第27頁 すれ違う真実
挿入話第3節
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先に外に出たイノは人だかりへと向かう。
静かだった集落は、日の昇りと共に活動し始めていた。しかし、いつも通りの一日ではなく、騒ぎほどではない何かが入口付近で起きている。村人全員ではないが、十数人ほどが集っていた。その筆頭にしっかりした目をしている初老――村長が目の前にいる青い鎧を纏った剣士らしき逞しい金髪の男を半ば警戒した目つきで見ている。
「私はレインガル国国家直属ハンターのテリスト・ハーティスだ。あなた方に危害を加えるつもりは一切ない」
青い鎧の剣士は凛々しい声で全員の目を見て答えた。その場にいた村人たちは少しどよめく。その様子を近くで見ていた女性は不思議そうに、
「レインガルの国家直属ハンターがこんな辺境の村に何の用で……」
「あれじゃないですか? 食事と宿取りたいっていうお決まりのパターンですよ」
「お決まり?」
「まぁもうちょっと近づいてあちらの話を聞いてみましょうか」とイノはハンターと長老の話している様子をじっと見続けた。
「国家直属ハンター……! そのような方がなぜこんな辺境の寂れた村まで」
「寂れてなどない。豊かで立派な町ではないか」
「それより」とハンターのテリストは腕を組む。距離を置いてみていたイノは「偉そうですねー」と何故か感心した表情で見ている。
「私がここに来たのは、この村の呪いを断ち切るためだ」
「なんですと……! それはまさか」
「言うまでもない。この村は赤い泉の魔女によって原因不明の病が流行していると聞いた。既に我々の方で調査は済んでいる」
「し、しかし、あなたはレインガルの――」
「この際国は関係ない。それにアリオン政府もこんな広大な領土を収めている以上、この疫病に気づいてはいないだろう。これはアリオンだけでなく、いずれ隣国であるレインガルにも影響を来す問題だ。直ちに疫病の根源である赤い泉の魔女を討たなければならない」
歓声に似た声がどよめきの形で湧き上がる。安心しきった声。病に侵食されていた村人たちの表情は明るくなっていた。
それを聞いていた女性も嬉しそうな顔になる。
「よかった、ハンターさんが魔女を狩ってくれたら、もう呪いに苦しむことがなくなるわね」夫に報告するのか、「ちょっと家に帰るわね、旅人さん」とその場を辞した。
「……」
イノは何も言うことなく、頭を掻く。表情には出ていなかったが、興味がない様にも、呆れているようにも見えた。
「それでは我々もできることがあれば……」一人の男性が口を開く。
「いや、既に手は打ってある」
「……?」
鼻で笑ったテリストは説明を始めた。
「調べによると、魔女は竜人族だ」
「っ、竜人族……!?」
「そうだ、あの野蛮な種族が疫病を流行らせていたのだ。呪いと言われてきたが、あの赤い泉から蒸発する微小粒子状浮遊物質と好気性細菌。それが呪いの原因。魔女はそれを排泄する地竜種の血をもつ竜人族。なんてことはない」
村人から憎しみと怒りが声として出ていたのがイノには読み取れた。魔法も所詮は科学。そうテリストは言い張った。「科学もヘタしたら思い込みですけどね」とイノは独り言を空に吐く。
「そいつらが嫌い、肉体的に耐性の無い物質のガスを赤い泉に投下した。今頃痙攣でも起こして身動きすらできてないだろう。無論、私たち人間にそこまでの害はない。殺虫剤と同じだ」
「で、ですが、あの霧の森に入れば、霧に含まれる毒で――」
「心配はいらん。実質、霧と疫病の関連性はない。あの森にいようが、ここで穏便に暮らしてようが、事態が悪化することに変わりはない」
「……ありゃー、リオラ大丈夫かな」
そこまで危機感を感じていないような声を出し、石塀の角にいたイノは地面の土の道を踏み、テリストのところへ足を運ぶ。
「あのー、ちょっとすいません」
「……? どうした」
周囲の村人と村長は顔を見合わせる。それを見て察したテリストはこの村の住民ではないことを把握した。
「ハンターのテトリスさんでしたよね」
「テリストだ。……で、何か異論があるのか? 旅人よ」
イノはテリストを少し見上げる。頭半分ほどの身長差、体格も少女のように華奢なイノと比べるまでもないほどのがたいのよさ。それでもイノは対等に話す。
「まぁ、ありますね。調査していない僕が言うのもアレですけど、本当に全部調べましたか?」
それを聞き、テリストは顔をしかめる。村人がイノを責めたてようとしたとき、テリストは手でそれを制止させ、再びイノの目を見つめ返す。「続けろ、旅人」
「たぶんですけどね、その泉以外にも原因があるんじゃないかって思うんです。例えばあのおっきな山とか、泉がある土地の地下とか――」
「赤い泉に棲む竜人族の種類は地竜種のデトロレキネだ。赤色の有害な鉱毒物質を分泌する上に、他の種類よりも強い感染力を兼ね備えている。病の原因物質とデトロレキネの分泌物が一致している」
「そこまでわかるんだったらついでに調べればいいのに」
「証拠は出ているんだ、調べるまでもない。……もういいだろ。一刻も早く討伐しなければならないんだ」
真剣に言うも、どこか呆れている声色。しかし完全にテリストを信じ切った村人も彼に乗じるように口を出し始める。
「ハンターさんの言う通りだ。早く出ていけ部外者め」
「そうよ、証拠があるのに何の不満があるっていうのよ」
「さてはおまえも竜人族だろ!」
「そうに違いない。髪と目の色が何よりの証拠だ!」
村人はイノを責めるように根も葉もない言葉をぶつける。「参ったな」と言わんばかりにイノは「そうですか」と言い、
「まぁ、一度考え直してみてください」
そう言い、村から歩いて出ていった。罵倒を浴びている背中は、相変わらず悠々としていた。
「……それだけ、みなさんにも余裕がないんでしょうね」
巨大な神木を一瞥した後、そう呟いたイノは歩を進める。先程までなかったはずの異色の霧が立ち込める森の中へと入っていった。
6
「型は地竜種のデロトレキネか。大層な種の血を引いてんじゃねぇか」
その種特有の優れた遠隔性伝達能力を使って魔物を鎮めている。というよりは孵らせない、孵化させないようにするためにある成分を間接的に投与しているに近い。つまり起こさないように、怒らせないようになだめている。そうリオラは竜人族の少女リネットから教わった。
「そんな大層でもないよ」と笑う。
泉の傍の小屋――リネットの家の傍の灰石化した切株にリネットは座っていた。家の壁にはリオラが背もたれている。赤い泉は湿気高く、熱気も少しばかり籠っている。霧深くて泉の先が見えづらかった。
「リオラの竜の型は何?」
「さぁな。オレもよくわかんねぇんだ」
「変なのー」と少しからかう。「でも赤竜っぽい。"竜化"できる?」
「どうだったかな。前はできた気がする」
「それを見たらどんな型かわかるんだけどね」
「そうかよ」と見えもしない空を仰ぐ。霧深く、光が散らばっている。
「つーかよ、おまえもよくこんなところにずっといられるよな」
「そりゃあ、私たちの一族が命懸けでこの地を鎮めるために頑張ってきたんだもの。私は誇りに思ってるんだから」
「……外に出たいとか、いろんな世界を見てみたいとは思わねぇのか」
「もちろん、興味はあるよ。でも、私にはここを守る義務があるの。アリオンの大地と近くの村の人たちが平和でいられるのなら、私はそれでいい。魔女として忌み嫌われていても、こんな病体になっても、別に何とも思っていないよ」
「そうか……」
リオラは僅かに物哀しそうな目になる。
生涯を何かの為、誰かの為に自らを犠牲にする彼女。それが自分に課せられた義務なのだと――運命なのだと彼女は麻痺している顔でにっこりと笑って口にした。
それは嘘ではなく、本心であるのだと。これが彼女の愛なのだと、リオラはその淀みつつも、輝いていた瞳を見、そう察した。
「じゃあ、一度見せてやるよ」
「……?」
「こんな辛気臭い場所に毎日いたら気がどうにかなる。こんなところで一生過ごすなんて、オレには勿体ないって思うぜ?」
リオラはリネットの前に立つ。
「外の世界見せてやるよ。一度だけなら別にいいだろ」
「……で、でも」
「いいって。何の為だろうが、自分の身を投げ出すのだけはやめておけ。そんな重たい運命、いつまでも抱えられねぇだろ」
「……」
「魔物が目覚めたとしても、オレがぶっとばしてやるよ。それなら、もうこんなところにいる必要もない。まぁ、好きでここにいるなら、それはそれで構わねぇけどよ」
「……リオラって見た目ちょっと怖いけど、いい人なんだね」
「なんだよ怖いって」
「あはは、でもありがとう。とてもうれしいよ」
リネットはやさしく微笑む。その仕草にどこか懐かしさを感じたリオラは「おう」とあまり見せない笑みを向けた。
そのときだった。
「――っ!?」
リオラにしか聞こえなかった軽快な爆発音。うす暗い空を見上げたとき、上から豪雨のように降り注いだ黒煙が沈殿するように赤い泉に流れ込んでくる。
瞬く間に薄黒いガスに覆われてしまい、皮膚に触れた途端、慣れていたはずの痛覚が過剰に反応し、思わず声を上げると共にそのガスの中で呼吸をしてしまう。瞬間、神経が溶かされるような刺激がリオラの身体を麻痺させた。手足が痙攣してくる。
「げほっ! げほ……っ、何、これ……!」
泉の疾患によりあまり神経が伝達していないからだろう、神経系が敏感なリオラどころか、常人よりも鈍いリネットは咳き込む程度だったが、それでも身体をふらつかせ、湿った地に手をつく。
「クソ……!」
(身体が動かねぇ! まさか"あの物質"か……!)
膝をついたリオラは奥歯を噛み締め、なんとか身体を動かそうと力を入れる。しかし、身体が思うように言うことを聞いてくれなかった。
竜や竜人族など、竜の血をもつ種にのみその生体活動に大きく支障を与えるアミノ毒性物質。過去にも竜を討伐する際に使われたこの物質は"龍煙性電解質"と当時名付けられていた。
かつては平気だったが、今はどうしてか耐性がない。永い間眠っていたからか。
そうリオラは弱体化した己の肉体に苛立ちをもつ。
「おい! 息を止めろ! これ以上吸ったら……」
「――げふぉっ!」
リオラの絞った叫び。しかし病弱なリネットは吐血する。全身に毒が回ったようだ。
「リネット!」
感覚の失いかけた足を動かし、今にも横に倒れそうなリネットの元へ寄る。
「畜生……! しっかりしろ! おい!」
(まずいなおい……ここから離れねぇと)
リオラはリネットを抱えようとしたとき、その手をぴたりと止める。触れることを躊躇った。
――いや……こ、来ないで! 人殺し!
「――っ」
脳裏にフラッシュバックされた、少女の声。自分を心から拒否し、助けを求めた声は、リオラの心を締め付けた。
(クソが……どんだけ前のことを思い出してんだオレは)
だが、すぐに断ち切り、リネットを両腕で抱きかかえた。一歩、一歩と、とてつもなく重たくなった足を動かし、痙攣する身体と彼女を支える。麻痺した感覚は抱きかかえている重さも温かさも感じなかった。
見えすぎた視力も、煩わしいほどの聴力も嗅覚も、全然感じ取れない。劣化した感覚は鎖として自身を縛り付けてくる。
ここまで自分は弱いものなのか。体質的に耐性がなかったとはいえ、リオラは己の非力さに歯を強く噛み締めた。
眩暈がひどくなる。口から唾液か血なのか分からない液体が出てきている感覚がわずかながらも感じ取れた。泉から少しばかり離れる。
「――見つけたぞ! 魔女だ!」
近くから辛うじて聞き取れた男の声。そのときやっとこの唐突な事態の理由を理解することができた。
「っ! そういうことか……」
くそったれが、とリオラは舌打ちする。一気に怒りが込み上がってくるが、耐性の無い物質による神経の麻痺には逆らえなかった。
足音が複数。何人なのか推測するほど、余裕はなかった。
「……村の人……?」
抱えられたリネットは目を丸くした。そのぱっちりとした目は充血しかけている。
「おい、あの男は……?」
「魔女を抱えている! 仲間に違いない!」
「だったら一緒に始末しないと」
ぼやけた視界に映った数人の男。この赤い泉の近くにあるメイフェンの村の勇気あるがたいのいい男が5人ほど。その後ろには青い鎧を纏った金髪の男が悠々と歩いていた。
殺気。動物とは違った、いろいろな念が混ざっている殺意を男たちはその目で示している。随分と弱い殺意だとリオラは汲み取ったが、今の状況からとてもそんなことは口にはできなかった。
「どいてろ」青い鎧の男テリストが村人の前に立つ。
銃声。向けられた装飾拳銃はリオラ目がけて弾丸を放った。
リネットに当たらないように、リオラは彼女を庇う。撒き散らされた物質により変性した肉体はより脆弱化しており、弾丸の半分ほどが硬膜鱗と皮膚を突き破り、首元の筋肉を穿つ。僅かに血が垂れ流れるが、その銃弾の先端に対竜の有毒物質が組み込まれていたようで、それが溶け、筋肉と破れた血管を侵食する。思わずリネットを離してしまう。抱える程の力が一瞬だけだが失った。
「ぁぐっ……ごの……やろうが……ッ」
「一目ですぐにわかったよ。貴様も竜人族だな。全く、忌々しい……」
膝をつきそうになった竜人族をテリストは見下す。軽蔑以上に憎悪が含まれていることに睨み返したリオラは気づく。
「なんだその目は。異人種の分際で……!」
再び重い音が響く。その目に躊躇いはない。その心臓に龍毒の弾丸が放たれるが、貫通することはなく、釘を打たれたように埋め込まれた。リオラにとっては小さな衝撃でも、免疫の無い物質には耐え難い。
「……っ? 何故死なない」
即死しない頑丈さに異を突かれたテリストは対象を変え、後ろのリネットを狙う。
それに気づいたリオラは全身に血管を張り巡らせ、首元と胸部に刺さっているように埋め込まれた弾丸がその膨張した血圧と筋肉でコルクのように抜け飛ぶ。
「――ぅおぁっ!」
一瞬だけの一撃。ありあまる殺気は畏怖されると同時に勘付かれる。ゾッとしたと同時に見切ったテリストは純粋な猪突猛進の拳を全力で避けたが、掠った装飾拳銃は欠け、使い物にならなくなった。
「――逃げろ! リネットぉ!」
大股で踏み堪え、リオラは叫ぶ。辛うじてまだ動けたリネットはリオラの大きな背を見てはすぐに振り返ってテリストから離れるように走る。
しかし、言うことを聞かない身体であるため、その地を掴めていないような、ふらふらとした足取りは必死さも含め滑稽にしか人間の目には見えなかっただろう。
遅いながらも前へ前へとリネットは友人の声に応えようと懸命に走った。
渾身の一振るいをリオラは放つが、動きが鈍い。常人の目から見れば早いものの、国家直属の兵士でもあるハンターのテリストからしてみれば遅いの一言に尽きた。抜いた両手剣で素早くリオラの身を斬り裂く。久し振りに身体を深く斬られ、前身の刻まれた鋭い痛みを懐かしく感じていた一方、自身に対し情けないと深く恥じた。
「逃がすか!」
斬り倒したリオラを通り過ぎ、テリストは背を向け必死に逃げるリネットを追う。斬られ、大量の血を流したリオラは振り返ることまではできても、その動かない足を前へ出すことはできなかった。
リオラの目の前で、その振り降ろされた銀の刃がリネットの背を斬りつけた。
「――ぁぁああああぁあああぁあああっ!!!」
舞う鮮血。人間と何ら変わらぬ赤い血が服を濡らした。
灰のような地面に竜人族は転げ、倒れる。
少女は激痛に襲われ、喉が千切れんばかりに叫ぶ。立ち上がることなどできなかった。
「浅かったか」
手ごたえを感じなかったテリストはそう呟き、血に濡れた両手剣をもう一度強く握りしめ、その切っ先をリネットの背へと向けた。
獣のように叫び、呼び止める竜人族。その声を人間は聞き入れるはずもなく、目の前の魔女しか彼の目には映っていなかった。
次回は少し先になります。




