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神王伝史-GOD CHRONICLE-  作者: エージ/多部 栄次
第二章 竜の巣食う大陸 アリオン地方編
30/63

第29頁 巨龍との戦い

「しっかし、デッケェ竜だなこりゃあ」

「山とおんなじぐらいですね」

 イノは感嘆する声を出し、その山のような地竜デトロレキネを見上げる。新期造山帯のように鋭い巨体と白みを帯びた岩状の鱗。4足歩行の厄龍は首を伸ばし、蒼い眼球で睨みつけてくるよにこちらの様子を窺う。

 その場に竜煙性電解質どくが強風によって霧ごと消え去ったことで、回復力と免疫力の高いリオラは不調ながらも身体を動かすことはできた。半ば麻痺し、錆びついたような不便な肉体に構わず、リオラは臨戦態勢をとる。


「お、来ましたよ」

「わかってらぁそんなこと」

 木々を揺らすほどの咆哮。その山峰のもつ武器は刀剣のような牙、巨大なる尻尾、強力な脚。正確な数値は分からずとも、そのサイズとウェイトは人間の比較にすらならない超重量級。山並みである以上、その範疇を逸脱している。

 前脚の踏みつけ。大樹丸ごと落ちてくると思わんばかりの巨大な足がイノたちを狙っていた。巨体故にその動きは遅く感じる。


「よくこんな小っちゃい僕らを見つけて、しかも襲おうとしますよね」と関心するイノ。「あ、僕手伝った方がいいですか?」

「オレだけで十分だ」

「無茶ぶりはやめたほうがいいですよ」

 赤い泉ごと覆う巨大な一歩。しかし、それは地に着くことなく、

「だから要らねぇっつってんだよ」


 天を貫かんばかりの蹴りで巨龍の踏み込む全体重が跳ね返された。

 爆発以上のエネルギーが音として、衝撃として、振動として大地や大気、そして厄龍の脚部に轟き、骨身を震わす。直に伝わった脚部は骨格ごと砕かれた。

 爆。生じた衝撃は地と空を揺らし、爆風をもたらす。

「グフッ」と血を吐くリオラ。歯を食い潰さんばかりに噛みしめ、一番負荷のかかった足は地面を深くえぐっていた。


「……っ!?」

 当然、リネットは驚いただろう。まるで山ごと振ってきたような光景。それを身長2mしかないリオラの一蹴りだけで砕き、吹き飛ばした事実。信じがたい一瞬だった。

 厄龍はよろめくも、残った3の足で支える。骨の砕けた足も地につけるが、激痛が生じるのか、そのにだけ体重をかけていないようにも見える。

「あっぶなかったぁ、さっすが厄災の象徴なだけあって凄まじいですね」

「こいつぁ喰らう価値がありそうだ」と犬歯――牙を剥き出す。

 厄龍は膨大な空気を吸い上げる。堅固なる鱗の鎧をも音を立て、胸部を僅かに膨らませるほどの量。この後何をするのか、少なくともリオラは予測できた。


「おい、白髪」

「なんですか?」

「手ェ貸せ」

「……? はい」

「お手じゃねぇバカ。殴るぞ」

「まぁまぁ。で、なにするんですか?」

 リオラは舌打ちする。

「もういい。オレひとりでいく」


 大きく屈み、膝を曲げる。脚部を始め、あらゆる筋肉部位が発達する。

 力強い飛躍。そのエネルギーは地面が耐えきれないほどまでに至り、めくりあがり、粉砕する。瞬く間にリオラの姿が消えた。

 巨龍は察し、頭部ごと正面を向ける。向かってくる溢れんばかりの殺気は、本来の大きさよりも遥かに大きく、まるで同じ体格の龍がそこにいるかのよう。そう厄龍が思うほどの存在感が目の前に迫ってきていた。

 咆哮。怒号。互いのハウンドボイスがぶつかり合い、炎熱をまとった拳打と岩盤の頭突きが地震よりも凄まじい轟音を巻き起こす。それはこの森に及ばず、大平原中を揺るがした。数多の竜が生命的危機を察知し、より遠くへと逃げ出した。

 その拳の数千倍は大きいであろう厄龍の頭部。桁違いの格差。まるで大地そのものが迫りくるような。

 それでも、リオラは対等な力をぶつけていた。巨龍の頭部の堅殻に深いヒビが刻まれる。龍は呻き、一歩引き下がる。大きな一歩だった。

 血反吐をこぼすも、リオラは追撃する。途端、足掻くように繰り出された厄龍の巨大な尾。リオラごと大陸を叩き割らんばかりの凄まじさは風として泉にいるイノとリネットにまで伝わる。

 しかし、半島の如きスケールを空で放った一蹴で対抗する。


「――!」

 その堅牢な尾でさえも、岩盤をも断つ斬撃を生じさせるほどの蹴りによって、骨の髄までえぐるように裂かれる。だが、厄龍の圧倒的な筋力でリオラは標高600mから一気に大地に叩き付けられた。そこから土砂の柱が巻き上がる。

 リネットは息を呑む。思わずリオラの名を叫んでしまう。


「さすがにリオラだけじゃきつそうですね」

 イノは地面に落とされたリオラを前脚で踏みつぶそうとする厄龍の方へ歩き始める。それを呼び止めることもできず、リネットは見ることしかできなかった。

「炎はちょっと無茶ですけど……やってみるか」と独り言をつぶやいたとき、

イノは何の音沙汰もなくその場からいなくなる。風ひとつ巻き上がることもなかった。


 リオラの身体の中で暴れる毒は完全には打ち消されておらず、ダメージは増えていくばかり。リオラはゆらりと起き上がり、迫ってくる巨木の如き前脚を見る。辺りは夜のように暗くなる。

「災いの龍か……そういやオレも似たような名前を持っていたな」

 半ば虚ろな顔でつぶやく。以前よりも格段に衰えた肉体に呆れた笑みを浮かべる。

 そのときどこからかイノの声が聞こえてくる。それに応じたようにリオラは目を見開き、振り返る。

「テメェいつのまにいやがった」

「今来たとこですよ」

 瞬間移動だと思わせる。すぐそばにはイノがいた。

 目の前には迫ってくる巨龍の足。しかし、イノは「大丈夫です」と言っては、竜の足に触れては払い、着地地点をずらした。

「……」思わず瞳孔が僅かに開くリオラ。

 そのモーションは空で飛びまわるハエを払いのけるような動作。それだけで大木の如き竜の踏みつけのベクトルを逸らしたのだ。巨龍はバランスを崩しかけ、体勢を保とうとする。

「ちょっと協力お願いします。僕を担いでください」

「あ?」

「さすがにあれはデカいです。数カ所撃ち込まないと倒れないと思います」

「あんなん一発で終わるだろ」

「でもリオラ一発で終わってなかったですよー」

 ため息を吐く。言い返したところで無駄かと思ったリオラは話を戻す。

「……で、その撃ち込むポイントまで運んでくれと」

「はい、リオラって空とか蹴れるんですよね。変わった脚力持ってますし」

「……わかった。だけど、今回だけだ」


 リオラの大きな背にイノは乗る。土埃を巻き起こし、高く高く飛躍する。

 高い木々を越え、真横の雲を通り過ぎる。

「うっはー! すごいですこれ!」

 ロケットのように上昇する二人。リオラの脚力のすさまじさを前にイノは感嘆の声を笑いと共にもらす。


「耳元で叫ぶんじゃねぇ! 来るぞ!」

 右足に力を入れる。空気の圧縮。大気を司り、力と速度によって無理矢理収縮した空気をバネのように膨張させる。多大な体力の浪費。

 そして為した空中走行。大木のような尻尾の一振りを避け、竜の横へ回りこむ。


「うわっ、また来ました」

「ンなことぐれぇわかってらぁ」

 再び仕掛けてきた尻尾の一撃をリオラは蹴り返し、その反動でさらに遠くへと飛ぶ。その尻尾は欠けていた。

 巨龍は吠え、上体を起こす。二足歩行として立ち上がったのだ。大地が悲鳴を上げ、森が崩れ去る。


「こーりゃヤバくないですかね」

 巨龍は馬のように振り上げた前脚をこちらに向ける。

「で、どこだ! そのポイントってのは!」

 空を蹴り、爆発的な速度を発揮する。霧のような雲を切り抜け、風の音が耳を劈く。真下は崩れた緑と土色が混ざった荒地に山脈。遠くには薄青い海が見えていた。

「まず背中辺りで――」


 イノが言い切る前に、リオラは背中に引っ付くようにおんぶしていたイノをつまみ、ぶん投げた。「あとはテメェが行ってこい」

 巨龍の、全体重をかけた技が繰り出される。ただの圧し掛かり。しかし、山を潰さんばかりの重圧。竜人は手のひらで受け止めるが、ここは空中。空を蹴る前に地面に叩きつけられた。踏みつぶされ、土に埋まりこむ。

 同時、巨龍は脊髄に激痛を感じる。山のような背中に大きな罅が入り、甲殻が土砂崩れのようにガラガラと崩れていく。

「痛ったー。強すぎですよあの人」

 その痛点にイノがいたが、巨龍は身体を震わし、空へと放り出されてしまう。


「あともう一発でいけそうですね」と呟いては、「さっきのどうやってたっけ」と何かを思い出し始める。

「あ、これか」と言ったとき、空気が破裂するような音が響く。イノの足からだった。

 先程リオラが為した空中闊歩。慣れていないのか、体のバランスが取れずに、吹き飛ばされるように放られるイノは空を蹴りつつも、爆風に飛ばされるように不器用に空を移動していく。


「クソッタレが……久々に骨にきたぜ……」

 埋まっていたリオラは、巨龍の着地地点から離れた地面から這い出てくる。頭にきているのか、汗は蒸発し、赤い熱を帯びている。土は焼け焦げ、雑草は黒く炭化していた。軋む骨を鳴らし、身体に鞭を打っては立ち上がる。巨龍の影で太陽が隠れ、曇り空のように薄暗くなっている。


「……!?」

 ふと、見上げ、丁度目にしたもの。

 イノが巨龍に立ち向かっていた。そのモーションは先程リオラがやってのけたそれと同じようにも見えた。

「あいつ本気か」

 そう呟いたと同時、イノは吼える巨龍の頭部に向けて拳を握る。

「――リーオーラーの……真似!」

 大轟音。無謀にも、山脈ともいえる龍を殴ったのだ。

 しかし、その華奢な身体のどこにそのような力があったのか。巨龍は大きく仰け反り、雨のように大量の血を吐きながら、身をふらつかせる。


「っ、このまま倒れんじゃねぇかアレ」

 巨龍は半ば意識が飛び、リオラの方へと倒れようとしていた。地鳴りが響き続ける。

「人間のくせに……そこそこやるじゃねぇか」

 殴った後、イノは落下し、リオラのところへと向かってくる。「リオラー! もういっちょお願いします!」

 竜の倒れる先には村があり、リネットの住んでいる泉もある。リオラは舌打ちをした。

「ったく、こっちの気も知らねぇで……っ、やってやらァ!」


 両足を踏み込み、バリン! と砕くように大地に大きな罅を入れる。

 筋肉を隆起させ、腕に集中させる。皮膚の内に秘める甲殻に血管を浮かび上げる程、その血圧を膨大させ、崩れる巨龍デトロレキネの巨躯に一撃を突いた。

 衝撃は二種に分かれ、肉を裂き、身に穴を開けんばかりの槍の如き一突き。そして、拡散していく並の波動は骨を砕き、臓物を振動させ、肉を分離させていく。


「~~~~ッ!!!」

 リオラは叫ばず、歯茎を出血させるほどまでに歯を噛み締める。パキンと歯が欠けても、その力を緩めない。

 そして、声にならない怒号を上げ、山脈ほどの龍を殴り飛ばした。

 デトロレキネの胴体に巨大な風穴が空く。上半身と下半身が分かれそうになるほどの風穴を作った衝撃によって、その身は反対側に大きく倒れる。

 生じた地震は遙か遠くの地方をも揺るがし、巻き上がった土は津波のよう。暴風ともいえる風の衝撃波が落ちてきたイノとリオラを吹き飛ばした。



 山のように積もった土と木々。なんとか埋もれずに済んだイノとリオラはその山に登り、崩れた白い巨峰を見眺める。

「やりましたね」と土で汚れたイノはにひひと笑う。

「ああ、そうだな」と素っ気なく返すリオラ。優れた五感でデトロレキネの生体活動の停止を確認する。

「……それにしても、倒れるときも凄まじいですね」

「ま、このまま山として眠ってくれればいい」とリオラは下を見る。

 下を見れば、近くには赤い泉。荒れてはいたが、辛うじて泉はあり、小屋も原形を保っている。

 だが、

「っ、リネット……?」

 リネットの姿がなかった。そして、テリストの姿も。


     *


 その頃、村メイフェンは大地の揺れにより歪み、石の塀などが崩れている部分もあったが、幸いなことに家は一軒も倒れていない。


「魔女を殺せ! 魔女を殺せ!」

 大地の怒りは収まった。しかし、民はこれからも同じことが繰り返されないように、また、疫病を断絶させるため、赤い泉の魔女――リネットに罵声を浴びせていた。

 毒で体の言うことが利かないリネットの髪を掴んでいるのは、負傷したテリスト。右手には短剣が握られていた。

「皆さんご安心を! もう二度と! 今後一切! 今日のような災いは訪れることもないでしょう! この魔女の命を奪うことで!」

 テリストは叫ぶ。当然、デトロレキネが死んだことなど、轟音を立てて倒れた姿を見た彼も分かってはいた。しかし、国から貴重な竜人族の首を持っていくことで多額の報酬を貰える。その目的がある以上、リネットが何をどうしていようが関係がなかった。彼女が竜人族。それだけの事実があればいい。

「殺せ! 殺せ!」

 民の声にテリストは応える。その短剣を喉元に当てた。


 ――が、テリストは硬直する。火傷せんばかりの熱気、そして、身を凍らせるほどの寒気が身体の中からあふれ出てくる。

 行動を躊躇う。その一瞬で、彼が目にしたものは、煉獄の龍の瞳だった。


 短剣は草地に突き刺さる。神木メイフェンよりは劣るが、見上げんばかりの一本の樹を根こそぎ倒し、砕けた中には潰れたテリスト。意識は辛うじてあるが、虫の息だった。

 それは一瞬の出来事。剣士が吹き飛ばされた時、同時に炎気をまとった竜人が現れたのだ。

 彼の方へ歩くのは煉獄の龍人。その一歩一歩は重く、地に足を付ける民の心臓にまで、その振動が伝わっていた。

 竜人――リオラは砕けた鎧の胸ぐらを掴み、樹から引きずり出しては片手で持ちあげる。

 その瞳の色は血のように赤い。眼球にまで血管が張っていた。


「おい……テメェが何をしたか言ってみろ……!」

「ぁが……ハ……」

 骨を砕かれ、内臓が裂け、肉が潰れ、体内から溢れかえった生温かい血が、体外へと湧き出ている。一発殴れば確実に死に至る手前に陥っている。血みどろのテリストは声を出すどころか、リオラの言葉を理解する余裕さえない。

「……!」

 上手く立ち上がれず、座り込んでいたリネットも口を押えてしまう。

 感じていたものは、ただ恐怖だけ。身体を巡る毒を麻痺させるほどの恐れ。このあとの行動など、思いつくはずもなく。


「――ッ」

 突発的な行動をしたリオラの後を追いかけていたイノ。やっと村についたが、時はすでに遅し。来るべきでない未来が訪れてしまった。

「リオラ……っ!」

 イノは竜人の名を叫ぶ。しかし、怒る竜人は一瞥すらしない。


「あいつが今までどれだけ辛い思いをしてきたかわかってんのか! テメェの下らねぇ差別と先入観だけで奪っていい命じゃねぇんだぞ!」

 村中に響く叫び。イノは恐れる様子もなく、リオラに近づく。

「リオラ、冷静に……!」

「テメェらもそうだ! バカみてぇに平和に暮らせたのはあの神木のおかげだけじゃねぇんだよ! あいつ一人でずっと立ち向かっていたんだ! テメェらみてぇな勘違い野郎の為なんかに命張って食い止めていたんだよ!」

 物言わぬテリストを捨てるように落とし、集っていた村人に向けて荒い声を出す。彼らは畏怖し、足腰が動かなかった。わかってはいても、硬直してしまい、逃げ出すことすらままならない。

「聞いてくださいリオラ」

「何が魔女だ、何が村の厄災だ。所詮テメェらのクソみてぇな決めつけだけじゃねぇか!」

「リオラ!」


 雷鳴の如き凄まじい轟音が村中に反響し、幾つかの民家の表面壁に亀裂が走る。窓ガラスはすべて粉砕した。

「黙っとけ。食い殺されてぇか」

 それはイノの首に、リオラの蹴りが入った音だった。巨龍の分厚い鉄板のような堅殻を打ち砕き、鋼の岩盤の如き堅剛な筋肉を斬り裂いたほどの一蹴。それが並の人間に使われれば、真っ二つどころか、大地も断層を起こすだろう。

「……一度落ち着いてください」

 蹴られた首からも、口からも血は流れている。しかし、その華奢ともいえる細い体はびくりとも動いていない。


「今、自分の思いを伝えたところで逆効果になるだけです。どれだけ言っても、この人たちは僕らを敵として見なしています」

 燃えるような眼。しかし、それは凍てつくような冷たさ。旅人は静かに言う。

「リオラが竜人族である限り、誰も耳を貸しません。そういうものなんです。昔からある差別は、そう簡単に無くなるものではないんです」

「……っ」

「受け入れましょう。もう、過ぎてしまったことですから」

「……だからテメェは甘いんだ」


 イノの胸ぐらを掴む。そして、振り上げては大地に叩き付けた。

 巨龍が倒れんばかりの地震。草地は凹み、土が抉れていた。


「どう説得しようが、誰もテメェの話に耳を傾けようとしねぇ! 話で通じねぇこともあるんだ! 中途半端に偽善ぶって追い返すぐれぇなら! 最初から悪役バケモノみてぇに暴力で脅せばよかったんだよ!」

 イノは血を吐き出す。未だに掴んでいるリオラの腕を握り締める。未だに衰えぬ目の輝き。リオラはさらに大地に押し付けた。


「その後のことを考えてください。それをしたところで――」

「繰り返されるんだろ。やったところで、何の解決にもなんねぇ。やんなくても……おんなじだ。わかってんだよ! そんぐれぇわかってんだ!」

「……そうですか」

 途端、イノは掴んだ腕を引っ張り、リオラの体勢を崩させる。巧みな動作で凹んだ草地にリオラを倒しこむ。


「テメッ、なにしやが――」

 バチコン! とリオラの額にデコピンが炸裂する。思わず声が途切れたリオラは、イノを睨むことしかできなかった。

「まず、みなさんに謝ってください。今回の件は、僕らにも原因があります」

「……」


 リオラが起き上がる前に、イノは村人たちに向かって、深く礼をした。

 何かを言った後、旅人から確かに聞こえた「ごめんなさい」。リオラも立ち上がり、同じように頭を下げた。


「――これで許されるとは思っていません。望みがあれば、なんでも手を尽くしま――」

「で……出ていってくれ」

 ひとりの村人――否、村長の言葉だった。ふたりをおそれているのか、声を震わし、しかし勇気を振り絞っては一言一言を口に吐き出す。

「もう、この村に近づかないでくれないか。魔女には何もしない。君等の言いたいことはよくわかった。だから……今すぐこの村から出ていってくれ!」

 しばらくの沈黙。場は硬直し、緊張の糸が千切れんばかりに張り詰める。

 旅人はゆっくりと頭を上げる。その動きだけで、民は慄く。


「……わかりました。今すぐ、立ち去ります」

 イノはもう一度頭を下げ、「いきましょう」とリオラに告げては民に背を向ける。


「――リオラ!」

 名を呼ばれ、リオラは振り返る。呼んだのはリネットだった。

「……なんだ」

 そう言ったときはじめて、彼女は無意識に呼んでしまったことを自覚する。目を丸くする様子が一瞬だけ垣間見れた。

 数秒の戸惑い。そして、一言だけを述べる。


「……ごめん」

 しかし、リオラは睨むような目つきで彼女を見る。

「……勝手に謝んじゃねぇよ。胸糞悪い」

 そう言い、立ち止まっては待っていたイノを追い越す。イノはリネットと村人たちをもう一度、一瞥してはリオラの背中を追う。

 イノが最後に眼に入った村人。最初に出会った女性の顔は、見ていられないほどまでに、恐れているそれだった。


     *


 森を出、再び大平原へ。先程の大地震が原因か、竜の群れは何処にも見当たらない。

 ふたりは、ただ、青い大地を歩む。乾いているようでみずみずしい草の音は、耳触りがいい。

 太陽は真上。しかし、薄い雲に隠れ、眩しさはない。


「そう気を難しくするなら、もう一度あの女の子のとこに行ってみます?」

 風だけしか聞こえない沈黙の中、イノから話す。もう何も気にしていないような顔に、リオラは眉を寄せ、何か言いたげだったが、

「……いや、いい」

 とだけ答えた。

「まだ生きているだけよかったですよ。もう病気も侵攻することはないでしょうし、大丈夫ですよ」

「そう、だな……」

 イノの屈託のない笑顔。否定する気も起きなかった。

 空は曇り、風が強くなる。トビの姿が見え、高らかに鳴き声が響く。


「オレは今までろくな生き方をしていねぇ」

「でしょうね」と即答。

「……差別を受けていたことがあったんだ。そんときのオレは今よりも青臭くて、化物染みていた。気に食わなかったり、邪魔だった奴らはぜんぶ殺してきた」

「ふーん」とでもいいたげなイノの顔。それに構わず、思い返すように、リオラは考えていたことを打ち明ける。

「拒絶どころか迫害されたこともある。人間の残酷さは時代関係なく凄惨だ。差別もそのひとつだ。だから、あいつの気持ちがよくわかったんだ」

「あの女の子のですか?」


 リオラが頷く前。イノは軽快に笑った。馬鹿にしたわけでもない、ただ純粋に笑い声を上げる。

「なにがおかしい」

「あの人は差別で苦しんでいなかったですよ。リオラの思い込みです」

「……は?」

 イノは「ふふ」と笑い、

「あの人は村の皆さんになんにも恨みや妬みなんてなかったですよ。差別に困ってはいましたけど、悲観的に苦しんでもいません。寂しがっていただけです」

「……」

「それを知らないうちに誤魔化して、自分にウソついていたんですよ。みんなが幸せならそれでいいって」

 イノは言い切る。

 納得がいかなかったリオラは厳かに言う。重い声だった。

「どうしてそこまで言える。おまえはろくにあいつと話してねぇだろ」

「視ればわかることですよ。僕があのときあそこに来れたのも、あの人の本当の心を視れたからですよ」

「……わけわかんねぇこと言うんじゃねぇよ」

「ちょっと真面目に喋った方なんだけどなあ」

 困ったように笑う。「よく笑う奴だ」とリオラは呆れた。


「……イノ」

「なんですか?」

「おまえはよ、世界中を敵に回したことがあったか?」

「んー、ないと思います」

「でも」と付け足す。リオラはイノの方へと顔を向ける。


「こうやって旅をし続けていれば、何度も何かと対立することはありますね。見捨てられたり、裏切られたりすることだってあるんですよ」

「……ただぶらぶらと旅をしていたわけじゃなさそうだな」

「あっはは。まぁ嫌われるって言った方がいいですかね。でもリオラが思うほどひどくはないですよ」

「そうか……」


「旅人は嫌われてなんぼですよ。周りの目を気にせず、なんにも怖れることなく自由に生きるってことには、それなりに捨てるもんがあるんですよ」

 そう言っては微笑むも、その裏に見えた哀しみ。リオラは少しだけ躊躇ったが、訊いてみた。

「おまえは……自由なのか」

「んーどうでしょうね。不自由はもっと嫌ですけど、自由も案外重たいんですよね」

「……自由も、ある意味では縛られているのか」


「リオラはあるんですか? 世界中を敵に回したこと」

「まぁ、な……」

「失ったものも、僕よりたくさんありそうですね」

「……」

 黙り込む。「あー」と余計なことを言ってしまったなと、珍しく会話を察したイノだったが、気にはしなかった。


 雲が晴れ、太陽が顔を出す。眩しくも、ほどよい温かさに、イノは「気持ちいいですね」とリオラに言う。「そうかよ」と返事するだけだった。

「海水浴まであと何歩ですか?」

 リオラは遠くを見、スンスンと匂いを嗅ぐ。

「海までまだ遠い。この速さじゃ一晩かかるだろうな」

「うわーマジですか。まぁゆっくりいきますか。それが旅人ですからね!」

 そう誇らしげに、旅人は言う。つまらなさそうな目をした竜人は、呆れ口調で話した。

「ただのマイペースだろそれは」

「旅人はみんなマイペースなのです!」

「そうかよ」

「そんじゃ、海水浴まで競争です!」

 先程と言っていることが違うと思ったリオラだが「勝手にやってろ」と言ったときには、すでにイノは走り始めていた。


 空を駆ける鳥を見ながら、旅人は草原を走り往く。凸凹につまづいて盛大に転んだ旅人を遠くで見つめていた竜人は、呆れたように、ぷっと笑った。

 

     *


 東マガラ大陸アリオン地方の中央に位置する大平原の外れ。

 そこはかつて、山脈の如き巨龍が棲んでいた。鉱毒を排出し、ふもとの村人に病を流行らせ、苦しませていた。

 しかし、それは昔の話。ある時を境に、長寿の巨龍は死に至る。その龍の骸は大自然の一部となり、今では隣に居座る、半壊した山脈と並ぶ山と化した。緑が生い茂り、数多の生命が育んでいる。

 その山に一軒の小屋があった。一人で住むには少し広いと言ってもいいほど十分な、だけどどこかがたつきのある、手作り感がある小さな家。

 ガチャリとドアが開く。ブーツの音を鳴らして外には出ててきたのは森の川のような水色を帯びた竜人族の女性。澄んだ銀の瞳で大空を見上げる。


「今日もいい天気ね」

 そう言っては背を伸ばす。

 そのとき、坂の下から声が聞こえてくる。

 元気ある子どもたちの声。長い髪を耳に掛け、女性は下へと目を向ける。


「リネット先生ーっ!」

「おはよーございまーす!」

 坂道を元気よく登ってくる子どもたち。「おはよう!」とその女性、リネットは満面の笑みを向けた。


これにて挿入話「風のみちしるべ」は完結です。


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