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第五章 嵐の前触れ chapter-2

 太陽も完全に落ち切り、夜を迎えた街の中を、街灯や店の明かりに照らされながら、ディーンはどこへともなく歩いていた。

 ジンには休めと言われたものの、とても眠れる気分ではなかったディーンは、早々に城を抜け出し、こうして一人彷徨を続けている。

(……何やってんだろ、俺)

 こうしていても、事態が治まる訳ではない。リネが帰ってくる訳でもない。それでもディーンは、彷徨い歩かずにはいられなかった。

 これから自分は、どうするべきなのだろう?

 アーベントの行方を追い、再戦したとしても、『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使いこなせない今の自分では、到底勝てるとは思えない。況して相手は、『深紅魔法』のことを熟知している強者だ。そんな人間を相手に、一体どう戦えば勝てると言うのか。

 リネのことだってそうだ。彼女はディーンを守る為に、自らを犠牲にしてアーベントに付いて行った。そんな彼女の意志を、思いを捻じ曲げてまで、助ける必要は本当にあるのだろうか。

 ならばいっそ、全てを放り出してミレーナの捜索を再開するのはどうだろう。

 噂の真偽などこの際どうでもいい。自分は元々、師匠を捜し出す為に旅を続けてきたのだ。

 そうだ、捜そう。捜し続けよう。そうすればきっとミレーナも――

(……いや。何の手掛かりもねぇのに捜したって、見つかる訳ねぇよ)

 甘言めいた考えを思い浮かべては、自らの意思で否定する。そんな無意味な作業を、一体どれくらい繰り返しただろう。

 何もかも、手詰まりだった。こうして宛てもなく歩くことでしか、ディーンは現実を逃避できなくなっていた。

 街灯に照らされているとはいえ、暗い夜道は続いていく。

 まるで自分の心象風景を映したような闇だなと、自虐的なことを思った時だった。

「随分辛気臭い顔をしてるわね、お兄さん」

 思考の渦に呑まれ、溺れ掛けていたディーンは、そこでようやく我に返った。

 声のした方を見ると、煌々とした灯りを発する街灯の下に、顔を銀色のベールで隠した女性が佇んでいた。

 ベールと同色の、踊り子が着ていそうなやや派手目のドレスを身に纏い、まるで宝石のような輝きを放つ翡翠色の瞳で、真っ直ぐこちらを見つめている。

「……誰だ、あんた」

 無関心半分、警戒心半分で尋ねるディーン。

 対して不思議な雰囲気を放つ女性は、銀色のベールの下で優しく微笑んでみせる。

「私の名前はエリーゼ。この街で占いをやってるの。見た所、何か悩みを抱えてるようだけど、良ければ力になりましょうか?」

「……占い師になんか用はねぇよ」

 そういう胡散臭いものを最初から信じないようにしているディーンは、実に素っ気なくエリーゼをあしらった。

 相手にする必要はないと判断し、ディーンは占い師の横を素通りする。

 その直後だった。


「ふーん。行方不明になった師匠を捜す為に旅をしてるのね、あなたって」


「!?」

 妙に弾んだ声で告げられた言葉に、ディーンは警戒心全開で振り返った。

(この女、何でそんなことを……!)

「どう? 当たってる?」

 屈託のない笑顔を見せる、自称占い師の女。確かに邪気は感じられないが、逆にその笑顔が何か得体の知れないものを隠していそうで、素直に恐ろしさを感じる。

 エリーゼとの距離を慎重に測りつつ、ディーンはもう一度問い掛けた。

「あんた、何者だ?」

「さっき言ったでしょ? この街で占いをやってるって。あなたがあまりにも興味なさそうだったから、試しにと思って言ってみたんだけど。もしかして不味いことを言ったかしら?」

「……」

 相手の姿を見据え、無言で警戒を続けるディーン。一体彼女は、どうやってこちらの素性を探り当てたのだろうか?

(いや、待てよ。こいつ確かさっき……)

 ふとあることに気付いたディーンは、もう一度エリーゼの台詞を反芻してみた。

 彼女は先程こう言ったはずだ。行方不明になった師匠を捜して、と。

 もしもエリーゼがディーンの素性を知っているのだとすれば、『師匠を捜して』ではなく、『ミレーナ・イアルフスを捜して』と口にするのではないだろうか。

 考えが正しいのかわからないが、ディーンは若干警戒心を緩め、再びエリーゼに問う。

「あんた、俺の師匠の名前までわかるのか?」

「残念ながらそこまでは。私のはただの占いであって、読心術じゃないの。だから全てがわかるって訳じゃないわ」

「……」

 まだ完全に信用した訳ではないが、エリーゼの言葉に嘘はないように思う。

 戦闘態勢に移行しようとしていた身体を、何とか落ち着かせ、ディーンは軽く息を吐いた。

「……わかった。とりあえず、警戒心の強さは下げておくよ」

「フフ、いい心掛けだわ。やっぱり一人旅をしてるんなら、それぐらいの警戒心を持っておくのが正解なのかしらね」

 言いつつ苦笑していたエリーゼは、そこで急に真剣な顔付きになった。翡翠色の彼女の瞳が、女性とは思えない程強い眼光を放っている。

「あなたに少し聞きたいことがあってね。声を掛けたのはその為よ」

「聞きたいこと? ハハッ。占い師にも他人に聞きたくなるようなことがあるんだな」

 真剣な雰囲気を崩すつもりはなかったが、ディーンは思わず苦笑してしまった。

 するとエリーゼは、気を悪くした様子も見せず、真剣な表情を崩して可笑しそうにクスッと笑う。

「まぁね。何でも一人で解決できれば、それに越したことはないんだろうけど。――こんな所で立ち話もなんだし、私の店に行きましょう。すぐ近くだから、案内するわ」

 そう言って彼女は、華麗に身を翻して夜の街を歩き始める。

 どこか雅さを感じさせるエリーゼの立ち振る舞いに、しばらく見蕩れていたディーンだったが、どうにか気を取り直して、彼女の後を追った。






 ◆  ◆  ◆






「なるほど。こういうオチって訳か」

 目の前に屹立している建物を見つめて、ディーンはただ呆然と呟いた。

 別に嫌な予感がしていた訳ではない。ただ単に、こうなるんじゃないかなと予想が付いてしまっただけである。

 ディーンが視界に捉えたのは、一階建ての煉瓦造りの建物。その上部に掲げられている、『LIME』という文字が刻まれた鉄製の看板。

 見間違い、読み間違いでなければ、あれは『ライム』と読むのではなかろうか。

 ……という、何やら酷く既視感のある展開が、ディーンの身に降り掛かっている。

「何の話?」

 入口の前でディーンの方に振り返ったエリーゼが、首を傾げて尋ねてくる。

(気のせいだよな? この状況がジンの思惑通りに起こった展開だなんて、俺の気のせいだよな?)

 内心でとはいえ、実に捻くれた勘繰りをするディーン。何だか、詳しい経緯をエリーゼに説明するのがとても億劫である。

 が、話さないと後々面倒なことになりそうな気がしたので、結局ディーンは観念することにした。

「なぁ。あんた、ジン・ハートラーって名前を知ってるか?」

 ディーンが質問返しをすると、エリーゼはこちらの予想通り、その翡翠色の目を丸くする。

「えっ? あなた、ジンの知り合いなの? ……ああ、そっか。その紅い髪……。もしかして、あなたがあのディーン?」

「……多分な」

 彼女が口にした『あの』の部分が若干気にはなったが、とりあえず聞き流しておこうと思うディーン。

 対して、エリーゼは嬉しそうな表情で、軽く拍手をしながら口を開く。

「アハハ、凄く光栄なことだわ! まさか『英雄』ミレーナ・イアルフスのお弟子さんと、直接話せる機会が来るなんて思わなかったもの。ねぇねぇ、握手してもらってもいい?」

「あ、うん。もちろん……」

 ディーンが最も苦手とする反応を、実にわかりやすく再現する占い師様。今は夜で人通りも少なかったから良かったものの、これが昼間であれば間違いなく周囲の人間にも騒がれていたことだろう。偉大な師匠を持った未熟者の弟子としては、複雑な心境である。

 エリーゼに握られた右手を、上下にブンブン振られながら、ディーンは苦笑することしかできない。

「まぁ狭い店だけど、とりあえず入って頂戴。お茶でも飲みながらお話しましょ?」

 ようやく手を離してくれたエリーゼは、そう言って軽くウィンクしてみせた。

 何だかやけに可愛らしさを強調したがっているような振る舞いだが、彼女は一体何歳なのだろう?

(……なんて聞いたら、ブッ飛ばされるんだろうなぁ)

 かつて師匠相手に、年齢に関することで恐ろしい目に遭わされた弟子として、懸命な判断を下すディーンであった。






 非常に失礼な話だが、エリーゼの言う通り、店の中はあまり広くなかった。

 入口から入ってすぐの場所に、白いテーブルクロスを掛けられた四角い木製のテーブルが一つと、同じく木製の椅子が二つ、向かい合う形で置かれている。四角い店内の壁の両側には、額に入れられた風景画や写真、何に使うのかわからない骨董品などが数多く飾られていた。

 店の奥には仕切りの為の紅いカーテンが掛けられていて、その奥の方から、エリーゼは中から紅茶らしき香りを漂わせるティーポットと、ティーカップ二組を乗せたトレイを持って現れた。

「ほら、座って座って。別に大した物は飾ってないわよ?」

 壁に掛けられている骨董品の一つを、訝しげな顔で見つめていたディーンに、エリーゼは手をひらひらと振りながら催促した。

 エリーゼが先に店の奥側に座ったので、ディーンはその反対側に腰を下ろす。

「それで、聞きたいことって何なんだ?」

 紅茶をティーカップに注ぎ入れ、静かに差し出すエリーゼの動作を見つめながら、ディーンは尋ねた。

 彼女は自分の分の紅茶を注ぎ終わると、再び真剣な表情を作って答える。

「最初は、あなたがこの街に住んでる人じゃなさそうだったから聞こうと思ったんだけど、ジンの知り合いだって言うんなら話は早いわ」

「どういうことだ?」

 前置きを挟むエリーゼの表情は厳しい。一見すると、まるで聞くのを躊躇っているようにも見える。

 数秒間を置いた後、彼女は意を決したようにこう尋ねてきた。

「もしかして今この街って、テロリストに狙われてるんじゃないの?」

「!」

 エリーゼの口から、これ程確信めいた言葉が出るとは予想していなかったディーンは、思わず目を瞠った。

 彼女はディーンやジンと違って、一般人と呼べる立場の人間だ。そんな人間がなぜ、こんな台詞を口にすることができたのか。

 ディーンの表情から困惑を読み取ったのか、エリーゼは両手を組みながら説明し始める。

「最近街の外の地域で、妙な噂が流れてるみたいだから、もしかしたらと思ったんだけど……。どうやら当たりみたいね。ひょっとしてあなたやジンも、この件に関わってるのかしら?」

「……」

 何もかもお見通しだと言わんばかりの発言に、ディーンは思わず口を噤んだ。

 こういう状況下において、エリーゼのような一般人に、この街にテロリストが潜伏している、などという情報を与えていいものだろうか。

(……控えるべき、だよな)

 ものの数秒で考えを巡らせ、結論を導き出すディーン。

 民衆の不安を煽るような真似をすれば、それこそどんな事態に発展するかわからない。彼自身この件に深く関わってしまっているが、余計な情報は外に漏らさない方が賢明だろう。

 ディーンが終始黙っていると、エリーゼはそれを察してくれたらしい。真剣な表情を消し、苦笑混じりに言う。

「ごめんなさい、答えられる問題じゃないわよね。ジンだってきっと、あなたと同じことをすると思うし。どうやら良い関係を築いてるみたいね、あいつと」

 そう言って、エリーゼは優しく微笑む。その言葉と表情は、何だかディーン以上にジンとの親密さを感じさせるものだった。

 まぁ当然か、とディーンは思う。ジンとは以前から交流があるとはいえ、それ程頻繁に会っていた訳ではないし、知り合ってまだ一年も経っていない。

 それに比べて、エリーゼは恐らく随分前からジンと友人関係を築いているに違いない。或いは、それ以上に深い関係だという可能性も――

「何か変なこと想像してない?」

「へっ? い、いや、何も……」

 エリーゼに指摘されて我に返ったディーンは、首をブンブンと左右に振った。

 正直、冷や汗を掻かずにはいられない。最早彼女の察しの良さは、占い云々というより、読心術なのではないだろうか?

「まぁいいわ。それよりも、ジンに伝えてほしいことがあるの。これから何かが起ころうとしてるなら、あなたの方があいつに会う確率、高いでしょ?」

「ああ、多分。でも一体何を?」

 眉根を寄せて尋ね返すと、エリーゼはこれまで以上に厳しい表情を見せ、どこか探り探りといった様子で、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「最近になってからなんだけど、この街で怪しい連中を見掛けることが多くなった気がするの。それも一人や二人じゃないわ。何十人もよ」

「怪しい連中? どこがどういう風に?」

「何て言えばいいのかな……。雰囲気って言うか、気配って言うか……。ただ街の外から来ただけじゃない人間、って言ったらわかる?」

「いや、全然」

「だよねぇ~。でも他に表現しようがないのよ」

 上手く伝えられないことがもどかしいのか、エリーゼは困り果てた様子で頭を抱える。

 そんなエリーゼの姿を見ながら、ディーンは出された紅茶に手を伸ばした。ゆっくりと口に運び、音を立てないように啜る。すると口の中に、紅茶の独特な香りが広がっていく。

(怪しい連中、か……。ここで考え込むより、一度ジンに会って相談してみた方がいいかもな)

 紅茶を飲むと頭が冴える、なんて話は聞いたことがないが、とりあえずそう思い至ったディーンは、ティーカップをテーブルに戻した。

「とりあえず、今の言葉をそっくりそのままジンに伝えるよ。俺にはわからなくても、あいつにならわかるかも知れないし」

「ありがとう。そうしてもらえると助かるわ」

 そう言って申し訳なさそうに苦笑すると、エリーゼ自身も紅茶を飲み始めた。

 互いに紅茶を飲み交わしながら、ディーンはふと物思いに耽った。

 こうしてエリーゼと知り合えた訳だが、特にディーンの方の問題が解決した訳ではない。むしろ何一つ状況は変わっていないだろう。

 また一人で街を彷徨う羽目になるのかと、やや暗い感情に浸っていた時だった。

 不意にエリーゼがカップをテーブルに戻し、やけに食い入る感じで迫ってくる。

「そうだ! 御礼って言ったらなんだけど、今からあなたの師匠のこと、占ってあげましょうか?」

「え? な、何だよいきなり……」

「実は前に、ミレーナさんの捜索が思うように進んでないみたいだって、ジンから聞いたことがあってね。いつかあなたに会うことがあったら、力になってやってくれって頼まれてたの」

「あいつが、そんなことを?」

 自分の知らない所で友人が気を遣ってくれていたことに驚く反面、ディーンはようやく得心がいった。ジンがこの店に来させようとしていた理由はこれだったのか、と。

 彼が懸念してくれた通り、ミレーナ捜索は良い成果が得られていない。その上、彼女にとって不名誉となる噂まで流れている始末だ。

 そんな現状と、ディーンの心情を理解しているからこそ、ジンはこの店を訪れることを提案したのだろう。

 しかし、だ。

「何かあんまり乗り気じゃないみたいね。心配しなくても、料金なんて取らないわよ?」

「あ、いや、そういうのを気にしてる訳じゃなくて……」

 否定しつつも言い淀むディーンの様子から何かを感じ取ったのか、エリーゼがやや意地の悪い笑みを浮かべて告げる。

「あーなるほどねー。要するにあなた、占いを信じてないんでしょ?」

「えっ!? え~っと、何て言うか、その……」

 占い師からの鋭い指摘に、ディーンは思わず目を泳がせてしまう。

 占いなんて胡散臭いものは信じてねぇし、関わりたくもねぇ。……などと占い師を目の前にして言えるはずがない。この状況でそんな発言をするなど、自殺行為もいい所だ。

 身体中に嫌な汗を掻きながら、どう言い訳しようか逡巡していると、エリーゼは見兼ねた様子で苦笑して、静かに右手を差し出してきた。

「そんなに重く考える必要なんてないわ。占いなんて、所詮何の根拠もない不明確なものなんだから。信じる信じないはあなたの自由よ。ね? だから軽い気持ちでさ」

「……」

 差し出された右手に視線を落とし、複雑な思いを抱くディーン。まさか自分が占いなんかに頼る羽目になるとは、全く考えもしなかった。

 ある意味これも、自身の情けなさが招いた結果なのか。……と、自虐的なことを考えつつ、ディーンは渋々右手を差し出す。

 するとエリーゼは、両手でディーンの右手を優しく握り、ゆっくりと目を瞑った。

 占いだと言うから、てっきり奇妙な模様の入ったカードやら、怪しげな水晶やらが出てくるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 特にやることが思い付かなかったディーンは、集中している占い師の顔を見つめてみる。話している時も不思議な雰囲気のある女性だったが、瞑想している今の姿は、どこか魔術師に近い印象が感じられる。

 しばらく沈黙が続いた後、突然エリーゼが口を開いた。

「それじゃあディーン。いくつか質問をさせてもらっても構わない?」

「あ、ああ」

「ありがと。――まず一つ目。師匠と一緒に暮らしていた間、『首都』を中心にして、この大陸で行ったことのない方角はある? 大体でいいわ。教えて頂戴」

「行ったことのない方角? ええっと……」

 いきなり妙な質問をされ、若干戸惑うディーン。一体今エリーゼの中では、どのような作業が行われているのだろうか?

 疑問に思いながらも、昔の記憶をどうにか辿り、求められた答えを導き出す。

「北、かな?」

「北ね。もう一つ質問するわ。あなたの師匠、何か苦手にしているものはなかった? 人でも物でも何でもいいんだけど」

「苦手にしてるもの?」

 またも妙な質問をされ、ディーンは更に首を捻った。

 先程から、エリーゼの意図が全く掴めない。これが彼女のやり方なのだと言われれば、ディーンには口を挟む余地はない訳だが、それでも不明瞭な方法だと思わずにはいられない。

 とはいえ、このまま黙っていても埒が明かない。今はとにかく、エリーゼを信じて続けてみようと、ディーンは思い直す。

 師匠が、ミレーナが苦手にしているもの。意外と色々あったはずだが、やはり一番苦手なものと言えば……

「水、だと思う。別に泳げないとか、水が飲めないとか、そういう訳じゃないんだけど。やっぱ魔術の属性の関係で苦手にしてるって感じだったかな」

「水ね。わかったわ」

(……こんなので一体何がわかるってんだ)

 質問された内容は、『行ったことのない方角』と『苦手なもの』。このたった二つである。

 百歩譲って方角はミレーナの行方に関係しているとしても、苦手なものが一体どう絡んでくるというのか。エリーゼを信じたい気持ちと疑ってしまう気持ちが、ディーンの中でせめぎ合っている。

 一人悶々とさせられること十数秒。瞑想したままだった占い師が、ようやく静かに目を開いた。と同時に、ディーンの右手を包んでいた柔らかい感触が消え去る。

「ここから北。より正確に言えば北東の方角だけど、『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』って呼ばれてる湖上都市があるのを知ってる?」

「ああ、話ぐらいなら聞いたことは……って、何? そこにミレーナがいるって言うのか?」

「確証はないけどね。私の占いではそう出たわ」

「……」

 一切気負った様子のないエリーゼは、呆けるディーンを物ともせず、自らの結論を述べてみせた。

 大切な友人の知り合いである占い師様には申し訳ないが、いかにも胡散臭い結論であると言わざるを得ない。確証がない以上、お世辞にも状況が進展したとは言い難いだろう。

 それを隠そうともせず顔に出すディーンに、エリーゼはクスッと笑って言う。

「だから言ったでしょ? 信じるも信じないもあなたの自由だ、って。胡散臭い占い師の戯言だと思うんなら、無視してくれて構わないわ。実際そうする人だって大勢いるもの」

「いや、別にそこまで否定してる訳じゃねぇけど……」

 エリーゼがやけに自虐的な発言をする為、ディーンは思わず困惑してしまう。

 占いを信じていないのは事実だが、エリーゼが自分を騙そうとしているとも思えない。いずれにしろ、判断するには材料が足りなさ過ぎるのだ。

(……せめて頭の片隅くらいには置いておくか)

 戯れ言だと切り捨ててしまうのは簡単だが、それでは占ってくれたエリーゼに申し訳ない。彼女への感謝の意味も込めて、覚えておいた方がいいだろう。

「まぁ何にせよ、参考にはなったよ。ありがとな、エリーゼ」

 ふと壁に掛けられている時計を見ると、店を訪れてからだいぶ時間が経っている。

 長居は無用だと判断したディーンは、それを別れの挨拶として椅子から立ち上がった。

 すると、エリーゼは若干慌てた様子で、立ち去ろうとするディーンの手を握って引き止めてきた。

「待って! あともう一つだけ」

「なっ、何だよ突然?」

 急に手を握られたことに対する照れ臭さから、ディーンは思わず口籠ってしまう。

 が、エリーゼの方は特に気にした様子もなく、真剣な表情でこう言ってきた。

「あなた、他にも何か悩みを抱えてるんじゃない?」

「!」

 予想だにしない指摘をされて、立ち去ろうとしていた気持ちがどこかへと消え失せる。

 本当に、彼女は一体何者なんだろうか。占い師だと言うのは重々承知しているが、ここまで来るともう、完全に心を読まれているとしか思えない。

 感心を通り越して呆れてしまったディーンは、一瞬言葉を詰まらせる。だが不思議と、自らの思いを吐露することができた。

 エリーゼの、どこか優しげな雰囲気がそうさせるのか、自分でも驚くくらいに。

「……俺さ。ミレーナに、『深紅魔法』っていう魔術を教わったんだ。だけど何年腕を磨いても、どうしても使いこなせない能力があるんだ。だから――」

「自分は師匠に劣っている未熟者だと感じてしまう、ってこと?」

「……まぁ、そんな感じだ」

 その場に立ち尽くしたまま、ディーンは僅かに俯き、今は自由になった両手を固く握り締めた。

 悔しい。『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使いこなせないことが。ミレーナより劣っていると感じてしまうことが。

 あの男に、アーベントに敗北した自分自身が、悔しくて悔しくて、怒りを感じてしまうのだ。

 だが、どんなに強く悔しさや怒りを感じた所で結果は同じだ。きっとアーベントの言う通り、才能のない自分が魔術師を名乗るなど、おこがましいに違いない。

 ただ黙って、暗い気分に浸り続けるディーン。黒く塗り潰されてしまった心が、少年の瞼を重く閉ざしていく。

「ねぇ、ディーン。あなたは今、色々なこと深く考え過ぎて、自分でも大切なことを忘れてしまっているんじゃない?」

「! えっ……?」

 重たい空気に支配されていたディーンは、エリーゼの優しげな言葉で我に返り、顔を上げた。

 まるで闇の中を歩き続ける旅人に、一筋の光明を齎すかのように、柔らかな頬笑みを湛えたエリーゼは、真っ直ぐこちらを見つめながら口を開く。

「そもそも、どうしてあなたは魔術師になろうと思ったの?」

「!」

 彼女に問われ、ディーンは改めて気付かされた。

 自分の間違いに。道を見失ってしまった、自らの愚かさに。

 呆然とするディーンを諭すかのように、エリーゼは問い掛け続ける。

「魔術を修得して、師匠に褒めてもらう為?」

「……違う」

「それとも、魔術師として師匠に追いついて、達成感を得る為?」

「違う。そうじゃない」

「だったら、どうして?」

 ディーンが魔術師になろうと思った理由。それは――


「魔術師がただの人殺しなんかじゃなく、誰かを守ることができる存在なんだと、証明する為だ」


 そうだ、そうだったのだ。この台詞は幼い頃、ディーンが魔術師を目指そうと思った時に、ミレーナに対して告げた台詞だった。

 なぜこんな簡単で、一番大切なことを忘れていたのだろう。いつの間にか、ミレーナに認めてもらうことばかりを意識して、大切な気持ちを見失っていた。アーベントに敗北したことで、己の信念を見落としていた。

 ミレーナに認めてもらう為に、魔術師になろうと思ったのではない。

 アーベントに敗北した程度のことで、容易く折れてしまうような信念を掲げていた訳ではない。

 誰かを、例えばミレーナを、リネを、ジンを、他者を守りたいと思ったからこそ、ディーンは魔術師になろうと思ったのだ。

 何もわかっていないと、ディーンを嘲笑ったのは他でもないアーベントだったが、確かにその通りだ。

 自分はわかっていなかった。本当に大切な気持ちさえも、見失っていたのだ。

「悩みを持つってこと自体は、私としては良いことだと思うわ。だけどそれによって、あなた自身の本当の気持ちを埋もれさせてしまってダメよ」

 そう言ってエリーゼは立ち上がり、もう一度、今度は両手でディーンの右手を優しく包み込む。

「こんなことぐらいしか言えないけど、頑張ってね、ディーン」

「……ああ。本当にありがとう、エリーゼ」

 久しぶりに、心の底から笑えたような気がして、ディーンは少し照れ臭かった。

 素直な笑顔を誰かに見せる。それがこんなにも簡単で、こんなにも喜びを感じられるものだったのかと、改めて感じることができた瞬間だった。






 その後しばらくして、街灯に照らされた夜の大通りを疾走する、少年の姿があった。

 新たな目標を指し示してくれた占い師に別れを告げ、ディーンは『テルノアリス城』を目指して進み続ける。

 もう迷いはない。やるべきことは決まっている。

 今度こそ『紅の詩篇フレイム・リーディング』を会得して、アーベントを倒す。

 そして――

(絶対にあいつを、リネを助け出すんだ!)


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