第6頁 悲哀の獣の塔
外は快晴。だが眩しすぎず、日陰も多い為か、そこまで暑く感じない。
イノとリードはエリナと一緒に人気の少ない街中を散歩していた。山寄りにある街なので、水路はほとんど見当たらない。日の光がイノの白髪に反射し、リードは眩しく感じている。
「どんなところなんでしょうね」
イノは少し浮き浮きした表情で言う。坂下りの石町からは、海の水平線が見える。
「ふふ、それは見てのお楽しみだよ」
エリナは微笑む。日光に触れた黒い髪はより煌めきが増している。
歩いて5分。森のような緑の生い茂った場所へと着き、そこにあった錆びついた鉄檻の小さな門が穏やかに佇んでいた。
その開いたままの門を抜け、森の中を歩く。木洩れ日が流れるように森の中に光を射し、鳥の鳴き声が耳に透き通る。
「こんな気持ちのいいところあったんですね。ここで昼寝でもしたいですな」
「イノって本当に昼寝好きだなぁ」
リードは笑って言った。
「そうですか?」
イノは自覚していないかのように首を傾げる。
乾いた土を踏みしめながら3人は談笑する。道はあるようで、踏み固められた土の道があるも、自然の手が行き渡り、小さな草花が生えている。雑草は斑に生えていながらも歩く道は把握できた。辺りを見渡せば草木が生い茂った、まるで山奥の森の中にいるような気分に浸った。
静かな上に明るい。とても水の都にある場所とは思えない。
「そういえばイノって『エーデルの町』を通ってここに来たんだよね? てことは『獄龍の爪痕』を途中で見たと思うんだけど」
「なんですかそれ」
イノは首を傾げる。
「とても大きくて底が見えない程の大渓谷だよ」
「あ、それなら見ました。あれなんですか?」
素直に訊くイノに、丁寧にエリナは説明した。
「数千年前にここ『オルトブレイス大陸』の中央に突然できた大きな裂け目だよ。その裂け目を基準にいろんな地方やそこにある国の国境が出来たの」
イノは「へぇー」と関心を示す。
「突然できたってすごいですね。どうやってできたんですか?」
「巨大な地震と共にできたから大陸プレート同士が離れたことでできた大地溝だっていわれてたけど、近年の調査でそれが間違いだったらしくて、そもそもこの大陸ってプレート一枚しかなかったという事実が明らかになったの。それに、内部からの作用はなかったって」
「なるほど、さっぱりです」
イノは納得した顔できっぱりと言った。その自信満々の様子にエリナは少しだけ困惑する。苦笑している彼女もきれいだな、と思っていたリードだった。
頭を悩ませ、なんとか伝わるように言葉を探す。
「えーと、つまり自然災害でできた地形にしては不自然過ぎるの。科学的根拠もないから確信のある説明もできないし。簡単に言えば不思議現象なの」
「なるほど、不思議渓谷ってことですか」
ふむふむと納得する。大雑把だが、今度こそ理解したようだ。
「うん、まぁ、そうだね」
「俺聞いたことあるぞ。そういう科学系はわからないけど、『獄龍の爪痕』って渓谷の形が龍の爪痕に似ていることからそう名付けられたんだろ? 伝説じゃ地の底から地獄に棲む獄龍が大地を引き裂いて這い出てきたって話だし、それに轟音も凄まじかったって。それがまるで地獄の底から出てきた獄龍の咆哮のようだって」
本のお話に書いてあった、とリードは嬉々とした声で話す。童話にも登場するほど、そこは有名な場所なのだろう。
イノはますます関心し、
「へー、ホントにあるかもしれないですね。でも、大陸移動とかの内部の作用じゃないなら外部からの影響かもしれないですよ?」
イノの言葉にふたりは「え?」とイノの顔を見た。
「まさか、それはないと思うよ」
「イノ、それは言い過ぎだって」
「えーそうですか?」
どちらもイノの話には流石に肯定できなかったようだ。
「だってあの大渓谷、何百キロもあるんだよ? あんな大穴を作れるほどの技術、今の時代どこにもないよ」
当然のようにリードは説明する。歩いてきた3人が道を通ると、傍の切株にいた2羽の小鳥が羽ばたいていった。
「じゃあ生き物でそういうのは?」
「もっと有り得ないよ。いたら世界滅ぶじゃん。もしいたとしてもなんでそんな大穴作ったんだよ」
「う~ん、そうですか」
イノは腑に落ち無いようで頭をぽりぽりと掻き続けていたが数秒後「まぁそういうこともあるか」と考えるのを止めた。
「あ、そろそろ着くよ」
「お、なんか見えてきた」
森を抜けると、大きな広間に出た。森の中にぽっかりとできたその空間には草花が咲き誇る一方、土がはだけているところもある。所々には岩が転がっており、生い茂った樹もあれば枯れ果てた樹もぽつりぽつりとある。
なにより、目の前には大きな古い塔が何も語ることなく、だがなにかを訴えかけるようにその広間の中央に聳え立っていた。
「うぉー、すごいですねーっ」
イノはその白い塔を見上げ、感嘆の声を出す。
「塔ってこれのことだったんだ」
リードも同じように塔を見上げ、呟いた。その目は大きく開き、感動しているような輝きを示していた。
「うん、ここの街の人でもあまり知られていない場所なんだよ。まー、見ての通り廃墟だから、知っている人でも噂じゃ幽霊塔って呼ばれてるの」
「幽霊でるんですか?」
イノが嬉しそうに訊く。目が輝いていた。
「うーん、私は見たことないからわからないけど、夜になるとその塔に近づいた動物がそこに棲む亡霊によって魂を抜き取られて、朝には跡形もなくなるっていう話があるの」
「え」と言ったリードは顔が引きつっていた。
「その真相をつきとめようとした人も塔に向かったっきり帰ってこなくなったらしいの。明るい時に様子を見にいったらその人たちの服や持ち物が落ちていたんだって。だから夜には誰も近づかないようにしてるの」
「ちょ、エリナさん、怖い話は勘弁してよ」
「あれれ? リード君男の子なのに怖いの苦手なのかな?」
エリナがイタズラっぽい笑みで顔を引きつらせていたリードをからかう。すぐにリードは首を振り、否定する。
「そ、そんなんじゃないよ! お、俺に怖いものなんかないさ!」
「ほんとかな~? じゃあもっと怖い話しちゃう?」
「や、やめろって、そんなん聞いたら眠れなくなるだろ!」
「あれれ、さっきと言っていることが違うぞ~?」
「あ、ち、違う! 今のは……え、と」
言い訳の言葉が見つからないリードはあたふたとする。その様子にますます面白がるエリナはリードに顔を近づける。
「怖くて眠れなかったらエリナお姉さんと一緒に寝てもいいんだよ?」
「なっ、そっ、それはっ」
その歳でも意味を知っているのか、それとも単純にそのままの意味で真に受けているのか、リードは顔を真っ赤にする。顔をつつけば鼻血でも吹き出しそうなほどの紅潮だった。
「にっひひ~、顔赤くなってる」
「う、うるさい! からかうなよ!」
ふたりのやりとりを見てイノは「あっはは」と笑う。
「あはは、リード君反応がおもしろいからついからかっちゃうよ」
おなかを抱えて楽しげに笑うエリナに「もう」とリードは言うが、まんざらでもなさそうだった。
「あ、この塔はね、時計塔でもないし、鐘もあるわけじゃないの。何もないから、何のためにあるのかわからないってこの塔の存在を知ってる人は言うけど、私は彼から聞いたから知ってる」
「何のためにあったんですか?」
イノが訊く。中に入りたがりそうに、壁の亀裂や隙間を覗くように塔を見つめる。
エリナが塔を見上げ、感慨深く話す。
「この塔って『悲哀の獣の塔』と昔から呼ばれているの」
「どうしてなの?」
未だにドキドキしているリードは訊いてみる。エリナは息を一つ吸い、塔を見ながら語り始めた。
「大昔、この土地は飢えていたらしいの。でも、そこに大地の神様が現れて、貧しい人々に食料を与えて、やがてそれは儀式を行うごとに与えられるようになった」
強めの風が吹きあがる。髪が揺れ、エリナは流れるように靡く髪を片手で抑える。
「でも人々はある程度豊かになっても欲を出して、その神様を殺しちゃったの。その神様は人々の技術で無限に食糧生産できる機械に変えられたんだ。人々はより豊かになり、国ができ、それが大国となってどんどん進歩していったの」
風が収まり、上から深緑の落ち葉がひらりひらりと舞う。カサカサ、と森の中の草が揺らぐ。
「ある日、死んだはずの大地の神様が生き返ったの。神様は人々の利己的感情とその欲深さ、そして自分を殺したことに怒り、人の姿から獣の姿に豹変して天罰を下した。繁栄し続けた大国は一日もしないうちに滅んで、神様は人々を喰い殺し、殆どの人間が命を失ったの」
話し続けているエリナは遠い目で塔を見上げる。空を仰いでるようにも見える。イノとリードはただ彼女の話を聞いていた。
「だけど、いちばん貧しかった利己的でない一族がいて、その一族は欲に溺れていない故に神様に殺されることはなかったけど、そのかわりに力を使い果たした神様のお墓を作ってほしいと頼まれたの」
鳥の鳴き声が空に響くように空から聞こえてくる。何の鳥の鳴き声なのかは知る由もない。その波紋のような響きは目の前の塔が語り掛けているようにも感じる。
「『この悲劇を作ったのは人間だ。この悲劇を忘れぬために、我の悲しみを忘れぬために、この地に塔を創れ。この悲しみを、戒めを忘れてはならない』。そう言い残して、神様は涙を流してその命を絶やした。その一族はもう二度とこのような惨劇がないように、神様の願いのために、そして、国民の供養も含めて大きなお墓、つまりこの塔を建てたの。あくまで神話だけどね」
「この塔にそんな話があったんだ……」
「その生き残りの一族の末裔がフィルなの。白銀色の髪と黄色の瞳がその一族の証」
ピクリ、とイノは反応する。思い出したかのような顔だったが、何も言うことはなかった。
「私と彼は恋人同士だった。永遠の愛を誓ったの。だけど……」
「だけど……?」
リードの問いにエリナは少し躊躇ったが、震える口で精一杯言葉をひとつひとつ出していく。
「だけど、フィルは病にかかったの。不治の病だった。何処の医者も初めて見る症例だって口をそろえて言った」
「どんな症状だったの?」
「最初は神経麻痺で、次第に物は掴みとれなくなって、上手く歩けなくなっていった。瞳が真っ赤に充血した途端に失明もして、日が経つごとにどんどん身体が衰弱して……。でも彼はこの病気を受け入れていて、死も覚悟していた」
目が潤っている彼女を慰めるように風が髪を撫でる。エリナは黒い髪を抑えることなく、懸命に話そうとした。
「だけど、私は彼がいなくなることに堪えれなくて、頼れる医者を探し続けた。そしたら、有名な医者を紹介するって、ある大きな会社の人が紹介してくれたの」
「それが、あの人たちなの?」
エリナはこくりと頷く。イノは大きな欠伸をし、目を擦る。
「うん、デクト財閥といって、医療や軍事の企業と関わり合っている大企業らしいの。その代表格のデクトという人が今日直々に来るなんて思ってもいなかったよ」
「え! あのちっさくて偉そうな怒鳴り男が社長?」
「……それを本人だけじゃなくて他の人にも訊かれたら大変なことになるからあまりいわないようにね。でも、不治の病を治せる医者を紹介された以上、私はその希望の光に頼りすがった。その代償が一生かけても払えないような金額だとしても」
声が一段強くなった気がした。一度気まずく感じつつも、リードは心配そうな表情で聞く。
「それで……」
まだ幼い少年のリードでも予測はできた。しかし、そんなことはないという気持ちが先に出てくるが、非情にも、エリナの口からは予想通りの言葉が出てくる。
「……手術は失敗。瀕死になった彼は入院されることなく、私のもとへ帰ってきた」
「入院させてくれなかったの? なんで?」
「やっぱり白い髪と黄色い眼が不気味だったみたい。生まれつきの白銀髪は世間から差別対象にされてた。でも、私にはそんなこと関係ない。それに、入院しなくてよかったって彼が言ってたの。私も同じだった」
「どうして?」
エリナは一呼吸を置き、泣きそうな表情になる。
「彼の最期を見届けることができるから。フィルも私の傍で最期を迎えたいって……そして夜、塔の最上階で、彼は……」
エリナの目からは涙が流れていた。風が優しく撫でるが、拭えることはなく、それでも涙は止まらなかった。
「ご、ごめんなさい、こんなこと聞いて……」
泣いているエリナに焦りを感じ、リードが申し訳なさそうに謝る。イノは彼女を見ることなくただ塔を見るばかりだった。
「ううん、いいの。こんなこと、今まで誰にも話してなかったから」
エリナは涙を拭い、話を続ける。
「彼が死んでもそれで終わりじゃなかった。残ったのは彼の診察料と手術代。とても払いきれるものじゃなかった。お金があまりなかったから私はいつもよりも働いてお金を稼いでは返済して……二年過ぎたけどそれでも全然足りない」
「それで、あの人たちが来てたの?」
「うん、一か月ごとに訪問してきて、間に合わないからこの塔を売ってくれって言うばかりで……当然、私は断り続けているよ。この塔はフィルの形見なの。この塔にはフィルが眠っているの。どんなことがあってもこれだけは手放したくないの」
「そうだったんだ……」
エリナは涙ぐんだ瞳で塔を見上げる。
「フィルが言ってた。『この塔は人の手に渡ってはいけない。この塔は何があっても守らなければならないんだ』って。だから、私はこの塔を守るの」
「それで、イノのことフィルって言っていたのは……?」
すると、エリナは顔を少し赤くし、俯きながら、
「イノが……フィルに似ていたから……」
リードはエリナとイノが初めて出会った瞬間を思い出すように視線を変える。あのときのエリナの顔は本当にうれしそうだった。
「……でも」
「うん、フィルは二年前に亡くなった。でもそれがいまだに信じられなくて。だから、もしかしたら生きているんじゃないかって思ったりするの。馬鹿だよね私。私の傍で、目の前で旅立っていったのに、まだ生きてるなんて錯覚しちゃって」
声が微かに震え、エリナは必死に泣くのを堪えている。だが、流れる涙は止まらないまま。
「たった一度だけでいい。フィルに会いたい。ふたりでもう一度、塔のてっぺんで星空を眺めたい……っ」
エリナは泣いていた。堪えるように泣く様子はリードには苦しかった。イノは静かに目を瞑っていた。
彼女が泣き止むまで、イノとリードはそこに居続けた。淡い風に髪を靡かせながら。