表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神王伝史-GOD CHRONICLE-  作者: エージ/多部 栄次
第三章 孤独の影光 廃島フォルディール編
32/63

第31頁 廃墟のエンジニア

 コンクリートを砕き、山積みにしたかのような灰色の岩礁。その上に一本の木が絡み付くように固い根を張り、辛うじてその細い身を支えていた。生えている緑は少ないものの、数個の黄緑色の成熟していない、小さな果実が吊り下がっている。

 強い風で枝葉が揺らぎ、実っていた果実の内の一個がぷつりと落ちる。地面からはみ出ている固い根に当たり、岩礁の下へと転がっていく。岩の隙間を引っ掛かることなく転がり続ける。

 やがて緩やかな地面に変わっていき、岩から礫、そして砂粒の地へと転がっていく。

 コツンと何かにぶつかり、転がった果実は運動を停止した。

「……ん、あぁ……」

 目を開けば円を描く海鳥が目に入り、静かな漣の音が聞こえてくる。戻ってくる意識と共にあらゆる感覚も機能し、周囲を認知する。

 リオラは起き上がり、鉄屑や木片の突き刺さった鉛色の混じった砂浜に一晩中眠っていたことを思い出す。

「……もう疲れは取れたな。まずは……んぁぁ、食いもん探さねぇとなぁ」

 欠伸をしながら背をググッと伸ばし、転がっていた熟していない果実を拾っては口にする。果汁が溢れんばかりに口元を濡らした。

 ランディング号を離れ、海上、海中での争いの傷がまだ完全に癒えていない。十数頭もの海龍王リヴァイアサンと海中にひしめくほどの魚竜、海竜の群の猛攻をリオラひとりで相手するのは流石に無理があった。海上の竜の身体を飛び交い、溺れることのない身体は海中を縦横無尽に泳いでは竜をその手で殺し続けたが、それでも数が多すぎた。

 遠くにぽつりと見かけた島まで撤退することを決断したときのことを思い返し、己の弱さに歯を噛み締める。否、それまで出せたはずの力が出なかったことに不満を感じていた。

(この枷がなければ……いや、長年閉じ込められていたからか)

 手足の黒い金属枷を一瞥し、頭を掻く。

「あの白髪頭は……いねぇか」

 リオラはパシャパシャと浅瀬の一本道を渡り、眠っていた岩礁の小島を出ては辺りを見渡す。

 コンクリートの塊や赤煉瓦があちこちに転がっており、そこから錆びた細い鉄骨がはみ出ている。乾いた雑草が瓦礫の隙間から生えている。右を見れば半壊した防波堤とテトラポッドが積まれ、左を見れば潮錆びたコンクリートの壁が城壁のように波の侵入を防ぎ、沿岸側に立ち塞がっていた。

 傷が塞がっていることを確認したリオラは砂利を踏みしめ、倒壊した建造物と倒木の道を進み、内外が蔦に侵食された六階建てのマンションにも見えるコンクリートの建物の中へと入る。

「……誰もいねぇか」

 壁に穴が空き、ガラス窓も一切ない、薄暗い空間は独特の涼しさを感じる。上を見上げると天井がなく、吹き抜けのように空が小さく見えていた。光が射しているが、それでも薄暗く感じたリオラは、床に散らばっている小石程度の瓦礫をコツリと蹴りながら建物を出る。

 再び外に出る。そこには今入った廃れたコンクリートの建造物と同じような建物が散在と、しかし並ぶようにあった。工事途中のような解体しきれていない建物に苔や蔦の葉、屋上には細い木々が育っている。正面へと進む道は膝丈ほどの数種類の草が生い茂っていた。

(奥にデケェのがあるな)

 リオラの視線の先には鉄骨のみで組み立てられた大きな直方体の建造物に一本の鉄骨塔がそびえ立っていた。白の塗料が施されていたが、所々それががれて赤錆が一種のグラデーションを引き出している。

(……? なんかいるな)

 千里眼、地獄耳に等しいリオラの異常な感覚器は、すかすかの鉄塔に何かの影が動いたことを察知した。その上そこから声が聞こえた。人がいるようだ。

(あれはイノじゃねぇな……行ってみるか)

 逃しても問題ないと言わんばかりにリオラは黒いズボンのポケットに手を入れ、歩を進めた。


     *


 密林のように生い茂った深い森。上から逆アーチ状の蔦が垂れ下がっている。すだれのような枝葉をかき分ける音が、静かな森の奥から聞こえてくる。

「あれー、中々出られないなー」

 ガサガサと、イノは草木をかき分け、苔と雑草が混じった地面を踏みしめる。マントのような黒いコートや白い頭に小枝や緑の葉が引っ掛かっている。

 緑が盛んであるにもかかわらず、野鳥の鳴き声ひとつしない程、辺りは静かだった。小動物一匹すら見当たらない。

「なんだろーなー、寂しい感じがしますね」

 イノがそう呟くと茂みの中に何かがあることに気が付く。この深緑色の森に不釣り合いな、鉛色の残骸が散らばっていた。

「なんだろコレ」

 ギアやボルトはもちろん、薄い鉄板や何かの装甲、そして欠けた大量の銃弾が辺りに散らばっている。何かの軍用兵器だったということだけはイノでも把握できた。

「……」

 しかし、それに構うことなく、先へと進む。

 土がはだけ、歪な伸び方をしている木が生えている傍に、2mほどの洞穴があった。そこから灯油に似た臭いが僅かにする。

 イノは少し顔をしかめ、洞穴を横目に前方の空を見上げると、少し遠くに巨大なパイプやタンクが並び、電波塔らしき鉄の建造物が森の垣間から見えた。

「この匂いってあそこからかな?」

 イノは真っ暗な洞窟の中へ入る。その姿は不快臭のする闇へと消えていった。


     *


 ひとつの足音が反響し、群がっていた鼠や蝙蝠こうもりはそれぞれ散在して逃げていく。

 今にも崩れそうな鉄塔の内部に辿り着いたリオラは螺旋階段にも見える鉄塔内部を見上げる。外見は四角柱型だったが、内部は円柱型の様だった。

(上の奥だったな)

 リオラは膝を曲げ、軽く9mほどの高さへと跳ぶ。カツン、と錆びた鉄骨に足をつけ、前方に鉄板の狭い通路があるのを確認したリオラはその先へと進む。

 ベコベコと凹む薄い鉄板以外の道がない、空中通路を抜けると何かの建物内へ入る。

 天井から濁った水滴が規則的に落下し、水溜りが出来ている。ゴォォ……と、地下にでもいるような空間独特の風の流れる音。カビでも生えてきそうな程の、肌にへばり付くような湿気の多さ。余程日通しと風通しが悪いのだろう。

(声は……あっちからか)

 足元のガラスの破片や何かの機械の塊、デスクや鉄棚が並んだままになっている。天井には蜘蛛の巣が張っており、小さな虫が捕まっている。

 リオラは右斜め前にある一枚板の扉を開ける。廊下に出たが、あちこちに穴が空いており、床も脆くなっている。走れば穴が空くだろう。

「……」

 僅かだが、左奥の方から幾つかの声が反響して耳に入ってきていた。その方角へと向かう。



「おいドレック、反応はまだねぇのか」

「ダメだ、うんともすんとも言わない」

 半壊した建造物の一階。雑草と入り混じる壁のない窓際の通路を、褐色の兵装をした5人の隊列は何かの端末を片手に辺りを見渡しながらゆっくりと歩を進めている。

 兵装というよりは、工事や採掘に適した服装の上に幾つかの火器や防具が装着されているという表現が正しい。重たそうなサバイバルリュックをガシャガシャと鳴らしているあたり、武器のようなものが比較的多く入っているのだろう。兵装にも武器らしき金属質のものが装着されていた。

「やっぱり磁歪じわいが生じているみたいだ。電場も同様、といったところか」

 金髪のドレックは隊長のオービスにそう告げる。ノースリーブから出ている腕の筋肉は逞しく、血管が浮いている。

 惑星内で常に生じているベクトル場である磁場は変動しやすいものだが、その中でも観測されやすく、変動が大きいものの代表例として火山活動が挙げられる。

「活火山でもないのに、こんな風にコンパス壊れることってあるんですかね」

 がたいの良いオービスの後ろにいた、眼鏡をかけた男ホビーはグルグルと回転している方位磁石を見せる。

「だが、僅かな熱反応はある。地下深くにマグマとかあると考えれば、超常現象というオカルトな考えには至らないだろ」

 火山体裁部の高温化や応用集中による地磁気の変動。応用変化に起因するピエゾ磁気効果は、温度変化による熱磁気効果よりも小さいが、マグマ貫入などの一時的な増圧が起こった直後、間隙水圧が非常に高まる。それがピエゾ磁気効果による磁場変動が起き、この地表にも影響を及ぼしている。

「困ったわね、それじゃあ探査機器は使い物にならないじゃない」

 石綿アスベストの積もった草丈の長い雑草地帯を前にガスマスクを装着した女性ダリヤはエラー音を発している鉱物探査機をリュックにしまう。

 火山流体あるいは熱水対流によって発現した熱磁気効果や圧磁気効果も装置のエラーと関係していると考えたホビーだが、その規模が膨大だとはいえ、地下の熱流動だけでここまで影響を及ぼすものなのかと首を捻った。

「それにシードとリトーがいないしな」

 隊の中で肥満的に体格の良い、機械的なガスマスクを着けた大男のラックスが大きな声で話の流れに乗る。

「確かに。こういうときになんで逸れるんだか」とドレックは呆れ口調で肩を落とす。

「あの身勝手バカコンビ、見つけたらオスミウム粉末をぎっしり鼻に突っ込んでやる」

「それ臭い以上に結膜炎と毒性で死ぬって」とホビーが青くなる。

 ダリヤの冗談にならない言葉に一同はその二人組の安全を祈った。

 そのとき、背後から足音が聞こえてきたことに一同は気が付いた。最初はその二人組かと思ったが、何かが違う。それ以上に、身の毛がよだつ感覚が起き、咄嗟にライフルを構えた。

「……なーんか嫌な予感が――」

「黙ってろラックス。その肥えた腹頂戴されてぇのか」

 人の歩く足音であることは理解しているはずなのに、まるで巨大な獣が潜んでいるかのような緊迫感が迫る。

 だが、自分たちが通ってきた薄暗い通路から光を浴びて現れたのは獣でも竜でもない、黒いカンフー着にも似た軽装をしている赤髪の大男だった。

「……おまえは何者だ」

 冷静にオービスは問う。5つの銃口は赤髪のリオラに向いたままだった。

「ただの遭難者だ。ンで、テメェらはこんな物騒な島で何を探索してるんだ?」

「なんだっていいだろ」

 そうドレックは吐き捨てた。

 全員、武器一つ持っていないただの成人男性相手にライフルを向けるのもどうかとは思った。だが、その異様なオーラが警戒心を解かないようにしていた。そして、男が竜人族であることに気が付き、更に身を構える。

「別にオレはテメェらに何もする気はねぇよ。まともな食糧と人を探してるんだ」

「人……?」

 ホビーは誰にも聞き取れないような小さい声でその言葉を呟く。それを聞き取ったリオラはホビーを見た。

「黒いフードマントを着た赤い眼の白髪頭だ。見てねえか?」

「……いや、そんな人は……」

 ホビーはリオラの赤黒い目を見れず、声も微かに震えている。

「そうか。というかテメェらも二人組探してるんだろ? シードとリトーつったか。ちゃんと聞こえてたぜ」

 半ば驚いた一同を前にリオラはニッと歯を出した。オービスに三歩近づくと、今にも撃ってきそうな雰囲気が彼らから湧き出ている。

「せっかくだ、白髪頭探すついでに、テメェらの仲間も探してやるよ」

「つまり……俺たちと同行するってことか?」とドレックは訊く。

「ああ」

「そんなのお断り――」

「待て」

 ダリアの言葉をオービスは遮る。

「全員、銃を降ろせ」

 オービスの命令に少し躊躇いつつも、リオラを睨むように視線から外さずに武器をしまった。

「わかった。しかし、共に行動する以上、俺たちの目的達成の協力をしてほしい」

「いいぜ。どんなことだ?」

 その真剣な目を前に、リオラは腰に手を当て、自信ありげに訊く。

「とりあえず、ここから出よう。歩きながら話す」



 緑の生い茂った深い森に入る。独特の草花が生えており、毒々しい色をした苔や菌のコロニーが木々にへばり付いている。鳥や虫の鳴き声が聞こえ、草の生えた地面をぎゅうぎゅうと踏む度、青臭い匂いが増す。湿気も多く、少しばかり蒸し暑い。

「俺たちは『ルミナスの柱』を採掘するためにこの島『フォルディール』に来た」

 オービスは先導して蔦や草をかき分け、ぬかるんだ土の上を進む。

「百年以上前のフォルディールはひとつの小さな国として独立していたんだが、今はこのとおり廃墟の島になっている。活火山のある島だったから、噴火とかの影響もあるかもしれないが、根拠はないから現時点では原因不明といったところだ」

「へぇ」と大した興味をもつことなく、リオラは話を聞く。

「独立していたこの島は、強力な磁場と白鯨の海域によって到達困難な幻の島として昔から資料に記載されている。出航しても大方海に棲む竜の餌食になるか、逃れられたとしても、磁場の歪みで方位がわからず、また磁歪によって光も歪んでしまって、海をさ迷うことになる」

「じゃあ辿りつけたおまえらは凄いんだな」

 リオラは軽く笑い、素直にそう言った。それが伝わったのか、少し和らいだ空気になる。

「奇跡的に白鯨や竜の襲撃がなかったのが救いだ。遭難はしかけたが、最新技術のお陰でなんとかこの島まで辿り着いた」

 あの白鯨の事か、とリオラは昨晩殴り殺した白鯨のことを思い出していた。

「ンで、おまえらの目的のその『柱』っつーのは何処にあるのか手がかり掴めているのか」

「いや、場所は特定できていない」

 森の中だが、背中に強めの風を感じる。十数枚の葉がぬかるんだ地面へと落ちていく。

「まぁ、だからこうやって探してんだろうな。それって何なんだ?」

 リオラは腕を組み、自分より背の低いオービスの顔を覗きこむように見る。とはいえ、オービスの背は170程であり、リオラの背は2mを越えている。隊でいちばんの巨体であるラックスでさえ180だ。

「『ルミナスの柱』は、そこらでは採掘できない稀少鉱石の一種だ。今では伝説上の鉱石と云われるほど、長い間発見されていないらしい。文献では金と同等の光沢と色を放っていると記録されている。伝導率は銅を遥かに凌ぎ、蓄光も反射もできるが、なにより条件次第で自ら発光し、また強い電磁波や電気、電熱も発生することができるという不思議な物質だ。また酸化することもなく、純度も硬度も高い」

「それがこの島に大量にあるという話だ。俺たち採掘師が黙っているわけにはいかねぇってもんよ」

 ラックスは大きく笑い、剣のような大きな鋼色のツルハシを肩に置く。

「おまえら採掘師か」

「一応全員はその資格を持っているな」

 オービスは無精髭をさする。

「それに加えて、俺はサルベージと航海士の免許を持っている」とドレックはニッと笑う。

「私は機械技師ね」とダリヤは肩まである黒髪を結い直す。

「俺は元々軍人だったぜ。隊長と一緒の出だ」とラックスは大きめの声で威張るように言う。

「僕は地質学者」とホビーは自信なさげに言う。

 潮の匂いがし、左を見ると、森の隙間から海が見えた。下は絶壁であり、真下の入り乱れた岩礁にはごつごつとした茶褐色の鉱石を甲皮として纏った5mほどの鮫の死骸が打ち上げられていた。頭部と顎の先端が発達しており、ヒレ以外にもそれに似た形をした太い岩棘のようなものが生えていた。

「ちなみにリトーは大型自走機を扱える上に、材料化学と危険取扱いの資格をもつ傭兵だったし、いちばん凄いのはシードだな。チビのくせに電磁気学や物性物理学、あと物理化学や合成化学のような化学全般、計算機科学、軍事学、システム科学、惑星科学も一通り資格持ってるしな。あと工学」

「でも趣味でやっているのもあるからそこまで資格持ってないわよあいつ。知識と技量の幅が異常に広いけどバカであることに変わりないし」

「バカでもそんなに頭いいんだな」

 学問自体よくわかっていないリオラだったが、とりあえず頭の良さは凄いということは理解できた。リオラの一言にラックスは大きな腹を抑え笑い上げる。

「頭良くても使い方次第じゃマッドサイエンティストだ。あいつのバカっぷりはある意味狂ってると思うぜ俺はよ」

 再び笑い上げる。何が可笑しいのかよくわからなかったが、普通の人ではないのだろうとリオラは汲み取った。

科学者サイエンティストというより技術者エンジニアの方が近いな。ま、機械愛マシンフィリアな変人だと俺たちは認識している」

「へぇ……」とリオラは呟き、右上に聳え立つ山を覆うかのように立ててある廃工場を見つめる。遠くからだが、その工場のひとつ向こう側から機械のぶつかり合うような、激しい轟音が反響音として微かに聞こえてくる。爆音も時々聞こえてきた。

(他にも人が……いや違ぇ、たぶんイノだ)

 リオラは少し呆れたような目をする。他の人たちは警戒したような目だった。

「……なんかあるわね、あの工場」

「それに、あそこのデッカイ工場から島の中央のあの山の中に入れそうだな。どうするオービス」

 ドレックが訊くが、オービスは当然の表情で、

「行くぞ」

 と告げた。


     *


 灯油臭い真っ暗な洞穴をツチボタルが青白く、仄かに照らしてくれる。玉簾のような粘液からルシフェリンの輝きが生じているが、その青白い光に誘われ、絡まってしまった虫がちらちらと見える。

 それ以外には特になく、ただ足元が濡れているため滑りやすいだけだった。

「……お、ここ明るい」

 天井に直径50センチ半ばの出口の穴を見つけ、イノは手を伸ばし、上る。

 真っ暗な視界に広がった景色に色は無く、ただ薄暗い灰色が覆っていた。天井にはパイプが伝い、部屋のあちこちにはボイラーやタンクが縦横の向き関係なく設置されている。鉄の梯子や空中廊下、立体交差している鉄板一枚の幅の狭い通路が、狭いようで広い工場のような空間を交差している。

 破けたようにひしゃげたタンクから何かの透明な液体が漏れている。そこから強い匂いがするので、洞窟の外から漂ってきていた灯油臭いガスも、洞窟内の地面が濡れていたのも、おそらくはこのタンクから漏れている液体が原因だろう。

 壁についていた排気扇がゆっくりと回っていたが、風によるものだろう。キリキリキリ、と錆がこすれるような音が聞こえてくる。

 ひび割れた窓から見える、立ち並んだ鉄製の高層廃ビルを一瞥し、イノは壊れた鉄壁を跨ぎ、奥へ進む。

「うわ」

 イノが少し驚いた顔をした。

 先程の空間よりも更に大きな倉庫。端には幾つものコンテナが積んであり、高さ7mはある天井にはフックの付いた鎖が8本ほど吊るされていた。

 ベニヤ板で囲まれた四方9mの大きな空間の中央にはステンレス鋼でできた5mほどの二足歩行型自走兵器が鎮座していた。

 機体の三か所に吊り下げられたフックがかけられ、鈍重なその巨体を支えている様にもみえる。肩部には四門のキャノンがあり、頭部は元からなく、胸部に人が乗れるようになっている。右腕は損傷して原形を失っているが、左腕に搭載された数十もの小さな砲門がある辺り、右腕も同様なのだろう。

「乗れるかな」

 うきうきしていたイノだったが、そこまで腐食されていないものの、機体はすっかり植物や虫の棲み処となっており、回路もかなり損傷している。

 もう駆動することはないだろうと判断したイノは機体から離れ、穴の開いたコンクリートの床を除くと、シャープな形をした、しかしパイプや歯車が曝け出している蒸気列車の先頭部を見つける。

「おお!」

 イノは好奇心旺盛で穴の隙間から身体をすり抜け、スタン、と着地する。何階かはわからないが、列車があるので一階に近い階層だろう。

 上の階層とは一風変わり、レールに敷かれていないその列車には数十もの金属パイプが接続されており、天井や床を伝い、壁の中へと繋がっている。壁際には棚のような形をしたボックス状の装置があり、幾つもの円形メーター内の針が数字を指している。列車の周囲には六台のロボットアームが設置されていたが、電線など一切なく、チェーンや歯車、そして金属筒で組み立てられたような構造だった。

「これ全部蒸気で動くのかな……?」

 蒸気機関。木材と銅、鉄、鉛を主な材質にして作られた、独特の雰囲気を味わさせるその構造は、一種の芸術観を生み出している。蛇足なようですべて不可欠のパーツは、ボルト一個足りなければ正常に動作しない繊細さをもつ。

 床元を見ると、ガラス一枚張ってあるのみで、その数センチ下には無数の赤胴色の歯車が軋む音を立てながらゆっくりと動いていた。

「――点火ァ!」

 突然の声に「ん?」とイノは先頭部のみの蒸気機関車の方を見る。

 ゴゥン……、と重い音が空間に響き、壁周りの金属パイプについているメーターの針が動き出し、床下の歯車がぎこちなく、しかし高速で回転し始める。

 列車の煙突から白い蒸気が噴き上がり、けたたましい程の汽笛が床のガラスや接続されたパイプを振動させる。

 耐久性がないのか、幾つかのパイプの繋ぎ目からブシュゥゥゥ、とガスが噴き出し、壁際の機械の箱からバチバチと放電が発生する。

 列車に繋がれていたパイプがバコベコと外れ、キャタピラにも似た車輪がギャリギャリギャリとガラス床を削り、砕いていく。すぐに歯車の床に落ち、火花を散らせる。

 列車の車体がガタガタと大きく揺れ、進んだかと思いきや、縦横無尽に部屋の中を暴走し始めた。

「うわわわわわわっ」

 汽笛だけではない、全身から蒸気を噴射させ、ボゥンと時々爆発しては黒い煙と金属破片を撒き散らす。壁に衝突してはバックして衝突の繰り返し。ドガン! ガゴン! と車体の前後を凄まじい速さでぶつけては壁際に犇めくパイプを潰していく。予測できない金属の塊にイノは慌てふためき、逃げ惑う。

 列車がボゥンと黒煙を出しながら爆発した途端に急停止し、側面と屋根から各二門のM-30の122mm榴弾砲、そして正面から円錐螺旋状の巨大な穿孔用ドリルが内部から突き破り、キュイィィィン、と高速で回転駆動し始める。

「えっ、ちょっと待――」

 ――かと思いきや、ドリルの部分がガゴンと外れ、数メートル先へ発射された。同時にカノン砲から榴弾が一発ずつ発射され、その内の一発がイノの目の前に迫る。

 しかし、イノは一瞬のうちに榴弾に触れ、重心移動と関節による遠心力、そして指の力で砲弾の軌道を逸らし、天井が爆発する。コンクリートの瓦礫が落ちてきたが、天井全てが壊されることは無く、また上にある自走兵器が落ちてくることはなかった。しかし、それ以外の榴弾によって壁に5か所の穴が空き、外の景色が見えた。ドリルは壁に突き刺さり、ねじ込むように回転するが、鋼鉄製の壁である上にぶ厚いのか、勢いが殺され、壁に埋まる形で回転が収まった。

「……」

 しん、と静寂になった空間、イノはぽかんと潰れかけている蒸気機関車を見つめた。すっかり壊れてしまい、もう列車とは言い難い金属と木材の塊から何かの音が聞こえる。

 バゴンとカノン砲が外れたと同時、そこから吐き出されるかのように金髪の男が飛び出てきた。顔面から床に落ちては「へぐぅ!」と変な声を出し、少し怯んでいる。

「――このポンコツ野郎が! 大失敗じゃねぇか!」

 煤塗すすまみれの金髪の男が出てきた場所からぬっとロボットのような図体をした大鎧が出てきては、荒い声を出して小柄の金髪男に罵声を当てる。

「ぅぐ……思い切り殴りやがって、この表面ダマスカス野郎が……!」

 古いゴーグルを額に付け、土木工事用の服装に近い、伝統的紋様が刻まれた軽装兼兵装を着た金髪の男はグググ……と起き上がり、鼻をすする。そのやんちゃともいえる顔は童顔ともいえるが、どちらかというと成人年齢に達しているか否かの少年顔だった。起き上がっても、相対する大鎧の男と比べるとまるで大人と子供だ。

「おまえを思い切り殴ったってタンコブ一個程度だろうが。だからアルミニウム合金は駄目だとあれほど――」

「うるせぇバーカ! それ以上の剛性がある材料がこの近くに必要量なかったから一か八かでやってみたんだろうが! 文句あんならテメェの身体のステンレス鋼の部分ぶんどって列車の一部にでもすりゃあ良かったんだ! アルミニウム合金をアーク溶接できただけでも感謝しろ馬鹿野郎!」

「誰がこんな暴走列車作った奴に感謝なんかするか! 振り回され過ぎて吐くところだったぜおい!」

「三半規管の欠片もねぇ全身機械の金属野郎が何を吐くんだよ。あれか、オイルか――ぅわきったねぇ! 畜生! 廃液ぶっかけるんじゃねぇよ、アルカリ臭ぇだろうが!」

「そもそもシングルスキン構造がダメだったんじゃねぇのかよおい。なんで敢えてFSW(摩擦撹拌接合まさつかくはんせつごう)しない古いやり方でやったんだよ」

「いいじゃねーか、レトロな気持ちになりたい時だってあるだろ。少なくてもこんな廃れたスチームパンクみてぇな場所だったらさ」

「ったく、レトロもクソもあるかクレイジー野郎。兵器搭載しすぎだしよぉ、耐性以上に力量が強いんじゃボケナス。周り見てみろ! 折角の作業場が大惨事だぞ!」

 列車からズドンと歯車の床を凹ませて降りた大鎧の男の表情はロボットのような頭部でわからないが、目の部分のライトが赤く光っている。怒っているということはイノでもわかった。

「あのー、ちょっと……」

「作業場っつったって元々あったのを即行で補強したようなもん……うぉ!」

「うぉ!」

 金髪の少年は辺りを見渡すと、声をかけたイノと目があった。金髪男の驚いた声にイノも驚く。

「なんだ突然、お化けでもいたか?」

 大鎧の男は馬鹿にするように言うが、

「ちげぇよ節穴! ってか誰だよ!」

「え、僕ですか?」

「おまえ以外誰がいるってんだ!」

 金髪男はイノに指を差し、何故か慌てている。イノはそんなにここに他の人がいておかしいことなのかと首を傾げた。

「ぉおっと、誰だお前」と大鎧の男も声を上げるが、金髪の男ほど反応は薄かった。

「イノって言います。旅人してます」

「は? 旅人? てか誰だよ」

「え、あの、イノですけど」

「ちげーよバカ! なんでこんな島に旅人がいるんだよ!」

「海を漂浪してたら着いたんですよ。そんなことより尋ねたいことがあるんですけど」

「それはこっちの台詞だよ!」

「落ち着けクソガキ。童顔だからってガキみてぇに叫んでも許されると思ってんじゃねぇぞ」

「このっ、誰がクソガキ――」

「おまえだクソガキ」といっては、木目状の装甲に覆われた拳を金髪男の脳天にガツンと叩く。金髪の男は頭を押さえ、床に倒れては呻き声を出す。

「いやぁ悪かったな。あんたもしかして今の暴走に巻き込まれたか?」

 大鎧の男は申し訳なさそうに低い声で言う。鎧とロボットが混ざったような風貌の巨体に金のチェーンネックレスを太い首部に飾っている。チャリチャリと金属同士が当たる音が耳に触る。

「はい、巻き込まれましたけどなんとか逃げ切れてよかったです」

 と、平然の表情で言ったので、大鎧の男は危うく聞き逃してしまうところだった。

「え、本当に巻き込まれ……あぁいや、すまんな。怪我はねぇか?」

「大丈夫ですよー。そんなことより、何しようとしてたんですか?」

 イノは全く気にしている様子も、床下で蹲っている金髪の男を気にしている様子もなく、大鎧の男に問うた。

「あぁ、俺らはある鉱石を採掘しに他の奴等とこの島を探索しに来たんだが……生憎、この足元にいるドアホのせいで逸れてしまってな。それで、近道できるもの作ればみんなと合流出来て鉱石も途中で手に入るかもしれないとこいつが言い出して、まぁ材料はある程度この島には出揃っているし、別にいいだろうと思って協力したが、この有様よ。折角まだ使えた蒸気機関車もあの通りだ」

「ふりだしってわけですか」

 大鎧の男はため息をついて、

「ああ、そういうことだ」

 ボゥン! と列車の一部が爆発した。炎上はしていないが、ブシュゥゥゥ、と蒸気が未だに漏れ続けている。

「あ、そういえば僕も仲間と逸れちゃったんですよね。リオラっていう赤髪の大きなマッチョなんですけど」

 大鎧の男は金属顔面の顎を金属の指でさすっては悩み声を出す。

「いや、そんなやつは見てねぇなぁ」

「そうですか……じゃあ、今から三人で一緒に仲間探しましょう! あと鉱石も、ですよね?」

 ニッと笑うイノの表情は楽しそうに見えた。大鎧の男は少し考えた後、

「まぁ……そうだな。その方がいいだろう」

 それを聞いたイノは満面の笑みになる。

「じゃあ決まりですね! 名前なんて言うんですか?」

「俺か。俺はリトー・チューナーだ。おい金髪、もう痛みは無いだろ。早く立て。あと謝れ」

 ぼそりと「解体してやる」と聞こえたが、金髪男は立ち上がり、そこらで拾ったようなボロボロのゴーグルを付け直して頭を掻く。

「あー、さっきはすまん」といい、ゴホン、とわざとらしく咳を一つした後、キリッと目を開く。

「俺の名はシード・ステイク。科学的人間国宝に匹敵する天才発明頭脳をもつスーパーでジーニアスなエンジびぁっ!」

 リトーと名乗った大鎧の男の鉄拳が下される。金髪男のシードは再びふるふると頭を押さえ、床に倒れそうになっているが、なんとか体勢を保っている。

「普通に名乗れバカエンジニア」

「こ、この……堅物野郎が……」

 その光景に「あっはは」とイノは無邪気に笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ