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神王伝史-GOD CHRONICLE-  作者: エージ/多部 栄次
第三章 孤独の影光 廃島フォルディール編
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第49頁 人間として ―An Epic of Lippisch―

 真っ赤な竜眼はリオラを見つめ、唸り声を上げる。

 風の声が聞こえる程の寂寞。リオラは皮肉を込め、口を開いた。

「ちゃんと理性はあるか? リピッシュ」

「――ヴァアアアアアアアア!!!」

 牙を剥き出し、唾液を垂らしては金属質の筋肉を盛り上げ、大気を共鳴させるほどの咆哮をする。最早先程まで存在していたリピッシュ・タンクは喰われてしまった。

 轟音。爆撃のような音は二人から生じた。

 鋼の獣――鬼龍は既にそこにおらず、投げ飛ばされたようにリオラの背後で宙を舞っていた。その肩部には殴られた痕が残っている。同時に、拳を握り、屈んでいたリオラは身体の前面に4本線の大きな爪痕が刻まれていた。

 カサリ、と鬼龍の静かな着地は草を踏む音しか聞こえなかった。その眼光は一時もリオラから逸らしてはいない。

「野郎……」

 リオラは振り返り、目を開く。刻まれた傷は塞がりかけていた。

 瞬発的に射出された拳は空を殴り、圧を飛ばす。鬼龍の腹部に被弾し、少しだけ後ろへ傾く。

 そして"直"に28発。一秒すら経っていない間に至る重撃の連鎖は鋼の皮膚に拳の痕をめり込ませる。

「――ッ」

 しかし、瞬速であったにもかかわらず、その大きく鋭い爪で捕えられてしまう。口を大きく広げたとき、流石のリオラでもゾッとする感情が沸き上がった。

 喰われる。

 そう悟ったリオラの取った行為は、

「――アアァアア!!!」

 鬼龍は大口を開け、叫ぶ。その首元――肩甲拳筋が噛み千切られていた。鋼の肉体、否それ以上の硬度を誇る鎧を噛み千切るその咬筋力と歯の頑丈さ。糸切り歯とは呼べぬそれは、まさに牙そのもの。

 捕まれた力が緩み、リオラは抜け出すことを試みたが、その前に大地に叩き付けられる。

 舞い上がった砂埃は風が瞬く間に運んでいく。

 激痛に耐え、起き上がったリオラは口に入っている鋼筋繊維を咀嚼する。飲み込み、ニィッと笑う。

「固すぎるが、やっぱり美味ぇなぁ。初めて"喰われた"気分はどうだ、"リピッシュ"」

 黒っぽい鋼色の肉体に真っ赤な血管を浮かべ、鬼龍は身を屈む。

「来いよ。今度は受け止めてやる」

 細胞にATPとNADPHを装填。

 その赤い眼球で照準を合わせる。体勢を構え、狙いを定める。

 脳の電気信号を運動神経へ伝達させ、撃発。

 神経末端から放出されるアセチルコリンと心臓を叩くことで筋肉が押し出され、血流の速度を増す。

 その身を弾丸として発射した。

 秒速2041.74m――マッハ6を突破する。

 そして対象物リオラに弾着。

 しかし、今度は飛ばされることはなかった。緑の大地を抉り、森に入り、廃墟の町を抜け、山の崖に衝突する。だが、リオラは倒れることなく、その脚で踏みとどまっていた。

 ガフッ、と血を吐いたリオラは「ヘッ」と笑う。

「オレの勝ちだな」

 脆く、滑りやすい大地に――否、その更なる深き場所である大陸プレートという頑丈な踏み込み台に力を伝達、加重し、その顔面に踵蹴りを繰り出した。

 

 自然の恵みのみで咲き乱れたコスモス畑に、鋼の暴力が天より墜落する。群集のコスモスはゆらゆらと揺れ、鬼龍の重いにくたいを迎えた。

 鬼龍は眼球を見開き、すぐに起き上っては右腕を薙ぎ払う。その腕に捉えたのはトドメを刺そうとしたリオラ。軽く吹き飛び、コスモス畑を転がる。赤、白、桃色の花びらが散る。

 リオラの血と体熱で、コスモスは焦げ、吐血したリオラの周りだけ草花が枯れていく。

「ゴボッ、げほ……ハァ……脳が揺れてると思ったんだけどな」

 リオラは少し想定外の出来事に溜息をつき、鬼龍をみる。

 獣の怪物だが、人型に近い。それであるにもかかわらず、頸椎の太さと頑強さは異彩を放ち、二足歩行に甘んじる人間の姿とは構造的にも比較の対象ですらなかった。巨大な頭部を常に支えねばならぬ四足歩行の大型獣にしてようやく比肩し得るほどの頸椎を、鬼龍はものにしていた。

 故に、脳震盪を起こすことなく、先程の一撃に対抗できたのだろう。リオラはそう感じながら鬼龍の挙動に警戒する。

「……へぇ」

 リオラは静かに笑った。待っていたと言わんばかりに、赤い髪の毛を逆立たせるように、高揚と戦意を増していた。

 前傾姿勢。それは、今の時代を生きる人間にはとても体現できぬ美しい構えだった。

 短距離走のクラウチングスタート。相撲における立ち合い。そのどれとも異なり、それよりもさらに低い。それは猛獣の戦闘態勢。

 鬼龍の構えは前進そのもの。後へ跳ぶことも、横に躱すこともない。前へ進む以外はすべて排除した突進体勢だった。

「テメェがその気なら……応えてやるぜ」

 逃げも、躱しも、退きもしない。

 牽制フェイントは仕掛けない。

 真っ向勝負で打ち砕く。

 断じて迎え撃つその意志は、理性を失いかけたリピッシュの本能に強く焼き付けた。

 そしてそれは、戦闘欲に溺れていたリピッシュの薄らいでいた意識を呼び起こした。



(……)

 俺は、なにをやっている。こんな姿になってまで、何の為に戦っている。

 リピッシュ自身も気づいてはいた。フェルディナントが自分に鬼龍の血を飲ませたのも、肉体の一部と化しているこの鎧も、すべては"実験"なのだと。

 自分は、サンプルなのだと。

 この島で幾つも開発したばかりのものを重点的に使用しているのは、今後の戦争で使えるかどうか。この島の技術は本当に使えるのか。

 違う。

 この島は、あの大佐専用の実験場。そうなることは分かっていたはずなのに。


 刹那、鬼龍の肉体は発火。五体は炎と化し、その全力マックスを獄龍の竜人にぶつけた。


「――!」

 ふと思い浮かべたもの。

 戦時中にも幾度もあったこの感情。

 海洋性気候の温暖な地帯にある我が家。そこに住む愛する妻と愛しい娘。娘はもう8歳。自分が帰ってくるたび、娘は玄関から飛び出し、抱き着いてくる。そしてあとから来る妻は安心したような、嬉しさをこぼしたやさしい表情で迎え、キスをする。

 娘の向日葵のような笑顔と妻のコスモスのような微笑み。

『――おかえりなさい』

 妻の作るジャガイモのスープと好物のテューリンガー。そして定番おやつのブッター・クーヘン。私はそれを食べながら、娘が楽しげに学校のことを話し、私の土産話を楽しみにしている。

『パパ、いっしょにあそぼ!』

 帰りが昼だと、必ず娘はそう言って、休ませてくれなかった。

『またこんなに怪我をして……でも、あなたが無事で本当に良かった』

 どれだけ怪我を負っても、この顔が吹き飛び、父の顔を失っても、妻と娘は愛してくれた。

『大丈夫よ。あなたがどんな姿になっても、私たちは愛してるから』

 その笑顔がどれだけ救ってくれたか。その愛情がどれだけ……。

 俺はこの家族の為に今を生きている。そして妻や娘は、いつものように今回の任務を無事に終え、帰りを待っている。

 今日まで無事に生き延び、家に帰ってこれた。

 だから、私はこの戦いに勝利し、生き延びなければならない。

『――いってらっしゃい。無事に、帰ってきてね』

 人間として、生きて帰らなければならない。

(なんだ……涙か……?)

 今からでもまだ、俺は人間として――


 ドシュ。


 ぼやけた目に確かに感じる痛み。

 何をしていた。

 あの竜人族に打ち勝とうとしてこの腕を……。

 腕がない。

 竜人族は何処だ。

 地面は何処だ。

 見える景色は激しく世界を回っている。

 目の前に地面が向かってくる。巨大な壁が倒れてくるように、地面が迫ってくる。

 軽い鈍痛。落下によるものだと後に気づく。

 心臓部を見る。先程塞がったはずの傷が再び空いていた。今度は正面から突かれたような傷ではなく、抉られたような深傷。

 血は止まらない。流れてゆくほど、落ち着いてくるふしぎな感覚。我に返ったような。何かに操られ、求めるままに狂っていたような。

「一瞬だけ迷いが生じたな。それがテメェの敗因だ」

 満点の星空とぼんやり浮かぶ満月を視界に、竜人族の声が上から聞こえてくる。土を踏みにじる足音。近づいてくる。

 そうだな。闘いの最中に家族を思い浮かべ感傷に浸るなど、軍人として情けない限りだ。

「気高き強暴の血を貪り喰らった愚かな人間よ……勝つってのは、敵をぶっ倒すことじゃねぇ。餌を喰らうってことだ」

 喰らう……おまえの闘う意志も、俺の血が求めた理由も、一緒だったな。一理ある。

 そう言おうとするも、声が出ない。

 身体ももう、動かない。

「意志のままに、己の我儘を貫き通す。それが力だ。力がなけりゃ、喰らうことはできねぇ。生きることもままならねぇ」

 力。

 そうだ、俺がここまで来れたのも、力あってこそだった。しかし、求めすぎた俺は、人間を捨ててしまった。あと少し遅ければ、このように考えることもないまま、獣と化していた。皮肉にも、この男に借りを作ってしまった。

 ここで俺の人生は幕を閉じるのか。戦争でもなんでもない、ただの無人島の開拓と技術産物のデモンストレーションと搬送の任務。しかし、そんな中で起きた、生涯最高の闘いをこの男は与えてくれた。

 フェルディナント大佐。申し訳ありません。

 あとは任せました。

「おまえのような強者は久しぶりだ。オレの渇きを十分に潤してくれた」

 この42年に及ぶ生涯。

 分かち合うべき戦友たち。

 愛する家族。

 ここまで強くしてくれた数多くの師。

 大陸最強の名を冠し、数多くの戦に勝ってきた。国に称えられた栄光は数えきれない。

 善き人生だった。

 ただ、家族に会えないことを悔いる。

 シャルロット。

 リーザ。

 すまない。

 家を出る前、おまえたちにもう一度、伝えるべきだったな。

 

 "愛してる"と。


「――感謝する」 

 彼は愛する人の笑顔に似たコスモスを見、静かに潤んだ瞳を閉じていった。

 その様子を、赤き竜人は最後まで見届けていた。

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