第六章 開幕は爆発と共に
松明に灯った炎が、陽炎のように揺らめいている。ディーンは意識を集中させる為、両目をゆっくりと閉じた。
「紅き炎は我が剣。猛き炎は我が誇り」
ここは『テルノアリス城』の敷地内の一角にある、『修練場』と呼ばれる場所だ。
天井の高さと空間の幅が、それぞれ十メートル程の広さで造られている室内には、特に目立った物が置かれていない。異様な程殺風景に見えてしまう空間ではあるが、今その中心には、ディーンの身長とほぼ同じ高さの、松明がくべられた鉄製の丸い籠状の燭台がある。
その燭台から、二メートル程の距離を取って佇むディーンが、今まさに行なっていること。
それは、『紅の詩篇』を使いこなす為の修練だ。
彼が長年に渡って会得出来ずにいるこの能力の真髄は、ありとあらゆる炎を従属することにある。
一度能力が発動すれば、術者が発現した炎とは別の炎、例えば自然現象の炎や、魔術によって引き起こされた炎を、自由自在に操ることができる。つまり、目の前の松明の炎を思い通りに動かすことができれば、それが『紅の詩篇』を会得したという確実な証拠になる訳だ。
「剣は誇りに直結し、誇りは剣に帰結する」
全ての魔術に通じる、能力を発動する上で基本となるものは、『自分が起こしたい現象を頭の中で想像し、目の前の現象として投影すること』だ。
個々の魔術師によってその現象は様々だろうが、ディーンの場合はまず、炎が生まれている所を想像する。そしてそこから派生する形で、炎が剣になったり、火球になって飛んでいく様子を思い描き、現実に投影することで、魔術の基本形態が生まれていく。
「荒ぶる炎の使徒達よ。紅き詩篇の名の下に、我が理の従者となれ」
だが想像出来たからと言って、必ずしもそれが成功に繋がるとは限らない。
強大な能力になればなる程、想像と投影にはかなりの集中力が必要となり、容易に発現する事が出来なくなってしまう。故に何度も同じ工程を繰り返すことが、魔術を発動する為に必要な事柄となってくる。
集中力を高め、言霊を詠唱すると共に、事象の想像を完成させたディーンは、目を開くと同時に言い放つ。
「『紅の詩篇』」
それは、ディーンが魔法名を口にした瞬間だった。目の前にある松明の炎が波打つかのように小さくうねり、彼の許へ伸びるように近付いてくる。
しかし――
「くっ!」
ディーンの右手に届く寸前で、炎の帯は拡散するように辺りに飛び散り、やがて消え去った。
軽く息を吐いて視線を戻すと、松明の炎はまるで何事もなかったかのように、静かに、だが盛んに燃え続けている。
「くそ……、また失敗か」
ディーンは悔しさの余り、思わず憤慨の言葉を呟いた。
集中力の維持が難しいのは確かだが、それ以前に、『紅の詩篇』はこんな脆弱な力ではない。この松明くらいの大きさの炎なら、一瞬で全てを奪い取るぐらいの従属能力を持っているはずである。
以前よりだいぶ手馴れてきたとはいえ、実戦で使うにはまだまだ心許ない。
(ミレーナ。やっぱ凄ぇよ、あんたは)
改めて思う。こんなとんでもない能力を行使していた己が師匠は、魔術師としても偉大な人間なんだと。
しかし、だからと言って諦めたりはしない。
迷うことも、立ち止まることも、もうしない。
自分自身の大切な気持ちを思い出した今なら、絶対に。
「よし! もう一回だ!」
深呼吸して気持ちを切り替え、ディーンは再び松明の炎と向かい合う。
と、その時だった。
「まだここにいたのか」
冷静さを纏った聞き慣れた声が、静まり返った室内に響き渡る。
声のした方を振り向くと、『修練場』の入口付近にジンが立っていた。彼は驚きと呆れが半分ずつ混ざったような器用な表情を浮かべて、こちらを見つめている。
ディーンは一旦作業を中断し、苦笑しながら言葉を返した。
「今の状況を考えたら、のんびり休んでることなんてできなくてさ。それにあんな豪華な部屋、俺の性に合わねぇよ。ずっと閉じ籠ってたら、逆に肩が凝りそうだ」
あの豪華な装飾が至る所に施された部屋を思い出しながら、ディーンは思いっ切り顔を顰めて、二度とゴメンだとばかりに手をヒラヒラと振った。
するとジンは、やれやれと言いたげな表情で、ディーンと同じように苦笑する。
「随分な言い草だな。まぁ、その方がお前らしい」
切迫した状況下であるはずの現状において、二人の間では普段通りの会話が成立していた。それだけ二人には、ある種の余裕のようなものが生まれているらしい。
そんなことを感じさせるゆっくりとした歩調で、ジンは傍まで歩いてくると、軽く腕組みをして立ち止まった。
「ついさっき討伐隊の編成が完了した。これからアーベント・ディベルグの大規模な捜索が始まる。作戦開始の前に、お前には伝えておこうと思ってな」
「ああ、そっか。……って言うか、今何時?」
「午前八時を回った頃だ。修練に夢中になるのはいいが、時間の確認ぐらいちゃんとしておけ」
「……面目ない」
ジンに注意されると、なぜか平謝りしてしまうディーン。もうすでに、上下関係が出来上がっている感じである。
と、内心で肩を落とすディーンを尻目に、ジンは真剣な様子で続ける。
「それと、昨日お前が教えてくれた件だが……」
「! ああ、エリーゼからの伝言のことか」
自然と俯き掛けていたディーンは、ジンのその言葉で頭を切り替えた。
昨晩ディーンは、『修練場』の使用許可をもらう前に、ジンにエリーゼからの伝言を伝えておいたのだ。
彼が全てを伝え終わると、ジンは一人納得した感じで頷いて、「後は任せておいてくれ」と言った切り、それ以上何も教えてくれようとはしなかった。
「で、結局昨日のはどういうことだったんだ?」
伝言だけで互いの意図を察するという、ジンとエリーゼの繋がりの深さ、みたいなものを見せつけられたディーンとしては、一人蚊帳の外に置かれている感が否めない。昨夜から続けている修練に、支障が出なかったのが不思議なくらいである。
俺が根暗な人間だったら、間違いなく根に持ってる所だぜ。……などと思うディーンの胸中を知ってか知らずか、ジンはようやく説明を始める。
「エリーゼが伝えたかった真意は恐らく、テロリストの仲間がこの街に入り込んでいる、ということだ。しかもただ入り込んでいるんじゃない。潜伏していると言いたかったんだろう」
「潜伏? テロリストがこの街に? いやでも、この街は東西南北全ての門に検問所があるじゃねぇか。テロリストがこの街に入り込むなんて真似、そう簡単にできる訳が――」
と、そこまで言い掛けたディーンは、ふとあることを思い出した。今と似たような状況に心当たりがある、と。
この街に来る前、『ディケット』において解決した列車テロ事件。衝突そのものは未遂で終わったあの事件の際、狙われた列車に乗車していた運転手と整備士が、事件を起こしたテロリスト達の仲間だったことがあった。
今回の件も、それと同じだとすれば……
「検問所に在中してる兵士がテロリストの仲間なら、不可能って訳じゃない。そういうことか?」
確信しつつ発言するディーンに、ジンは無言のまま軽く頷いてみせる。
この街の東西南北に二カ所ずつある検問所には、一カ所につき常時二人の正規軍兵士が、見張り役として待機している。それ故に、『首都』の警備は強固なまでに万全だと言える面がある。
だがもし仮に、その二人の兵士がテロリストの一味だったとしたら。他の仲間がこの街に入る際に、色々と手を加えることができるだろう。それこそ戦闘を行なう為に必要な、武器などの物資を運び入れることも。
一体いつからそんな不正が行われていたのかと疑問に思う所だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「だったら早く、その検問所にいる兵士全員を取り調べて――」
「もうすでに行なったさ。だが残念ながら、こちらの方が一手遅かったらしい」
こちらの言葉を遮るようにして、ジンはその顔に悔しさを滲ませる。
何となく、彼の言おうとしていることが想像できてしまうが、ディーンは問わずにはいられなかった。
「どういうことだ?」
「お前の言う通り、検問所の兵士全員を取り調べようとした矢先のことだ。街の北側、第二検問所の兵士二名の行方がわからなくなった。恐らくその二人がテロリスト、そしてアーベントの仲間ということだろう」
「発覚したのはいつだ?」
「昨日の夜、お前からエリーゼの伝言を聞いたすぐ後だ。恐らく奴らの方も、この辺りが潮時だと考えたんだろう。何とも手回しの良いことだ」
ジンは悔しさと同時に、呆れの混ざった表情で軽く溜め息をついた。
だがそんな表情もすぐに消え、真剣な表情になる。
「しかし逆に考えれば、奴らが引いたということは、近い内に何かが起こるということだ。それが今日なのか、或いは明日なのか。詳しいことはわからないにしろ、正規軍も『ギルド』も、すでに戦いの準備を始めている。……お前の方はどうなんだ?」
ジンに尋ねられ、ディーンは僅かに躊躇いを覚えた。
光明すら見えないという訳ではないが、かと言って順調という訳でもない。どれだけ甘く見積もっても、『紅の詩篇』を完全に会得する為には、まだまだ時間が掛かりそうだ。
だがディーンには、もう以前のような迷いはない。
諦めの悪さだけは折り紙つきだと、自負している。
「どれだけ時間が掛かってもやり遂げてみせるさ。何たって俺は、『英雄』ミレーナ・イアルフスの弟子なんだからな」
「……、そうか」
根拠など全くない、己を過信しているとも取れるディーンの発言に、しかしジンは優しく微笑してみせる。そしてディーンに背を向けると、静かにその場から立ち去っていった。
物言わぬジンの背中を見送った後、ディーンは視線を松明に戻し、再び集中を開始する。
静けさが戻った『修練場』に、松明の火が爆ぜる音が響いた。
◆ ◆ ◆
どれぐらい時間が経った頃だろうか。
室内に籠り切りだったディーンは、休憩を兼ねて城の外に出ようと考え、城の敷地内を歩いていた。
高さ十メートルはあろうかという、『テルノアリス城』の巨大な門を潜り、相変わらず多くの人で溢れ返る大通りに出ると、ディーンは大きく伸びをしつつ、雲一つない青空を見上げた。
太陽が高々と昇っていることから、恐らく昼時が近いと思われる。そのせいか、大通りに軒を連ねる飲食店の多くは、どこもかしこも満席になっているようだ。
「あ~、腹減ったなぁ……」
正直な腹の虫が、グウゥというわかりやすい空腹のサインを出す。
昨日の夜から『修練場』に籠っていたディーンは、体力を回復させる為に眠ることはあっても、食事を取るということをしなかった。今朝にしても、ジンが去った後も修練を続けていた為、結局朝食すら口にしていない。
急に身体が空腹感を思い出したのは、休憩を取ったことで集中力が途切れたからだろう。これでは腹の虫が鳴くのも仕方のないことだ。
まずは腹ごしらえだと考え、ディーンは混み合っている飲食店を避けて、大通りにある色々な出店で買い食いをすることにした。
新鮮な野菜と肉汁がたっぷりのソーセージを使ったホットドッグや、酸味と甘みが絶妙に合わさった果物のジュース。他にも出店で色々と食べ物を買い、行儀が悪いとわかっていて、街の中を食べながら歩き回った。
そんなことを飽きるまで繰り返し、だいぶ腹も膨れてきた頃。ジュースの容器を片手に歩いていたディーンは、今朝ジンに注意されたことをふと思い出した。
「そういや時間の確認してねぇや。こんなことしてたらまたジンにどやされちまうよ。え~っと……」
苦言を呈するジンの表情を思い浮かべつつ、ディーンは時間を確かめる為、辺りに小さい時計塔などがないか見回していた。
するとその時。ゴォーンという大きな音が、規則的な旋律を奏でながらディーンの耳に響いてきた。『首都』では名物として知られている、腹に響くような独特の深い音色を持った鐘の音だ。
ディーンは背後を振り返り、音のする方を見上げる。
視線の先、『テルノアリス城』の中央に建つ時計塔。白く聳え立つその塔の上部には、太陽光を反射して煌めく、金色の巨大な鐘が吊るされていて、それが正午を迎えたことを告げている。
「もうこんな時間か。ジンの奴は昼飯食ったのかな?」
今朝『修練場』で別れた切り、ジンの顔を見ていない。今頃彼は、どこで何をしているのだろう?
と、そんなことを考えつつ、ディーンは僅かに視線を落とした。
まさに、その瞬間だった。
天地が裂けたのかと思うような、巨大な爆発音が突然辺りに響き渡った。
「なっ!?」
正午を告げる鐘の音を掻き消す程の爆発音。そして衝撃の余波なのか、地面が揺れ、微かに何かが崩れるような地響きも伝わってくる。
あまりにも突然のことで、ディーンは手にしていたジュースの容器を地面に落としてしまう。だが驚き戸惑っているのは、彼だけではなかった。
大通りを行き交っていた人々は、地面に身を伏せたり、何事かと騒ぎ始めたりと、様々な反応を見せながら忙しなく辺りの様子を窺っている。
(何だ? 一体何が起きてる?)
不安に駆られ、ディーンは状況を確かめようと走り出そうとした。
するとその時、丁度近くに、大通りで見回りをしていた数人の正規軍兵士が居合わせた。そこに別の方向から、一人の兵士が酷く焦ったような表情で、転がるように駆け込んできた。
「一体この騒ぎは何ですか?」
見回りをしていた兵士の一人が、駆け込んできた兵士に声を掛ける。するとその兵士は、落ち着く暇もなく、息も絶え絶えにこう返答した。
「たっ、大変だ! 都市内部にある全ての駅が、停車していた列車ごと爆破された!」
「何ですって!?」
緊迫した様子で話し合う兵士達の会話は、ディーンにも衝撃を齎した。
(駅が爆破された、だって……!?)
ディーン自身、何度か『首都』を訪れて知ったことだが、この街には東西南北のとある一角に、列車を停車させる為の駅がある。
そもそも『首都・テルノアリス』は、商業区、劇場区、住宅区、工業区といった、四つの区に分かれた構造で、それぞれその場所に則した建造物が建てられている。そしてその四カ所に造られた停車駅には列車が発着していて、『首都』から大陸のあらゆる地域へ鉄道が伸びている。
その駅がたった今、謎の爆発によって列車共々破壊されてしまったようだ。
進行している事態の把握を図る為、ディーンは詳しく話を聞こうと、未だ焦燥に駆られている様子の兵士達の許に歩み寄ろうとした。
だが、その時――
「きゃああああああ!!」
「!」
大通りの一角から聞こえてきた、女性のものと思しき悲鳴。
声のした方を振り返った瞬間、ディーンは思わず息を呑んだ。そこには信じられない光景が広がっていた。
黒いマントに身を包み、目の周囲だけを隠す白い仮面を付けた怪しげな人物達が、謎の騒動に戦慄く人々を容赦なく襲っている。
目が届く範囲だけでも、仮面の人物の数は十を下回っていない。その人物全てが、手に殺人の凶器となり得る武器を握っている。
目視した時には、すでに辺りは血の海となり、刺されたか斬られたかわからないが、通りには何人もの人間が倒れ伏していた。
「何してんだてめぇらーーーーーッ!!」
熱波の如く、叫ぶと同時に走り出したディーンは、今また民衆を襲おうとしていた仮面の男に飛び蹴りを喰らわせた。
思い切り身体を仰け反らせて、仮面の男はあらぬ方向へと倒れ込む。
(こいつら、まさか……!)
右手に『紅蓮の爆炎剣』を出現させ、襲撃者達と相対した瞬間、嫌な予感がした。目の前の人物達の格好に、見覚えがある。
それは昨日、裏通りの廃材置き場でアーベントと戦っていた時、見物人として周囲に立っていた複数の人間。
目の前の景色が、記憶の中の景色と重なって見える。
間違いないと、ディーンは思った。
「ついに始まったってことか、アーベントの野郎!」
生み出した炎剣を強く握り締め、ディーンは即座に走り出す。と同時に、一番近くにいた仮面の男に勢い良く斬り掛かった。
すると仮面の男は、ディーンが上段から放った斬撃を、持っていたロングソードで受け止める体勢を取った。
瞬間、ディーンはまたもや同じ光景を目の当たりにした。
廃材置き場でアーベントと対峙した時と同じように、炎剣から炎と爆発が生まれない。魔術の効力が正しく発動しない。
だが一度経験していた分、大した驚きもなく、瞬時に悟ることができた。
彼らが握っているのは、アーベントが持っていた物と同じ、『導力石』を用いて造られた武器だということだ。
ならばこのままの体勢でいても埒が明かない。彼ら確実に倒す為には、別の手段を取る必要がある。
すぐさま判断をつけたディーンは、仮面の男の剣を押し返し、距離を取ると同時に炎剣を消滅させた。そして自分の周囲に新たな炎を出現させ、頭上の一点に集束させる。
「『深紅の流星』!」
叫んだ言葉と共に、形成された炎の塊が弾け飛び、無数の火球となって辺りに散らばっている敵目掛けて降り注いだ。
「ぐああああぁぁっ!!」
「ぎゃああああぁぁっ!!」
火球を喰らった敵兵達は、皆口々に苦痛の叫びを上げて地面に倒れ込んだ。
一瞬の静けさの後、大通りに残っていた人々が一斉に逃げ回り始めた。この辺りの敵は無力化できたようだが、遠くの方からは未だに悲鳴や怒号、そして小規模な争いによる戦闘音らしきものが聞こえてくる。
恐らくここ以外の場所でも、アーベントの配下が暴れ回っているに違いない。
「くそっ! どこもかしこも敵だらけって訳か!」
吐き捨てるように叫び、走り出そうとした時だった。
後方から聞こえてきた複数の足音が、ディーンの足を踏み止まらせる。背後を振り返ったディーンは、その光景を見て少々安堵した。
足音の主は、先程目撃した見回りの兵士達とは別の、正規軍の兵士達だった。十人程の集団となって走り寄ってきた彼らは、地面に伏して動かなくなった仮面の敵兵達を次々と拘束していく。と同時に、負傷者の傷の手当ても行い始めた。
やはり軍人というだけあって、どの兵士も実に手際が良い。
(ここはあの人達に任せておけば大丈夫そうだな)
突然戦闘が始まったことで、混乱しているのではないかと危惧していたディーンだったが、どうやら杞憂だったらしい。今朝ジンが言っていた通り、彼らの準備は整っていたようだ。
ならば自分も、次の行動を起こすべきである。
(必ず捜し出して止めてやるからな……! 覚悟しとけ!)
悪趣味なあの男のことだ。必ずどこかで、この状況を笑って見ているに違いない。
脳裏に浮かぶ不敵な笑みのアーベントに対して、胸の内で宣戦布告を果たす。
意気込みと共に気を引き締め直し、ディーンは力強く走り出した。
◆ ◆ ◆
目が覚めて最初に視界に映ったのは、爆発による黒煙を巻き上げる『首都』の姿だった。
一体自分は、いつ意識を失って、どうやってこんな所に運ばれたのだろう?
疑問を抱えたまま、リネは相変わらず拘束されたままの身体を必死に動かして、どうにか脱出しようと試みる。
だがその努力は、全くの無駄だった。
リネの身体は、金属製の十字架に磔にされている。両手両足を拘束している太い鋼鉄の鎖は、彼女の頼りない腕力でどうにかできるような代物ではない。どんなに激しく揺さぶっても、目一杯力を込めて引っ張っても、外れる処か緩む気配すらない。
何をしても無意味だと認めるまでに、一体どれくらい掛かっただろう。抵抗の意思を削がれたリネは、もう一度目の前の光景を見つめた。
遥か彼方に見える白い外壁の中で、激しい戦乱が巻き起こっている。そして恐らく、リネのよく知っている人物が、あの戦乱の渦に巻き込まれているはずだ。
だというのに、自分には何一つできることがない。ただ意味もなく、破壊行為の行く末を眺めていることしかできない。
「――目が覚めたか、化物」
無力感に苛まれているリネを嘲笑うかのような声が、視界の端から聞こえてくる。
声の主が誰なのかは、改めて確認するまでもない。彼女を『化物』と呼ぶ人間は、一人しかいないのだから。
「あなたって、最低の人間ね」
問われたことには答えず、リネは思い切り顔を顰めて、侮辱の言葉を返してみた。
しかし、遠く『首都』の街並みを見つめるアーベントは愉快そうに笑うだけで、気にしている様子は全くない。
「クク、相変わらず強情な小娘だ。貴様も少しはこの景色を堪能したらどうだ? 狂おしい程の激しい戦乱に呑まれ、悲鳴と怒号を撒き散らしながら、燃え盛る炎に包まれていく街。実に美しいじゃないか」
「……こんな大変な状況を前にして何言ってるの? あなたが起こした戦いのせいで、たくさんの人が犠牲になるかも知れないのに――」
「だからどうした?」
「!」
リネの言葉を遮って振り返るアーベントの表情は、途轍もなく平淡な物だった。どこまでも無感情で、無慈悲で、彼が操っていた炎の熱さとは全く正反対の、氷のような冷たさを感じる。
一瞬で気圧され、口を噤んでしまうリネを蔑むかのように、アーベントは冷徹な微笑を浮かべる。
「その辺にいる人間の命など、俺には全く興味がない。誰が死のうが生きようが知ったことか。――まぁただ一人、例外と言っていい人間はいるがな」
「! それって、ディーンのこと?」
もしかしたらという思いが働いて、気付けばリネは、ほとんど反射的にその名前を口にしていた。
しかしアーベントは、リネの予想に反してあからさまに顔を顰め、忌々しそうな口調で吐き捨てる。
「奴が例外? フン、笑わせるな。誰があんな未熟者などに入れ込むものか。奴は所詮、この街と共に消え去る運命だ。自らが操る力と同じ力によってな」
「? どういう意味……?」
疑問を投げ掛けるリネに対して、アーベントは嘲笑うかのように冷笑すると、黒煙を上げ続ける『首都』の景色に再び視線を向けた。
「直にわかる。その時が来るまで精々大人しくしているんだな、化物」
◆ ◆ ◆
あらゆる方向から聞こえてくる戦闘音を聞き流しながら、大規模な襲撃と破壊で荒れ果てた『首都』の大通りを、ディーンは縦横無尽に駆け抜けていた。
街中を探索し始めてから、すでに一時間は経っただろうか。だが未だにアーベントの姿どころか、行方を捜す手掛かりすら見つけられていない。
疾走を続けながら、前方の十字路を右に曲がろうとした、その時。何らかの騒ぎで破壊され、残骸と化した出店の陰から、突然仮面の男が現れた。
手にしているロングソードを無慈悲に振るいながら、猛然とこちらへ迫ってくる。
「くっ!」
ディーンは無理矢理身体を捻って右に跳ぶことで、その凶刃を紙一重で回避する。
二、三度地面を転がったディーンは、その勢いを利用してすぐさま立ち上がった。するといつの間にか、剣を携えた仮面の男が間近に迫っていた。
「てめぇの相手してる暇はねぇんだよ!」
吐き捨てるつもりで叫びつつ、右手に集束させた炎を『紅蓮の爆炎剣』に変化させる。
直後、仮面の男が上段に構えたロングソードを、勢い良く振り下ろしてきた。
先制攻撃を仕掛けている分、動作完了は相手の方が僅かに早い。だが焦りは禁物だ。
ディーンは相手の剣線を瞬時に見切り、下段から炎剣を振り上げることで、それを易々と弾き返す。
接触の瞬間、炎剣の刀身から飛んだ火の粉が右頬を掠める。
だが、それに気を取られてはいられない。
斬撃を弾き返したことで、がら空きになった相手の胴目掛けて、ディーンは炎剣を横一文字に叩き込んだ。
「がああああぁぁっ!!」
紅い刀身が交錯した瞬間、鮮血が飛ぶ代わりに、仮面の男の身体から炎が勢い良く噴き出し、踊るように燃え盛った。
皮膚を焼かれる熱さと痛みから、仮面の男は狂ったように悶え続けていたが、炎が消えると同時に、そのまま地面へと倒れ込んだ。
無論、力を加減している為死んではいない。焼き払うのは簡単だが、それでは意味がないのだ。
「ったく、次から次へと……」
倒れて動かなくなった男を見つめ、ディーンは息を整えながら呟く。
ここに来るまでに倒した仮面の敵兵士は、目の前に倒れている男を含めて二十一人。他の場所でも大規模な戦闘が続いてることを考えると、敵側にはかなりの人数が揃っていると見て間違いない。
尤も、本気で『首都』に戦争を仕掛けるなら、少なく見積もっても何百という単位の人間が必要なはずだ。
そう考えると、これはまだまだ序盤戦。これから先、かなりの大人数を相手にしなければならなくなるだろう。音を上げている暇などない。
(くそっ……。アーベントの野郎、一体どこにいるんだ?)
こうして戦闘が起きている以上、恐らく指揮を取っているはずのあの男も、必ずどこかにいるはずだ。
だが問題点が一つ。
舞台となっているこの街は、大陸の中心たる『首都』であるが故に、広さが他の街とは比べ物にならない。そんな場所で人間一人を見つけ出すのは、決して容易なことではないだろう。況してディーンのように、『首都』の地理にあまり詳しくない者が捜そうとしているのだから尚更だ。
或いはそうやって無駄足を続けさせ、こちらの体力を奪うのも、アーベントの狙いの一つなのかも知れない。
いずれにしろ、何か打開策を考えるべきだ。
(……ってのはわかってんだけど。良い案が浮かばねぇんだよなぁ)
そもそもそんな妙案が思い付けるくらいなら、とっくにミレーナの行方を掴めているはずである。
あれこれ自虐的なことを思いつつ、完全に足を止めてしまった、その時だった。
「あなたがディーン・イアルフスですね?」
妙に落ち着き払った声が周囲に木霊したかと思うと、突然ディーンの身体が空中高くに浮かび上がった。
いや正確には、地響きと共に地面を突き破って現れた何かが、ディーンの身体を足下から持ち上げているのだ。
「なっ!?」
数メートル持ち上げられた所で、辺りに飛び散る瓦礫と共に、ディーンは地面へと落下する。
何とか受け身を取って着地したディーンは、砂埃が舞い続ける視界の中にある物を見つけた。
それは、五メートルはあろうかという巨大な影。
真上から覆い被さるかのように屹立する、その影の正体。『それ』を目にする機会は、今までに幾度となくあった。
「『ゴーレム』!」
砂埃が完全に晴れ、その全貌を現したのは、人型を模した胡桃色の巨体。全身が石膏像のように滑らかに整形されているせいか、少し艶のある質感をしている。手足から胴体に至るまで、岩石の塊のように巨大だが、顔と呼べる部分だけが他の部位に比べて僅かに小さい。その顔の中心には薄藍色の丸い窪みがあり、それがまるで双眸だと言わんばかりに、淡く明滅を繰り返している。
つい先日、『テルノアリス』に来る途中で遭遇した『ゴーレム』とは、明らかに構造が違う。以前遭遇した『ゴーレム』が鉄製だったのに対して、目の前の『ゴーレム』は岩石でできている。
ディーン自身、『ゴーレム』製造に関する知識はあまり持ち合わせていないが、この辺りの違いは恐らく、製作者である魔術師の、魔術の属性や錬成方法によって変わってくるのだろう。
持ち得る限りの知識を総動員して敵を分析しつつ、ディーンは先程の声の主を探し始めた。
近くにいるのは間違いない。
この『ゴーレム』の生みの親と呼ぶべき、魔術師が。
「ディーン・イアルフス」
「!」
再び聞こえてきた声は、どうやら男のものらしい。落ち着いた印象を感じさせるその声は、屹立して動かない『ゴーレム』の足許の辺りから聞こえる。
「アーベント様から聞いていますよ。碌に『深紅魔法』を扱えない、魔術師以前の未熟者だと」
言葉を発しながら現れた男は、今までの敵兵達とは、少々姿が異なっていた。
白い仮面を付けてはいるが、黒いマントではなくローブを身に纏っており、右手に一メートル程の長さの杖を握っている。魔術の核となる物なのか、木製の杖には黄土色の宝玉が埋め込まれている。
「下っ端の分際で随分なこと言ってくれるな。何も知らねぇ野郎が好き勝手抜かしてんじゃねぇよ」
言葉の端に含み笑いを挟んで喋る魔術師は、言葉遣いが礼儀正しい分、その態度が気に喰わない。アーベントに未熟者扱いされるのも御免だが、目の前の得体の知れない人間にそう言われるのは、もっと御免被る。
ディーンは『紅蓮の爆炎剣』を右手に造り出しながら、威圧するつもりで強く魔術師を睨み付けた。
「邪魔するってんなら容赦しねぇ。退くなら今の内だぜ?」
「フフ、面白い人だ。この状況で敵に情けを掛けるとは……。折角の申し出、すみませんが丁重にお断りさせて頂きます。未熟者相手に背を向けるなど、魔術師として有るまじき行為ですから」
「……そうかよ。なら、どんな目に遭おうと文句はねぇよな!」
叫ぶと同時に走り出すディーンの視線の先で、魔術師の身体が僅かに動く。
「――行け」
魔術師が呟き、杖の石突きを地面に打ち付けた瞬間、今まで静止していた『ゴーレム』が再び動き出した。岩石で造られた巨大な右拳を、こちらに向けて放ってくる。
ディーンは咄嗟に、地面を強く蹴り付けて左に跳んだ。するとそこに、ほんの数秒遅れて『ゴーレム』の拳が突っ込んできた。
轟音を響かせて地面に突き刺さる巨大な拳。巻き起こった激しい揺れに、ディーンは一瞬足を取られそうになる。
が、どうにか体勢を保ったディーンは、反撃を試みようと『ゴーレム』の太い右肘の辺りに、炎剣を振り下ろそうとした。
しかし――
「『岩裂槍』」
「!」
突然横合いから、槍の矛先を模した鋭利な岩石が、雨のように次々と飛来した。
間一髪、後方に跳躍してそれらを躱したディーンは、口許を歪めている魔術師の姿を捉え、僅かに舌打ちした。
今の攻撃も、恐らく相手の魔術によって生み出された攻撃だ。もしも上手く回避できていなければ、ディーンの身体はかなりの傷を負う羽目になっていただろう。
「不意討ちとはやってくれるじゃねぇか。あんたの辞書に正々堂々って言葉は載ってないみたいだな」
「おや、心外な物言いですねぇ。誰も『エルザ』だけがあなたの相手をするとは言っていませんよ?」
愉快そうな笑みを言葉に含みつつ、魔術師は傍らの『ゴーレム』の身体を、随分と優しい手付きで撫でてみせる。
だがディーンの方はと言えば、魔術師の妙な発言に、思わず首を傾げてしまう。
「……なぁ、『エルザ』って誰のことだ?」
「何を言ってるんです? 決まっているでしょう。この『ゴーレム』の名前ですよ。『彼女』は私の大切な従者であり、永遠のパートナーでもある。まぁ、あなたのような未熟者には、到底理解できないことでしょうがね」
「……」
今までにも何度か『ゴーレム』を操る魔術師と戦ったことはあるが、この男のように名前を付けている魔術師はさすがにいなかった。しかも『彼女』と表現する辺り、どうやら女性として扱われているようだ。
(何しれっと気持ち悪ぃ発言してんだ、こいつ……)
少々、どころかかなり不快感を覚えるその思想は、彼の言う通り全く理解できそうにない。
と、露骨に顔に出しているディーンを無視するかのように、魔術師は涼しい顔で続ける。
「さぁ、私達二人を相手にどう戦いますか? あなたが未熟者ではないと言うのなら、その証拠を今ここで見せて頂きたいものだ」
妙な発言のせいで心が萎え掛けたディーンだったが、どうにか気を取り直し、魔術師に問い掛ける。
「その前に、あんたに聞いておきたいことがある」
「おや、何ですか?」
「アーベントの野郎はどこにいる?」
然して戸惑った様子もなかった魔術師に対し、ディーンは即座に尋ね返した。
言葉の端に、滲み出るような敵意を絡ませて。
脅しが効くような相手ではないことはわかっている。ただ単にディーンは、自分の内から沸々と湧き上がる感情を抑えることができなかった。
憎しみや怒り。激しい感情は確かに渦巻いているが、それらに紛れて、強敵と戦う前の高揚感のようなものがある。
そうだ。自分はきっと、心のどこかで望んでいるのだ。
無抵抗なリネを連れ去り、魔術師としての信念にまで傷を付けた男、アーベント・ディベルグとの再戦を。
「さぁ、どこにいるんでしょうねぇ。私の口を割らせることができれば、自ずとわかるのではないですか?」
そんなディーンの心中を察しているはずもない魔術師は、終始落ち着いた口調で告げる。
確かにその通りなのだが、どうもこの男、口調がいちいち芝居掛かっていてやり辛い。若干自己陶酔が入っているような気がしないでもないが、とりあえずそれは置いておこう。
「仕方ねぇ。あんたがそう言うんなら、望み通りブッ倒してやるよ!」
魔術師につられてしまったのか、気付けばディーンもそんな台詞を口にしていた。
身体の内から湧き上がる熱量を力に変え、疾風の如く駆け出すディーン。
戦闘再開は、ものの数秒後だった。




