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神王伝史-GOD CHRONICLE-  作者: エージ/多部 栄次
第一章 風の旅立ち 水の都編
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第2頁 少年の旅立ち

 その少年は「リード」と名乗った。

 畑を育てている農家の息子だという。自分も手伝っているので他の子ども達とは遊べなく、その上他の人より貧乏で泥臭いのであまり好かれる存在ではないと言った。

 リードの住む民家は草原と畑の中でぽつんとしたところに建っており、画家の描いた絵のような景色を思わせる。

「ただいまー」

 と言いながらリードは家の中へ入る。イノは辺りを見回した。

 先程いた町並みものどかで綺麗だったが、ここもまた各別だ。畑で実る野菜の匂いがほんのりと鼻をくすぐった。土の匂いと微かな青臭さが風と共に漂う。

「ここで昼寝したいなー」と呟く。

 すると、がちゃり、とドアが開く。出てきたのはリードだった。

「お母さんにイノのこと話したら、お礼がしたいから入っていいってさ!」

「おぉ、嬉しいですね。お礼ってどんな食べ物でしょう」

 そう言い、家の中へと入った。


     *


 農家の家なので少し土とカビ臭さが匂ってくるが、イノは特に気にしなかった。

 質素な物しかなかったが、部屋の中も何かの植物が育てられていて、そこから甘い香りが漂う。

 リビングらしき広めの部屋の台所にリードの母親が料理を作っていた。水の流れる音が聞こえるあたり、田舎町でも水道は使えるようだ。

「あら、その人が助けてくれたの?」

 リードの母親は優しげな声で尋ねた。やはり親子なだけあって、目が似ている。

「うん! イノっていうんだよ! 旅人だってさ!」

「どうも、おじゃまします」

 リードは嬉しそうに母親に言う。母親はその様子をみて微笑んだ。

「旅人さん、本当にありがとうね」

「いえ、ただ声をかけただけですから」

「お礼に何かしないとね」

 その言葉にイノは反応する。同時にぎゅるるる、と腹の虫が鳴る。

 それを聞いたふたりは笑った。

「じゃあ、丁度お昼作っているから一緒にご馳走にしましょう」

「おねがいします」

 目を輝かせたイノは、間を置くことなく答えた。


     *


「粗末なものだけど、お口に合うかしら?」

「とってもおいしいです! これは畑からとった野菜ですか?」

 トマトのパスタと、インゲンとエリンギのペペロンチーノをがつがつとおいしそうに食べながらイノは訊いた。母親の代わりにリードが答える。

「うん! 俺とお母さんが一生懸命育てた自慢の野菜だよ!」

 嬉しそうに話すリードを見ながらイノは食べる手を止めなかった。木のフォークでぐるんぐるんにパスタを大きく巻き、大口を開けてはぱくりと一口。全体に広がるパスタの香りとオリーブオイルの風味。ざく切りしたトマトと塩胡椒がじんわりとパスタに馴染んでいる。塩味が強めのペペロンチーノも全体に油が回っており、噛むたび味が舌に染み込んでくる。

「ふふ、でも質が悪くてなかなか売れないの」

 母親が微笑む。それはどこか悲しそうだった。

 しかし、それについては特に触れず、イノはもぐもぐとおいしそうに食べながら話す。

「こんなに美味ひいのに?」

「ええ、他の土地でできた作物の方が評判がいいのよ」

 すると、リードが機嫌悪そうに口を尖らし、話し始める。

「でもそれ全部薬使ってるからこれより絶対おいしくないよ。薬を使ってないものがなんでダメなのか全然わかんない。最近じゃこの町も薬をまき始めたし」

「仕方ないのよ。売っている野菜に虫が入っていたらお客さん買わないでしょう?」

「おいしい作物に虫がきて当然だよ! なんでみんなそれを嫌がるのさ」

「ごちそうさまでした。ありがとうございます」

 イノはカタン、と木のフォークを置き、手を合わせた。

「あら、もう食べ終わったの? おかわりはいかがかしら」

「ぜひお願いします」

 母親はイノの皿を持っていき、パスタを盛る。ここからでも香りが漂ってきていた。

「イノは分かってくれる? そのままの方が美味しいって」

 テーブルに身を乗せ、リードは不満そうな顔で訊く。イノは口元にパスタのソースがついていることに気がつかないまま、笑顔で応える。

「もちろんです。虫さんたちがきてくれるほどおいしくて愛情たっぷりなんですから」

「あら、嬉しいこと言うわね。こんなかわいい子に言われると頑張り甲斐があるわね」

 母親は優しく笑いながらコトリ、と皿をイノの前に置く。イノは「いただきます」と再びがっつきはじめる。

「でも虫さんが来すぎたら無くなっちゃいまふね」

「それもそうだね」

 ははは、とみんな笑う。


 イノはふと、暖炉の上に置いてある写真立てに目が入る。

 写真にはリードと両親が満面の笑顔で顔を寄せている、幸せそうな様子で写っていた。

「……リードがどうして旅人に憧れているか旅人さんは御存じ?」

 母親が突然話しかける。イノの見つめているものが何かわかったのだろう。

「お父さんが探検とかでもやっていたからですか?」

 トマトを口に運び、イノはリードに目をやる。リードは野菜をもぐもぐと黙って食べ続けていた。すこし俯いている。

「そう。だけど、長期間ある島へ向かって……亡くなったと、調査団に報告されて。……運ばれた遺体も、この目で見てしまったの」

「そうだったんですか」

「あの人は優秀な探検家だったの。同僚と多くの植物や動物を発見したり、保護したりして、世界中を飛び回っていたの。その自由に強く生きる父親の背中がリードにとって憧れだったみたい。だから、自由の象徴でもある旅人になろうって」

「……」

 しかし、リードは黙ったままだった。

「だけど、近所の子ども達でも言うように、旅人は放浪人で、仕事がなくて現実から逃げた人だと揶揄してるの。親から教わってそういうようになったからだと思うけど。それで、旅人を夢に見ているこの子は……」

 すると、リードは口を開いた。先程よりも声が小さい。

「それだけじゃないさ。旅人ってとても強いんだ。野生の世界で生き延びていくから。でも俺はみんなから弱虫って言われる程弱いんだ」

 リードは悔しそうに呟いた。一度噤んだ口を見、奥歯を噛み締め、堪えているのがわかる。

「それに、この町でいちばん貧乏だから周りから仲間外れにされてるんだ。ひとりなんだよ」

 泣きそうな声で言う。母親は少しだけ悲しそうな表情を浮かべ、黙ったままでいた。

「ふーん」とイノは無関心そうな反応を返しては水を一杯飲み、

「でも頑張ってるんでしょ? みんなに負けないぐらい」

「……うん」

 少し躊躇いながらも、リードはうつむいた目のままで頷く。

「まー、ボッコボコにされてたのは事実だけど、それでもまっすぐな眼で『夢見て何が悪い』って言ってやったじゃないですか。僕から見ればリードの方が断然、強いって思いましたよ」

「あ、あれのどこが強いって言うんだよ」

 すると、イノはニッと笑った。

「心ですよ」

「こころ……?」

「はい。どんなに力が強くてもそれがいいってわけじゃありません。強い人ってのは心がまっすぐで強くて、純粋な人だと思うんですよね」

「でも……あんなの、かっこ悪かっただろ」

 俯いたまま、自虐するように口を尖らせる。しかし、イノの明るい表情は変わらない。励ましでも何でもない、ただ自分があのとき感じたことを素直に伝えていた。

「泥臭くてもそれが一生懸命なら素敵ですよ。何事も全力でやって自分を貫く人ってかっこいいじゃないですか。逃げずに立ち向かおうとしたリードはかっこいいです」

「……」

 リードは顔と耳を赤くし、口をぐっと閉じて、必死に涙を堪えているのが見てわかった。

「……部屋いってくる」

 震わしながら、搾り取るように声を出して、リードは椅子から立ち上がり、ダイニングを出た。

「……ありがとう、旅人さん」

「はい?」

 母親はより優しそうに、しかしどこか泣きそうな目でイノを見つめた。

「あの子は夢を抱きながらどこか心を閉ざしていたの。だけど、旅人さんの言葉が心に響いたみたい。きっと、リードの心は救われたと思うわ」

「そうなんですか」

「ええ、本当に今まであの子は苦しんでいたから。私も声をかけることぐらいしかできなくて……」

 半ば自分を責めたてるような声で母親は物静かに言う。

「でもまぁ、お母さんは悪くないですし、溜まりこんだ感情ものを吐き出すのもいいことですよ」

 天井からすすり泣く声を聞き、イノは食事を終える。皿にはひとつも食べ残しはなくなっていた。


     *


 食後、紅茶アンブレを一杯頂き、イノはお礼を言った後、家を出る。

「これからどこへ向かうつもりなの?」

 玄関先で母親はイノに尋ねる。

「決まってません」

 とイノは笑う。

「そう……じゃあ、あそこなんてどう?」

「どこですか?」

「『サドアーネ』という大きな街よ。水の都とも呼ばれているわ。この町の商店街を抜けた先に駅があるから、そこに乗っていけば着くわね。終点がその街だから」

 興味を示したのか、イノはまさにわくわくした表情を見せる。

「へぇー水の都ですか、おもしろそうなところですね。楽しみです」

「たくさんの名所やおいしい料理店があるから、食いしん坊な旅人さんにはうってつけかもね」

「まったくですね」

 では、とイノはつけたし、

「ご馳走、ありがとうございました。とってもおいしかったです」

「こちらこそ、ありがとう。それにしても、リード来ないわねぇ」

 玄関にいた母親は振り返り、二階へ続く階段を覗くように見上げる。しかし、降りてくる音すら聞こえてこない。せめてお別れの挨拶だけでも言ってくれればいいのにと母親は気に掛ける。

「まぁ大丈夫ですよ。では、おじゃましましたー」

 と言ったときだった。

「イノーっ!」

 家の中の階段からどたどたと降りてくる音が聞こえてくる。リードだ。

「リード、どうしたのその恰好。どこか出掛けるの?」

 訊いてきた母親を無視し、リードはイノに叫ぶように言った。

「俺も一緒に連れて行ってくれ!」

 そして頭を下げる。母親は驚いた様子で息子を見つめるのに対し、旅人の表情は何一つ変わらない。

「水の都へ行くんだろ? そこまで一緒についていっていいか?」

「なにか用事でもあるんですか?」

「いや、せっかく旅人のイノに出会ったんだ! いろいろ学びたいことがあるし、どういう世界を見ているのか気になってるんだ。前から水の都にひとりで行ってみたかったけど、畑仕事とかでお母さんに負担掛けたくなかったから」

「今はいいんですね」とからかう。

「あ、いやそういうわけじゃ……」

 リードはあたふたとした。その様子に母親はふふ、と微笑み、

「いいのよ、いってらっしゃい」

「え……いいの?」

 不思議がるリードに母親はまた笑みを零す。

「かわいい子には旅をさせろっていうじゃない。リードもそういう年になったのかって正直嬉しいの。なんだかお父さんの影を感じるわ」

 まるで夫の姿を見ているかのように、母親は懐かしい目を浮かべていた。

 リードはこれ以上ないくらいに嬉しい顔になり、それは今にも飛び上がりそうなほど。

「……ありがとう! おかあさん!」

「ただ、無事に帰ってきてね」

「うん! わかった!」

 歯を見せる程の満面の笑みで応えた。

 母親は旅人を見、会釈をする。

「旅人さん、世話がかかると思うけど、しばらくの間リードをよろしくお願いします」

「はい、わかりました」

「よろしくな、イノ」

 リードはへへっと笑う。さっきよりも顔つきが良くなっている気がした。

「はい、よろしくお願いします」

 そう言ったイノも笑顔で迎えた。

 イノはリードの家を後にする。咲き誇る花々を眺め、吹く風と共に水の都へ向かった。

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