第28頁 旅人と竜人
挿入話第4節
7
突然の地鳴り。全身を揺らす程のそれは、大地震を伴う。
木々が強風に吹かれた時とはまた違った揺れ方。赤い泉が波立ち、飛沫を上げる。
「地震……!」
「魔女の呪いだ!」
枯れかけた木々にしがみつき、体勢を保つ村人。テリストは両手剣を地に刺す。大地がゼリー状のように揺れていく。
山は轟音を立てながら崩れていき、強風を巻き起こす。山脈から無数の野鳥が羽ばたいていくのが点々として見えた。巻き上がる砂埃と毒性物質。深い霧はいとも簡単に晴れる。
そのときに見た、近くの山脈の変化はただ崩れるにとどまらなかった。
「なんだありゃあ……」
痙攣した身体で動けないリオラでさえも、驚いた表情でそれを見た。
山を割って出てきたのは白く巨大な尻尾。白鱗の鎧をまとったそれは、付着していた山脈の岩盤をふるい落とす。石の礫や人間サイズを超える岩が辺りに落ちてくる。それが赤い泉にも落ち、血のように赤い飛沫を巻き上げる。肌にそれが小雨のように降り掛かる。外に出てきたばかりの血のように生温かい。
地竜種、デトロレキネ。レインガル国やアリオン帝国などの過去の調査文献では、寿命を迎えると自ら土の中に潜り、化石の如く石化し、生命活動を停止する。その石化したデトロレキネを叩き割っても、内部は細かい砂粒が詰まっていただけだったという。石化後、わずか数年で分解され、土壌の一部になる。そう伝えられてきていた。
しかし、この文献は大いに間違っていることを文献で学んだテリスト・ハーティスは目の前の光景を見て理解する。
「……そんなはずは……っ」
事実、分解されたデトロレキネは土壌の一部になるのではなく、土壌を自身の一部にする。分解、結合、再構成、再分解の特殊ともいえるサイクルを繰り返し、その身を大きくさせる。
そのようにして成長する理由は分からずとも、その山脈という名の竜の方がただの山脈の土壌よりも豊かであり、生命が繁栄していることは事実であった。
「な、なんだあれは!」壮年の村人は叫ぶ。
また、電波で意思を通じ合い、同種が危険信号を送った場合、子孫を守るプログラムが遺伝子レベルで刻まれているのか、例え山と化していても、防衛本能を働かせ、活性化する。
その全長は1000メートルに近い。雲にも届く厄龍は山脈から咆哮を上げ、孵化する。
「逃げろ! 逃げろぉ!」
「山の祟りだぁ!」
為す術がない。そう察した村人は逃げることを選んだ。揺れが続こうとも、構わず走り、その場から一秒でも離れようと必死に村へと逃げていった。
予想外の事態に唖然としたテリストもそこに立ち尽くしているだけだった。己の剣一本でどうにかなる話ではない。絶望と言っても過言ではない瞳の色をしていた。
「そんな……あぁぁ……」
斬られた背の傷が浅かったのだろう、リネットは未だに意識を保っていられた。しかし、もう起き上がる力は彼女にはなかった。もう一度狙われてしまえば、死を覚悟する以外の選択がなかった。
うつ伏せで目の前に聳える厄龍をぼやけた瞳で見る。今の彼女には、それしか見えていなかった。自らの過ちを犯し、それを動かない、震えた唇で懺悔する。
8
「いい? リネット。私たちはこの生まれ育った地を守らなきゃならないの」
生まれたときから、私の運命は決まっていた。
一族が受け継いでいる"災厄"を受け入れなければならなかった。
それが当然だと、私は教わり、この災厄の地を鎮める術を学んだ。
「私たちの一族がするべきことはね、厄を産み出したご先祖様の魂を鎮めること。その災いを――魔物を受け入れなきゃいけないし、他の人たちに継がれないようにその災厄すべてを受け止めなければならないの」
私の故郷には同じ種族がたくさんいた。でも、今はもういない。友達も、家族も、今はもういない。いっしょにいるのは、ご先祖様の眠っている大きな山脈と課せられた災い。私は教えられたとおりの手順で儀式と祈りを続けた。一日も欠くことなく、私は続けた。それを続ける意味を求めることはなかった。赤子の時に言葉を教えられるのと同じように、体に染みついていたからだ。
誰もいない、たった一人で祈りを捧げ、その代償として身体が蝕んでいく。それでもこの故郷が平和になるのならば、私は構わなかった。寂しくなんかなかった。そう自分に言い聞かせていた。
……違う。
本当はいやだった。さびしかった。泣いた数は数えきれない。
わたしだって、守られたかった。誰かに愛してほしかった。
誰かと出会って、仲良くなって、いっしょに遊んだり、おしゃべりしたり、そんな他愛のないことをしてみたかった。
"おともだちになってください。"
誰か、私の願いに応えて。
9
少女は泣いていた。
単純な哀しみではなく、複雑に混じり合った悲しみが流れる涙に溶け込む。ぼやけた目には、憤怒を示す祖先の雄大なる姿。しかし少女はそれを望んではいなかった。
本当に望んでいたことは、こんなことじゃない。そんな些細な声は誰にも届かないまま。死の淵に追いやられたほどの強い思いでないと、祖先の耳には届かない。
揺れが収まる。異国の剣士は巨龍に警戒しながらも、冷静に思考を巡らしていた。この状況から脱却するために、最悪の事態を回避するために、ある一択の解決策を思いつく。
(確か、デトロレキネは以心伝心の器官を持っている。竜人族を始末すれば伝達できなくなって、あの巨大な竜も動きを止めるかもしれない)
「まずは竜人族を……っ」
剣を腐食した大地から引き抜き、足を踏み込む。握りしめた剣は一閃を描き、少女の首を狙った。
鎧の音。気づいたときには既に遅かった。
「――え」
一瞬の反射光。風をも斬る銀の疾風は、既に目の前にあった。
響いたのは断末魔でも斬り裂く音でもない。朦朧とした意識を覚ますほどの甲高い金属音だった。
舞うは銀。光る砂塵が少女の前に振るい落ちる。
剣を振るった者は風に吹かれる木の葉のように吹き飛ばされ、腐食の地面を転がる。
「悲しいなら、心の底から泣けばいい。明日が寂しいなら、胸を張って逃げればいい。孤独でも、届くと信じて叫んでください」
涙に映り込む光の中に、一人の旅人の姿があった。それが彼女に向けられた旅人の声だと理解する。
剣も、力もなさそうな、なにももたない旅人。しかし、その旅人が剣刃を打ち砕いた刹那の光景はその場の誰もが見ていた。
旅人は微笑む。
「大丈夫、誰も一人ではありませんから」
風に揺らぐ黒いコートと赤いマフラー。そして、白い髪。
赤い瞳の旅人は物語を語るように、やさしく、やさしく。
「あなたを守ってくれる人はちゃんといますよ。ぜんぶ背負うことはないんです」
旅人は魔女と呼ばれた少女に背を向ける。前方の泉、そしてその向こう遙か先に聳える厄龍を見つめては立ちはだかる。
「手を貸してあげましょう。僕らなら、ちゃんとあなたの祈願に応えられますから」
もうひとしずく、涙をこぼす。少女は、尋ねることすらできず、力ない声で嗚咽した。
そのとき土を踏む音が聞こえた。イノは右に顔を向けると、身体をふらつかせながら歩いてくるリオラの姿があった。咳き込み、血の唾を吐き出してはつまらなさそうな顔でイノに言う。
「どこほっつき歩いてたんだ」
「迷ってました」と笑う。
「ったく……救いようがねぇぜ」と鼻で笑った。
「まぁいい、片付けるぞ。こうなっちまったら、もうやるしかねぇ」
「でもリオラ大丈夫ですか? 生まれたての子鹿よりも頼りなさそうですよ」
バゴン、とイノの脳天に拳骨を下す。「ハエよりも存在感ねぇ奴に言われて屈辱的だぜ全くよぉ」
「痛った~、頭取れそうでした」と頭頂部をさする。痛さで少し涙目になっていた。
「変な気遣いすんな。もう竜毒には慣れた。あんなデカいだけの奴の相手ぐらい朝飯前でもできる」
「まぁ腹ペコの時であの龍口山脈一撃粉砕でしたもんね」とリオラと初めて出会ったときのことをイノは思い返すように話す。
大平原の竜群すら逃げていくほどのリオラの殺気に気がついた厄龍はこちらに眼光を向ける。大地をも揺るがす咆哮は空が崩れるようでもあった。
「リネット」
「……?」
リオラは少女の目を見ることなく、背を向けては呼びかける。
「おまえには悪いが、あいつを鎮めていいか。祖先なんだろ?」
それを聞き、リネットは驚く。斬られた背中は痛むばかり。
「なんとなくわかるぜ。血縁として、おまえとあの龍が同じだってのは。けど、このままじゃあ、おまえの守ってきたモンがすべてぶっ壊れる」
「……っ」
「これはおまえのためだ。早く決断しろ。答えねぇならオレが勝手に決めるぞ」
強く、厳かな声。それが、リネットの迷いを断ち切っていた。
リネットは痛みに堪えながら、ゆっくりとうなずいた。とても小さな声だった。
しかし、しっかりとリオラは聞き取り、「よし」とつぶやく。
「それじゃ、やるとしましょうか」
イノは意気揚々と前に出る。「はやくリネットさんの手当てもしなきゃなりませんしね」
「ああ」とリオラは口元の血を拭い、山を仰ぐ。
「祖先ってのはしつこく生きているもんじゃねぇ。先立つものとして、子孫を見守ってやるのが丁度いいんだ。自ら助けに行くんじゃ、締まらねぇだろ」
「ですね」とイノは応える。ふたりが見る先は、同じ方角を示していた。
この話の更新は少し遅れます。




