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第八章 護る者と壊す者

 あの紅い光、『術式魔法陣』の光を見た時から、ディーンには予感のようなものがあった。

『術式魔法陣』の属性は炎。

 今まさに『首都』を消滅させようとしているものの正体は、自身が操る魔術と同じ力。

 それはつまり、『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使いこなすことさえできれば、『首都』を消滅の危機から救い出せることを意味している。

 しかし、今の彼にはその力がない。

『首都』を守れるだけの力が、ない。




 アーベントの耳障りな高笑いが響く中、ディーンは『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』を携え、暴れ回る『ゴーレム』に挑み掛かる。

 巨大な鋼鉄の腕を振り回し、ディーンを圧殺せんと拳を振り下ろす『ゴーレム』。その右脇腹の辺りに、ディーンは炎剣の一撃を浴びせた。

 瞬間、爆炎によって『ゴーレム』の強固な装甲が、破砕音と共に弾け飛ぶ。

 ほんの一瞬、『ゴーレム』の巨体が揺らぐ。そこへ続け様にと、ディーンは身を翻し、虚空に十字の炎を出現させた。

「『烈火の十字爆撃(バーニング・クロス)』」

 殴り付けた十字の炎が『ゴーレム』に向かって飛来し、その巨大な背中の辺りで紅い爆発を起こした。

 前のめりに倒れる『ゴーレム』から目を離し、ディーンは『首都』の方角を一瞥する。

『首都』を囲むように配置された四つの紅い光は、何分か前に見た時よりも、確実にその光の強さを増している。わかり切っていることだが、恐らく発動までもう時間がない。

 今更のように焦りを覚え、ディーンは右手に持ったままだった『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』を消滅させた。そして再び発生させた灼熱の炎を、自分の頭上に集束させる。『深紅の流星(クリムゾン・レイン)』発動の予備動作だ。

 炎を凝縮させ、力が充分に蓄えられた所で、ディーンは目標物に右手を差し向ける。

「行け!」

 彼の動作を合図に炎の塊は弾け飛び、無数の火球となって、起き上がろうとしていた『ゴーレム』の身体に飛来した。

 直後、火球群は次々と連鎖的に爆発を起こし、鉄巨人の装甲を砂糖菓子のようにボロボロと削り取っていく。

 と、その時だった。

「なるほど。『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使えない未熟者とはいえ、やはり『深紅魔法』の使い手。曲がりなりにも『ゴーレム』を倒せるだけの力は持っているということか」

 ディーンと『ゴーレム』の戦いをのんびり観戦していたアーベントが、感心したような声を漏らした。

 が、ディーンは相手の言葉をほとんど無視して、再び虚空に十字の炎を出現させる。そして、ほとんど骨組みだけとなった『ゴーレム』の身体目掛けて、二発目となる『烈火の十字爆撃(バーニング・クロス)』を放った。

 紅い光を伴う爆発は、いとも簡単に骨組みを破壊し、辺りに鉄の破片を撒き散らした。鋼鉄の巨人は文字通り瓦礫と化し、轟音を響かせながら地面に伏す。

 それを見ながら、ディーンは乱れていた息を整える。ここまでの戦闘で、かなり体力を消耗している。限界が近いというのが正直な所だ。

 それを見透かされてしまったのだろう。離れた位置に悠然と佇んでいるアーベントは、愉快そうな様子で言う。

「どうした、息が上がっているぞ。『首都』消滅の危機が迫っているというのに、そんな状態で『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使うことができるのか?」

 嫌味にしか聞こえない台詞を平然と口にするアーベントに、内心で苛立つディーン。悪態の代わりとばかりに正面から彼を睨み付け、口を開く。

「前にあんた言ってたよな。何かを変えることが目的じゃない。戦うことに意味がある、って。それはつまり、あんたにも守ろうとしてるものがあるってことだよな?」

「守る……? クク、相変わらずだなぁ未熟者。そうやって愚かな発言を繰り返す辺り、成長の兆しが全く見られないようだ」

 ディーンの言葉を嘲るように切り捨て、アーベントは続ける。

「俺は『守る』為に戦っているんじゃない。『壊す』為に戦っているんだ。――言っただろ? 『倒王戦争』の生き残りである俺は、所詮戦うことでしか自身の『存在意義』を見出せないと。人を殺すことしかできない、歪み切った存在である魔術師と同じようにな」

 クク、と低く笑ってみせるアーベントに、ディーンは心底嫌気が差した。ここまで考え方が違う人間に会うのは、恐らく初めてのことだろう。

「あんたみたいな人間と一緒にすんじゃねぇよ。魔術師はそんな存在なんかじゃねぇ」

「ならば聞くが、貴様はなぜ魔術師になった? 人を殺したかったからではないのか? 何かを破壊したいと思ったからではないのか? 力を求めるが故に、魔術に縋ろうとしたのではないのか?」

(……何でそんなに決めつけて話すんだよ? あんたが一体、俺の何を知ってるって言うんだ)

 忌々しさを全開にした表情で、ディーンは相手の言葉を突き放す。

「だから一緒にすんなって言ってんだろ。俺が魔術師になったのは、魔術師が誰かを守れる存在なんだと証明する為だ。ミレーナとしたその約束を、俺自身が果たそうと思ったからだ」

「ククク……、クハハハハハハ! 約束だと? 詭弁だなぁ、イアルフスの弟子! そんな戯言を吐ける魔術師が存在するとは信じられん! 何とも滑稽な話だ!」

 ……そういえば、とディーンは思い出す。先程街中で戦った魔術師にも、滑稽だと嘲笑されたことがあった。

 どうして彼らは、魔術師という存在を枠に嵌めて決めつけたように話すのだろう?

 なぜ否定的で、猜疑的な言葉しか並べられないのだろう?

 彼らと対峙すればする程、ディーンの中にはそんな疑問が生まれていく。

 殺戮に特化した技術を持つ者は、人を助けてはいけないのか。誰かを守ろうとしてはならないのか。

(そんなはず……、ねぇだろ)

 確かに魔術師は、他人を容易く傷付けられる。奪えるし、刈り取れるし、消し去ることができる。

 だが、それが何だと言うのだ。

 力を持つからと言って、全ての魔術師がそれを行わなければならない道理はないはずだ。

 そう思うからこそ、ディーンは尚も、アーベントの言葉を否定する。

「ギャーギャーうるせぇんだよ。俺はあんた達とは違う。俺には守りたいものがあるから……、守ろうと思えるものがあるから、だから戦えるんだ」

「フン……。本当に愚かだなぁ、貴様は」

 やれやれと言いたげな様子で、アーベントは肩を竦める。そして右手に持つロングソードの切っ先を、背後にいる十字架に拘束されたリネに突き付けた。

 殺傷できる鋭い凶器を向けられたせいだろう。身動きの取れないリネの表情が、一瞬で強張った。

「そんなものの為に命を賭けると言うのか? こんな『化物』一人を助ける為に、わざわざ貴様は俺の前に現れたと抜かすつもりか!? 笑わせるな! 所詮貴様は――」

 限界だった。

『その言葉』を口にするアーベントの台詞を聞き続けるのは、もう我慢の限界だった。

 気付けばディーンは、右手に生み出した炎を、何の躊躇もなくアーベントの顔面に向けて投げ付けていた。

 不意討ちと呼ぶべき一撃だったが、しかしアーベントもさすがだった。焦る素振りも見せることなく、飛来する炎を最小限の動きで回避してみせたのだ。

 忌々しそうに顔を顰めるアーベントを睨み、ディーンはゆっくりと告げる。

「いちいちうるせぇんだよてめぇは……。何遍も同じこと言わせんな」

 徐々に、しかし確実に、ディーンの怒りは頂点を迎えようとしていた。

『その言葉』だけは許す訳にはいかない。

『その言葉』だけは、否定しなければならない。

 なぜなら彼女は――

「言っただろ。そいつは『化物』じゃねぇ……! 『リネ・レディア』だ!」

 辺りに響き渡る程の怒号を、抗いの証としてぶつけた、その時だった。

 遥か後方にある、『テルノアリス』の街並みを囲む四つの紅い光が、これまで以上に輝きを増し、正方形の街並みを囲む巨大な紅い円と、魔術的な意味合いを持つ不可思議な形の巨大な文字列が、『首都』の大地に出現した。

 それらが意味するものは、つまり――


『術式魔法陣』の発動だ。


「クハハハハハハ! どうやら時間切れのようだなぁ、未熟者!」

 自らの勝利を確信したのか、アーベントは高らかな笑い声を上げ、蔑むかのような目付きでディーンを見据えた。

「くだらない問答をしているからこうなるんだ! 貴様に『首都』は救えない! 所詮魔術師には、誰かを守ることなどできはしないのさ!」

 紅い光に包まれていく『首都』の街並み。その絶望的な光景を背に、それでもディーンは前を見続けた。目の前に立ちはだかる敵を、睨み続けた。

 今の彼には力がない。

『首都』を守れるだけの力が、ない。

 しかし、それでも彼は誓ったのだ。


 もう二度と、迷うことも、立ち止まることもしない、と。


「紅き炎は我が剣。猛き炎は我が誇り。剣は誇りに直結し、誇りは剣に帰結する」

 アーベントを睨み続けていたディーンは、その鋭い表情を一旦緩め、視界の端にいるリネに視線を送った。

 ディーンと目が合い、悲痛な表情を浮かべるリネ。

 だが、あろうことかディーンは、リネに優しく笑い掛けたのだ。『首都』が消滅に向かおうとしている、この状況で。

「荒ぶる炎の使徒達よ。紅き詩篇の名の下に、我が理の従者となれ」

 無論、微笑み掛けられたリネは、酷く驚いたような表情を浮かべる。一体なぜ、この状況で笑っていられるのか。そう言いたげな表情だった。

 リネから視線を外し、ディーンは再び表情を引き締めると、アーベントを見据えた。

「よく見てろ、アーベント。これがあんたに見せる、最後の魔術だ!」

 ディーンは両手を胸の前に翳し、静かに『あの魔法名』を口にする。

「『紅の詩篇フレイム・リーディング』」






 ◆  ◆  ◆





 

「意気込みは認めるけど、あんたが進もうとしてる道は険しいものだよ?」

 それは、魔術の師匠となってくれたミレーナが、修行の最中に口にした言葉だった。

 突然過ぎて何のことだかわからなかったディーンに、ミレーナは呆れたような表情で諭す。

「いいかい? この世の中に定着してる魔術師っていう存在は、平気で人を殺せる人間だと思われてることが常なんだ。私のことを『英雄』と呼ぶ人間もいれば、ただの人殺しだと切り捨てる人間もいる。……まぁ私自身、そっちの方が正しいと思ってるけどね」

 ミレーナは少し悲しそうに笑い、自虐的なことを言う。

 ディーンは、そんな師匠の姿を見るのが辛かった。彼女は本当に、魔術師である自分自身を嫌っていた。出来ることなら、魔術自体を捨ててしまいたいとも思っていたようだ。

 しかし、それでも彼女は捨てなかった。自身の存在を否定する程嫌っていた魔術を、決して捨てようとはしなかったのだ。

 否定する程嫌いなら、なぜその力を捨ててしまわないのか?

 ある時、ディーンが興味本意でそう尋ねると、ミレーナは彼の頭を軽く小突いて、真剣な表情でこう言った。

「バカな質問をするんじゃないよ。私はね、魔術師で居続けなければならないという業を背負ってるんだ。私は魔術を使って人を殺した。たくさんの人の命をこの手で奪ったんだ。私がこの罪から逃れることは、多分永遠にできないだろう。そんな私が、自分の意志で魔術を捨てたら、魔術師であることを止めたら……。それはただ、自分が背負ったものを無責任に捨てるっていう、愚かな行為でしかないんだよ」

 真剣な表情で語っていたミレーナは、ディーンの頭を優しく撫でると、少し切なさの混じった笑みを浮かべて続けた。

「だからディーン。誰かを守れる存在になりたいと言うなら、あんたもその業を捨てちゃいけないよ。世の中に定着した、魔術師は人殺しという概念を塗り変えたいなら、死ぬまで魔術師であり続けることだ。あり続けて、誰かを守り続けろ。そうすればきっと、それがあんたの『存在意義』になる」

 そう言って最後は、ディーンの髪を乱暴に掻き乱して、快活そうに笑ってくれた。

 あの頃のディーンにとっては、彼女が浮かべるその笑顔こそが、守りたいと思うものの象徴だった。






 ◆  ◆  ◆






 自分自身の力が未熟なのは、誰に言われるまでもなくわかっている。

 ミレーナが容易く扱っていた『紅の詩篇フレイム・リーディング』という魔法が、いかに高度で難しいものかということも、充分知っている。

 精神論でどうにかなる問題ではないことも、嫌という程理解できている。

(だけど俺は、そんなに諦めが良くねぇんだ……!)

 例えバカだと、未熟者だと、愚かだと言われようと、立ち止まる訳にはいかない。


 誰かを護る魔術師であり続けること。それがミレーナとの約束だから!


 両手を胸の前に翳し、ディーンは力を集め続ける。それ以外、ディーンにできることはなかった。

 そんな少年を嘲笑うかのように、アーベントは高らかに叫ぶ。

「貴様如きが何をしようと無駄だ! 所詮貴様は未熟者! ミレーナ・イアルフスのようには――」

 と、そこまで言い掛けて、アーベントは突然言葉を止め、硬直したようにある一点に視線を向けた。するとその顔が、まるで信じられない物でも見ているかのように、徐々に強張っていく。

「な……、に……ッ!?」

 アーベントの様子が何を意味するのか、ディーンは咄嗟にはわからなかった。だが次の瞬間、ディーンは自らの背後に、強大な力の気配を感じ取った。

 肩越しに振り向くと、そこにはディーン自身も目を疑うような光景が、確かに存在していた。

 遥か後方で『術式魔法陣』の炎に呑まれていく、『テルノアリス』の街並み。

 しかし、だ。いつまで経っても、『首都』はその姿を消そうとはしない。それどころか、陣を形成していたはずの四つの炎の柱が、何かに引き寄せられるかのように、次々とディーンの遥か頭上目掛けて集まってくる。

 炎はやがて奔流となり、波涛となって、舞い踊るかのように一点に集束し、巨大な炎の塊を形成していく。

(まさか……!)

 自分自身で行なったことだというのに、鵜呑みにはできなかった。成功するはずがないと、心のどこかで思っていたからだ。

 炎の奔流が、波涛が、巨大な塊が意味するもの。

 その答えは――

「『紅の詩篇フレイム・リーディング』が、成功した……?」

 テルノアリス城の『修練場』で訓練していた時は、全くと言っていい程成功の兆しは見えなかった。

 にも拘らず、大量の炎は集束し、凝縮されていく。

 その光景はまるで、ディーンの想いの強さを形にしているかのようだ。

「バカな! 一番遠い炎の発生源は、三キロも離れているんだぞ!? その炎すら従属したと言うのか!?」

 自らの勝利を確信していたであろうアーベントは、忌々しそうに顔を表情を歪め、荒々しく叫んだ。

 確かに彼の言う通り、『テルノアリス』の外壁は、東西南北それぞれが二キロに亘って続いている。その外側に配置されている『術式魔法陣』の紅い光の柱は、この位置からだと、最も遠い場所は三キロ離れていることになる。

 いくら『紅の詩篇フレイム・リーディング』が強力な術だと言っても、それだけ離れた所にある炎を従属するのは無理があるはずだ。

 だが現に今、紅き髪の魔術師はそれを実行している。

 不可能なはずの従属を。

 発動できなかったはずの魔術を。

(炎が……!)

 頭上を見上げていたディーンは、集束の終わりを見逃さなかった。

 遥か頭上には、直径三百メートルはあろうかという炎の塊があり、肩越しに振り返ると、『テルノアリス』の街並みは全く被害を受けていなかった。

 見間違いではない。『術式魔法陣』は失敗に終わったのだ。

 他ならぬ、ディーン自身の力によって。

「ふ……ざ、けるな……ッ!」

 ふと前方に視線を戻すと、アーベントは酷く威圧的な表情を浮かべてディーンを睨んでいた。

 今や形勢は、完全にこちらに傾いている。相手の様子から感じ取れる焦りが、ディーンにそう確信させた。

 だからこそディーンは、強烈な笑みを作ってアーベントに告げる。

「さぁ、どうするアーベント。大人しく投降するか、未熟者が扱う『紅の詩篇フレイム・リーディング』の炎に焼かれて戦闘不能になるか。好きな方を選ばせてやるよ」

「くっ……、貴様ァ……ッ!」

「まぁでも、あんたは俺と違って、愚か者でも未熟者でもないはずだからな。どっちが正解かなんて、考えなくてもわかるだろ?」

「黙れ! 調子に乗るなよ、未熟者風情がぁっ!!」

 ディーンの挑発に激昂した様子で、アーベントは握っていたロングソードを手に、拘束されたリネの傍に足早に歩み寄った。

「!? 何をする気だ!」

 訝しく思い問い掛けるディーンに、アーベントは引き攣った表情で告げる。

「ククク。せっかくだから貴様にも見せてやろう。この大陸の悍ましい史実の一端を! 人間がどれだけ醜悪な存在なのかということをなぁ!」

(! あの野郎、まさか――!)

 最悪な展開を想像したディーンは、炎を使ってアーベントを制止しようとした。

 しかし、それは叶わなかった。

 アーベントが振るった凶刃が、無慈悲にもリネの右の二の腕辺りを深く斬り付けてしまった。

「あああぁぁッ!」

 斬り付けられたリネは苦痛にその表情を歪め、痛々しい叫び声を上げた。

 それを意に介した様子もなく、アーベントは剣に付いた血、そしてリネの腕から流れ出る血を、まるで水でも飲んでいるかのような軽々しさで、容易く啜り取ってしまう。

 傷口を舐め取られたリネは、痛みと嫌悪感からか、苦悶の表情をより一層深めている。

「クハハハハハハ! これこそが史実だ未熟者! この『化物』の血があれば、魔術の力はいくらでも増大させられる! 貴様が『紅の詩篇フレイム・リーディング』を扱えようと関係ない! 俺がこの手で消し去ってくれるわ!」

 そう言って、唇の端から生々しい紅い液体を垂らしつつ、アーベントは再び高らかに笑う。

 しかしディーンにはもう、そんな台詞を聞いている余裕はなかった。

 この男はあろうことか、抵抗できないリネを斬り付けたばかりか、あれ程口にするなと忠告したはずの言葉で、また彼女の存在を侮辱したのだ。

 もう何度目になるかわからないが、今一度断言しておく。

『その言葉』だけは、絶対に許す訳にはいかない。

「アァァベントォォォォッ!!」

 腹の底から怒号を上げ、遥か上空に静止していた炎の塊に向けて、ディーンは勢い良く右掌を突き出した。

 するとその瞬間。その動作に合わせるかのように、巨大な炎の塊は炎の帯となって、彼の右手目掛けて飛来してくる。

 まるで蛇のように蠢く炎は、ディーンの右掌に集束すると同時に、新たな炎として形を成していく。

「な……ッ!?」

 驚愕しているアーベントを尻目に、ディーンは右手に形成された新たな炎を、強く握り締めた。

 それは彼の身の丈の二倍はあろうかという、巨大な片刃の炎の剣。

 柄も、鍔も、刀身も、全てが紅い炎で形成された大剣。

紅の詩篇フレイム・リーディング』によって造り出されたこの大剣は、言わば『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』の強化版だ。

 火の粉を撒き散らしながら剣を振るい、その切っ先を前方へと差し向ける。

「『大紅蓮の炎帝剣(ブレイズ・アスカロン)』」

 威圧するように巨大な炎剣の名を告げ、ディーンはアーベントを鋭く睨み付けた。

「それ以上リネに近付いてみろ。容赦なく消し炭にするぞ」

 ギリッと、炎剣の柄を力強く握り締めながら、気付けばディーンはそんな言葉を口にしていた。

 するとアーベントは、まるでディーンを揶揄するかのように、不快な笑みを浮かべて言う。

「これはまた随分と物騒な物言いだな。俺を殺したくて仕方がないといった様子だが、いいのか? その手で俺を焼き殺した瞬間、貴様はあの女との約束とやらを破ることになるはずだろう?」

「そうだな。だから俺の自制心が働いてる内に離れた方が、あんたの身の為だぜ」

 炎剣を握る右手は、怒りを必死に抑えていることで微かに震えている。

 目の前の男に言われるまでもない。魔術で誰かを殺めれば、その瞬間ディーンは、ミレーナとの約束を破ったことになる。

 無論、そんなことになるのは御免だ。

 例え目の前に、殺意を抱いてしまう程の存在がいたとしても。

「ククク。全くどこまで甘ければ気が済む。だから貴様は未熟者だと言うんだ!」

 瞬間、叫ぶアーベントはディーンに向けて、勢い良く左腕を突き出した。

 アーベントの左腕の鎧には、魔術の力を発生させる特殊な記号が刻み込まれている。それによって、彼は魔術の素質がないにも拘らず、その力を操ることができる。

 彼が操る力は、ディーンと同じ炎。左腕から発生した大量の火球は、上下左右に分かれてディーンの許に降り注いでくる。

 しかしディーンは、回避するよりも攻撃する方を選んだ。

大紅蓮の炎帝剣(ブレイズ・アスカロン)』を両手で握り、そのまま上段に高々と掲げる。

「はああああぁぁっ!」

 激しい風切り音と共に、炎剣を勢い良く振り下ろす。

 その瞬間、『大紅蓮の炎帝剣(ブレイズ・アスカロン)』の刀身部分から生まれた炎の波涛が、アーベントの放った火球と衝突し、空中で次々と連鎖爆発を起こした。

 爆煙が辺りに吹き荒ぶ中、ディーンはアーベントの動きを見逃さなかった。

 彼はすでにリネの傍らから離れ、爆煙に紛れて奇襲を掛けようとしている。次の攻撃は、右から来るはずだ。

 瞬時に反応し、炎剣を横一文字に容赦なく振り抜く。

 だが――

「!?」

 炎剣の衝撃波が爆煙を吹き飛ばし、視界が開けた先にアーベントの姿はなかった。

 と同時に、ディーンは自分の背後に最悪な気配を感じ取った。

「隙だらけだ未熟者!」

 振り返ろうとしたディーンの背中に、狂気に塗れた言葉と巨大な火球が飛来した。

 まともにその一撃を喰らい、ディーンは前のめりに数メートルもの距離を吹き飛ばされてしまう。

「がっ!」

 地面を擦って身体が止まった所で、背中の痛覚が激しく刺激された。さすがに自分の目で確かめることはできないが、恐らく火傷を起こしているのだろう。

 いくら炎の攻撃に耐性があるとはいえ、それは決して絶対的な防御となり得るものではない。炎の威力が強ければ強い程、それに応じてダメージは増えていく訳だ。

「あの野郎……! リネの血を吸ったことで、魔術の威力が増してるって言うのか?」

 アーベントの言う史実のことは、昨夜『修練場』に籠る少し前、ジンと共に城の資料室を借りて調べてあった。

 だが実際の所、ディーンはその史実を半信半疑に捉えていた。血を飲むだけで魔術の力が増すなど、いくらなんでも都合が良過ぎる。疑って掛かった方が正しいように思っていた。

 だが今のアーベントの一撃は、『テルノアリス』の路地裏で戦った時よりも、何倍も強くなっている感覚があった。

 つまりこれは、史実が正しいものだと証明されると同時に、もう一つ許し難い事実を示していることになる。

 以前戦った時よりも、何倍も強力になっているアーベントの魔術。

『妖魔』の血を飲む度に、魔術の力が増していくというのなら。


 アーベントの力が増した分だけ、リネはあの男に傷付けられたということではないのか?


「ふざけ……、やがって……ッ!」

「考え事とは余裕だな!」

「!」

 怒りを糧に、再び立ち上がろうとしたその瞬間だった。

 ディーンの周囲に一瞬で五つの巨大な火球が出現し、それらが一斉に衝突してきたのだ。

「ぐああああぁぁっ!」

 全方位からの激しい攻撃に、ディーンは堪え切れず片膝をついてしまう。

 先程からアーベントは、惜し気もなく炎を乱発してきている。その行動が、ディーンにある確信を齎した。

(間違いない。やっぱりあいつは、『紅の詩篇フレイム・リーディング』の弱点を知ってるんだ!)

 炎を操る相手に対しては無敵。

 何らかの形で『紅の詩篇フレイム・リーディング』の能力を知った人間は、大抵そう口を揃えるが、何も弱点がないという訳ではない。

 強大な能力には、その強さに応じて制約や弱点が付くのが当たり前というものだ。況してそれが、人間が作り出した技術なら尚更である。

紅の詩篇フレイム・リーディング』の弱点。それは、『一度従属する炎を指定すると、その炎を解くかエネルギーを消費し切るまで、別の炎を従属することはできない』という点だ。

 今もディーンがアーベントの炎を従属できずにいるのは、『紅の詩篇フレイム・リーディング』で造り出した『大紅蓮の炎帝剣(ブレイズ・アスカロン)』を使用し続けているからだ。アーベントの炎を従属しようとするなら、『大紅蓮の炎帝剣(ブレイズ・アスカロン)』を消滅させる他に道はない。

 だがディーンの頭には、その選択肢は最初から存在しなかった。

紅の詩篇フレイム・リーディング』が成功したあの瞬間から、ディーンはこの力でアーベントを倒すと決めたからだ。

 バカと言われようと、愚かだと言われようと、この思いだけは譲れない。


 この力で『首都』を、そして、リネを『護る』と決めたのだから!


 ディーンは全身に力を込め、地面に付いていた膝をもう一度立ち上がらせた。

 疲労は確実に蓄積され、立っているのも億劫な程、身体的な消耗は激しくなっている。

 だがここで倒れる訳にはいかない。負ける訳にもいかない。

 師匠との誓いを、果たす為にも。

「未熟な理性で感情を押し殺し、未熟な力で炎を操る。それが愚行だとわからん貴様のような人間に、魔術師でいる資格などない」

 明確な敵意を孕んだ言葉が、真正面から響き渡ってきた。見るといつの間にか、十メートル程前方に、不敵に笑うアーベントが屹立している。

 どうやら彼は、次の一撃でディーンを仕留めると決めたようだ。口角を最大限に上げると同時に、獣の如き突進を開始する。

「終わりだ! 消えて失くなれ、未熟者がぁッ!!」

 アーベントは突貫しながら、左腕の鎧から発生させた炎を、ディーンと同じように掌に集束させ、炎のロングソードを造り出した。

 その炎の激しさは、また更に勢いを増している。間違いなく、先程口にしたリネの『妖魔』の血が、魔術の力を底上げしているのだ。

 だが、ディーンは全く動じなかった。アーベントを強く睨み付けたまま、巨大な炎剣を水平に構え、振り抜く体勢へと持っていく。

「何度も言ってんだろ。あんたに言われる筋合いはねぇってな」

 すでにアーベントとの距離は、五メートルにまで縮まっている。

 しかしディーンは自分から動かず、突貫してくるアーベントを引き付ける方を選んだ。

 勝負は一瞬。お互いの身体が交差する瞬間。

 上段に構えたロングソードと、中段に構えた炎剣を振るいながら、アーベントが迫る。

 そこまでようやく、ディーンは身体を前進させる。

 一秒にも満たない刹那。両者の身体は、音もなく交差していた。

「――ッ!」

 左肩の辺りに、鋭い痛みを感じるディーン。確認するまでもなく、彼の左肩は斬撃を受けて切り裂かれ、鮮血が流れて出しているのだろう。

 それを察した、瞬間だった。

「ぐわああああああぁぁぁぁっ!!」

 巨大な炎剣を水平に振り抜いたディーンの背後で、全身に激しい炎を纏ったかのように燃える、アーベントの姿があった。

 炎に包まれたままのアーベントは、力無く膝を折り、荒野にその身体を沈める。

 ディーンは『大紅蓮の炎帝剣(ブレイズ・アスカロン)』の威力を抑えなかった。手にしていた炎の威力をそのままに、アーベントの身体を斬り払ったのだ。

 地面に倒れ、未だに身体を燃やされ続けている男に向かって、ディーンは静かに言い放つ。

「あんたには一生わからねぇよ。俺が魔術師で居続ける意味も、魔術師で居続けるっていう業を背負った、ミレーナの覚悟もな」






 ◆  ◆  ◆






「大丈夫か? リネ」

 数分後、拘束されているリネの枷を外し、二の腕の傷の応急処置をしたディーンは、具合の悪そうな彼女に向けて言った。大丈夫ではないことは百も承知だが、こういう時他にどう言えばいいのか、ディーンにはわからなかった。

 するとリネは、額に汗を浮かべながらも、弱々しく微笑む。

「うん……、傷が少し痛むけど大丈夫。ディーンこそ……、身体中怪我してるんじゃないの?」

 リネはディーンの身体に視線を向け、心配そうな声を出した。

 全く、この少女は。自分の怪我を差し置いて相手の心配をするとは、お人好しにも程がある。

 その優しさに感謝する反面、少々呆れてしまうディーン。苦笑しつつ、持っていた布切れでリネの額の汗を拭う。

「お前に心配されるような怪我じゃねぇよ。少し休んだら、一緒に『首都』に戻るぞ」

 相変わらずな言い方しかできないディーンに、リネは不満を表すこともなく、また弱々しく微笑んで、黙ったまま頷いた。

 と、リネは急にディーンから視線を外し、何かを見つめながらゆっくりと呟く。

「……死んでるの?」

 リネが見つめているのは、荒野に倒れたまま動かないアーベントだった。

 ディーンはリネと同じように視線を向け、複雑な思いのまま口を開く。

「いや、気絶してるだけだ。あいつが着てる鎧は、多分『導力石』で造った特注品だろう。魔術に対する耐性を持ってるから、俺の攻撃にもある程度は耐えられたはずだ。……まぁもちろん、無傷って訳にはいかないだろうけどな」

 そう、全ては予測の上での行動だった。ディーンはアーベントが守りを固めていることを見越して、敢えて全力で『大紅蓮の炎帝剣(ブレイズ・アスカロン)』を撃ったのだ。

 無論、怒りに後押しされていたというのも多少はあるが、それでもあれくらいの威力でないと、アーベントを戦闘不能に追い込むのは難しかっただろう。

 ディーンは僅かに視線を落とし、妙な疲労感から浅く溜め息をつく。

 と、その時だった。

「クハハハハハハ! クッハッハッハッハッハッ!」

「!」

 何の前触れもなく響き渡った、盛大な笑い声。その主は信じられないことに、行動不能に陥っているはずのアーベントだった。

 正直、彼のしぶとさには舌を巻かずにはいられない。『大紅蓮の炎帝剣(ブレイズ・アスカロン)』の一撃を受けた後で、一体どこにあんな高笑いをする体力が残っていたのだろうか?

「何がそんなに可笑しいんだ」

 歩み寄り、静かに声を掛けると、アーベントは仰向けに倒れたまま、首だけを動かしてこちらを見た。

 やはり身体へのダメージが大きいのか、多少動きがぎこちないように見える。

「クク……。いや、何。結局俺はまた、イアルフスに邪魔をされたのかと思うと、腹立たしくて逆に笑えてくるのさ。あの女め……、全く忌々しいことこの上ない」

 口では恨み節のように語っているアーベントだが、その表情はどこか清々しいように感じられる。

「感慨深げになってるとこ悪ぃけど、そろそろ答えてもらうぜ。今回の一件、ミレーナがテロリストと通じてるっていうあの噂は、嘘なんだろ?」

 死闘を演じ、相手を切り伏せた勝者として、ディーンはアーベントに詰め寄った。

 すると、アーベントはようやく観念したのか、短く息を吐いてからディーンを見上げる。

「ああ、その通りだ。あの女を戦場へ誘き寄せる為に、俺が部下達に命じて広まらせた。……まぁ、結果的にその目論見の方は外れてしまった訳だが。なぁ? イアルフスの弟子」

 そう言ってアーベントは、実に嫌味の籠った笑みを浮かべてみせる。

 その言動に少々苛立ちを覚えたディーンだったが、それでもやっと安堵することができた。

 依然としてその行方は掴めないが、やはりミレーナはテロリストに与してなどいなかったのだ。あとは正規軍や『ギルド』の人間がより詳しく調査していけば、遠からずミレーナへの疑いは完全に晴れることだろう。

 だが同時に、腑に落ちないこともある。

 それはディーン自身、目の前の男に初めて会った時から抱いていた、純粋な疑問だった。

「前から思ってたんだけどさ。あんた、やけにミレーナに拘るよな。そんな噂まで流して誘き出そうとするなんて」

「……」

「さっきの『術式魔法陣』の『属性』にしたってそうだ。わざわざミレーナと同じ力で『首都』を狙うなんて、『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使えって言ってるようなもんじゃねぇか。もしも本当にミレーナが現れてたら、どうするつもりだったんだよ?」

 仮にアーベントの目論見通り、ミレーナが現れていたとしたら。恐らくもっと早い段階で、アーベントの計画は頓挫していたに違いない。

 魔術師としてディーンよりも優れている彼女なら、『術式魔法陣』の存在を見破ることも、その力を『紅の詩篇フレイム・リーディング』で阻害することも、より容易く行っていたはずなのだから。

 だというのに、アーベントはミレーナと同じ力を以て、『首都』襲撃を敢行した。それがどうしても、ディーンには解せなかった。

「どうもこうもない。無論戦っていたさ。あの女を倒す為にな」

 虚空を見つめるアーベントの瞳には、尚も強い敵意が覗いているように見える。

 ミレーナに対する苛烈なまでの執着心。その理由が、未だディーンには掴み切れない。

 と、その時だった。

「――貴様は、『倒王戦争』の頃の奴の話を聞いたことがあるか?」

 どこか気怠そうに浅く息を吐いたアーベントは、ディーンを見つめ、急にそんなことを問い掛けてきた。

 突然の質問に少々驚いたディーンは、躊躇いがちに口を開く。

「……詳しくは知らない。過去に関することは、本人があまり語りたがらなかったから、俺も深くは聞かないようにしてた」

「なるほど。それならば、貴様が俺の行動理念を疑問に思うのも無理はない」

「? どういう意味だ?」

「俺が奴に拘る理由さ。貴様が知らないだけで、俺と奴には因縁がある」

「因縁……?」

 眉根を寄せるディーンに対し、アーベントは静かに空を仰ぎながら語り始める。その姿からは、戦闘の際に発揮していた威圧感が、随分と薄れているように思える。

「貴様も知っている通り、俺は元貴族だ。戦争当時は城に住んでいる身だった。その頃あの女は、後にクーデターを起こす王族の連中に会う為、よく城を訪れていたんだよ。だから俺は、興味本位で一度だけ、奴に決闘を申し込んだことがある」

「! あんたが、ミレーナに?」

「ああ。その頃からあの女は、腕利きの魔術師として知られていたからな」

 師匠の意外な過去を知り、ディーンは目を丸くする。

 ディーン自身、ミレーナから戦争当時の話を全く聞かなかった訳ではない。知りたいと思ったことがあれば尋ねていたし、魔術師として知っておかなければならない知識は、ミレーナから与えられていた。

 だがそれでも、ミレーナの口はどちらかと言えば重い方だった。彼女の過去に関する質問を、はぐらかされたことだって少なくない。

 故に、ミレーナとアーベントにそんな経緯があったことなど知る由もなかった。十数年一緒に暮らしていたとはいえ、まだまだ自分には、彼女の知らない一面が多くあるらしい。

「……結果はどうだったんだ?」

 ディーンが躊躇いがちに尋ねると、アーベントはフンと鼻を鳴らして顔を逸らした。

「完敗だったよ。奴に傷一つ付けることはできなかったし、手加減されていたということもわかった。その経緯があったからこそ俺は力を磨き上げ、そして戦争中、戦場で何度も奴と戦った。借りを返す為に戦い続けた。だが――」

 アーベントはそこで、憤慨するかのように顔を顰めて言葉を切った。

 彼の言わんとしたことが何なのか、ディーンには大体の察しがついた。

 そう。ミレーナとの決着を付ける前に、『倒王戦争』そのものが終決してしまったのだ。

 前テルノアリス王軍の、敗北という形で。

 つまり彼は、ミレーナとの決着がつけられなかったことに不満を持っていたということだ。

『首都』を崩壊させ、現在の王族達から政権を奪い取る。それがアーベントの表の望みとするなら、裏の望みはミレーナとの決着をつけることだったのだろう。

 アーベントはきっと過去の栄光に、ミレーナという存在に、執着し、固執していたに違いない。

 だから彼は、『首都』襲撃という行動を起こした。

 その満たされない思いを消し去る為に、何人もの人間を犠牲にして……。

「しかしまぁ、貴様のような未熟者に敗北することになるとはな。所詮俺も、この程度の存在だったということか」

 自分を嘲笑するかのような言葉を吐いて、アーベントは徐に、左腕の鎧の隙間から何かを取り出した。

「? 何を――」

 する気なんだと問おうとして、ディーンはアーベントが右手に握っている物の正体に気付いた。

 彼の右手に握られているのは、一枚の白い長方形型の札。その中心には、『魔術』の記号が刻まれている。

 円を中心に波を打ったような線が四方に伸びる、独特な模様の記号。

 それが意味するものは、『爆発』。

「そんな物出してどうする気だ。まだ歯向かうつもりなのかよ……!」

 歩み寄り、札を取り上げようとしたディーンを嘲笑うかのように、倒れ込んでいたアーベントは左腕から炎を発し、ディーンを無理矢理後退させる。

 まだそんな余力を残していたのか、と顔を顰めるディーンを他所に、アーベントは陽炎のようにゆらりと立ち上がる。

「ああ、歯向かうとも。最後の最後までな」

 言って、アーベントは札を掴んでいる右手を、ぎこちない動作で前方へと翳す。

 その身体が深刻なダメージを受けているのは間違いない。だが、何を仕掛けてくるつもりかわからない以上、油断する訳にはいかない。

 警戒心を強め、ディーンが右手に炎を生み出そうとした、その時だった。


 アーベントが何の躊躇いもなく、右手に持った札を握り潰したのだ。


「なっ!?」

 信じられない光景に、ディーンは思わず息を呑む。

『印術』によって魔術の力が備わっている札を、あんな乱暴に握り潰してしまえばどうなるか。

 決まっている。本来正常に発動するはずだった魔術の力が暴走し、逆流し、術者の身体に襲い掛かってしまう。

「何考えてんだ! そんなことしたら――」

「おっと! 迂闊に近付かない方が懸命だぞ。巻き添えを喰らいたくなければな」

 再び炎でディーンを牽制すると、アーベントは一歩、また一歩と後退し、徐々に距離を取り始める。

「てめぇ……、一体何の真似だ!」

「見ての通り、後始末をしようとしているだけだ。……何か不都合でも?」

「後始末、だと?」

 言葉に含まれる意図を察して、ディーンは眉間に皺を寄せた。

 それはつまり、命を絶とうとしているということか。

 自らの手で。

 自らの意思で。

「フン、何だその顔は。……言ったはずだぞ。俺は『壊す』ことしかできない人間だと。このまま軍に捕えられ、牢獄で何もできずに生涯を閉じるぐらいなら、自らの手で己の存在を『破壊』するまでだ」

 勘違いなどではない。破壊を齎す為の魔術の力が、アーベントの周囲に集束し始めている。

 最早一刻の猶予もない。しかし、だからといって止める手段もない。

 それが、ディーンには許せなかった。

「ふざけんな! そんなのただの自己満足だろ! それは罪を償おうとしてるんじゃねぇ! 背負ったものを捨てようとしてるだけだ!」

「クハハハ、勘違いも甚だしいな。俺が罪の意識を感じているとでも思っているのか?」

 憤慨するディーンの声を聞いても、アーベントは意に介さない。まるで聞き流すかのように不敵な笑みを浮かべ、告げる。

「生憎だったな。俺が死を選ぶのはあくまでも、『破壊』こそが俺の『存在意義』だからだ!」

 アーベントが高らかに叫んだ、その瞬間だった。

 集束し、膨れ上がった破壊の力が可視化され、紅い光となってアーベントの身体を包み込んだ。

「よく見ておけ、イアルフスの弟子! これが『アーベント・ディベルグ』という男だ! クッハッハッハッハッハッハッ!」

「――ッ!!」

 もう遅いとわかっていて、それでもディーンは手を伸ばそうとした。

 だが当然、その手が届くことはない。

 臨界点を超えた魔術の力は、爆発となって弾け飛び、男の身体を肉片へと変貌させる。

 そこにはもう、アーベントの姿はなかった。


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