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神王伝史-GOD CHRONICLE-  作者: エージ/多部 栄次
第三章 孤独の影光 廃島フォルディール編
49/63

第48頁 厄災の獄龍VS剛龍殺しの鬼龍

 海岸近くの拠点と山頂近くの測候所を繋ぐロープウェイの乗り降り場兼空挺着陸場。半内部、半外部として居座るその広いエリアには武装兵50名、重装兵30名、機動兵20名の計100名の小隊が正方形型に整列している。彼らの視線はすべて、異様な鎧の兵に向けられていた。

 それは、鋼そのものだった。デザインもペイントも一切ない、しかし圧倒的な威圧がその頑強な巨体に武装として纏うかのようだった。強いて挙げるとするならば、その筋骨隆々とした肉体の描く肉体美がそのまま鋼鉄鎧として具現化されたといえるだろう。背後に映る島の電光がその巨体の肉体に光と影のコントラストを映し出している。

 ヘッドも同様、頭蓋骨の円滑さをそのまま再現したかのようなもの。しかしその面に刻まれた視覚部位は鋭い獣の如く、しかし無機的に赤いレンズライトが黒い眼窩の中にぼんやりと灯している。無数の細かで細長い牙が並んだかのような、空気孔として機能されているだろう口は顔面部位の三分の一を占めている。

 そのアームは、人間の手のように繊細でありながら猛禽類の爪を有し、大猩猩オオショウジョウの如き剛腕をも備える。

 しかし、その鎧は決して多種の機能を備えるパワードスーツではない。回路もなければ電力もない。あるのは『力』だけ。人体という型の弱点を補強させ、ただ破壊力と俊敏性を特化させ、最低限の機能しか持たないように、その鋼の本質を引き出せるようにした正真正銘の『鎧』といってもいい。


 その鋼はかつて、剛龍殺しの名を冠する軍事大国の英雄だった。鋼の発した声が、その場の兵全員に連邦軍大尉「リピッシュ・タンク」だと認識させる。

「今の現状についてはおまえたちも十分にその目で理解したはずだ! たった2人の侵入者ネズミに幾つもの隊を壊滅させられ、兵器も折角のキャプチャーもTティーガーや曹長ハインケルと共に破壊され、挙句の果てに不意を突かれ、捕虜は逃げ出したという失態ッ!」

 リピッシュは怒鳴るような声を上げる。しかし、誰もが防弾マスクをしている為、その表情は窺えない。

「これは紛れもない事実! しかし結果ではない! まだ終わってはいない! 歴史として築き上げてきた軍事大国バイロの名において、この逆境に屈するな! いいかァ!」


 ――ハッ!!


 現場総勢100名の了解は音の塊として大尉リピッシュにぶつかってくる。

 それを感じ取ったリピッシュは迅速に指示をしようと口を開いたとき、数人の兵の挙動に目が行った。

 マスク越しで分からないが、声が漏れ、強張っているにもかかわらず震えている以上、正常ではないと判断できた瞬間、

「――うわぁああああああああああ」

 装備していた携帯銃を命令なくリピッシュの頭部に向けた――否、微かに照準がずれている。

 背後に感じた熱いほど寒気立った殺気。

 リピッシュはバッと振り返った。

「――ッ!」


 兵から聞こえた同時発砲。

 ズドォン! と重たい銃撃。

 風がビュオッ、と吹き付けてくる。

 しかしそこには何もない。ただ、暗い夜空と瞬くほどに照らされた廃墟と無人の工場の街並みが景色として映っていただけだった。

「……?」

 何もない。では何故部下は虚空に向けて発砲したのか。

 そして感じる、背後の虚空。音も気配もない。まるで生命が感じられない。

 それはリピッシュ自身の気のせいなのか。100もいた部下は今、後ろにいるのだろうか。

 大尉は踵を返すように、その身を背後へと向けた瞬間だった。


 動転。

 否、その暇さえなかった。

 撃ち合った60ポンド砲弾同士がぶつかり合ったような衝撃音は自分の頭部から発した。その引金トリガーは、眼前に見えた紅い龍の鬼気ある眸瞳ひとみ

 顔面だろうか。いや、この脳の揺れは急所の顎先を狙った打顎ストレートによるもの。そう感じ、暗転からぼやけた視界に移り変わった景色は、やはり暗い。

 否、自分はあの場所から、山から放り出されるように高き空へ殴り飛ばされているのだと理解した時には、天から下される拳の鉄鎚が腹部を突き、傾斜45度直線状に独立山峰(ふもと)の廃工場に叩き付けられていた。

 隕石の如く地に衝突し、それでも衝撃を殺しきれずアスファルトらしき分厚い石床を深く削りながら、リピッシュは敵の位置を確認しようと目を見開く度、その瞬間に剛健な拳の餌食に遭う。その度衝撃波が生じ、大地と大気を震わす空震となる。それは脆弱なコンクリートでは、あるべき形状を保てないほどの威力。まるで大気中が地盤と化したように、"地上"に地震を発生させる。

 鉄板柱にぶつかってはぶち破り、体勢を取る前に殴り飛ばされる。吹き飛ばされる身体の勢いを止めるために掴んだパイプやボイラーも当てにならず、包装ビニールのように簡単に破けては蒸気を吹き出す。相手の全貌も確認できないまま殴られ、何層もの壁を突き破る。

 起きる。殴られる。

 避ける。殴られる。

 防ぐ。殴られる。

 殴る。殴られる。

 そして一蹴。胴に直撃したリピッシュは撃ち出された砲弾のように直線・水平に飛び、工場を突き破るにとどまらず、付近の高さ24メートル直径18メートルの円柱タンク3基を貫通、崩壊させる。更に金属加工工場らしき廃墟に衝突し、内部の使われていない焼結炉に体を預けたところでやっと勢いは収まった。

 工場を突き破ってきたためか、この島特有の有毒蒸気が損傷した壁やパイプから液体のように漏れ出している。

「……ぅがふ……げふっ、ごほ……ハァ……ハァァ……」

(あの竜人族やろう……かましやがったな)

 リピッシュは重量感ある身体を起こし、正面から来るであろう一撃に備える。

 不意打ちに見事に嵌り、情けを感じたが、赤いライトを灯し、戦闘態勢ファイトスタイルを取る。

「結構効いたぜ。……竜人族」

 漂う蒸気は濃霧と化す。その奥から悠々と赤い竜人――リオラが蒸気を纏い出てくる。重機並の重量を誇るであろうリピッシュの鋼色の鎧を天まで殴り飛ばし、大地を震わす程叩き落し、この島の文明である建造物を崩してまで吹き飛ばした両の拳は黒いズボンのポケットにしまわれている。

 リピッシュの纏う鋼の素材は、世紀の革命者フェルディナントによって作られたウルツァイト窒化ホウ素含む特殊合金でできている。非常に衝撃と熱に強く、しかし弾性のある新たな金属。それは世界一の記録を更新させた。

 フェルディナントが精製・加工したのが最近である上に公表されていない金属の為、その名前は未だにない。

「流石『鬼龍の血』だな……『器』もそれ相応の適合者じゃねぇと、最初の一発で死んでただろうな」

 リオラは歯を剥き出し、賞賛の言葉を贈る。開いた口からは蒸気が漏れ、熱波が漂っていた。

 龍類最強種『鬼龍』の血……その血が薄かれど、それを宿す『殻』の中で流動している音も、存在する匂いも、リオラは感知する。

「が、事情がどうであれ、竜の血の一滴も流れてねぇ人間が口にしていいものじゃねぇ。そいつァ猛毒の麻薬だ。その力を自由に発揮できるのも今だけだ」

「だが対処法はある。そうだろ?」

 リオラの警告に反してリピッシュは鼻で笑う。反論以前に、異人種のことなど最初から聴くつもりがないような口調だった。

「竜の血を飲み続ければ制御できる。また飲まずとも三日は理性を保てる。それに俺が飲んだのは鬼龍の血を希釈して作られた人間用の増強薬だ。本来のリスクよりは格段に低い。ただ、食欲が増えすぎて、貴様がただの餌に見えるがな」

 リピッシュはリオラの逞しい肉体を頭部から爪先に至るまで嘗め回すように見つめる。

(……こいつァすげぇ……)

 人によって造られた物。自然によって形成された生物の肉体。

 例えば、物を切ることに特化したナイフや刀。

 飛ぶことに特化した鳥の翼や虫の翅。

 速く走ることに特化した列車や戦闘機。

 その一点にのみ向け機能を追求し、無駄を徹底的に排除したその姿は美しく、人心を惹きつけるものだと、いつの時代でも、どこの世界でも伝えられている。

 リピッシュが得た特殊でもある鬼龍の眼で視えた獄龍リオラのもつ機能美は、つい見惚れてしまう程だった。

 筋肉組織……骨格……内臓……循環器……。そのどれもが異彩、鬼才であった。言い換えれば、狂っているほどまでに異常な肉体構造だった。人体改造、遺伝子操作でも到底辿りつくことのできない、生まれつきの強さの結晶を宿している。

 つまりを言えば、闘い、仕留めるという行為に極度に特化した肉体であること。

 それは、この上なく美しいものであった。

「……喰いてぇ」

 そのとき発した言葉は、無意識に出てきたものだった。身体が求めている。流れる血が『喰いてぇ』と暴れている。

 これが自分自身の欲求にして願望だとするならば。リピッシュは心の底で笑った。

「ハッ、オレも同感だ。テメェの肉を……その全身に流れる血を一滴残らず啜りてぇよ」

 リオラは腹の底から静かに笑う。掠れたような、小さい笑い声。それでも、この場の空気を揺らすほどの重い声。

 リオラもまた中毒者。血に飢えた捕食者に過ぎない。戦に飢えた格闘者に過ぎない。

 飢餓と退屈。その両方を解消させる方法。

 それは、強い者を狩ること。

 

 ズダン! と両脚を踏み鳴らし、砂埃を舞い上げる。踏み込みの前兆あいず。両者は地を踏み込み、投球ピッチングの如く全体重をかけた一撃を顔面へ放つ。

 互いに『力』をぶつけあった双方は仰け反り返り、体勢を大きく崩す。

 とても人間が殴られた音でもない。

 それどころか装甲兵器が砲弾で撃ち抜かれた音でもない。それ以上の音が工場内の金属を共振させる。金属疲労なのか、岩盤のように金属が罅割れる。

 しかし、互いの脚は崩れることなく、再び地を抉るほどまでに深く蹴り、同じ箇所を目がけて撃つ。

 

 大工場を崩しながら突出してきたのは二体の怪物。血に飢え、餌を欲する獣が島を縦横無尽に暴れる。

 滑るように大地を駆けるその速度は、カーレースよりもはやく、スケートよりも華麗で、格闘技のように荒々しい。

 放浪する古代兵器をも、連邦軍兵をも巻き込み、巻き込まれたものはいとも簡単に潰れてしまう。その脚が大地に着くだけで木々を根こそぎ、振るう拳は山を削る。大地は揺れ、海は共鳴する。その震源は彼らから発生していた。

 廃墟を貫き、触れるものすべてを抉り壊す。

 鋼の獣と炎の獣。しかし獣といえども血は龍を継ぐ。

 鬼龍と獄龍。

 最新の兵器と最古の野生。

 暴力と獰力。

 竜人はこの島から吹き出す蒸気のように全身体温を上昇、薄く鱗を帯びた肌は高温のあまり赤色に近づき、汗をも、周囲の大気をも蒸発させ、白い煙に近い蒸気を噴き出す。温度差で生じる大気の捻じれ。まるで竜人の禍々しい狂気オーラが空間をねじ曲げているかのようだった。

 鋼獣のあまりにも堅固な鋼は狂気的なオーラをも内に封じ込める。膨れ上がる殺気と血肉は鋼に抑え込まれ、それらは暴怒へと化学反応する。

 踏み込む一歩も。

 繰り出す一撃も。

 力は地から始まり。

 足。

 脚。

 腰。

 胴。

 胸。

 肩。

 腕。

 手。

 そして指へと伝達。

 関節ごとに力は増幅、加速。

 一次関数ではなく、二次関数のように膨れ上がる重さと速さ。

 その拳は音速。空気の分厚い壁を速度で突き破った拳は衝撃波ショックウェーブを引き起こす。

 内機関インターナルは燃料を燃焼コンバッションし、動力装置エンジンピストンを奮い立たせ、排気音エグゾーストを噴射。

 流れは血のままに。解放は肉のままに。

 殴打する音は金属そのもの。唸るにく機械マシンの駆動。

 竜人の噴出する蒸気は高温を越え炎を漂わせる。

 筋原線維は激しく往復動するピストンと化す。

 踏み込む地面はあまりに脆すぎる。

「清々しいものだな! こんなに人を殴り飛ばせるってのは!」

 リピッシュは笑う。酔狂な口調で、大気を捻じ曲げるほどのリオラの一蹴を避ける。

「最高だ」

 ズム、と腹部に一撃。血を吐いたリオラは一直線に吹き飛び、あらゆるものを薙ぎ倒す。

 1㎞先の海岸線、バイロ連邦の潜水艇のある拠点に激突した。ぶつかった潜水艇は深く凹む。

「……っ?」

 リピッシュは自分の腕から煙が出ていることに気がつく。焦げ付いたような臭い。先程浴びたリオラの血から煙が出ている。

「毒性の強酸……本当に竜人族か?」

 しかしリピッシュの鋼鎧は表面のメッキしか溶けることはなかった。

 どこの惑星から飛来したん(エイリアン)だと笑い、その脚力でリオラのいる場所へ跳ぶ。


 海上に浮かぶ、停泊した潜水艦に激突したリオラは軽く吐血する。彼の肌に触れている場所は高温と化し、溶解してしまった。発汗・気化した熱はオーラとして纏う。

 リオラは起き上がり、地に降り立つ。溶解した場所は溶岩のように溶け、穴が空いていた。

「……にしても、バカみてぇに硬ぇなあの鎧。ぶっ壊せると思ったんだがな」

 そう呟き、後ろを振り返る。

「こいつは……」

 思わず、見上げてしまうほどの闇夜に染まる駆逐艦が海に聳えていた。古代兵器を搬送するための輸送艦。やはり目の前にあると圧巻的な巨大さを誇る。

 しかし、リオラにとってそれは、とてもちっぽけなものに見えた。たかが人間の造った物言わぬふね。外部に強い鋼鉄の壁も、所詮は鋼鉄。己の体熱で溶けてしまい、叩けば壊れる代物を兵器とはいえなかった。

 リオラは拳を握りしめた。艦にではなく、背後へと振るった。

 右ストレート。それに対するはアッパーカット。リオラの拳には確かにリピッシュの顔面を捉えた。しかし、力の伝達は向こうの方が一枚上手だった。

 抑えつけたバネを離すように、勢いよく飛ばされたリオラの身体は高い放物線状を描き、戦艦にも見える駆逐艦の甲板に落下する。

 ――ズガァン! と敵国のミサイルでも撃たれたかのような轟音に、船上にいた兵士と、艦長『ファーガス・ホルスト』は驚嘆する。

「な、何が起きた!」

 凹んだ床と壊れた貨物。そこに仰向けで倒れている赤髪の男。

 同時、船頭にガゴンと鋼の塊が降り立つ。戦艦がゆらゆらと揺れ、波を立てる。頼りない白い照明がその鋼を照らす。

「この船を狙うたぁいい度胸してんじゃねぇか!」

 鋼は吠える。砂埃が舞い、ガラガラと起き上ったリオラは舌打ちをする。

「……チッ、あいつと出会う前にぶっ壊しておけばよかったぜ」

「その声は……タンク大尉か!」

 二人の領域――危険区域に入り込んできたのは艦長のファーガスだった。提督の服装と提督帽、目元の皺が目立ち、立派な口髭が特徴の体格のいい50代の白髪交じりの初老は鋼に訊く。はっきりと通った声だが、その表情は恐る恐る、という表現が正しいだろう。

「ファーガス! キャプチャーの搬送はすべて任せた! 俺はこのクレイジーな竜人族をぶっ殺さなきゃなんねぇ!」

 瞬間、リオラのいた場所に火柱が起きる。

 爆発音、ではない。

 巨大な何かを壊す音だった。

「――貴様ァアアアアア!!!」

 鋼の獣は怒り狂う。

 戦艦規模の頼み綱は壊された。

 否、完全には壊れていない。凶暴な古代兵器を積むための海上要塞は、他国の戦艦以上の高度を誇っていた。リオラの蓄積された疲労とダメージも原因の一つだった。舞い上がった火柱を中心に船が半分ほど沈み、殴った場所に穴が空く。周囲の兵士と資材は、爆圧で吹き飛び、海に落ちる者もいた。

(……一発じゃダメだったか)

 そう思ったとき、背中に重い一撃が走る。一瞬だけ見えた鋼色。

 しかし、リオラは身を流し、衝撃を緩和させた。

 着地。放たれた廻し蹴りは加速に加速を越え、音速と化す。

 言うまでもなく、その破壊力は人間の域を絶する。

 空気の壁を破る音。ソニックブーム。それが発射音としてリピッシュの肉体を島内へ蹴り飛ばした。

「大尉ッ!」

 思わず声を出したファーガス。

 それを最後に艦内は一度静寂になる。全員が、ただリオラの存在を見つめていた。

 畏怖した目。その目は、幾度も見てきている。彼らの考えていることは、心が読めていなくとも、分かり切ったことだった。

「……」 

 リオラは歩み、船首で立ち止まる。近くにいたファーガスを一瞥し、その姿は消える。彼を纏っていた煙のみがゆらゆらと残っていた。

「……まさか無人島に大尉と互角の異人種がいたとは……いや、そもそも大尉もあそこまで怪物染みているのは……」

 完全に筋肉が委縮していたファーガスは止まらない冷や汗を拭い、緊張がほどけた。喧騒の後の静寂は時の流れを一時的に忘れさせていた。



「……ッアア! 痛ぇ畜生が!」

 瓦礫の山と化した廃墟。大きな瓦礫をどけ、荒っぽく叫ぶリピッシュは一度よろめく。 

 撃ち込まれた鋼を通じ、当然本人の肉体にも影響を与える。伝わる衝撃は肉体の内外をも傷つける。流れる血は鋼の中身を満たし、凝縮され固体へと化す。

 息切れをし、激痛を堪える。今までの痛みとは何かが違う。ただの怪我とは違う。同時に高揚感と快楽が身を満たす。

(まさかな……)

 ある可能性を見出していたリピッシュは6mある瓦礫を掴み、円盤投げの形で斜め上へと飛ばした。

 瞬間、それは空中で打ち砕け、そこからリオラが現れる。

 着地、そして一振り。間一髪でリピッシュはその一撃を避けた――はずだったが、拳頭が掠ったのか、その鎧に斬られたような傷が入る。

 距離を取っては、地に足を踏み込む。やはり地面は砕け、思うように力を入れられない。しかしそれでも十分だった。

 ここだ。

 リピッシュは全身の筋肉を機械のように駆動させ、エンジンを滾らせる。ギアは整った。パフォーマンス、イメージは最良・最高・最善。ぼやけたような発光目レッドアイを鈍く光らせる。

 駆動。

 流動。

 拍動。

 暴動。

 発動。

 鋼は起爆する。


「――ッ」

 瞬発的突撃。

 その身は弾丸のように。猛威は砲弾のように。

 大気の断熱圧縮による熱の膨大。

 龍属最強の一種である、鬼龍の血。

 人間より強い異人種をも打倒し、世界最強を誇る肉体。

 そして無駄な機能を削ぎ落とした、シンプルなアーマー。

 それらの因子が、分厚い空気の壁を、熱の壁を打ち破った。

 その速度は秒速1020.87m――マッハ3である。

 

 リピッシュと共にリオラは独立山峰を貫通する。盛大に吐いた血も、空へと舞う。

 ブチブチブチィ、と繊維が千切れる音。骨が砕ける音。内臓がひしゃげる音。リオラの肉体は一瞬の悲鳴を上げる。

 山を貫き、森を転がり、平原にて勢いが収まる。夜風で草がやさしい音を奏でる。近くにはコスモスが咲き乱れていた。

「げほっ! あぐぁ……がはっ……」

 うつ伏せに倒れ、血を吐き続ける。出血よりも、身体がすぐに動かないことに重大さを置いていた。

 草むらを、鋼の脚がかき分ける。静かに歩み寄る音は、いつでも一撃を放てることを意味していた。

「ッ、この……!」

 天からの鎚。リピッシュの上からの一撃を間一髪で避ける。柔らかい土はリピッシュの拳を飲み込むように受け入れた。

 背後に宙がえりを打って地に降り立ったリオラは口に溢れた血を地に吐き捨てる。

 その足元は確りとして、ふらついてすらいなかった。血まみれの異様な姿は、竜というよりは鬼神のようでもある。

「……名前、なんつった」

 唐突の台詞。鋼は拍子を抜かれた思いになるも、名を告げる。

「リピッシュ・タンクだ」

「そうか……誇らしい名前だ」

 ぞわりとリピッシュの全神経が畏怖する。

 現実は物静かに語る人の顔。だが、悪魔的な貌が牙を剥き出しにして笑っているのが目に見えた。

 しかし、それは一瞬だけの幻。

 息をする間もなく、瞬きをする間もなく、リピッシュは胸部中央の違和感を察する。

 燃えた腕。真紅に染まった拳。悍ましい紫色の放電が纏っている。

 その獄龍の拳は、鋼の胸部に赤い罅を深く作った。全身に行き渡る赤い罅は流動する血管のようだった。

「……ごほっ」

 一度血を吐き、リピッシュは一度意識を失っていたことを把握する。次に来たのは激痛。しかし、声すら出ず、身体も毅然と立ったままで動かすことができない。罅から赤い血が垂れはじめる。

(こりゃあ……心臓潰れたか……?)

 胸部から拳を引き抜いたリオラは3歩下がる。そのとき初めて身体が自由になり、しかし前に倒れることしかできなかった。膝をつき、ガシャアン、と音を立て倒れる。

「……」

 薄らいでいく意識の中、リピッシュは思う。

 これで終わるのかと。

 やるだけのことはやったのかと。

 バイロ連邦に誓った心臓は、一人の軍人として使命を果たしたのかと。

 己の本能は、これで満足したのかと。

(まだ……まだだ……)

 もっとだ。

 もっとほしい。

 もっと……もっと……。

 何かが蝕んでいく。そう感じながらも、リピッシュは受け入れた。

 己の身の強さに身を委ね、己の気の弱さに心を委ねてしまった。

「……やっぱりな」

 リオラは決して近づきはしなかった。

 このあと、最悪の想定(どうなるかということ)ぐらい、わかりきっている。


 血統因子が細胞を侵食し、染色体――遺伝子・非遺伝子領域を書き換える。否、総塩基対数ゲノムサイズも、遺伝子数もヒトゲノムとは大きくかけ離れ、ある生物の情報ゲノムへと構築されていく。ウイルスのように貪欲に、カビが飛ばす胞子のように俊敏に書き換えられ、変異を告げる。

 細胞の変化。

 組織の変化。

 内臓の変化。

 意識の変化。

 鋼の質が変異し、全身の筋肉が大きく隆起する。やや黒ずみ、しかし、赤い罅は浮き出た血管として再生される。盛り上がった背中からは逆立った背びれのような棘を生やす。艶やかだった鎧は鱗を帯び始める。

 首が太くなり、竜首のように少し伸びる。そしてミキミキと生え始めた刺々しい尾。

 それは、誰の目から見ても、あの凶暴な血以外によるものではないとわかる程、露骨な変化だった。

 鬼龍の血。数ある諸説のひとつを述べるとすれば、その血は、肉体や精神だけでなく、金属などの物質をも蝕み、肉体の一部にするという。

 そして付け加えてもうひとつ。"血"に精神が敗ければ最後、その宿主に見合った、鬼龍の遺伝子(暴力本能)が具現化される。

 繭から羽化するように、その身を起こす。体高も増し、3mまでに至っていた。口の無かったマスクは裂け、怪物の如き大きな口を開き、咆哮す。平原ごと捲りあがりそうな音波は衝撃波そのもの。バチバチと感じる刺激がリオラの皮膚にぶつかってくる。

「言わんこっちゃねぇ……"血"が宿主を喰らい始めやがった」

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