第51頁 月照の夜にてふたりは空を舞う
一人の革命者は世界にある言葉を残した。
欲しい素材がなければ、創ればいい。
万能は作れなくとも、万物は創れる。
想像を絶するような熱意と数えきれないほどの失敗。
それがあれば、なんだって発明できる。
*
「Adrenergischer Rezeptor.――Operation」
唱えるように言葉を発したと同時、ぷすり、とフェルディナントの全身に何かが注入される。
ドグン、と彼女の血流からはじまり、全細胞へ行き渡る。血管収縮による血圧上昇、血糖量と心臓拍動の増加、瞳の拡大、消化管運動の抑制。瞬時の活性化。感性が研ぎ澄まされ、その思考回路は半ばの理性を外し、神経伝達回転数を上げ、積極性を越えた攻撃性へと増幅される。
フェルディナントは思考を表面筋電位信号として、その生体信号である意思を機械へ伝達させる。
自動でその少女のような綺麗な顔を無機質なフェイスで塞がれる。全身装甲と化した彼女の視界にはHUDが展開される。映ったものは、空間把握のための数値設定。物体、生体反応、空間、熱量、電磁波等を認識させ、位置情報を更新。
しかし、その機能を展開した時から、正面にいたはずの目を輝かせていた旅人の姿が忽然と消えていた。
(何処に隠れた……?)
「そっちが本気なら、こっちもやられないように頑張りますね」
だが、声は明確に聞こえる。それも正面からだ。
音波探知も当然ながら搭載しているにもかかわらず、一切の反応をHUDには示してくれない。
熱探知どころか、生体反応も一切察知されない。
(まさか欠陥があっ――)
ガシャアン! と自分の身体が右に吹き飛ぶ。左の横腹に衝撃を伴い、蹴られた感覚を覚える。機材を壊し、壁にめり込むほどの出力をあの華奢な身体のどこにもっているのか。しかし、それよりもフェルディナントは、イノがどこにいるのかを探すばかりだった。
(……ッ、どこだ! どこにいる!)
「ここですよ」
今度は正面腹部。複層の衝撃吸収材と超硬複合材のアーマーによって、致命傷は免れられたが、それでも微かに衝撃が伝わる程のパワーに圧倒され、背後の壁を崩す。
「くっ」
歯を噛み締めたフェルディナントは凹んだ壁に足をつけ、背中と脚部の加速装置――小型ジェットを起動させる。パネルと翼部を展開させ、空気抵抗を極力減らし、揚力を上げる。空気力学を考慮し、彼女個人に合った翼は、ただひとつの陣風を巻き起こす。
(――"Feuer"!)
バゥッ! と、噴出音を唸らせ、その姿は爆風と共に消える。
「え」
という間の抜けた声は鋼鉄の風と共に消える。
何かに衝突した感覚。
(捉えた……!)
まずは直進。その推進力と装甲板にどのくらいの強度を誇るか、テストする。
一、二、三の部屋を貫通し、壁を打ち破るにとどまらず、山の分厚い岩盤をイノという盾を用いて打ち砕いた。
「痛づぁづぁづぁづぁ!」
目の前から旅人の喉を搾り取ったような声。岩盤を打ち砕く振動が直に感じないので、やはり自分は旅人で岩盤の中を押し進めている。そうフェルディナントは直感で汲み取るも、視界に白髪の姿は見当たらない。
ジェットの推進力のみで岩盤を突き破った先、そこは廃れた機械や蒸気吹き出すパイプがはみ出ているビル裏のような崖だった。その上に工場らしき古い施設――バイロ連邦の本拠地がある。
土砂と共に突出し、突破したフェルディナントはカクン、と方向を切り替え、真上へ飛行する。標高は海抜2200m。島内中央に位置する独立山峰の頂上と同じぐらいの高さである。
速度を落とし、滞空する。マスク越しでは感じにくいが、冷たい夜風が強く吹き付ける。辺り一面の虚空。漂う薄い高層雲。海には平行な筋状に並ぶ積雲列が遥か水平線の先へと続いていた。まるで空に浮かぶ雪道のようだった。
先程の違和感がなくなる。見回しても、旅人の感触も気配も何も感じなかった。
(またか……。何処へ消えた!)
あらゆる探知機能をHUDで展開させ、上空から数多くの数値を検出させる。恒温生物の生体反応は少ない。兵は大分やられているようだ。
「……」
先程の出来事をもう一度、端的に振り返る。事の始まりはいつからだと冷静に考え直す。
「……まさか」
フェルディナントは全探知機能を停止し、オートからマニュアル、つまり機械の力に頼らずに自分自身の肉眼へと切り替えた。
「――!!」
目の前にはニッと紅い瞳を輝かせ、無邪気に笑ったイノの姿。その手には鉄パイプが握られており、それはバッティングのように真横に振られ――フェルディナントの頭部を狙っていた。
そこらに転がっていた、精製しなければ使えないただの錆びた鉄パイプ。しかし驚いた故、一瞬の判断で咄嗟にフェルディナントは避けようとした。
ズガァン! と金属がぶつかり、ひしゃげる音が粗く響く。イノが鉄パイプで殴り飛ばしたのは頭部。左上部位の頭頂骨が凹んでおり、それが掠った程度の威力とはとても思えなかった。
「あり、掠っただけじゃダメでしたか」
殴った勢いで彼女の背後上へ跳んだイノは赤いマフラーと黒いコートをはためかせ、空中で意外そうな顔をした。
間一髪。ヘッドマスクを失ったフェルディナントは少しの間、微かに瞳孔を開け、冷や汗をかいていた。結っていた髪もほどけ、長い金髪が夜風に揺られる。
「……成程、監視カメラにも映らなかったわけだ」
(そして、兵の目に映らなかった理由も……)
その原理は分からない。しかし、機械を通した視野ではこの白髪の若者の姿は見えないという事実だけはわかった。
つまり、機械のセンサーがはたらかないということは、技術先端国においてはかなりのネックになる。
監視カメラに映らない。ミサイルのホーミングが無効。レーダーも熱探知も生体反応も一切通じない。一言で例えるなら究極ステルス人間。途上国ならともかく、電子技術や機械技術が優れ、それに依存した先進国において、これ以上の脅威はないだろう。
「前代未聞だな。その不思議な身体を是非調べてみたいものだ」
「それは勘弁願います」
逆さまで落下しながらイノはそう苦笑する。
頼る重心も地もない。高低差に置いて優位な立場であるフェルディナントは全身からフレアを発射。降下する小型ミサイルの群集。
これで当たれば問題ないと考えたが、そう上手くいくものではない。イノは避けるどころか、それを指で摘まんで、また足場代わりにし、上へと登ってきた。流れるような滝登り。そこに一切の質量と重力を感じさせない。ミサイルは一発も起爆することはなく、遙か下へと向かっていく。
「悪夢でも見ているようだ」と一言放った。口元が緩んでしまうほど、信じられない光景だった。
向かってきたイノの手が突如爆発する。小さい爆発とはいえ片腕ごと持っていかれそうなほどの爆圧。さきほどのフレアの一発を手に隠し持っていたようだ。フェルディナントの周囲で展開しているシールドに反応したのだろう。展開していなければ返り討ちに合うところだった。
(……まさか。こいつ"シールド"も通用しないのか)
またも恐怖する事実を前に、フェルディナントは目を開く。
イノは怯むことなくシールド内に入る。皮膚と肉が浅く裂け、血の出ている手を振るい、手刀を打ち込もうとする。
突発的な加速ジェット噴射で体勢を移動し、躱す。イノの手刀は機体を掠り、装甲の薄皮一枚がカットされる。それを目の当たりにしたフェルディナントは朝食のときに自分が不器用に剥いたリンゴの皮の残骸を思い出していた。
関節に設置された噴射加速装置による突発的な推進力、遠心力でイノの首を瞬時に掴み、腕から数個の誘導ミサイルを装填・発射させる。超近距離からの発射は自身にも危険が生じるが、展開されたシールドは周囲空間と体表面の二重構造。
爆風でフェルディナントは大きく下がるが、スキンシールドによって大幅に威力を減少させたことで、その露わになっている頭部はほぼ無傷だった。被弾したイノは爆炎にまみれながら落下していく。
「この高さなら……いや」
これで死ぬとは限らない。勘とは言えども、確認は万事に必須。フェルディナントは急降下し、旅人に接近する。
(……"展開・NA1")
雲を突き抜け、風をかき分ける。開いた右手がぼんやりと発光し、竜が遊泳しているような数十本の放電が空を伝う。大気中に浮かぶ空間の乱れ。放電の道筋に沿い、透明なパズルがパラパラとはがれ落ちるように、物体が少しずつ姿を実現していく。
電脳技術『量子転送』。物体を粒子化、量子へと変換させ、メールのように転送する技術を、機能として右腕に搭載していた。
右手に握られたのは、円筒状の装甲機械に生えた同じ背丈ほどの月色の刀剣。ぼんやりと発光する様はまるで朧ろ月。その刀身に纏う光は超高出力のプラズマ。気体放電しているそれは、より切断性に優れたプラズマソードである。
――ズダァン! と蒸気漂う廃墟の町にイノは両の脚で着地する。オイル臭く、熱い空気は息を吸いづらくさせる。
着地体勢から、ごろん、と転がるように尻餅をつく。
「……痛ったぁ~」と顔をきゅっとしかめさせ、
「無理に着地しなくてもよかったですねこれ」
瞬間、頭上から雷の剣が降臨する。体を捻り、避けたイノは距離を置いて着地する。
「……すばしっこいやつだ」
「あれ、そんな危ないもの持ってましたっけ」
地面に深く突き刺したプラズマソードをスルッと引き抜く。そのエアプラズマにダメージフリーなどはない。電極代わりの刀剣は摂氏8000度を誇り、刺した地面が煙を出しながら溶けている。
「こういう熱い場所でそんな熱いもの振り回されたらたまったもんじゃありませんね。それ僕にじゃなくて鋼材切るときに使ってくださいよ」
「生憎だがこれは人間用に作ったものだ。切断品質を検証させてもらう」
「完全に物扱いじゃないですか」
「センサーに反応しない物など、存在しないに等しいだろう」
「あ、ひどい。普通にひどいこと言ったよ今」
ブォン、と剣を片手で降り、引きずるように持つ。その凛とした碧眼は殺気以外なにも感じ取れない。一切の躊躇いがない瞳は首元を舐めた夜風のように冷え切っていた。そしてすぐに蒸気の熱を地面から漂わせる。
そのとき、爆轟音が天から地へと伝わり、地面が大きく揺れた。地盤ごと割れたと思ってしまうほどの振動と地響きに冷静なフェルディナントも何事かと抹殺対象から目を離した。
「ちょちょ、地震すごすぎですって!」と驚きの声を上げ、イノはふらふらしながら転ばないようにしている。
「いや、そんなはずは……この島はまだ……」
その言葉を聞いていたイノは「あー」と妙に納得した顔をする。
「たぶんリオラですねこれ。大丈夫かな」
そうつぶやいたイノの表情はとうに危機感ない表情に戻っていた。
巨砲を島全体に向けて撃ち続けているような爆轟の中、イノとフェルディナントの間に影ができ、大きな何かが落下してきた。土埃が舞い、目の前には半壊した4脚型の6mはある古代兵器。ただでさえ古く、所々が老朽し、ぼろぼろなのは共通しているが、その個体だけ抉られたような深い傷跡が残っていた。
「古代兵器……? なんだこの殴られたような損傷は……」
まさか、とは考えた。しかし、通信機であるヘッドマスクをイノによって破壊されたので思い辺りのある人物との交信ができなかった。手首にも通信機を作ればよかったと片隅で悔いを感じる。
すると、甲殻獣型のそれは青色のレンズライトを灯し、揺れる大地の中鉄くずをパキリと踏みつぶしながら起き上がる。目の前のイノと目が合ったが、気がつかなかったのか、そっぽを向いたように振り返り、フェルディナントのいる方へガシャンと頭部を向けた。
「あらーこっちガン無視ですね。でもこれであの人がいい感じにやられてくれればもう戦わずに済むん――」
「邪魔だ」
突如古代兵器が脚を崩す。大きな音を立て、身体から土濁りと透明が混じったような液体が流れてくる。頭部は首ごと離別し、その切断面に一切の粗がなかった。
「あの人人間ですか」と顔をひきつらせたイノは月を見上げる。上からジェット噴射で加速、急降下するフェルディナントは、ジェット加速を止めることなく、切れ味が衰えていないプラズマソードを振る。空気を裂く音が鮮明に聞こえる。
イノはフッと足を地面から数センチだけ離し、刀剣の一振るいを素手で弾き、その衝撃でフェルディナントの速度と同じ速度で後方へ身を浮かせたまま下がった。その際に生じた焦げる音と甲高く響いた金属音。次々と振り捌こうとも、ただの人間の手にしか見えない"何か"によって弾かれ、そのたびに火花が散る。
「熱っ」
弾いた衝撃で後方へ下がることで、高速で進むフェルディナントとの距離を保つ。受け止めた力と弾いた力で宙に浮いているイノは血みどろの両手で対抗している。
8000度の表面高熱で燻りを越え、溶け爛れているが、決して剣で斬れた痕はみられない。旅人の手足は剣と化している。刃こぼれのしない、非金属の剣。それは超硬合金をも切り裂くほどだった。
蜂が舞うように、蜻蛉の如き速度で独立山峰の麓の廃墟の街並みをふたりは駆けるように飛ぶ。地を駆け、空を駆け、そして戦場は島内に留まらず、海へと駆ける。
(サイボーグだとしても出来が良すぎるが、それが一番考えられるな)
フェルディナントは刀剣を薙ぎ、イノを横へ遠く弾き飛ばした。そして、左拳頭から4本のレーザー光線を放射する。プラズマカッターのように、鋼材をも貫通する高出力のエネルギーを、紅い眼を見開いたイノは倒れたような姿勢のまま、親指以外の赤い指で触れる。
光の反射。光が異なる屈折率をもつ媒質の境界面で起こす現象をイノはその少女のような細い指で引き起こした。
振り上げた腕に触れた指。ジュッ、と一瞬だけの蒸発したような音を指から発し、レーザー光の軌道を変更した。鋼鉄をも貫通させ、切断する光は層雲に穴を空け、空彼方へと進んでいった。
「……っ、恐ろしい奴だ」
頭部が生身である以上、音速での移動は命を捨てる行為に等しい。熱線網によってある程度の爆風でもほぼカットし、支障ない程度まで下げることができるが、音速の壁を突破するのはそう容易いわけではない。
時速658km"しか出せない"速度は高さ10mほどの白い水飛沫の壁を通った道に作る。左腕に搭載された腕部ガトリングガン口径7.62mmのマシンガンを展開し、火を噴く。追尾機能が付いているものの、どうしてかイノについていこうとはせず、ただ真っ直ぐへと向かっていく。
(やはり誘導爆弾も無効か……厄介だ)
それでも、フェルディナント自身の射撃能力が優れているのか、次々と撃つうちに、全弾が軌道上でイノを捉えていた。銃弾程の爆弾が音速の壁を打ち破り、目標に向かっていく。
「いい目してますな」
海面に達しかけたイノは水面を蹴り、飛沫と共に飛び上がる。ミサイルを蹴り、段差の低い階段を駆け上がるように、向かってくる弾を踏んでは足場代わりに移動する。まるで空を駆けるようだった。爆発をさせることなく、足場として踏まれた数多の7ミリミサイルは不発のまま海へ着水する。
鳥人族もこの光景は驚くだろう、と呑気なことを考えている反面、悍ましさを感じる。翼部を広げたと同時、数発限りの30ミリ弾を大腿部からバシュッ、と発射させる。
イノは正面からその大きめのミサイルに立ち向かい、そこに足を置こうとしたとき、
「"起爆"!」
そのミサイルが自動的に爆破する。しかしイノは起爆した勢いを身体に乗せ、回転力をつけて狙撃者を打つ。爆発によって吹き飛んだかのようにみえるも、その一部分も肉体が欠けることはなく、紅い眼光は碧眼の瞳を見ていた。
狙撃者は手に持った刀剣で旅人を斬る。眼光よりも鋭い刃は旅人の前面を裂き、血を蒸発させる。
「ぃぐっ」と堪え、喉を絞ったような痛々しい声が出る。しかし、イノの拳はフェルディナントの腹部に達しており、その衝撃は金属非金属問わず物質を振動させた。継続する衝撃が、フェルディナントの肉体に達し、内臓を揺らす。
その痛みは凄まじかったのか、彼女の力は弱まり、人を容易に切断する刃もそれ以上イノの肉体を裂くことはなかった。そのままイノは海の真ん中に墜落する。
「ごほっ、げほ」と咳き込み、形容し難い気持ちの悪さが脳を蹂躙する。
ジェットで滞空したまま下を見る。海に沈んだ旅人が上がってくる様子は見られない。ただ泡がコポコポと水面に出てきては消えるのみ。
「……」
やっと死んだか。終わったと思った直後に、もう少しこのパワードスーツのテストをして記録を取りたかったと彼女は残念に感じてしまう。生き残れた故に出てきてしまう余裕だった。
余裕を言い換えれば、油断しているということになる。
右手に違和感、というよりは打撲のような痛み。目の前には粉砕されたプラズマソード。電源も落ち、ただの壊れた機械と化して、海へと着水した。
一瞬の唖然。そしてゾッとし、すぐにその場から離れた。移動しながら振り返っても、そこには何もいない。孤島フォルディールが海の上に聳えているだけだった。
「……?」
装備越しであるにもかかわらず、手を直接叩かれたような、ジンジンと痛む右手をみる。
「すきやきですよ」
「なっ……!」
聞いたことのある声が真後ろ、それもすぐそこから聞こえた。首だけを動かすと、両肩に旅人の血で真っ赤に濡れた手があり、自分の背にしがみついているとすぐにわかった。その火傷を越えた負傷をしている手から焦げ臭い腐臭が鼻腔を侵す。
得意げな顔して言い間違え、気づいたイノは頬を掻きながらすぐに訂正した。
「あ……すきありだった」
「本当に何なんだ貴様は!」
憤りではなく、焦り。斬られ、海に落ちたとこの目で見たはずだと彼女は奥歯を噛み締める。どのような経緯で背に掴まっているのか理解に苦しんだ。
「ちょちょちょ、振り払おうとしないでくださいって。もう海には落ちたくないですよ僕」
フェルディナントは噴射力を上げ、雲漂う空へと上昇する。イノの手はしっかりと機体の肩部を掴んでおり、振りほどかれそうにもなかった。
「離れろ!」
「うぉあっ」
背中のジェットを最大限まで噴射させ、同時に体を捻り回しながら腕を後ろに回し、弾丸を発射させる。被弾したイノは思わず手を離してしまい、ジェットコースターから振り払われたようにジェットの勢いで上に振り飛ばされてしまう。
(アレを使うか……バケモノには丁度いい)
再び冷静になろうとした大佐はあることを試みる。
その技は、その機能は、思考性操作で発動するには安全性に欠け、非常に危険とされたため、音声認識によって発動を可とする搭載兵器。
引き離したイノの胸部をその右手で掴む。心臓を掴みとるように、強く押さえつけた。
「――"撥爆"!」
バースト。核爆発ではなく、単純なエネルギー出力によるもの。TNT火薬量で示される出力は2.5kt。それを高密度・一点に手のひらから噴射された爆裂性のエネルギーは闇夜に一瞬だけの太陽を形成させた。
すべてを受け止めた人間の姿はそこにはなかった。焼失したか、と考えたフェルディナントだったが、今までの型破りな戦闘スタイルと不死身かと思わせるタフネスを考慮すれば、おそらく下の独立山峰に穴を空けて地中深くに埋まっていることだろう。皮肉にも彼女の目に理想など映ってはいなかった。
視線を下に向け、連邦軍大佐は手中に収める廃島を見下す。
「次こそは……」
そうつぶやき、腕から機動音を唸らしては飛び降りるように急降下した。
山を貫き、墜ちた場所はどこかの機械室、というよりは何かを保存している広い部屋。しかし、そこはバイロ連邦が管理しているような場所ではなく、老朽化が進んでおり、随分と色あせた埃くさい空間だった。
茶褐色の石壁には何かの壁画が描かれていた。人型と回路、そして巨大な兵器らしき物体の数々。文字と共に刻まれていた。
脆い瓦礫に埋もれ、呻き声を漏らすイノは吐血し、砂色の空間に赤色をつける。
皮膚は炭化し、胸部は真っ赤な液体で溢れていた。大きなスプーンでゼリーを掬ったような抉れた痕が残っている。
「痛い……うぅ、機械って、すごい、んですね……」
しかし、流れる血はすぐに収まり、傷は絵具が溶けている液体が紙に滲むように塞がっていく。震えながらも、ゆっくりと起き上り、炭化した皮膚は剥がれ落ちれ、白い肌が露わになる。腹部や肩に積もった砂がぱらぱらと落ちる。息が切れ、血がぽたぽたと砂を染み込ませる。
「さすがにまずいかも……」
風化した天井からはイノが通過した穴があり、そこから弱い光が射す。瓦礫から抜け出し、何かの機械だった箱のようなものに背もたれ、そのままずるずると床に腰を降ろす。
ちょっと休みたいな、とささやくように言い、部屋全体へと視界を広げた。ぼんやりした目だけを動かした。
「少し明るいなここ……」
天井から差し込む光も非常に弱い上に散乱していないにもかかわらず、うっすらと明るい。独特な形をした古い機械機器が並ぶ空間のどこかに光源はあるのかとイノは壁に手をつき、立ち上がる。
「ここからか」
もはや化石と化している機械機器のひとつから光が漏れている。そこにも壁画と同様の幾何学模様の絵も混じっているも、何かの絵が描かれている。それを知る由もないイノは爪を立て、剥がすように外装を取り外す。半ば石質なのか、風化していた。
眩しいほどまではいかないが、光源としては十分に発光している鉱石が塊として入っていた。微かに感じる静電気と磁気。片腕でなんとか抱えられるほどの大きさだ。
「これ金色に光ってる……」
発光している鉱石によって顔に陰りをつくる。真っ赤な瞳は黄金色を映していた。
瑛梁国選抜隊、そしてイノが探し求めていた"ルミナスの柱"は、かつての文明の保存管理機に収納されていた。
「ちゃんと保管されてるじゃないですか。これなら星をみせられますね」
失いかけた笑顔を取り戻し、明るい顔になる。イノは鉱石を取り出す。
「よし! あとはこれをー……どうすんでしたっけ。ってうぉあ!」
炎光を纏った鋼鉄の一弾が保管庫を粉砕する。転がり避け、体勢を調えたイノはルミナスの柱を担ぎ直す。
視線を向けた先、腕に担ぐほどの黒い機械の大型機関銃を向けている連邦軍大佐がいた。その武器も『量子転送』によって出現させたものだろう。冷酷な目で、殺すと強くイノに伝えている。
「もういいじゃないですか、別にわざわざ僕狙ったって時間がもったいないだけですよ」
「この島に遺ってある文化はおよそ百年前のものだ。しかし、今目覚め、暴れている古代兵器は百年どころではない。千年を超えた先、今ある文化とは別の文明の手によって造られたものだ。その文明が滅んだ骸の上に、百年前の集落が成り立っている」
機銃から電子音が唸る。語るフェルディナントの口は真剣さが込められていた。
「その岩は大昔の文明を亡ぼした原因のひとつだ。集落が滅んだ原因とは異なるが、それひとつで島の機能が臨界点を超え、オーバーワークで停止してしまう。生み出すエネルギーと伝導率が高すぎるんだ。資料に記載されているような夢の鉱石ではない。この島を有効活用する我々にとっては必要ない以上に不都合なものだ。それを捨てるんだ、旅人」
汗が伝う。構えた体勢は一寸たりとも動きはしない。
旅人の口が動く。
「申し訳ありません。お断りします」
地面から爆発が生じる。そこから噴火するように転がり飛んできたのは金色の鉱石を担いだ旅人の姿。土埃にまみれ、けほけほと咳き込む。再び蒸気で暑苦しい地上、否、山内部の施設に出る。
「容赦ないなぁあの人」
手に入れたはいいが、それをどう使うかを考えながらイノは紅い炎が包む黒い弾丸の雨をその脚で避け、逃げ続ける。後に利用するであろう工場に似た空間に躊躇いなく撃ち続ける大佐の目は貫徹的な狂気を帯びている。
交差する人ひとり分の鉄橋路を駆け、パイプの上を走り、飛び降りたり、ボイラーらしき機械の上を風のように走り抜ける様は脱走した猿のようでもあった。縦横無尽に飛び回るフェルディナントはフリーランニングをする猿を追いかける。
イノは垂直の壁を両の脚と右腕だけで斜め上にかけ上り、狭い通路へと入る。大佐もその中へ突き進む。
そのとき、イノは棒状の鉄骨を拾った途端、踵を返した。後ろからジェットによる滑空で迫ってくる大佐を迎えうつ。当然のようにフェルディナントは装甲を纏った大型機銃で対抗した。
物体に触れれば化学的爆発を引き起こす機銃の弾丸にただの鉄の棒など、無謀に等しかった。その場が崩れ、吹き飛んだイノは天井を削り、壁を突き抜ける。
「うぉっ! なんだ!?」
突飛に崩れ落ちた壁に驚く声はドレックのものだった。向かう道に瓦礫が撒き散らされ、オービスらも走る足を止める。
「げほっげほ、ニコチン中毒になったらどうしよ」
焦げた臭いがするイノは起き上がり、ふと横に視線を移した。紅い眼がぱちくりと開き、思わず口を開けた。
「あ! シードの友達の!」
「おまえは……っ」
イノはぴょんと立ち上がり、片腕に担いでいた金色の鉱石を一番近くにいたドレックに押し付けるように持たせた。
「えっとー、とりあえず渡しておきます! たぶん何とかの柱です。ちゃんと持っててくださいね。では!」
「重っ、いやちょっと待ておまえ! ちょっとは説明――」
崩れた壁から無数の炎の弾丸が飛んでくる。向かい側の壁に被弾し、爆炎を起こしたと同時、同じような穴ができる。そこにいた旅人は悉く避けたのだろう、無傷のまま同じ立ち位置にいる。弾丸がとんできた方向に目を向けている。
何かのジェット噴射音が轟いたと同時、イノのモーションは人を投げ倒す武術的な技を繰り出したような姿勢になっていた。その床に叩きつけたものは、全身機械鎧の金髪が目立つ連邦軍大佐だった。しかし、バシュッ、と装着されたジェット装置で倒れた姿勢からでもイノから抜け出し、体勢を調えた。
「……! 貴様らは……!」
選抜隊に目がいったフェルディナントは咄嗟に右腕の大型機銃を向けた。両腕がふさがっていたドレック以外が銃口を向けたとき、
「こっちですよ」
その声と同時に、フェルディナントの背に数発被弾する音が響く。頑強な装甲を前に弾丸は変形して弾かれるも、大佐はバッと振り返った。そこにはコンパクトな短機関銃を持っているイノがいた。不覚にも背後を撃たれたことの屈辱以上に、装甲に銃弾が当たったことに疑惑を感じていた。
(シールドが展開されてない……?)
まさか、と大佐は息を呑む。
いつからかはすぐには思い出せない。しかし、どこで壊された。
「よっと」
イノは瞬発的な速度でフェルディナントの頭部に踵を落とす。しかし、その直前で機銃に被弾し、簡単に奥へと爆炎にまみれながら吹き飛んでいく。すぐに振り返り、大佐は銃口をドレックに向ける。
「――っ!」
が、その姿は衝撃音と共に消える。最後に白い髪が見えたので旅人が仕掛けたのだろう。どこへいったのか、ふと高い天井を見ると、なかったはずの抉れたような穴が空いていた。風が吹いているようで、ぱらぱらと鉄くずが落ちてくる。
共に外部へ出たのを認識したドレックらはやっと言葉を出すことができた。十数秒の間の出来事だった。
「今のは……まさかフェルディナントと……?」とホビーは武器を構えたまま唖然としていた。
「にしてもなんだあの武装は。あんなんシードでも作れたことねぇだろ」
お気楽なラックスでさえ、真剣な目を向ける。
「少なくとも、あれに関わったら大方勝ち目はないだろうな。あの旅人本当に何者だよ」
つぶやいたドレックの抱えている金色に光る鉱石を全員がみる。
「ていうかこれ、マジでルミナスの柱か?」
「あの旅人がみつけったてのかい。どこでみつけたんだろうね」
「綺麗だなぁ」とホビーはうっとりした声を出していた。
「とりあえず材料はそろった。急いで動力炉へ向かうぞ」
そう言ったオービスは先へと歩を進める。
「おい、これ持ってくれよ」
「年寄りにそんなことをさせるのか?」
「くっそ、こーいうときだけジジイアピールしやがって。クソ隊長め」
「僕も重たいものはちょっと……」とホビー。
「私も遠慮するよ。生憎バズーカより重たいもの持ったことないんだ」とダリヤ。
「なーに今更女子アピールしてんだ女軍人。テメェら本当に採掘師か。ラックス、頼んだ」
「俺は戦闘に集中してぇ。こーいうのはドレックみてぇな若者に任せんのがいちばんなんだよ」
「俺副隊長なんだけどその権限は無視されんのか」
「いいから走れタコ野郎」
ダリヤの言葉を最後に、一同は走り出す。「待てよおい……」とドレックは最後尾になりながらも遅れを取らないようにルミナスの柱を担ぎながらついていく。
頂上付近の半壊した測候所。赤い竜人の奇襲によって壊されたその場所は、夜を迎えた前とは大きく異なり、蒸気が噴水のように吹き出し、バイロ連邦の基地として聳え立っていた場所はガスが漂う地と化していた。その崩れた測候所の前に軍大佐と旅人が向かい合う。
「余計なことを……!」
冷静さはあるも、半ば怒りの感情を眼光に込める。今にも身を斬られてしまいそうなほどだ。その氷の怒りを静かに揺らめく紅い瞳で受け入れていた。
通信が壊された以上、兵や幹事に指示を出せない。彼らの判断次第で未来が変わる。その不確定さにもどかしさを大佐は感じている。
「瑛梁の奴等を始末したいところだが、それを貴様は妨害するんだろう」
「まーそうですね。せっかく見つけた石を渡したんですし、それにシードの友達ですし」
準備運動をしながらイノは話す。
フェルディナントのパワードスーツから出力を上げるような駆動音が聞こえる。ジャコン、と大型機銃を装填し、甲高い機械音を鳴らす。翼部を動かし、ターボジェットエンジンの音を唸らす。
「さて、もう一歩いくとしますか」
旅人はニッと純粋な笑みを向けた。




