識を昏倒させた原因なのだろうが、目が覚めたからといって、何も言わずにいなくなるのは憚られる。

 と、そんな風に考えていた時だった。部屋の扉が外側から数回ノックされ、そのすぐ後、扉が開いて見覚えのある人物が入ってきた。

 銀髪碧眼の少年、ジン・ハートラーだ。

「リネ! 目が覚めたのか」

「うん、ついさっきね。起きたらこんな豪華な部屋だったから、ちょっと驚いちゃった」

 そんな風に笑って言うと、ジンは安心したように優しく微笑み返してきた。

「何か久しぶりだね、こうしてジンと話すの」

「そうか? 顔を合わせていないのは、たった一日くらいのはずなんだが」

 苦笑するジンの表情は、以前よりも少しだけ晴れやかな感じがした。その理由は恐らく、今回の事件が収束に向かっているからだろう。

 その顔を見ていて、リネはふと思う。ジンなら多分、『彼』の居場所を知っているのではないか、と。

「あのさ、ジン。ディーンが今、どこにいるか知ってる……?」

「ん? ああ、あいつなら――」

 と、どこか可笑しそうに話しながら、ジンは扉のノブを持ったまま、部屋の外に視線を向ける。

 するとそれに答えるかのように、

「さっきからここにいるっつーの」

 という、面倒臭そうな声が響いてきた。

 驚いて目を瞠るリネを他所に、声の主はやや乱暴な足取りで部屋の中に入ってきた。

 やれやれといった表情を見せるジンの後ろに見える、炎のように紅い髪。とても目立つその容姿の少年は、面倒臭そうな顔でこう言い放ってきた。

「ったく、いつまで寝てる気だったんだ? 呑気でいいよなぁ、お前は」

「……フフ。相変わらず酷い言い方だね、ディーン」

 意地の悪い言葉を掛けられているというのに、リネは不思議と、笑みを溢してしまっていた。

 そんな彼女の反応が意外だったのだろう。ディーンは数回目を瞬かせた後、酷くバツが悪そうな顔をして、わざとらしく顔を逸らした。






 ◆  ◆  ◆






「そっか。じゃあ、あのアーベントって人は……」

「ああ……。俺の目の前で自爆した。最後まで勝手な奴だったぜ……」

『テルノアリス城』の一室で、ディーンは目覚めていたリネと、彼女の見舞いに同行していたジンを交えて、状況の整理を行なっていた。

 尤も、その内容のほとんどは、意識を失っていたリネに対する、説明会のようなものだった。

 と言うのも、ディーンはすでに、ジンから粗方の状況を伝え聞いていたからだ。

 ジンの話によると、ディーンが『紅の詩篇フレイム・リーディング』を成功させたあの瞬間から、『術式魔法陣』の安定を行なっていた魔術師達は戦意を喪失し、逃げる者と大人しく投降する者の二組に分かれたらしい。

 その後、残っていた『ゴーレム』を何とか退け、ジンや他のギルドメンバー、そしてハルクに選抜された正規軍兵士達は、一旦街の中に戻ったそうだ。

 すると街の中でも、外の魔術師と似たようなことが起きていたという。

 つまりは、敵兵達の戦意喪失だ。

 ディーンの『紅の詩篇フレイム・リーディング』が間に合ったことで、『術式魔法陣』の犠牲にはならなかった敵兵達は、ほとんどの者が戦う意志をなくし、投降する意志を示したそうだ。だがそれでも、一部の者達は抵抗を続け、戦いが沈静化したのは、だいぶ後のことだったらしい。

(まぁ、無理もねぇよな。自分達の指導者だと思ってたアーベントが、実は最初から自分達を囮に使ってたなんて……。裏切られたと思うのも当然だ)

 今は亡き元貴族の男の姿を思い浮かべ、ディーンはやれやれと息を吐く。

「まぁそんな訳で、気を失ってるお前を担いで『首都』に戻ってた所で、ジンと合流したって訳だ」

「そうだったんだ。ごめんね、迷惑掛けちゃって……」

 少し落ち込んだ様子で、リネは伏し目がちに呟いた。

 ディーン自身、別に迷惑を掛けられたなどとは思ってない。むしろ彼女の存在があったからこそ、ディーンは戦う意志を固めることができた部分もある。そういう意味では、感謝の念を述べるべきなのはディーンの方だろう。

 だが悲しいかな、それを素直に認められない捻くれ屋さんが、このディーン・イアルフスという少年である。

 アーベントと対峙していた時のように、素直に思ったことを口にすればいいだけなのだが、こうしてリネやジンを前にすると、感情表現が上手くいかない。

(……俺っていつからこんな面倒臭い奴になったんだ?)

 自らの捻くれっぷりを恨めしく思っていた、その時だった。

「――あたしが四歳くらいの時だったんだ」

「え?」

 突然リネが、何の前触れもなく切り出したその言葉に、疑問の声を上げるディーン。傍らにいるジンも、彼女の突然の発言に戸惑いを隠せないでいるようだ。

「何の話をしているんだ?」

 神妙な面持ちで尋ねるジンに、リネはいつか見せた切ない笑みを混ぜて、答える。

「二人にまだ話してなかったでしょ? あたしの過去。『妖魔』一族のこと」

「!」

 彼女の口から出た『妖魔』という言葉に、ディーンとジンは僅かに顔を見合わせた。

 今まで自分達に語ろうとしなかった生い立ちを、彼女は口にしようとしている。それは一体、どういう心境の変化なのだろうか?

「辛いなら、話さなくていいんだぞ?」

 話の流れを押し止めようとするかのように、ジンが素早く先手を打つ。

 だがリネは、首を横に振ってそれを拒んだ。どうやらディーンやジンが思っている以上に、彼女の決意は固いようだ。

 リネはゆっくりと、その口で言葉を紡いでいく。

「あたしの生まれ育った村はね、ここから西の方角にある、『ブラウズナー渓谷』っていう谷の、少し入り組んだ場所にあったんだ」

 リネが口にしたその谷の名なら、以前ディーンも耳にしたことがある。確か渓谷に連なる山岳地帯が険し過ぎる為、依然として未開拓の土地が残っていると言われている場所だったはずだ。

 思えば彼女は、ディーンと初めて会った時、「どこから来たのか?」という質問に対して、「西の方から来た」と答えていた。あの時は、漠然とした方角しか言わないリネに呆れて相手にしなかったが、一応彼女なりに真面目には答えていたようだ。

 ただ、詳しい場所を言えば、そこから自分の生まれや正体が知られることを恐れて、口にすることができなかったのだろう。

 今になってディーンは、少し反省せざるを得ない。いつぞやにジンが言っていた通り、もう少し彼女のことを気に掛けてやっていれば、もっと早い段階で、その柵を分かち合えたかも知れないのだから。

 そんなことをぼんやりと考えている間にも、リネは言葉を紡いでいく。

「そこは人里から離れてるのと、周りの山岳地帯が険しいってこともあって、滅多に人なんか寄り付かない場所だったんだ。だけど――」

 十二年前のあの日、それは起きてしまった。

 かつて『魔王』と呼ばれていた前テルノアリス王の命によって、危険分子と見なされた『妖魔』一族の、大量虐殺が。

「ある日突然、軍の大部隊が攻め込んで来て……、みんな殺された。お父さんも、お母さんも、友達も、隣の家のおじさんやおばさんも、みんなみんな……」

 リネは微かに震えながら俯いて、それでも話すことを止めようとはしなかった。

 ディーンはいつの間にか、そんな彼女から目が離せなくなっていた。

 目の前の少女は、普段とまるで別人だった。

 彼女のあんな表情を、ディーンは知らない。僅かに肩を震わせるあんな弱々しい姿を、ディーンは知らない。

 本当に辛そうに、リネは表情を曇らせ続けていく。

「あたしは隠れることしかできなくて……。それで軍が去った後……、あたしは自分の力を使って、必死にみんなを治そうとしてた。血塗れになって……、目を見開いたまま動かないみんなを……、何度も何度も揺さぶりながら――」

「もういい、リネ。充分だ」

 ふと気付くと、ディーンは立ち上がってリネの言葉を遮っていた。その足が自然と、ベッドに座っているリネの許へと進んでいく。

「もう……、話さなくていいから。思い出さなくていいから。……俺もジンも、これ以上お前に傷付いてほしくなんかねぇんだ」

 微かに震えているリネの肩に、そっと右手を置くディーン。

 痛々しい少女の表情を見つめながら思う。そうだ、もう充分だ。これ以上彼女を傷付けて何になる。

 捨てることも消し去ることもできないのが過去だというなら、せめて今だけはその苦痛から逃れてもいいのではないか。自分を助けてくれた恩人には、それぐらいの見返りがあってもいいのではないか。

「ずっと黙っててごめんなさい……。隠しててごめんなさい……。二人に知られるのが怖かったの。あたしが……っ、人とは違う存在だって、『化物』なんだって……!」

 知られれば、みんな離れていってしまう。独りになってしまう。それが、彼女が怯えているものの正体だったのか。

 普段は明るく振舞いながら、その裏でリネは、ずっと孤独になるのを恐れていたのだ。

 顔を両手で覆い、嗚咽を漏らすその姿が、ディーンの胸を締め付ける。

 以前ジンが言った通りだった。

 何かを抱えて生きているのは、決して自分だけではない。

「大丈夫だ。もう泣かなくていい。謝らなくていいんだ」

「でも……っ!」

「あの時も言っただろ」

 制止するディーンを見上げ、リネはその大きな黒い瞳から、大粒の涙を流している。

 そんな少女に、ディーンはゆっくりと告げる。不器用ながらも、できるだけ優しい雰囲気を出せるように。

「お前は『化物』じゃなくて、『リネ・レディア』だ、ってな」

 そう言ってディーンは笑う。快活な笑顔を、これでもかとリネに見せつけてやる。

 それが、最後の一押しになったらしい。

 少し驚いた顔をしていたリネは、やがて堪え切れなくなった様子で、幼い子供のように泣き始めた。

 涙で顔をクシャクシャにして、それでもどこか嬉しそうに、何度も何度も頷いていた。






 ◆  ◆  ◆






「少し気分を変えられる話をしようか」

 どれくらい経った頃だろう。気を遣ったのか、不意にジンがそんな言葉を切り出した。

 窓辺から外の景色を見ていたディーンは、ベッドで鼻を啜っていたリネと、ほぼ同時にジンの方を向いた。

「何だよ? 妙に含みのある言い方だな」

「そう勘繰らなくていい。ただの朗報だ。お前にとってのな」

「俺に?」

 やや首を傾げるディーンに対し、ジンは勿体ぶったように苦笑する。彼には珍しく、ディーンの様子を窺って楽しんでいるようだ。

「何なの、朗報って?」

 同じくジンの口振りが気になった様子のリネが、ディーンよりも先に問い掛ける。するとジンは、観念したようにようやく口を開く。

「『ギルド』の調査で進展があってな。お前の師匠、ミレーナ・イアルフスの居所が掴めそうだ」

「!! ホントか!?」

 ディーンは思わず窓辺から離れ、ジンの傍へと歩み寄る。それが本当なら、朗報どころの騒ぎではない。柄にもなく大はしゃぎしてしまいそうだ。

「以前、とある街で、テロリストと接触しているミレーナの姿が目撃された、と言っただろ? 実はその証言をした人間が、アーベント一味だったんだ」

「何だって?」

 聞いて驚きはしたものの、しかしよくよく考えてみると辻褄が合う。

 死の間際、アーベントは確かに言っていた。例の噂は、ミレーナを誘き出す為に自分達が流した偽の情報だと。

 あの時の言葉通り、ミレーナを目撃したと言っていた人物こそが、アーベントの部下の一人だったということだ。

 一人納得するディーンを他所に、ジンは続ける。

「その目撃者により詳しく事情聴取を行なった所、流した噂は偽物だが、ミレーナ本人に会ったのは間違いないそうなんだ。しかもその者の証言によると、彼女は会った時、『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』へ向かう途中だと言っていたらしい」

「お、おい……、嘘だろ?」

 ジンの口から事実が語られた瞬間、ディーンは思わず自分の耳を疑った。

 なぜなら昨日の夜、とある占い師が提示した占いの結果と、ミレーナが向かったとされる場所が全く同じだったからだ。

(エリーゼ、やっぱあんたは只者じゃねぇよ……)

 これから先、彼女の占いなら信じてみてもいいかも知れない。……などと都合のいいことを思うディーン。

 内心で舌を巻いていると、ジンはどこか嬉しそうな表情を浮かべて言う。

「どうだ? 朗報だっただろう?」

「あ、ああ、もちろん! 知らせてくれてありがとな、ジン。恩に着るよ!」

「良かったね、ディーン。ミレーナさんの手掛かりが見つかって」

「えっ? ああ……、まぁな」

 嬉しそうな表情のリネが、何気なく発した言葉。それにディーンは、僅かな違和感を覚えた。

 以前の彼女ならこういう時、

「じゃあこれから頑張って捜さないとね」

 ……などと口にしそうなものだったが、今の台詞からは、ディーンに付いていく気が全くないように感じ取れたのだ。

 変に意識し過ぎているだけか、とも思うが、ディーンの心に妙なしこりができる。

「――さてと。悪いが俺はこの辺で失礼するよ」

 それは突然のことだった。まるで仕切り直しだとでも言うように、ジンは静かに立ち上がってそんなことを言った。

 また随分と急に言い始めたな、と思うディーン同様、リネも不思議そうに首を傾げる。

「えっ、どうして? ジンとももう少し話したいのに……」

「すまない。まだ色々と厄介な事後処理が残っているんだ。――ああ、丁度いい。せっかくだから、お前にも手伝ってもらおう。この後予定がないなら手を貸してほしいんだが、頼めるか?」

「えっ? ……ああ、別にいいけど」

 思い出したように指名したジンは、呆気に取られているディーンの背中を押しながら、随分足早に部屋を出て行こうとする。

 何だかその様子は、普段から冷静な彼にしては、少し異質な行動だった。

「後でまた様子を見に来るから、それまでキミはゆっくり休んでてくれ」

「うん、わかった。じゃあね、二人共」

 泣き腫らした顔ではあったが、リネは微笑むと、小さく手を振ってきた。

 ジンに背中を押されるまま部屋を後にするディーンは、そこでようやく思い至った。

 どうやら良くない話が、この先に待ち受けているようだ、と。






 ◆  ◆  ◆






「何か俺に用があるんだろ?」

 部屋を出た後、しばらく無言で廊下を歩き続けてから、ディーンは隣にいるジンに尋ねた。

 するとジンは、やや視線を下げながら、神妙な面持ちで言葉を切り出す。

「実は……、リネの今後についてなんだが……」

「!」

 ある程度予想はしていたが、やはり来たかという感じだった。

 少し抵抗したい気持ちを、ディーンは敢えて顔には出さず、すでに予想していた結論を口に出す。

「……軍が身柄を預かる、ってことか?」

 ディーンが淡々とした口調で告げると、ジンは少々驚いた顔をした。気付いているとは思わなかった、と言いたげな表情だ。

 友人の心中を察しながら、ディーンは苦笑して言葉を掛ける。

「元老院にもバレちまったんだろ? あいつが『妖魔』の生き残りだって。なら、そういう話になるのは当然だ。『妖魔』の『血』に魔術の力を飛躍的に高める効力がある以上、野放しにしておけば、今回のアーベントみたいに利用しようとする奴が出てくるかも知れない。ならいっそ、軍で身柄を保護して管理下に置いておけば、自由に歩き回らせるよりは安全だ。リネにとっても、元老院にとってもな。だろ?」

 ディーンはジンの台詞を奪い取るつもりで、予想していたことを全て打ち明けた。

 ジンは少し唖然とした後、浅く溜め息をついて躊躇いがちに言う。

「……お前はそれでいいのか? 一度軍の管理下に入れば、そう簡単に会うことはできなくなるんだぞ?」

「いいも何も、俺には元老院に意見する資格なんてない。何をどう喚いて叫ぼうが、貴族の連中は俺なんかの願いなんて聞き入れたりしねぇよ」

「いや、しかし――」

「確かにあいつには感謝してる。だけどこればっかりはどうにもならねぇさ。それに俺は、元々一人で旅をしてた身だ。放浪癖の付いてる魔術師一人と、『首都』を守護する正規軍。どっちがあいつを守った方が得策かなんて、比べるまでもねぇことだろ?」

「それは……」

 言い淀むということは、ジンも内心では理解しているのだろう。ただ、彼も結構お節介な人間らしい。理解はできても納得はいかない。そう言いたそうな顔をしている。

 リネのことを諦めようとしているディーンを、ジンはまるで責めるかのような表情で見つめ、黙り込む。

 そんな友人の態度を苦笑しながら躱し、ディーンは告げる。

「心配すんなよ。リネには別れの挨拶ぐらい、ちゃんとしに行くからさ」

 わざとらしく歩調を速め、ジンから少し距離を取るディーン。

 勘の鋭いジンなら、恐らくは今の言葉で気付いたはずだ。

 ディーンがリネに、別れを告げに行く気がないことを。






 ◆  ◆  ◆






 三日後。事後処理や街の復旧を手伝っていたディーンは、大まかな旅の準備を同時進行で済ませ、ようやく出発の日を迎えるに至った。

 その間、ディーンはエリーゼにも礼を言っておこうと思い、何度か『ライム』を尋ねたのだが、結局一度も彼女に会うことはできなかった。

 まさか今回の事件で……などと縁起でもないことを考えていたディーン。しかしそんな彼に、ここ数日何度も会っていたジンは、

「俺は二回程会ったぞ?」

 と涼しげな顔で言ってきたのだ。これではまるで、エリーゼがディーンを避けているかのようである。

(まぁ、また今度『首都』に来た時にでも会いに行ってみるか)

 そんな風に思いながら、ディーンは『テルノアリス』を出る為、街の北門を目指して大通りを歩いていく。

 街は未だに、復旧作業に追われる人々で慌ただしい。復旧作業が終わっていないということは、当然鉄道の修理も完了していない。つまり彼は、ミレーナが向かったとされる『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』まで、徒歩で行くことになる。馬を使うという手段もあるにはあるが、旅の資金を節約する為にも、ここは我慢しておくべきだろう。

 が、『首都』から北東の方角に位置するその『湖上都市』までは、歩くとなるとかなりの距離だ。せっかく師匠の行方に関する有力な情報を手に入れたというのに、ディーンは肩を落とさずにはいられない。果たして彼がその街に辿り着く頃に、ミレーナはまだその街にいるのだろうか?

 と、ぼんやり考えていたディーンの脚は、気付けばすでに北門の検問所付近まで辿り着いていた。

(これでこの街ともお別れか……)

 ゆっくりする暇がなかったせいか、旅立つのが少し名残惜しい気もする。

 検問所に近付きつつ、一人そんなことを思っていた時だった。

「随分辛気臭い顔してるわね、お兄さん」

 どこかで聞いたような台詞に顔を上げると、検問所の傍に見覚えのある人間が立っていた。

 顔を銀色のベールで隠した、翡翠色の瞳が印象的な女性。迷っていたディーンの背中を押してくれた、ある意味恩人のような存在。

 ディーンは思わず声を弾ませ、その女性の許に駆け寄った。

「エリーゼ! 無事だったんだな! 戦いが終わった後も見掛けなかったから心配してたんだ」

 安堵しながら告げると、エリーゼはベールの下で優しげに微笑む。

「ごめんなさいね。ジンには何度か会って、あなたのことを聞いてたんだけど。でもあなたも無事で良かったわ。これから『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』に発つんでしょ?」

「ああ、そうだけど、何で知ってるんだ? ……まさか占いで?」

「違う違う、ジンに聞いたのよ。だから見送りだけでもしようと思ってね。――あ、ジンなら検問所の外で待ってるわよ。私も見送りするから、一緒に行きましょ」

「え? あ、ああ」

 返事をしつつも、ディーンはやや首を捻る。ジンも待っていたのなら、なぜエリーゼと一緒に街の中にいないのだろうか?

 疑問に思いながらも、先導するエリーゼに続いて検問所に入るディーン。体格の良い兵士二人に色々と調べられ、数分の時間を掛けて外壁の外に出ると、エリーゼはなぜか可笑しそうに笑いつつ、手招きしてディーンを呼び寄せている。

 彼女に誘われるがまま、外壁の袂に辿り着いた所で、ディーンはようやく全てを理解した。

「あ~、なるほど。こういう状況だったって訳ね」

 エリーゼにしてやられたと、ディーンは軽く頭を抱える。もう少し早く、彼女の意図に気付くべきだった。

 視線の先、高々と聳える外壁の袂には、確かにジンが待っていた。だが一人ではない。彼の傍らには、ディーンがよく知っている人物が佇んでいる。

 黒髪の少女、リネ・レディアが。

「やっほ~、ディーン。久しぶり! 元気だった?」

(この呑気ちゃんめ……。何がやっほ~だ。どうしてお前がこんな所にいるんだよ?)

 ディーンは無言のまま、やや剣呑な目付きでジンを見つめた。説明しろよこの状況を、という意味を込めてである。

 するとディーンの意思を悟ったのか、ジンは若干目を泳がせつつ、苦笑しながら答える。

「ま、まぁそんな顔をするな。実は王族、と言うか、元老院から許しが出たんだ。彼女の身柄は軍に預けず、ディーン・イアルフスの旅の同行者を一任する、とな」

「一任なんてしなくていいっつーの! って言うか体の良い押し付けじゃねぇか! 大体元老院の許しって、誰がそんな勝手なこと言い出したんだよ!?」

「ハルク様だ。軍の見知らぬ人間が彼女を守るより、リネと親しい仲にあるお前の方が適任なんじゃないかと仰ってな。もちろん反対する方々もいたそうだが、最終的にこういう結論に達したらしい」

(随分勝手だなあの野郎……! 貴族じゃなかったらブン殴ってやるのに!)

 脳裏にハルクの顔を思い浮かべながら、あからさまに右拳を震わせるディーン。

 そんなディーンの姿に見兼ねた様子で、ジンは苦笑混じりにこう告げた。

「それにな、ディーン。何よりもお前の旅に同行したいと言ったのは、彼女なんだぞ?」

「! えっ……?」

 ディーンは拳を解いて、思わずリネの方を見た。

 リネは少し恥ずかしそうに、右手の人差し指で頬を軽く掻いている。

「えっとね……。あたし、今回のことでディーンに凄く感謝してるんだ。ディーンはあたしに居場所をくれた。あたしを『化物』じゃないって言ってくれた。それが凄く嬉しかったの。だからあなたの旅に同行して、その恩返しがしたいんだ」

「……」

「それに前にも言ったでしょ? あたしもミレーナさんを捜すの手伝う、って」

「……」

「……ダメ、かなぁ?」

(……って言うか、ジンくんとエリーゼさん。何ですかその悪者を見るような目付きは?)

 二人からの痛い視線を浴びつつ、ディーンは軽く溜め息をついた。

 ここで断ったりしたら、いつぞやと同じように付き纏われそうな予感が大いにする。それにジンとエリーゼから、どんな言葉を浴びせられるかわかったものではない。そんな展開になるのはさすがに御免だ。

 若干脅迫観念に駆られつつも、それでもディーンは、どこか嬉しさのようなものを感じていた。

 無意識に、自然な笑みが零れる程に。

「……よっぽど暇人なんだな、お前」

 冗談っぽく呟いてから、ディーンは明るくリネに言う。

「そんなに暇なら、一緒に行こうぜ」


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