第8頁 賑やかな街の愉快な人たち
朝食を終えたイノとリードは今、エリナの案内のもと、エリナの住む街外れの辺境の森からサドアーネの中心部、所謂水の都へと向かっていた。太陽は燦々(さんさん)と水の都を照らす。
一晩過ごした場所があまりに静かだった為、人がわんさかいるこの賑やかな街がやけにうるさく感じるが、賑やかなことにかわりはない。楽しそうな声の数々に気持ちが高揚してきそうだ。
「ここが東町の港市場。お魚買うとき必ずここに来てるの。他の市場よりも近いし、港がすぐそこだから一番新鮮なのが売ってるの」
エリナは嬉しそうに説明する。魚特有の生臭さと海の香りが少し鼻にくるが、海風が肌を撫でて気持ちが良かった。
「どれもおいしそうですねー。そのままでも食べられそうです」
「生だとおなか壊しちゃうよ?」
「あれ、そうなんですか?」
「魚はしっかり焼かないと、食中毒になって大変なことになっちゃうよ?」
「そうだったんですかー」
「しっかりしてね、旅人さん」
エリナはイノをからかい、笑う。
市場の中心部に入る。屋台のような店が並んでおり、人も午前中であるにもかかわらず結構多く、気を抜いてしまえばぶつかりそうなほどだ。
「なにかいいのないかなー。リード君はなにがいい?」
考え事していたリードは少しだけ返事を遅らせる。
「え~と、魚なんてめったに食べないしな」
「やっぱり農家の子だから?」
「それもそうだけど、俺ん家、町の中でいちばん貧乏だから魚なんて高価な食べ物買えなかったんだ」
目を逸らしたリード。悲しげにも見えた表情をエリナは感じ取った。
「そうだったの……じゃあいちばんいいの買おっか! それでみんなで食べよう!」
驚いたリードは遠慮する。エリナの生活の現状を知っている今、とても賛同できなかった。
「え、でも、お金とか……」
しかし、エリナはこちらの気持ちを晴らすような笑顔で応える。
「いいのいいの! リード君はそういうこと気にしなくていいから! 今は楽しも?」
「う、うん……」
エリナ本人も望んでいる、気遣いでも何でもない、ただの純粋な優しさ。それでも、リードには無理をしているようにしか見えなかった。
「お! おいエリナじゃねーか! どうしたどうしたぁ! その3人家族みたいな雰囲気は!」
大きな声を出して呼んできたのは、並んでいる店より少し大きめの店の前に立っていた大柄な男だった。お腹も大柄だが、漁師が着るような半袖から出ている腕はガッツリとしていて、いかにも巨大魚を素手で持ち運べそうなほど太かった。
その割には顔はまだ若い、というよりは童顔に近いのか、歳は二十歳前後に感じる。
「あ、サルフ!」
エリナはサルフと呼ばれた大男のもとへと駈ける。イノとリードはエリナについていく。
「一人かと思ったらまさかの男二人連れ! エリナ、おまえそういう奴だったっけ?」
冗談で言ったサルフにエリナは慌てて否定した。
「ち、違うって! この人はイノ。旅人やっていて、この子はイノから旅を学ぶためについてきたエーデルの町のリード君。で、決して、そ、その、家族とかじゃ……ないよ」
顔を少しばかり赤くして照れるエリナのふたりの紹介に、リードは何か複雑な表情になる。イノとリードの間の距離が少し空いている。
「へぇ、あんた旅人さんかい。俺はサルフ! 今はこうやって商売してるが、本業は漁師だ。エリナとは、まぁ、ガキの頃からの仲だ」
「そうなんですか」と何の特徴もない返事をする。
「おー、白髪だが、声や口調はフィルとは違うな。てか、俺はてっきりこいつと付き合ってるのかと思ってたぜ。見た目がフィルに似ているからな」
豪快にサルフは笑う。エリナは顔を真っ赤にして、
「ちちち違うよ! に、似てるからって何でも付き合ったりなんかしないって!」
「あ、そういえばエリナさん、僕と会う時フィルさんと間違えて嬉し涙で――」
「うわわわわ! イノ余計なこと言わないでーっ!」
エリナの慌てふためいた姿にサルフは再び豪快に笑う。
「はっはっは! いやーエリナってここのところお嬢様みたいに大人しかったから、ガキの頃から一緒に遊んでた俺からしたら心配してたんだよ。ま、こうやって元気になったのもあんたらのおかげってとこか。サンキューな」
「魚良いのありますか?」
相手の言葉に応えず、イノはお腹を鳴らしながら訊いてくる。
「おっとぉ、そこまで魚食いたいか! なら、こいつならどうだ! あとこれも」
差し出されたのは、両腕で担がないと運べない程の大きな魚と、綺麗な鱗をした両手サイズの魚3匹だった。
「これって、マグロ? あとこの魚は……?」
「漁師の目から見たらこのマグロはまだ小さい方だ。大きいのは5メートル近くあるからなぁ。しかもそれはただのマグロじゃねぇ。遠洋で竿一本で俺が釣ってきたベークス産のアオシオマグロだ! んで、この鱗が紅色に輝いている魚は今日の目玉商品のレックフィッシュ! 高級魚だぞ。が! 今回はかなり安く売るぜ。なぁに、そこらへんで売ってる安い魚と同じ値段にしといてやるよ」
その気前の良さに、エリナは嬉しさ以前に動揺していた。いくら昔の仲だからとはいえ、ここまでされると流石に遠慮するべきだと思ってしまう。
「いいの? こんなにたくさん。しかもこれ、合わせたら何万かはいくはずじゃ……」
「いいんだいいんだ。おまえはただでさえ生活厳しいんだ。あのヤブ医者とそれを雇ってる金使いの荒い財閥のおかげでな」
顔をしかめたサルフはデクト財閥のことを考えているのだろう。やはり世間にもあまり評判は良くないのか、それともエリナの現状で知ったことなのか。
「それに、こうやって元気になった祝いでもあるからな。その高級魚は大量にとれたから三匹ぐらい何の支障もねぇよ。まぁでも少しだけでも金は払ってもらわないと拳骨ジジイに大目玉食らわせられるからな。ま、市場のお決まりさ」
腕を組み、ニッと笑った。少年のような輝いた笑顔だ。
「でも、こんなにたくさん食べれるかな。それに、全部持てるかどうか」
「その為の男二人だろ。そいつらに持たしてやれ。あと旅人は強いからな。そんぐらいは持てるだろ」
サルフはイノを見るが、イノの目は眠たそうにも見えた。男というよりは中性的であり、女のような細い身体と手足に少し頼りなさそうだと感じる。
「え、でもそれは悪い――」
「俺持つよ。エリナさんひとりでは大変だし」
リードはサルフが台の上に置いたアオシオマグロを持とうとするが、大きい上に身が詰まっているのか、なかなか持てない。しかし、ひょいとイノはマグロを持ち上げる。ぎょっとサルフは驚いた顔を見せた。
「重たいものは僕が持ちますよ。リードはその三匹の魚を持ってください」
「……」
リードはしぶしぶと小さい魚三匹が入った袋を持った。
「まいどありぃーっ、しっかり食って、もっと元気になれよエリナ!」
「うん! ありがとーっ!」
サルフと別れ、市場から直接続いている商店街へと向かった。
「ふたりともありがとう。ごめんね私だけ何も持ってなくて」
「全然大丈夫だよ。いくらでも持ってやるさ」リードは自信ありげに言う。
「ふふっ、頼もしいわね」
「あ、ここって駅から見えた場所だ」
大きなマグロを頭に乗せているイノは賑やかな商店街を見て思い出す。
「そういえば赤髪ちゃんに紹介された店行ってないな」
その言葉に反応したのはリードではなく、エリナだった。
「赤髪ちゃんって?」
「えーと、おっきな人だったんですけど、どんな人でしたっけ」
記憶があいまいなイノのかわりにリードが答える。
「アウォードさんっていうこの街の鍛冶職人のことだよ。列車で会ったんだ」
「アウォードってあの鍛冶職人のアウォードさん?」
知っているようだ。リードは訊く。
「やっぱり有名な人なの?」
「うん、鍛冶職人としても有名で、いろんな兵士や狩人たちがそこへ行くの。私にはあまりかかわりのないことだからそこまでしか知らないけど、噂であの人、元犯罪者って聞いたことがあるの」
「犯罪者?」
リードは少し驚いたが、あの風貌なら犯罪者と言われても納得がいく。
「確か、大量に人を斬り殺したって」
「うわぁ……」
リードの顔が引きつる。殺人者と関わりを持ってしまったことに、リードは少しの不安と恐怖を覚えるが、話した限り、極悪人という感じではなかった。
「でも話じゃ気性は荒いけど人はいいから、そこまで恐れられてるわけじゃないんだよ。ただ、この街で一番強くて危ない人だって」
「そ、そうだろうね……」
「あ、ここだよ」
人ごみから離れ、多くない程の人通りにある煉瓦製の店。店の看板は無いが、窓から店内で何が売っているのかは確認できた。
「ここはお肉屋さん。私の友達の主人がこの店を経営していて、夫婦二人でお肉を売ってるの」
「友達ってエリナさんと同い年?」
「ううん、ふたつ上。でも仲は良いよ。夫のミリオさんは6つ上だけどとても優しいの」
「ここって牛とか羊とかいました?」
「海外から輸入されてるって」とエリナはイノの質問に答える。「湖の町『ライラント』でも高山牛いるよね」とリードが言う。
「あれは乳牛だよ。数が多くないから肉用じゃないの」
「へぇ、そうだったんだ」
納得したリードに微笑み、エリナは店へと入る。チリンチリン、とドアについている鈴が鳴る。
「いらっしゃい。あら、エリナちゃん! 一週間ぶりね。お金に少し余裕できたの?」
金髪を一つに結んだポニーテールの女性が笑顔で迎えてくれた。エリナもそうだが、この人もなかなかの美人だった。ただ、頬から耳までに刻まれている一筋の傷跡はなんなのかとリードは不思議そうな顔をした。
「こんにちはニーシェルさん! お客さんの為にちょっとご馳走しようと思って」
すると、ニーシェルと呼ばれた女性はイノとリードをじろじろと見た。
「へぇ、あんたもそういう年になったのね。でも、そういうのって続かないわよ」
「だからなんでみんなしてそう言うの!」
顔を赤く染めるエリナの反応を見て楽しんでいた。いじられやすい人なんだなとリードは思っていた。
「あっはは、冗談よ。これまた随分と可愛らしいナイトだこと。お客さんと言ったわね。坊やは名前なんて言うの?」
ニーシェルはリードに声をかける。リードはびくりと反応し、少し息を呑む。
「花の町『エーデル』から来たリードです」
「あら可愛いわね。私の子どもにしちゃいたいぐらい」
受付カウンターの台に肘をつき、じっとリードを見つめ、うっとりとした声色を出した。リードはそれに少し身を引く。
「は、はぁ……」
「リード君はこちらのイノに旅を学ぶためにここまで来たの」
「へぇ、てことはそのでっかいマグロを頭に乗せた変なイケメンが旅人?」
「ええ、そうよ」
エリナは嬉しそうに頷く。ちょっと嬉しそうだった。
同時に「よろしくです」とイノはのほほんと言った。
「へぇ~、旅人にしてはそこまで強そうな顔じゃないわね。大丈夫なの?」
「ニーシェルさん、人を顔で判断しちゃダメよ」
ちょっとムッとしたエリナを察し、
「あら失礼、でもやっぱりフィルに似てるわねぇ。でもなんか違う雰囲気あるけどね」
「そりゃ別人ですもん」とイノは言う。
「あっはは、それもそうね」とニーシェルはもっともだと笑う。
「あ、ミリオさんは奥に?」
「ええ、肉捌いてるわ」
そのとき、奥の暖簾から大きな肉を抱えた逞しく、優しそうな顔つきで顎髭を生やした黒髪短髪の男が出てくる。手には肉を切った時の鮮血がついていたためリードは少し引き下がった。
「おー、エリナか。いいときに来たな。どうだこの肉。今日仕入れた黒牛から剥ぎ取ったローストビーフだ。しかもこの牛肉、闘牛として育てられる種を食用に育てられたやつだ。これを食えばスタミナついて元気になること間違いなしだ!」
ミリオは白い歯を剝き出しにして笑う。
「さて、久しぶりに来てくれたエリナと、そいつらの為に一切れプレゼントしてやるよ」
「え、いいんですか?」
漁師のサルフと同様の突然のサービスに、またもエリナは驚く。ミリオは気前よく返事し、二カッと歯を見せる。
「おうよ! 金はいいさ。どうせ後から客がぞろぞろ来るだろうしさ、おまえに負担掛けたくねぇんだよ」
ミリオは爽やかに笑う。
「あ、ありがとうございます!」
深く頭を下げるエリナ。まるで家族みたいな構図だとリードは思い浮かべた。
「まったく、ミリオは気前が良すぎるわよ?」
半ば呆れたように笑うニーシェルだが、満更でもなさそうだった。
「いいじぇねぇか。記念だ記念」
「でもこんなにたくさん食べられるかな」
エリナは目の前の大きな肉塊をまじまじと見つめる。
「日ぃ分けて食えばいいじぇねぇか」
「じゃ、僕持ちますね」
イノは両腕一杯の紐で雁字搦めにされた大きな牛肉を両手に抱える。じゅるりと涎を啜りながら。
「お、よく見たらそいつ結構な別嬪さんじゃねぇか。誰なんだこいつ」
「……? イノよ。旅人やってるって」
ミリオの言葉にエリナは少し疑問を感じた。
「は~ん、なるほど旅人ねぇ。いろいろ大変そうだな」
「案外そうでもないですよ。エリナさん、もう食べていいですか?」
「え、ここで食べる気?」
「おいしそうですもん」
「あら、まさかの食いしん坊系男子?」
「あれ、女の子じゃないのか?」
「え、女子なの?」
夫婦の入れ違った会話にリードはさらにイノの性別がどちらなのか気になった。
(聞いてみようかな、いや、それって何か失礼だし……)
「もうちょっと我慢してね。お昼と夕食に分けて食べましょ」
苦笑して引き止めたエリナ。ニーシェルが思い出したのか、口を開いた。
「あ、そうそう。仕事はどうなの?」
「確か製糸工場で働いているんだっけ」とミリオ。
「あ、うん、この間倒れちゃって強制的に休まされちゃった。明後日からまたできるよ」
その言葉にふたりは心配そうな顔をする。明るい顔が少し暗くなった。言葉の裏に、エリナの必死さが思い浮かび、リードも胸が痛んだ。
「……生活に余裕ないのは分かるけど、無理したら駄目よ。身体が一番大事」
「うん、担当のルーネスさんには迷惑かけちゃったな」
「あのお爺さんは人思いで優しいから気にすることじゃないわ。それに、そこって人手が十分だから迷惑なんか掛かってないわよ」
「でもま、お礼は言っとかないとな」
「そうだね。今日はありがと! じゃあね!」
「ええ、またいらっしゃいな」
「無理すんなよ! 気を付けてな!」
「――この街っていい人ばっかりですね」
店を出てイノが最初に言った言葉がそれだった。
「うん、みんな優しい人ばっかりだよ」エリナは微笑む。
運河通路を歩く。すると、どこからか音楽が聞こえてくる。イノはその音源先をみつけると、そこには水路越しの通路の端で、木の椅子に座って何か大きな楽器を演奏しているひとりの帽子を被った40代ほどの男性がいた。
「あの楽器ってなんですか?」
「アコーディオンよ。あそこの蛇腹っていう部分を広げたり縮めたりして音を出すオルガンのひとつよ。良い音でしょ」
「はい、この街にとても合ってます」
「良い音だなぁ……」
ふたりはしみじみとその音色を聞き入っていた。ダイアトニック・アコーディオンから奏でられる演奏はシンプルでありながらも大きく響いていた。
誰一人その男の前で聞き入る人はいなかった。一度見た後、すぐに視線を戻し、通路を歩く人たち。だが、それでも音が止むことはなかった。
「ちなみに今演奏してる曲、『少女の再会』といって、小さいころよく聞いたことがあるの」
「じゃあ、伝統ある曲なんだ」
「そゆことっ。じゃ、次の店いこっか!」
満面の笑みを前に「え」とリードは身構える。「ま、まだあるの……?」
「リード君、女の子の買い物は甘く見ちゃダメよ」
「おおぅ……」
リードは疲れているためか少しげっそりする。
しかし、エリナの表情は前よりやわらかくなっていた。
街中に流れるようにアコーディオンの音色は水の都に響く。まるで、この街が歌っているかのように。