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神王伝史-GOD CHRONICLE-  作者: エージ/多部 栄次
第二章 竜の巣食う大陸 アリオン地方編
31/63

第30頁 白鯨の海

 人間は誰しも人生で一度は「竜」に直面する。「竜」とは厄災だ。自然災害、疫病、つまりは生死に関わる、または滅茶苦茶にさせる人生のピークといっても良い。ピークを迎えたとき、人は愛するものを思い浮かべる。愛するものを失う恐怖と戦うことになる。同時に、愛するものの大切さを心の底から知ることになる。

「竜」は畏れられるべき存在であり、人生において大切な存在でもある。

                    専門家 ジュリィ・オーグスト



 快晴の空に浮かぶ白い雲が地面近くにまで流れる。約2000㎢にも及ぶ大平原を越えた先、切り立ったような崖が行く道を塞いでいた。下から強い風が吹き上がり、思わず一歩下がってしまう。

「うおーっ、ホントに海がありましたよ!」

 イノが指差した先、崖の向こうには青一面の世界が広がっていた。水平線の先まで眺めても島一つなかった。背後から暖かい陸風が吹いてくる。

「下に港町ハーバーが見えるな。ここら辺に階段とかなさそうだし、飛び降りるか」

 標高120mの崖をリオラは何の躊躇いもなく飛び降りる。

「待ってくださいって」とイノもそれに乗じ、ダイビングをするように頭から飛び降りた。全身に強い風を浴びて、空を飛ぶように、崖下へと落下していく。


     *


 途中で崖の岩壁を伝い、町の端に足を着かせたリオラはすぐさま上を見上げる。スタン、と大きな音を鳴らすこともなく、目の前にイノが着地した。幸い、着地の様子を町の人に見られることはなかった。

コンテナばっかりですね。町はあっちかな?」

 イノとリオラは資材置き場を後にし、賑やかな声が聞こえる町の方へと歩を進めた。

 港町であるにもかかわらず、砂浜が一切ない。平原の崖には隣接するように壁同士が繋がった色とりどりの建築物が並んでいる。屋根の高さはそれぞれ異なるものの、階層は低くても三階建てまでであり、いちばん高いもので八階建てである。壁の色は赤やオレンジのような明色もあれば青や灰色のような暗色も混じっている。


「カラフルな街ですね。海臭いですけど結構広い」

「奥まで続いているようだな」

 壁の連なった建造物の層は崖側、三本の中央通り、港側の計五列に並んでいる。通りの内の一つは商店街らしく、多くの人が食材や物品を買い求め、そこに集まっていた。

「というか、船多いな」


 崖の下の港町。港沿いには何隻もの大きな船が停泊している。然程大きくはない船もあったが、その存在感は何倍もの巨大さを誇る船によって打ち消されているも同然だった。カモメの鳴き声が聞こえてくる。

「あのデッカくてかっこいい船はなんですか?」

 イノが戦艦にも例えられるほどの巨大鉄船を指差す。

「あれは捕鯨船だろ」

「ほげーせん? アホみたいな名前ですね」

「そっくりそのままテメェに返してやりてぇわ。クジラを捕まえるための船を捕鯨船というんだよ」

「へぇ、そうなんですか」

 イノは目を輝かせて数隻並んでいる捕鯨船を見つめている。

「……如何にも乗りたそうな目をしてるな」

「わかりました?」

「普通にな」

「はい、その通りです!」と得意げな顔で言う。

「わかったよ。けどよ、まず関係者に頼んでみるとかあるんじゃねぇの?」

「……リオラって長い間岩に閉じ込められてたのに、そういうところはしっかりしてるんですね」

「おまえが知らなさすぎるだけだ。その意外そうな目でオレを見るな」

 町の中央の広場が左手の大通りの先に見える。広場の中央に大きく、白い何かが掲げられていた。

「あ、リオラ! あれ見てくださいよ!」

「とっくに見てるっての」

 掲げるというよりは吊るされた巨大な生物の死骸。だがそれは腐食すらしておらず、まるでこの町の象徴シンボルとして、巨大な捕鯨船にも匹敵する存在感を示していた。

 白鯨。全長80mほどの真白の鯨の死骸が広場を狭く感じさせる。真上ではなく、斜めの体勢で、まるで博物館に展示されているように白鯨は縄に吊るされ、支えが腹部に刺さっていた。

「あれをこの船で捕まえたんですかね」

「だろうな。相当な手練れの漁師がいるんだろ。つーかよ」

 リオラはイノを見下す。侮蔑の意味ではなく、単に呆れた表情で問う。

「これからどこに行くか決まってんのか」

「決まってないですよ」

 その即答を聞いた途端、目だけ唖然とし、そこまで表情を変えないまま黙り込んでしまった。

「でも、この海の先行ってみたいですね。そういう意味でも『ほげーせん』に乗りたいです」

「……旅人ってそういうもんなのか」

「そういうもんですよー」

 如何にも適当に答えたイノの言葉にリオラは頭を掻くばかりだった。

「そういえばリオラってなんか夢でもあるんですか?」

「あ? 夢?」

 リオラは首元を掻き、少し思い出しているようにもみえる。

「そうだな、確かに夢があって、オレはひとりで旅を始めたんだったな」

「それで夢はなんですか?」

「ンなモン最初から決まってらぁ。オレは――」

「お、兄ちゃんイイ体してんね」


 気軽に声を掛けられたリオラは顔を向ける。背も肉体もリオラよりは劣るが、辺りを歩く人々よりは鍛え上げられた肉体美をもっている。短い金髪の茶色いタンクトップを着た肌黒い男だった。

「誰だお前」と素の声で尋ねた。

「俺か? 捕鯨船『ランディング号』一等航海士のポールってんだ。てか俺を知らねぇのかい兄ちゃん」

「初対面で知っている方がおかしいだろ」

 正論を述べられたポールは頭をガリガリと掻く。

「参ったな、ランディング号の乗組員といえば、あそこの広場にある白鯨を仕留めた伝説に等しい有名人だってのに、それを知らないってことは……世間知らずか」

「この町に来たばっかなんだよ。崖上の平原からな」

 呆れた溜息をついたポールに、リオラは溜息を返す。

「あー、あれか、旅人だったか。まぁアンタみてぇな巨漢の兄ちゃんがここに住んでたらとっくに船員に入ってるわな」

 そう言っては大きく笑った。リオラは目を細めたままだ。

「平原ってあそこの大平原か」とポールは高く聳え立っている崖を指差す。「ああ」とリオラは頷いた。

「あそこって竜の巣窟がある未開地だと聞いたことがあるんだけどよ、それって――」

「いてもいなくても変わりねェだろ。ンなことより、乗組員なら話が早いな。その船に乗せてくんねェか? 海を渡り手ぇんだ」

 ポールは少し迷った表情を浮かべる。本人としては捕鯨に手伝ってほしいのだろう。

「海を渡るってことは、兄ちゃんはラストル地方に行きたいのかい」

「俺は別にどうでもいいんだ。こいつが海を渡りたいんだとよ」

 リオラはイノの頭に手のひらをポスンと乗せる。その行為で初めて、ポールはイノの存在に気が付いた。半ば驚いている。

「え、あ、あれ? さっきまでいたっけ……? ま、まぁ、すまんな、気が付かなかったよ……」

「大丈夫ですよ。イノって言います」

 イノは気にすることもなく自己紹介をする。

「とりあえず鯨捕まえるデッカイ船で海を渡りたいんですよね。そこの地方には何があるんですか?」

「あ、ああそうだな……。有名なものだったら、科学が発達している先進国の『サントゥ』に行ってみるのもいいかもな。何でも、最近とんでもない新技術と新発見をしたって言ってたが、こんな大した技術の進んでいない町じゃあ情報もそこまでしか知らねぇんだよな」

 それを聞いたイノは目を輝かせる。リオラは「へぇ」と少し関心を抱いていた。

「じゃ、次はそこ行きましょう! 船乗せてくれますか?」

「それはエリック船長に訊いてみてからだな。俺としては白鯨捕獲に協力してくれたら乗ってもいいと思ってるけどな。ま、丁度良かったとこだ。力になる船員を探してたんだよ。旅人ならある程度の力仕事は大丈夫だろ」

「お、じゃあタイミングが良かったんですね。都合のいい運命ですな」

「おまえたまに変なこと言うよな」とリオラは呟くが、イノは聞いていなかったようだ。

「じゃ、そうとなれば早速船長さんの所に行きましょうよ」

「……」

 リオラの小さな言葉は波とカモメの鳴き声で掻き消されていった。

 風はまだ弱い。


     *


 造船所に接する他の捕鯨船とは異なった、まさに戦艦といっても過言ではない捕鯨船と一回り小さい捕鯨工船、そして油槽船が桟橋の前に並んでいた。何十人もの乗組員らしき屈強な男たちが大きな荷物をその捕鯨船「ランディング号」に乗せている。


「――まぁ、話は分かった。だが、そこに行ける保証はないぞ」

 年老いた、しかしがっしりとした肉体をもち、古く、黒い提督服を着たエリック船長は提督帽を被り直しては、固い表情、否、真剣な目でイノ達をみた。

「命の覚悟はしとけってことか」リオラも同様の、だが少し余裕の含まれた表情をした。

「そうだ。我々は他の漁師のようなただの鯨を捕まえるわけではない。捕鯨だけでなく、被害を出している白鯨の討伐をしに往くのだ」

「鯨が人を襲うんですか?」イノは素朴な質問を投げる。エリックは三白眼を細め、イノを睨むように見る。


「白鯨は昔から災いとして数多くの伝説を残している。ただの白い鯨ではない。下手すれば海竜をも凌ぐ強大な存在だ。この町では海の王と呼んでいる。あの広場に吊るされた白鯨はまだ幼い子供だ。それでも、子どもゆえの純粋な凶暴性はあった。その凶暴性と災いを引き起こす巨体のおかげで、まともな漁ができないとウォーラム海に隣接する国は苦情を上げている」

「だからみなさんでそれを狩るんですね」

「そういうことだ。この船に乗る仲間もどのくらい死ぬのかわからん。全滅ということもある」

 海風が吹く。潮のきつい匂いが通り過ぎ、イノはくしゃみをする。

「つまり、白鯨をぶっ飛ばせばいいんだろ?」リオラはにやりと笑う。

 だが、エリックは笑うことなく、懐にしまった拳銃をリオラに向けた。

「……」

「己の力を過信するな。そのような程度の意気込みではすぐに死ぬ。甘温いのは口だけにしろよ若造」

 そう告げて、船に乗り込んでいった。リオラはその男を見えなくなるまで見続ける。その姿が見えなくなった後、赤い頭を掻いた。


「……拳銃おもちゃ向けて言われてもな……」

 銃弾でもものともしないリオラにとって、それは玩具以外何物でもなかったのだろう。逆に驚き呆れていた。

「まぁ、それだけ白い鯨がすごいんですよ。どんなのか楽しみですね」

 イノはうきうきとした顔で船に乗り込む。リオラはふっと息を吐く。

「そうだな。白鯨は喰ったことねぇから、どんな味なのか楽しみだ」

 そう言い、甲板への階段に足を掛ける。

 あと30分で出航。希望とロマンを求める海に戻す為に、災厄のない、平和な海を取り戻す為に、計272名の男たちが果てしなき大海原へ旅立つ。


     *


「この捕鯨は長い航海になるからな、油槽船だけではどうにもならないときがあったりする。その際、ラストル地方の臨海国『ダンスト』に寄るわけよ」

 船員の一人であるナックスは恰幅の良い身体を木箱の上に置いては飄々と話す。ポールはエリックと会話中だった。

 海をかき分ける巨大な捕鯨船。その速度は速く、被った帽子が簡単に飛ばされるほどの強い風が甲板に吹き抜ける。イノの着ている古く黒いコートがはためく。

「その持ってるものは剣ですか?」

 イノはナックスの傍の台に置いてある鉄色の大剣を指差す。

「あぁ、これは鯨刀といって、鯨を解体するときに捌く包丁みたいなものだ。これに似た剣もこの船にあるけどな」

「へぇー」とイノはまじまじと鯨刀を見眺める。強い日照りで銀色に輝いていた。

「そういやあんたと一緒ににいた赤髪のムキムキなデッケェ兄ちゃんはどこにいったんだ?」

 船が大きい分、操作するための労働数は多いが、甲板を見る限り、忙しそうな人はそこまでいなかった。カモメだけでなく、飛竜の遠吠えも聞こえてくる。

「船首辺りで寝ているんるんじゃないですか?」


「おーいたいた。おいナックス! そこでくつろいでねぇでその鯨刀研いでこい!」

 イノの後ろで壮年の船員が声を上げる。ナックスは「わかったよ」と気怠そうに手を振った。

「ったく、まだ一日目だってのに」

「今日クジラに会えるわけじゃないんですか?」

「いんや、せいぜい明日だ。ま、今回はただの鯨に用はねぇよ。余裕があったら獲るけど、勝負の白鯨は三日後だ。あんたらの行きたいラストル地方に着くのは五日後だな」

「えー、結構時間かかるんですね」イノはつまらなさそうに口を尖らせる。

「なーにいってんだ、これでも早い方だ。一昔前なんか一カ月はかかったんだぜ?」

「一カ月ですか! 退屈ですね」

「そんなもんだぜ? ま、そんだけしかいないんだから海の景色でも目に焼き付けておくのも悪くはないだろ」

 ナックスは笑い、ゆっくりと立ち上がっては、呼ばれた方へと向かっていった。

 イノはその後ろ姿から別の景色へと視線を変え、捕鯨船や海、快晴の空を見眺める。


 何百本のバリスタだけでなく、砲弾や資材などが積まれた箱の山、銛が搭載された捕鯨砲、三本ある巨大なマスト、そしてそれぞれの役割を果たすであろう別種の捕鯨船が周囲に数隻あるのが視界に入る。

 壮大な青い世界。下を見れば船によってかき分けられた波飛沫に混じり、トビウオらしき魚類が船の進む方向へと泳いでいる。船はただ、雲と波以外何も見えない大海原を突き進む。

「あれ、なんだろあの蛇みたいなの」

 イノは独り言を言う。少し距離があったが、透明度が比較的高めである、ここウォーラム海だとある程度の水深は鮮明に見える。

 影のように黒く、また細長く巨大ともいえる大海蛇のような生物がまるでこちらの様子を窺っているかのように船と同じ速さで泳ぎ、横に並んでいる。


「あ」

 だが、それよりも更に深い海から無数の巨大な牙が突如出てきては、大海蛇らしき生物の巨躯に噛みつき、身体を捻じっては海の奥へと引きずり込んでいった。そのときに見えた牙の正体が巨大な海竜だとイノは判断できた。

「ここの大陸の海って、神話でも有名なシーサーペントでもあっさり竜のミミズになるんだよな」

 イノは左側へと顔を向けると、ポールが海の中の様子を除くように見ていた。

「船長さんと話してませんでした?」

「とっくに終わったよ」

 ポールはサシ板に背をもたれ、空を見上げる。

「そういや名前なんだったっけ」

「イノです」

「イノか。海はこれで初めて……ではないか。旅人は海も渡ったりするのか?」

「そうですね。でも船に乗ることってあんまりなくて、泳いでいるときの方が多いですね」

 思い出しながら話したイノはポールを見ると、唖然とした顔で見られていることに気付いた。

「あり、変なこと言いました?」

「いや、普通に冗談だろそれ。川とか池の間違いなんじゃなねぇの?」

「海でしたよ。サメいましたもん」


「……参ったな、そんな下手糞な冗談を言われても対応に困る。いいかイノ、海にいるのは何も鮫だけじゃねぇんだ。鮫だけでも十分なのに、昔は神話として畏れられてきた生物が現にこの海の中に大量にいる。正体さえわからない巨大な生物もいれば当然竜もいる」

 それだけじゃない、と続け、

「ダウンカレントや渦潮のような海流とか、あとシケだってそうだ。他にも海水腫瘍や日照りの海面反射で目がやられることもある。海のど真ん中に放り投げられて救助無しで陸まで自力で泳いでいける人間なんて滅多にいない」

 イノが魚人族かなんかだったら話は別だけどな、と真剣な表情から切り替わり、白い歯を見せて笑った。

「ま、その目を見れば確かにそれに似た経験はしているようだな。白鯨を前にして逃げ出すなよ?」

「逃げ出しませんよ。次の地方に行けませんもん」

「ははっ! 確かにそうだな」

 ポールが笑ったとき、船体が大きく揺れると共に、前方から大きな水飛沫の音が響いてくる。


 突如影ができ、見上げると、前方から300m近くの巨大な海竜が船の上を飛び越していく。天から轟く咆哮はまるで落雷の様だった。

 船の後方遠くで着水すると、噴火のような大きな水飛沫と、大きな波によって船がひっくり返りそうなほど大きく偏る。着水場所が遠かったのと、海竜の形状が縦長に近かったため、幸い転覆する船はなかった。五隻とも無事だった。

「ああいうのはよくあることだが……あそこまでデカいのは初めてだなぁ」

 口調は変わっていなかったが、その表情は半ば驚いていた。イノは辺りを見回すが、船員にそこまで焦った様子は見られなかった。よくあることなのだろう。だが、聞こえてくる会話の大体は海竜の体躯の大きさについてだった。

「今のなんていうドラゴンなんですか?」

「なんだったかな……あの模様は確か……いや、名前は覚えてねえけど、巨体の割に慎重なんだよ。臆病ともいえるけどな」

「なるほど、だからあのドラゴンの鳴き声、なんだか怖がっている様にも聞こえたんですね」

「……? 分かるのか?」と眉を寄せる。

「なんとなくですよ」と笑った。

 なんだよ、とポールが冗談に笑おうとしたとき「でも」とイノはつけたし、


「威嚇している様にも聞こえましたね。この船がそれだけ怖いんですかね」

「……さぁな、もともとこの船は戦争に使われた戦艦だったけど、何も野生の竜に恐れられることってあるのか?」

「うおっ、すごい! イルカの群れですよ!」

 しかし、ポールがそう訊いたときには、イノは水平線近くに見えた数匹のシャチが水上に跳ぶ様を指差していた。

「あれはシャチだ」とポールは苦笑して、静かにそう訂正した。


 船首付近、胡坐で眠っていたリオラは静かに紅蓮の瞳を見せる。

 波が揺らぐ。海中の魚は遊泳方向を乱し、水面から離れていく。

 東マガラ大陸に接するウォーラム海。そこにいる、恐るべき存在対象は本当に白鯨なのか。赤髪の竜人は立ち上がり、日が沈みかけてきた海を見つめる。

「……」

 しばらく見続けた後、欠伸をしてはコンテナ付近で横になり、再び眠りに着いた。


     *


 二日目の夜、特に何事もなく、捕鯨船団は快調に航路を進んでいる。確立としてこれまでに何度か飛竜や海竜等の襲撃があったそうだが、今回は奇跡といってもいい程に、何も起きることはなかった。

 しかし、船団をまとめる船長エリックは、これを逆手に考え、警戒していた。船長室を出てすぐの船外扉に手を掛ける。

 金属の擦れる音を立て、エリックは提督帽を手で押さえながら風の吹く方へと顔を向ける。


 白鯨狩り。大陸の各地方内の連盟国の頭を担う者達は、白鯨が如何に国や自然に与える影響が凄まじいかを認知しているが、その恐ろしさを直に味わい、白鯨狩りの重要性を最も知る男はエリックただ一人だろう。

「……明日は荒れるな」

 だが、それはあくまで仕事の一環であり、職として長年続けてきた故である。彼は白鯨を撲滅することに執着はなく、ただ、海の生態系を保つために白鯨狩りを行う。


「天気悪くなるんですか?」

 聞き慣れない声を耳にしたエリックはゆっくりと振り返る。

「旅人か……何か用か」

「散歩してました。白い鯨に会えるのって明日なんですよね」

 そう言ったイノの眼は夜で暗いにもかかわらず、電球のように輝いている様にもみえた。

「……立ち向かおうが眺めようが、逃げようが勝手だが、我々の邪魔だけはするなよ」

 表情を変えることなく、三白眼を動かし、エリックはイノに告げる。

「大丈夫ですよ。むしろいないと考えていいっていうぐらいです」

「なはは」と愉快にイノは笑う。

「でもリオラはホントにすごいですよ。びっくりする程馬鹿力なんで」

「……人より力のある異人種でも白鯨に敵うとは限らない。海そのものと戦うのだからな。ただの腕力で勝てる相手じゃない」

「闘志と技術で対抗すればいいってことですか?」

 イノが訊くとエリックは頷くこともなく、黒く染まった海を眺める。風の音が強く聞こえる。

「そういえばいろんな船員さんに訊いたんですけど、ドラゴンが襲ってこないって珍しいことなんですね」

 それを話題にしたとき、エリックはイノを見た。見つめる目は睨んでいる様にもみえる。

「この先も襲ってこないとは限らない。竜は賢い生物だ。何かに備えているのだろう。それが何なのかわからなければ意味はないがな」

「そうですね」とイノも夜の海を眺める。どこまで見ても一切陸地が見当たらなかった。


「あ、船長さん」

 しかし、エリックは無言のままだった。構わずイノは話を続ける。

「白い鯨を狩るのって正直どう思ってますか?」

 しばらくの間ができる。イノも、エリックも表情を変えることなく、ただ海に映える星々の景色を見ていた。

「……貿易船の海難事故を無くし、自由に海を渡れるようにするためだ。漁獲量の安定化もある。白鯨は一匹でも増えれば生態系は崩れてしまう。その不安定さを安定させるのに何百年もの時が要る」

「だから殺した方が手っ取り早いんですか」

「そうともいえるな。しかし、我々はただ仕事として白鯨狩りを行うだけだが」

「でも本心……じゃなかった、本能としては楽しんでいますよね。船長さんって」

「……どういうことだ」

 ピクリとエリックは反応するが、視線は横に向けなかった。

「そのまんまですよ。だって船長さんの目、輝いていましたもん」

 エリックはイノの声のする方へ顔を向けた。だが、既にそこにはイノの姿が見当たらなかった。

「……」

 寒気を感じたのか、エリックは提督帽を深く被り、海を一瞥した後、船内へ入っていった。

 夜の冷たい風は、強さを増していく。


     *


 三日目、天候は一変し、灰色一色の曇り空となった。それでも、五隻の捕鯨船は目標を討伐するため、構わず全速全身を続けている。

「嵐が来る一歩手前、といったところか……」

 ポールは船内の窓から空を見つめ、不安そうに呟く。

「その不安そうな顔はやめてくれよ? 今日は白鯨のいる海域に入るんだからよ、闘志燃やしてぶっ放していこうぜ相棒」

 ポールよりも更に筋肉質な坊主頭の男が、隣にいるポールの肩を強く叩く。

「誰が相棒だ。ま、ジールの言う通り、全力で気合入れていく他ねーよな」

「おうよ! 嵐だろうが海竜が邪魔しに来ようが関係ねェ! まとめて狩ればいいってことだ。船長もきっとそう言うぜ」

「ま、そうだな」とポールは笑った。

「ポール、やっぱりおかしいぞ」


 ガチャリと船室に入ってきた船員のノットは数枚の資料を鉛色のデスクに叩きつける。ポールはすぐに真剣な表情に切り替わる。

「天候の事か」とジールは腕を組む。

「ああ、昨日までの観測データじゃこんな悪天候になるはずがない」

「だけどよ、船長は『明日は荒れる』って言ってたから別に――」

「エリック船長は長年のキャリアで気候を予測できるんだよ。でも機械だと予測が違った」

「ということは、従来の天候ではないってことか」

 ポールがそう言ったとき、ジールがすぐに言葉を発した。

「白鯨の影響か?」

 その問いにノットはすぐに答えた。

「かもしれないな。でも、流石にここまで荒れるのも変な話だ」

「ノット、このデッカイ海において非常識が常識となるんだ。忘れたか?」

 そのとき、船体が何かにぶつかり、大きい揺れと細かい揺れが同時に起きる。

「……ッ、ジール、他の奴らの臨戦態勢の準備はできているのか?」

「ああ! とっくにできてるぜ!」

 それを聞くと、ポールは頷いた。

「よし、すぐに行くぞ。船底の音響装置はもう起動しているよな?」

「船長の指示でとっくに作動しているよ」とノットは答えた。

「いつ来てもおかしくない。早くいこうぜポール」

「そうだな、行こうか」

 三人は船室を出る。扉を開けた瞬間、強風が船室に入り込んできた。


 船外の甲板。荒波と強風で船体が大きく揺れるが、リオラは一切足元をふらつかせることも、体勢を崩すこともなく、荒海の先を睨んでいた。赤黒い髪が靡く。

「……結構いるな」

「白い鯨がですか?」

 地獄耳ともいえるその聴覚で、イノのとぼけた声がどこからするのかすぐに把握できた。上のマストを見上げる。

「奥になんかいるの分かるだろ、イノ」

 リオラ程ではないが、イノも人一倍耳が良い。マストの頂上に立ち、遠くを眺めている。

「海の奥なら結構いますよー」

 マストの下で何十人ものがたいのいい男船員が臨戦態勢に入る。捕鯨砲用の兵器に銛や砲弾を入れたりしている。その必死さから、すぐそこに目標がいるのだろう。

 大海原であるにもかかわらず、地鳴りが起きる。海震だ。


「来るぞォ!」

 誰かが叫ぶと同時に、数百メートル先の二時の方角の海が大きく盛り上がる。まるで海に丘陵が出来たようだった。

「おー、来ましたね」

 海の噴火が起き、核爆弾が海に落とされたような轟音が船体をビリビリと振動させる。巨大な波を引き起こし、大雨のような水飛沫が甲板に降り注ぐ。

「大波が来る! 早く第三空砲を!」

 誰かの掛け声と共に、搭載されたひとつの大砲が砲撃音を空に轟かせる。

 発射されたのは実弾ではなく、拡散された空圧の塊。迫りくる波に直撃し、大波はたちまち水飛沫と化した。

 大波の扉をぶち破る。その先に待っていたものは見た者全てを戦慄させた。

「これは例年より……はは、最高記録だな」

 船外の上部にいたエリックはその姿を見、つい笑ってしまった。

 海から生まれてくるように出てきたのは、氷山ともいえる真っ白な山。その傷だらけの海の氷山は、全長1kmは誇るだろう。頭部の頂上が分厚い暗雲に隠れて見えない。

 大型の鳥類の群や飛竜の群が飛び交う。雨が降り始め、次第に豪雨へと化していく。大気のうねる音が錯覚として聞こえてしまう。

「おいおい……今までの最高記録の3倍はあるんじゃねえか? 流石に今回はきついものがあるな」

 ポールはその圧倒的存在力を前に弱言を吐いてしまう。

 白鯨の眼は大砲の照準を定めるかの如く、ゆっくりと捕鯨船団の方へと動いた。


「あれが白鯨か……」

 指示や掛け声で船員が騒ぐ中、リオラは冷静に目の前の白い山を見上げる。マストの上にいるイノはあまりの巨大さに感動している。無垢の笑顔が曇り空の中で輝いていた。

 だが、それとは別の意味合いで、歯を剝き出して無垢に笑みを浮かべた男が一人いた。


「全員迎え撃てェ!」

 その指示ひとつで、全艦の捕鯨砲が火を噴きはじめる。他四隻の補助船にもある程度の兵器は搭載してあるようだ。

「おい! 手伝え赤髪野郎! チビって動けねぇのか!」

 ひとりの船員がただ白鯨を見上げているリオラに注意を発する。


「うるせぇな」と一言呟き、タン! と高く跳び、標高十数メートル上のメインマストの頂上に足を着く。「うぉ!」とその瞬間を見た船員は驚くが、数秒もしない内に、すぐに作業を続けた。

「ん? さっきまであの白髪頭いたよな」

 砲撃音が煩い程海に轟き、赤い爆炎が飛び交う中、視線の先のマストの上には既にイノの姿が無くなっていた。

「気配ごと消えるから面倒なんだよなあいつは。……まぁいいか」

 リオラは前方に聳える白鯨を見る。

「あれにどんだけの肉が詰まっているんだろうな」

 牙を剥き出し、目を見開かせる。口から涎が溢れんばかりに湧き出てきていた。


 臨戦開始から一分。白鯨の皮膚は鯨とは異なり、甲殻の如く固く、滑らかである。故に、銛がうまいこと刺さらない上、砲撃でさえもあまり効いていない。

 ついに反応した白鯨は海をも揺るがす音波を咆哮する。振幅、振動共に凄まじく、十数人の船員が気を失う。搭載した兵器数台がエラーになり、使用不可と化した。

「ボイスも半端じゃねェ! 桁違いだ!」

「それ前回の白鯨狩りでも聞いた言葉だ!」

「目を狙え! 音波装置だけは絶対に壊されるな!」

 船員の怒号に似た叫びが飛び交う。

 音波装置は船周囲に生物を近づけさせない他、波を弱める役割を担っている。この装置が壊れれば、今頃この船は沈んでいる。

「ありゃー、クジラこっちに向かってきてません?」

 船首の先端に足を組み掛け、逆さまにぶら下がっているイノは、天の海に突き出ている白き山を、手をかざして見ていた。

 白鯨は尾ヒレを動かし、波や渦潮を引き起こしながら捕鯨船団へ接近してくる。海震ごと山の如き白鯨が迫ってきていた。

「もっとだ! もっと引き寄せろ!」

 船が大きく揺れ、船員の足取りが上手くいかない。だが、それでも幾度も海を渡り、巨大な鯨を何頭もの獲ってきた故の実力は伊達ではない。その闘志と力強さはどんな逆境であっても衰えることはなかった。何とか踏み堪え、何かの準備を続けた。


「……なんだありゃ」

 リオラは下の甲板を見、呟く。

 船首の甲板の床と側面が開き、中から巨大な砲台が出てくる。側面部の二門の砲台にはドリル形式の槍のようなミサイルが付いており、中央の甲板上に出てきた大砲は従来の大砲の形状とは少し異なる、シャープなものだった。

 白鯨はそれに構わず、五隻まとめて轢き潰そうと突進してくる。あの巨体に巻き込まれれば、鉄屑と化し、たちまち海の底に沈んでしまうだろう。

人間おれたち技術テクノロジーを見くびってもらっちゃ困るぜ、白鯨」

 ポールは歯を食い縛り、口元だけニッと笑った。


「――っ、今だ!」

「龍撃砲! 放てェッ!」

 エリックの叫びと同時、三門のキャノンは凄まじい砲撃音と共に二柱の龍撃槍と一発の巨砲弾を撃ち放った。反動で船体が後方に下がり、また後方に傾く。

 全弾が白鯨の頭部に直撃し、龍撃槍は深々と刺さり、砲弾は白い甲殻を突き破り、肉ごと抉り取った。白鯨は咆哮し、その度大波が船を襲う。空気砲と音波装置がなければ、白鯨の挙動のみで大破されている。

「これで少しは効いただろ!」

 突き刺さったふたつの槍から電流が走り、白鯨の動きが少し鈍くなる。構造から、内部に麻酔毒が大量に入っているのだろう。

 だが、白鯨は身体を大きく動かし、一度身体を半分沈めた後、海面から数メートルほど跳び上がり、再び突進を繰り出してきた。波で船が転覆しかける。


「――なっ!?」

 その挙動は十分にあり得る話であった。だが、流石の捕鯨漁師でさえ、千メートル級の巨大白鯨のジャンプは迫力を越え、畏怖に相当するものだった。

 エリックは苦虫を噛み潰したような顔になるがすぐに冷静な表情に切り替わる。次の策を練っている。

 しかし、この状況の前では、どんなに頭の切れた者の判断も遅すぎるに等しかった。


「ったく、こんなんでよく自信満々に狩れると言ったもんだ」

 リオラはメインマストから飛び立つ。マストに罅が入り、危うく折れそうになった。

「はは、今回ばかりは負けかもな……」

 飛んでくる白鯨を前に誰かが光を失った言葉を吐く。他の者も同様だっただろう。

 一騎打ちで、切り札で勝てなければ、あとは敗北を待つのみ。男達の戦いはあっさりと幕を閉じることもある。


「――ハァアアアアアア!」

 上空から響く竜人の雄叫びは白鯨の意識をも向けさせる。瞬間、船団に跳びかかっている白鯨の眼が零れ落ちそうなほど見開いた。

 目にも留まらぬ速さで向かってきたリオラの右拳から放たれた一撃。それは全長千メートルある白鯨にとって矮小な存在である他なかった。だが、その一撃は隕石の如き質量を誇り、白鯨の動きを、数万トンに及ぶ全体重とそれに伴う落下重力のベクトルを止めたのだ。

 そして、ベクトルは反対方向へと転換される。

「ぬぅありゃああああああッ!」

 リオラの右腕に無数の血管と筋が張り巡り、筋肉が隆起する。首や顔面も同様だった。

 その殴打は、細かい振動ではなく、ひとつの大きな振幅波として圧力をも変動させ、白鯨の液体と化していた脳油を固体へと変化させた。

 鯨の頭部には脳油というロウが詰まっている。潜水する際、鼻から入れた海水で液体の脳油を28度以下まで冷やして固め、体積を小さくさせ、密度を大きくさせる。そして頭を錘のように下に向けて、一気に潜る。鯨が素早い潜水や浮上ができるのも、浮力調節のバランサーである脳油があってこそなのである。

 リオラの一撃は水上であるにも関わらず、衝撃による圧力によって熱を引き起こさずに、状態変化として脳油温度を低下させ、固体に、つまりより衝撃が伝わりやすい状態にさせた。

 ドゴォン! と白鯨を殴った轟音が鳴り、白鯨の頭部が凹んでは大きな穴が空く。

「な、なんじゃああいつ……ッ」

 ポールを始め、山のような白鯨が吹き飛ぶ光景だけでなく、それがひとりの拳で打ちのめされた瞬間を目の前で見た船員たちは茫然そのものの表情を示し、あんぐりと口を開けている男もいた。

 甲板にリオラは降り立つ。着地した鉄床がベゴンと凹んだと同時に数百メートル先まで殴り飛ばされた頭部に大穴の開いた白鯨は、滑るように海の中へ沈んでいく。大波が押し寄せ、船体が激しく揺れる。

「おー、えらいぶっ飛びましたね」

 そう言ったイノは甲板に戻り、楽しそうな顔でリオラの元へ行く。

「お、おまえ……人間、なのか……?」

 白鯨の討伐よりも、まずリオラの腕力について気になった黒髪の船員は彼を見、そう訊いた。

 だが、リオラはギロリと睨んだとき、

「馬鹿野郎共ッ! まだ闘いは終わってねぇぞ!」

 そう叫んだのは船長のエリックだった。


 そのとき、不気味な音が聞こえる。大海のうねりと共に金属を引っ搔いたような甲高い奇声。鯨の発する音波に近いが、ここまで不気味に感じ、不快と不安が混ざった嫌悪感を抱いたことはなかった。

「な、なんだ……?」

「白鯨、だけじゃないのか……?」

「準備に取り掛かれ! 下に何かいるぞ!」

 ジールが叫び、船員たちは再び戦闘体勢に入る。リオラも警戒を解いていなかった。寧ろより警戒している。

 海面下。そこには明らか何かが蠢いていた。それも、ひとつだけではない。バケツにまとめて入れられたうなぎのように、折れた樹から虫が湧き出てくるように、海の底から巨大な蛇のような何かが身を潜めている。時折見える眼球が船を凝視している。

「……向こうも警戒しているようだな」

 リオラは息を深く吐いた。呼吸を整え、精神を統一している様にもみえる。

「これですかね、数日前にデッカいドラゴンが船を飛び越していたのも」

 リオラの横にいたイノは海を見ながら少し考えた様子で訊く。三日前の300m級の大蛇のような竜がジャンピングで船を跨いだ理由。

 それは、警戒すべき対象の実存を確かめるため。

 竜でさえ危険対象として認識する程の強い「気」。それをもつ男は「だろうな」と頷いた。

「……来るぞ」

 八方から間欠泉のように水柱が噴き出る。そこから出てきたのは、翼部の生えた藍色の大蛇竜だった。鋼のような鱗は海水で艶を出し、柔軟な身体を艶めかしく動かしている。身体の側面には三対のヒレが付いていた。

 弩級ともいえる白鯨の巨体に比べれば、全長100mほどの体格だったが、それでも巨体であることに変わりはない。それぞれフォルムは部分的に異なり、手足の生えた個体、白牙のような巨大な角をもつ個体、目が四つある個体など様々だったが、その大蛇のような体型と黄金色に輝く竜眼は共通していた。

 船団やランディング号を囲む計八体の海竜らしき存在からは、ただの竜には感じられない威圧感、神々しさがあった。

 かつての時代、神話として白鯨が生まれる前にこの海を支配していた前世代の海の王。


「リヴァイアサン……生で見たのは初めてだ」

 エリックが感嘆の声を出すが、船員の誰もがそう思っただろう。リヴァイアサンはある海域の深海に棲む生きる伝説。襲撃以前に遭遇することでさえ不可能と云われていた。

 しかし、その強大な存在であれ、小動物のように少しの危険をも察知し、行動する警戒心をもつ。それが、深海の過酷な環境変動から逃れ、長年生き続けてきたのである。

 その存在が察知し、排除しに自ら海から出てくるほどの危険因子こそが、イノの隣にいる竜人の発する殺気、そして覇気だった。それは、何もリヴァイアサンだけではない。この海のすべてが危険視している。海の王、海の英雄として、海王龍リヴァイアサン地獄龍リオラを討ち取りに海上に出陣したのだ。


 八頭のリヴァイアサンは警戒したままこちらを見つめているだけだった。船員はいつでも撃てるように、身を強張らせている。

「ったくよ、わざわざ出てきて始末するのは構わねぇが、オレの仕留めた餌を……」

 十二時の方向にいる一頭が咆えながら目にも留まらぬ速さで直進し、リオラに向けて大きな口を開く。リオラは脚を踏ん張り、くうを殴った。

「――横取りするんじゃねェよ!」


 大気の破裂する音と共に空を振動させ、巨大な衝撃波と化す。空震の塊が目の前まで迫ってきたリヴァイアサンの身体を大きく後ろへ逸らせた。口内に直に喰らったので、口が大きく裂け、頭部が弾け飛ぶ。機能しない肉体はゆっくりと海に沈んでいく。


 それを合図に、船乗りと海龍の猛攻は始まった。

 海王龍は一斉に捕鯨船を襲う。それを砲弾で対抗するも、弾が底を尽きるのは時間の問題だった。だが、白鯨の攻撃を直に受けていないので、船体も船員も損傷はない。

 空と海が激しく荒れ、豪雨に雷が降り注ぎ始める。

「くそ、こいつらまだこんなに……ッ」

 海から数メートル級の魚竜が船に上がりこんでくる。歯を噛み締めたジールは近くにあった鯨刀で魚竜の不意を突き、首を斬る。

 だが、背後にいた爬虫類型の海竜の腕に薙ぎ払われ、コンテナごとジールと三人ほどの船員は油槽船の壁にまで叩き飛ばされた。

「ジールッ! このクソドラゴンが……ッ」

 ノットは5mほどの海竜を睨み、担いだバズーカで頭部を狙った。多少は怯んだが、怒り、尾で簡単に飛ばされ、船内のガラスを突き破った。ノットの意識はそこで途絶えた。

 次々と被害が起こり、波が船を覆う。雷が船体上部を直撃し、上から鉄の破片が降り注ぐ。

「クソッ! 通信塔が壊れちまった!」

「おい! 怪我人を安全なとこ――」

「安全なとこなんてねぇだろうが! 放っておけ!」

「ひたすら撃ち続けろォ!」


 そのとき、海龍王の口から発射された水のブレスによって一隻が両断された。ウォーターレーザー並みの水圧の威力にポールの背筋が凍る。

「畜生、リヴァイアサンめ……何故我々を襲う」

 エリックも甲板に降りては応戦している。だが、海王龍の振りかかった翼部に直撃し、船体の鉄壁に激突する。

「――ッ、船長!」

 竜の牙や突進、その腕力や放たれるブレスによって船体は損壊していく。あちこちで小さい爆発が連なる。足元が濡れて上手く移動できない。

 後方の捕鯨船が撃墜される。船員は奥歯を噛み締め、竜を強く睨み、撃ち続ける。だが、竜の一撃で簡単に人の身は飛ばされ、墜落する。

 リオラは魚竜の頭部を掴み、グジュ、と握りつぶした後、海面からダーツのように突進してきた一本角の海竜に投げつけ、スピードが緩まったところを薙ぐように蹴る。二体の竜は滑空するように吹き飛び、海に落ちる。

「……」


 リオラは周囲を見る。このまま抗戦を続ければ、今の船の状態では沈むのも時間の問題。そして竜の群は皆、自分を警視している。

「これみんなリオラ狙っているならここから離れた方がいいですね。リオラが暴れるなら尚更ですよ」

 リオラの傍の木箱の上に座っていたイノが突然提案した。丁度考えていたことと一緒だったことに少し驚いたリオラだったが、空を蹴り、ブレスをしようとしてきたリヴァイアサンを甲板ごと斬る。

 大気を切り裂く、飛ぶ斬撃。鎌鼬かまいたちのような現象を自らの筋力のみで引き起こす人間離れした技を難なく繰り出し、リオラはイノの提案に応える。

「……そうだな」

 イノはエリックやポール、そして船員の顔を見る。誰もが生きる意志を捨てていない。生き残る。それ故の闘志が感じられた。


「早くいきましょうか。この状況は僕たち二人だけで請け負うのが一番です」

「ハッ、何もしてねェくせに言ってくれるぜ全くよぉ」

 リオラは右側から再び襲い掛かってきた、斬られた海王龍リヴァイアサンを素手で殴り飛ばし、沈みかかった船に激突させる。

「ただまっすぐ前へ進む。それでいいな?」

「はい。そういえばリオラって泳げますか」

「それはこっちの台詞だ。溺れ死んだって知らねぇぞ」

「普通にそうなりそうですね」

 あっはは、とイノは笑う。フン、とリオラは鼻で笑った。

 そして船首へと走り、遠くへ跳ぶ。着水地点をなるべく船から遠くするために。

 イノは遠くへ跳ばずに、船から飛び降りる。ドポン、と小さな着水音と共にその姿は吸い込まれる様に消えた。竜がひしめき、蠢く海の中に。


 海王龍は動きを止める。降り注いだ雷も止み、豪雨も少しばかり収まる。

「……なんだ?」

 他の魚竜や海竜も襲撃を止め、荒波も収まってくる。

 六体のリヴァイアサンが今までよりも大きく、高い奇声を発する。

「――ぃッ!?」

 鼓膜が破けそうな超音波一歩手前の金きり声。数秒続いた後、船の前方へと竜の群は移動し、船の上にいた竜も海へと降り、群の流れに入る。

「どっかいったぞ……」

「……どうしたんだ突然……?」

「さぁな。でも、とりあえず助かったってのは確実だ。天気は相変わらずだが、雨は小雨だし、波もさっきよりはマシになってきた」

「おい、怪我人を運べ! 今のうちに応急処置だ!」

「操縦室に行け! おまえらはすぐにシステムの復旧と船体の修理に取り掛かれ!」

「――っ、エリック船長! ……よかった、気を失っているだけか」

 ポールは怪我をした左腕を抑えながら立ち上がり、救助を手伝う。

 二隻が沈み、百人ほどの命が海に飲み込まれた。他の船も損壊し、とても捕鯨をすることなどできない状態であった。幸い、エンジンは利くが、燃料が漏れているので、途中で救命ボートに乗り換えなければならないだろう。

 竜が巣食う大海に救命ボートで過ごすのは大変なリスクが伴う。だが、そのようなことを考えても仕方がないと思ったポールはふとした違和感に気が付く。


「はは、まったく、ひでぇやられようだぜ。……ポール、どうした」一人の船員は気付き、笑うのを止める。

「……リオラとイノ、あの二人の旅人の姿が見当たらないんだ」

 自分で言い、そして気付く。竜に、海に飲み込まれたのだと。

「……」

 俯いたポールの肩に手を置く。

「落ち込むな。仕方ないことだ。きっとどこかまで流されて生きていることを願おう」

「……あぁ」

「おい! あれ見ろよ!」

 ひとりの負傷した船員が指を差して叫んでいる。ポールたちはそこまで歩き、何事かと海を見る。

 その見た先には、頭部に大穴の開いた白鯨の残骸が何故か浮き上がっていた。まるで真っ白の島にもみえるそれは、曇天から射してきた光で銀色に輝いていた。


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