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神王伝史-GOD CHRONICLE-  作者: エージ/多部 栄次
第二章 竜の巣食う大陸 アリオン地方編
23/63

第22頁 厄神の祠の地獄龍

 黒い枝葉で覆われた「永夜の森」を抜けると、目の前には崖に近い山「龍口山脈」が居座るかのようにそびえ立っていた。ごつごつとした約70度の斜面をイノたち4人は這いつくばるように登り続ける。うっすらと雲が漂っている中に入るところで、無言だった4人はついに口を開く。

「きついな流石に」

 最初に言ったのはリックだった。黒髪越しに汗をかき、息切れも激しくなっている。

「おいおい、英雄級のハンターなのに、こんな坂道でバテているようじゃまだまだだぞ」

 クレイズは汗こそ流していたものの、その表情には余裕がみえていた。何度も山登りを経験している故の手慣れた様子だった。

「そうよ、ホントに情けないわねあんた。男なんだからこんな坂道ちょいちょいと登り切りなさいよ」

 そう言ったのはシーナだった。強風で長い白銀髪がなびく。

「っていうおまえがいちばん遅れているじゃねーか!」

 リックは数メートル下にいる彼女を見下ろす。

「わたしはまだ17歳のいたいけな少女よ! あなたたち筋肉バカとは違うのよ!」

「威張って言うことじゃねぇ!」とリックは叫ぶ。

「まぁ仕方ないことだが、男か女かわからない奴は俺たちを差し置いてどんどん上へ登っているぞ」

 クレイズは見上げる。リックと下にいるシーナも真上を見た。


「あ、これって雪じゃなくて白い鉱石だったんですね。クレちゃん、これってなんの石なんですか?」

 20メートル程上で楽しそうに話しかける白髪の旅人がその赤い眼を輝かせて話すが、当然その距離で聞こえるはずがない。

「あいつは山猿にでも育てられたのか?」

 リックはぽつりと呟く。

「はは、なんか疲れている俺たちがバカみたいだな。さっさと登り切っていこうか。この先はもう森にいた巨大昆虫も感染病原体もいない」

「でも飛竜は飛んでるぞ」

 背後の空を見ると、確かにちらほらと飛竜が飛び回っていた。ここの山脈の外側は飛竜の巣窟だと言われているほど、竜の巣の数は多かった。だが、運がいいのか、巣や竜と鉢合わせすることもなく、また襲われることはなかった。

「竜避けの対策はさっきしといたから基本大丈夫だろう。ほうっておくのが最善だ」

「繁殖期じゃなかったのが救いね」

「そうだな。でもいつ襲うかわからないから、さっさとここを登り切ろう。頂上に着いたら一段落するか」

 クレイズはスピードを上げて急斜面を登る。二人は疲労の溜息をつき、再び登り始める。イノはとっくに山頂に辿り着いていた。


      *


 山頂。標高2000を超えた地は当然のごとながら気温気圧が低く、酸素が薄い。だが、雪はなく、代わりに氷結晶や沸石に似た白色鉱物がみられたが、燐灰石アパタイト霞石ネフェリンなどの有色鉱石もあった。

 クレイズは山頂こそ竜の巣窟が広がっていると警戒していたが、不思議なことに一頭も竜はいなかった。

 空を見ると、夕暮れどころか、夜を迎えていたので、イノたちは山頂で野宿することにした。3つのテントが平坦に近い場所に張ってある。

 テントから少し離れたところにイノは突出した白い岩に背もたれて座り、ただ星空を眺めていた。溢れんばかりの星々は様々な光を放ち、まるで紫の川のようだった。


「――まだ起きてたのか」

 振り返ると、クレイズがいた。イノの隣にあった小さな岩に座る。

「ほらよ」

 クレイズから何かを受け取る。水の入った水袋とお菓子のような黒い欠片だった。

「こまめに水分と糖分は摂っておけ。後々大変なことになる」

「ありがとうございます」

 イノは早速口に入れる。

「あのふたりはとっくに寝付いたよ。英雄であっても、まだ10代の若者だ。相当疲れていたんだろうな」

 白い息を吐き、クレイズも空を見上げる。

「でも、あの歳でいろんな竜を狩っているのって結構すごいですよね」

 クレイズは軽く笑い、「お前が言うことか」と感心しているイノに言った。

「でもまぁ、そうだな。齢に似合わない実績も多くもっているしな。だが少なくとも、それはほかの大陸での話だ」

 一口水を飲み、話を続ける。


「この大陸の竜の生息数は他よりも多い。確か世界で1番だったか。その上、同種でもこの大陸に棲む竜はかなり強い。弱い個体が少ないんだ。まぁ、カイスの町を襲った『蒼炎竜』もかなり上位にあたる危険な竜だが、この大陸だとそこまで強くない部類に入る。まぁ小さな町や村からしたら脅威的な存在に変わりはないし、それこそ伝説級だと語るが、中央都市の方だと中級程度に分類される。おそらくあの二人が狩ったのは子供の方だろうな。親で、しかもオスだったら兵器でさえ対抗できるかどうか」

「そんなに強いんですか」

「下手すれば素手で竜を倒すおまえでもやられるかもな」

「うわー、ちょっと嫌ですね。でもこの先に寝ている竜はこの大陸一強くてすごいんでしょ?」

 イノは少しうきうきした様子で問いかける。クレイズは楽観的な表情を前に呆れた笑みが零れる。

「封印されている地獄龍は、実際にいるかどうかは俺も分からんが、いるとしたらまぁ強いなんて次元の話じゃないだろう。話じゃ一晩で大国を滅ぼした災害と云われているからな。神話にも出てきているくらいだ。どんな姿かは書物によってさまざまだが……」

「じゃあ起こしちゃったらここ滅びますね」

「にこやかな顔で言うことじゃない。あくまで俺たちは真実を確かめて、人々に伝えるだけであって、決して地獄龍を目覚めさせるために来たわけではないことを肝に銘じておけよ」

「はーい」

 元気よく返事する。クレイズは苦笑し、小さく溜息をつく。


「おまえただでさえ危なかっしいことするからな。さっきもおまえが登山中、竜に飛び乗ろうとした瞬間はもう死んだと思ったよ」

「でも飛竜に乗って空を飛ぶのは楽しいですよ」

「そういう問題じゃない。襲われなかったからよかったものの……」

「そういえばなんでこの山の名前って『龍口』なんですか?」

 話を逸らすな、とクレイズは呆れる。

「……この山は環状山脈といって、中央が大きく窪んでいる山のことだ。その大きさと形、伝承から龍の口と形容されたんだよ。まるで大地から巨大な龍が地面を食い破って出てくるようにな」

「てことはその口の中の喉奥に祠があるってことですか」

「まぁ、そうなるな」

 ほぉー、とイノは感心しながら黒い菓子と水を一気に口に放り込む。クレイズは黙ったまま星空を見上げる。


「なぁイノ」

 ものを飲み込んだイノは生返事する。

「なんですか?」

「自分の夢はあるか?」

 空を見上げたままクレイズは訊いた。

「なんですかいきなり。勧誘なら断りますよ」

「おまえの過去に何があったんだよ」

 はぁ、と白い息を深く吐き、

「夜は夢を語る時間だって親か友達に言われなかったか?」

「言われてないですね」

「まぁいい。俺の夢はな、医者になって過疎地域の人々の病を治すことだ。そして、貧困でもせめて健康であってほしいというのが俺の願いだ」

 その目は夜空一杯に映る星々の光で輝いていた。流れ星がひとつ落ちる。

「じゃあ竜狩りしているのは何でですか?」

「金を多く稼ぐためだ。準備には何事も金が必要になってくる」

 へぇ、とイノは地面に寝ころび、満天の星空を眺める。

「クレイズ・アンスヘルム。この名と共に、貧しい人々を救ってみせる……なんてな」

 クレイズはイノの顔を見て、若いころにでも戻ったかのように無邪気に笑った。イノもニッと笑う。


「叶うといいですね。その夢」

「あぁ、叶えてみせるさ。それで、イノの夢は何だ」

「ないですよ」

 当たり前のように淡々と答えた。

「夢とか目標とかなしに、ただいろんな場所を好きなままに彷徨っているだけですので」

 ただ空を見上げたまま、イノはそう言った。

「そうか……じゃあ、今から探せばいいさ」

 それはとてもやさしい声だった。イノはクレイズの表情を見、「そうですね」と微笑んだ。

「ただ言うとすれば、今この一瞬一瞬を大切にすることですかね。今この場にいなかったら元も子もないですし」

「はは、それはもっともだ」

 冷たい風が吹き付ける。クレイズは身震いした後、ゆっくりと立ち上がった。

「そろそろ寝よう。寒くなってきたし、明日のためにも今日はゆっくりと休まないとな。幸いここには竜は来ないようだからな」

 イノはテントへ入っていくクレイズについていく。ふと夜空を見上げれば、紫色の流星群が降り注いでいた。


     *


「……さて、参ったな」

 クレイズは茶髪頭をガシガシと掻く。

 山頂で熟睡した一晩を過ぎ、外側の急斜面よりは緩やかな、山脈の坂道を下った先に広がる景色は殺風景という言葉が最も似合っていた。


 何もない。

 生命という存在が一切感じられない。

 茶色の地平線。硬岩層メサ尖塔岩ビュートがない、礫砂漠レグに近い荒野地帯。風も凪ぐ静寂の地。暑くも寒くもなく、暖かくも涼しくもない気温は皮膚感覚を狂わせた気分にさせる。

 空は青いが、爽やかさや清々しさといものがないように見える。

 まさに死の地。黄泉の世界にでも逝った気分になる。


「うっわー、なにもない」

 遠くを見渡すイノの表情は相変わらず楽しそうだった。

「ここに厄災の祠があるのね……」

 不安げにシーナは呟く。

「あー、また歩くのか」

 疲れた表情でリックは深い溜息をつく。

「ここにいても仕方ない。歩を進めようじゃないか。もう帰還者ゼロの原因もあの森で分かったし、ここにはなんにもない」

 厄災の祠以外はな、とクレイズは付け足した。


       *


 4人は歩く。ただひたすらに歩く。

「……なんか風ないから空気がここに溜まっているって感じで気持ちわりぃ」

「ちょっと、吐きそうな顔しないでよ」

 シーナは露骨に嫌な顔をした。クレイズはそんな二人を見て、口を開く。

「調査隊の推測だが、『厄災の祠』は隕石衝突のような窪地の中心にあると言われている。円状の山脈からそう判断したんだろうな。まぁ、カルデラ地形というイメージの方がわかりやすいか」

「クレーターって言ってくれた方がわかりやすいです」シーナが先を見つめながら言う。

「でも真っ平らですねー。それで風がないし、山が高いから換気があんましできていないんですね」


「まぁ、そういうことになるな。お、なんか見えてきたぞ!」

 リックが指差す地平線の先に、何かのでっぱりが小さく見えた。

「あれが祠なのかしら?」

「さぁな」

「よっしゃ! あそこまで競争です!」

 パァン! とイノは地面を蹴り、かなりの速さで地平線へと走る。だが誰も走らなかった。


     *


「……ありゃー、誰も来てない。ちょっとショックですね」

 ぶっちぎりで先着したイノは後ろを見て誰もいないことを知る。

「まぁいっか。後々来ますし」

 そして改めて前を見る。

「にしてもすごいなー。なんだろこれ」

 目の前にあるものは、神を祀る社を意味する祠というには程遠かった。

 円形の渓谷。穴の大きさも半径五十メートルはあるだろう。縁には十二方位で八メートルほどの春日型の白石灯篭が建てられており、灯火が入る火袋の中には人や獣の石像が入っていた。

 その像の見つめる先はすべて大穴の中央だったが、その塔にも似た石灯篭と石造が何の為にあるのかはイノにはわからなかった。

 深さはかなり深く、三十メートルはあるだろうが、照明でもあるのか、何故か底は暗くなく、はっきりと何があるのか確認できた。イノは山脈よりも急斜面の淵を降りる。

 底の中央にあったもの。それは、卵の形に似た漆黒色の巨大な鋼の塊だった。それが地に突き刺さり、周囲には巨大な尖状の石柱が地に刺さったかのように八方に設置されてある。その石柱から中央の巨大な黒い鋼の塊の中へと黒い鎖がひとつずつ繋ぎとめられている。幾何学的に置かれた八の石柱は明らか自然で創られたというには否定せざるを得なかった。

 そして、十メートルはあるその中央の巨大な岩の表面には無数の記号や魔法陣のような模様が細かく、小さく刻まれており、その上にひとつの大きな札が貼られていた。その札には墨で何かの文字が描かれているが、イノは読めなかった。

 だが、この異様な岩を見れば誰であれ、こう思うだろう。

 この中に何かがいる、と。

 そう思わざるを得ないほど、重圧とも命の危機ともいえる強い何かを感じさせた。竜が訪れることがないほどに、時空が心なしか歪むほどに。だが、目の前の旅人にそれを感じていたのかはわかりかねるが。


「厳重になんかされてますねー。まさに封印って感じですな。岩も堅そうだし、札とか貼ってあるし、これじゃあ中身を知りようにも知れませんね」

 そう言いながらイノは黒鋼岩の目の前まで歩き、じっと見つめる。

「……」

 イノは何食わぬ顔で、その岩肌に手のひらを触れた。


 瞬間、バギバギバギィッ! と深いひびが触れた手から連なるように刻まれ、半面にまで及んだ。砲撃でさえもひび一つつかなさそうな大岩が砕けかかる。札ががれ落ち、巨大な鎖の表面にも無数の罅が入る。

 そして、ガラガラと岩は瓦礫の欠片となって崩れていくとき、バガン! と内部から破裂し、砕けた岩が前面に降りかかる。


「――ッ!」

 異様な空気の重さ。

 威圧感。

 重力。

 熱量。

 光だと錯覚してしまう程の衝撃波。

 それらが岩の中から爆裂の如く解放される。

 

 その瞬間にイノが捉えたもの。

 眼。獄炎の如く、底無しの血の池の如く、その眼はどこまでも紅く、そして奈落のように黒かった。まるで漆黒の闇と紅蓮の炎が入り混じった宝玉のような目玉。

 だが、その瞳は獣だった。目の前の餌を殺し、喰らうかの如く、ただ本能のままに動く獣の覇気ある、畏れの睛眸せいぼう

 だが、それは一瞬だけ視認できたものであり、次の瞬間には目の前が真っ暗になると同時に、全身が強い衝撃に襲われた。


     *


 天に響かんほどの轟音とともに、地が激しく揺れる。

「うぉっとぉ!?」

「なんだ!?」

「きゃっ!」

 3人は倒れ掛かる体勢をなんとか整えたとき、ビュオッ! と身を吹き飛ばさんばかりの突風が再び3人を怯ませる。


「――ッ!!」

 轟音と空震が体を通じ、髄を振動させる。

 表現し難い痛み。自然の殺気が神経を畏怖させ、激痛を発するほどの危険信号を送っている。全身が麻痺したかのように、身動きが取れない。何かに怯えている。体が怯えている。

 本能は語る。ここにいては死ぬと。無意識に、もう一人の自分がそう言っているように感じる。


 クレイズを始め、英雄ハンターのリックやシーナでさえも畏怖という全神経の痛みに耐えきれず、膝を崩してしまう。筋肉が麻痺し、痙攣する。

「……っ、な、なんだこの痛みは……」

 理由のわからない体の微かな震えを抑えようとしているクレイズは、滲んできた汗を拭いながら風が吹いた方向を見る。

「こっちが知りてぇよおっさん。それよりも、今の地震が気になる」

「い、嫌な予感しかしないんだけど……」

「厄災の龍の伝説は本当かどうかわからないが、万が一本当だとしたら……」

「あの旅人がやらかしたってのが一番考えられることだな」

 三人は恐怖を抱きながらも何とか立ち上がる。痛みは治まり、急いで厄災の祠へと向かった。


     *


 その震撼はこの大陸に及ばず、世界――惑星のマントルを揺るがした。世界中の火山が噴火し、地割れが起きる。

 瞬く間に祠は灼熱の地へと化した。火山地帯のように岩は熱され、融けかける。


 黒光りの鎖がピンと張り、獄炎の瞳をもつ『何か』の自由を奪う。砕けた黒鋼岩は砂状に粉砕、分解し、不思議なことにその『何か』を包み、修復されようとしている。


「――ァアアァアアァアアァアアァアアァアア!!!」

 だが、『何か』は大量の蒸気を放ちながら叫び、抵抗し、黒い砂塵の海の中を足掻く。これ以上ここにいたくないという意思表示をするかのように。


 その『何か』の見つめる先。爆発物にでも直撃したかのように崩れかけている大穴の淵の壁の奥には、ぴくりとも動かない白い髪の旅人が半分ほど埋まっていた。血を流し、呼吸さえしていない様は、まさに死んでいると言っても過言ではなかった。


「ここから出たいのですか?」

 突如旅人の口が動く。壁が崩れ、旅人は地面に落ちるが、ゆっくりと立ち上がり、暴れる『何か』の前へと歩む。

 旅人は顔を上げる。血が微かに流れ、服には砂や礫が付いている。体が少しふらふらしており、肩や背中辺りから少し焦げたような煙がわずかに漂っていた。

「いきなり殴り飛ばされたのはびっくりしましたけど……」

 息することさえ困難。熱された空気。肺が焼ける。溶岩が湧き上がる。

 肌が焼けただれそうなほどの祠の底。白い肌のままどころか、汗ひとつすらかかないイノは再び岩に触れる。

 すると、岩が再び崩れ始め、今度は鎖の何本かがバギン! と砕ける。浮上していた黒い砂塵は糸が切れたようにパラパラと地面に落ち、舞い上がることはなかった。

 咆哮は続く。振動のみで岩盤をもめくり上げ、再び生まれるかのように飛び出てきた『何か』。


 その正体は「人」だった。三十代前半に見えるであろう裸体の男性だった。

 だが、普通の人とは異なり、短い髪の色はその赤黒い瞳と同じであり、屈強な筋肉が全身にわたり赤く充血し、山のように隆起している。また耳が鋭く、鱗がうっすらと肌に帯びている。下半身は完全に竜脚と化しており、鋭く赤黒い鱗で覆われていた。

 まるで龍と人が融合したような姿。だがその眼は狂気に満ち溢れていた。牙を剥き出し、涎を獣のようにダラダラと垂らし、口が異常に裂け、全身の血管が膨張している。

 咆哮と同時に排気音エクゾーストが轟く。全身から黒い噴煙に等しい蒸気を発し、陽炎がまとう。身体から発生したそれは雷を迸らせる。火山地帯どころではない、太陽風の如き磁力と熱が大地を包み込んだ。膨張した空気は雲を形成させ、気圧を低くさせる。


「うわ、あっつ」

 その竜人は目の前のお気楽な旅人に、その鋭い爪で切り裂こうと振り掛かる。それは音速どころではない。目に見えぬ速さだった。

 だが、イノはそれを何食わぬ顔で避ける。竜人の一裂きが地面に達する前に平らの大地が割れ、達した時には大陸規模の地殻をも砕き割った。その衝撃は渓谷の淵壁にも達し、崩れた岩が降り注いでくる。龍口山脈ごと蜘蛛の巣上に罅割れ、永夜の森にいくつもの裂け目が出来上がる。東マガラ大陸に甚大な地震が起き、周囲の海は津波をつくる。

「あらら、すっごい力」


 といった瞬間、その一撃の衝撃波によってイノの身体がふわっと宙に浮く。竜人は拳を握り、イノの心臓めがけて襲い掛かった。

 だが、イノは重力を無視したかのようにかわし、着地と同時に竜人の胸部めがけて掌底突きを与える。竜人の拳の一突きは目の前の岩盤の壁を吹き飛ばし、空が晴れ渡って見える程の風穴を空けた。

 とても人体に殴打する音とは思えない衝撃音が竜人の胸部から響き、竜人は半分崩れかけた岩に戻される。だが、地面の砕ける音と同時に竜人の姿が消える。

「――ッ」


 それを確認した時には既に景色が変わっており、足元に地面がなく、ただ真っ暗の世界にいた。

 目の前には星の数々。重力に引っ張られる感覚はあるも、身体は軽く、息もしづらい。背中に摩擦熱のような熱さを感じる。

 腹部の痛みを感じた瞬間、把握する。

 自分は雲の無い空まで殴り飛ばされたのだと。


「げほっ……まともにくらうとキツイですね」

 ただ落下を待つ。大気圏下部に入り、視える先には蜘蛛の巣のように地割れが起きた何もない大地とぽっかりと空いた大穴――否、大穴だった、拡張されたクレーター。そしてその深淵は紅蓮地獄。獄の奈落には赤い獄炎を纏った朱の竜人の姿。


「――ヴォアアァアアァアアァアアァアア!!!」

 竜人の咆哮が音波へと、空震へと化す。ビギギ、と坂状に抉れた岩壁を伝い、崩れた白い石灯篭にひびを入れた。イノは耳を塞ぎながら落下し、渓谷の中へ入っていく。

 竜人は地を踏み込み、落ちてくる旅人をその右拳で殴りつけようとした。だが、旅人の姿はフッと消える。

 その異変を見切り、後ろ回し蹴りをし、背後にいた旅人の不意打ちを防ぐと同時に、ぴたりと蹴りの勢いを止め、そのままかかと落としで旅人を垂直に踏みつけようとした。イノはそれを受け止めて足首を掴むが、発火しており、手からジュワッと焼ける音が聞こえる。

 だが、それに構わずイノは強い衝撃を重心とともに流し、竜人を地面に叩き付ける。焦げていた地面が赤く染まりながら液体へと化していく。


「よっ」

 イノは地面に叩き付けた勢いを殺さず、仰向けに叩き付けられた竜人の喉元を蹴り潰そうとしたが、竜人の口元が裂け、大きく開いたその口の奥から何かが強く発光しているのが確認できた。


「――あれま」

 苦笑染みてそう呟いたときには、イノは全身ごと竜人の口内から爆発するように噴射された極太の熱線に飲み込まれていた。

 ドゥッ! と勢いよく放射される高熱のエネルギーは加減を知らず、ふちの壁を熔かし、雲をも蒸発させ、天の向こうに浮かぶ小天体を貫通させた。

「いやー危なかった」


 声を感知し、その方向へと竜人は蹴る。風圧で岩盤の壁に穴ができ、死の大地から永夜の森にかけて二つ目の風穴が出来上がる。


「うぉぉ、すごい蹴りですね。どうやったらそんなことできるんですか」

 だが、声の聞こえた方向とは反対側にイノはいた。崩れ落ち、融けかけた石灯篭の上から話しかける。

「その鎖のおかげで追いかけられることはないなと思ったんですけどね」

 竜人に繋ぎとめられている鎖は、竜人に直径三メートルまでの領域の自由を与えている。逆に言えば、そこまでの領域でしか動けない。それにもかかわらず、難なくパフォーマンスを発揮している。

 マグマよりも熱い竜人の肉体。それでも溶けない黒鋼色の鎖は竜人の自由を未だに奪っている。


「相撲したら相当強そうですね――ん?」

 竜人は身を屈めると、バチバチと電流が走り、放電し始める。

 放たれた稲妻は遡る雷。天へと突きあげられる。舞い上がる龍の如き、巨大な樹の如きと喩えられる竜人の放電量とその熱量を前に、あらゆる物質は分解する。

「うおおっ、いまのかっこいいですね! さすが地獄の龍だけありますなー」


 だが、それを前にしてもなにも影響されていないイノは感心している。

 すると、竜人の裂けた口から大量の電気エネルギーが放出される。石灯篭ごとイノを飲み込み、傾いていた淵壁が抉れ、大気圏を突破し、通りすがった彗星をも蒸発させては虚空へと消え去ってゆく。

「こっちですよ」

 ズドン! と背中に重い蹴りを当てる。竜人は前に倒れかける巨体を踏み込み、振り向きざまに殴打を繰り出す。ボゥン! と空気が爆発するように風圧の塊が襲い、直接的には避けることができたイノだが、間接的に直撃し、岩盤に激突し、6 km先まで大地に裂け目を作り上げた。岩盤が崩れ、上から石灯篭だった岩塊が墜落する。

「いてて、やりますね」

 地中にて唾液を吐き、イノは睨んだような目で笑みを向ける。やったなこいつ、という程度に楽しんでいる。


 突然、竜人の重心がなくなる。竜人の睨んだ足元には、いつの間にか足払いをしたイノがいた。

 時間の概念を無視したような速度。否、それすらも無視しているか。


 だが、竜人は体を捻り、天から高熱と電気を纏った拳を振り下ろす。

 金属の塊同士がぶつかったような音が響く。竜人の拳に対抗したのはイノの頭突きだった。

 周囲が衝撃波によって地面が爆発し、土の円壁が数秒間形成される。

 舞い上がった砂礫岩が地に落ちる間。

 一瞬の滞空バランスを崩した竜人をイノは見逃さず、喉元に踵落としを入れ、崩れた地面に叩き付ける。竜人はより目を見開き、牙を剥き出す。足を地につけ、肉眼では捉えきれないほどの速さで右腕を薙刀なぎなたのように振るう。

「――っつ」

 衝撃波ごと受け止めるため、イノはすぐさま腕で防ぐ。剣刃同士が荒々しくぶつかり合ったかのような金属音が反響する。なんとか踏み堪えたが、地面が耐え切れなかったのか、バガン、と足元から割れていった。

 イノは空いていた右腕を使おうとしたが、動かないことに気が付く。右胸部から肩にかけて竜人の指が筋繊維ごと食い込んであり、肩の関節を直接掴まれていた。ミシミシと強く握られ、骨が軋む音を立てる。


「ちょっとマズいかも」

 少し焦った表情をしたイノは竜人の左腕を掴み、その関節に膝蹴りを入れ、腕を麻痺させる隙に、その腕から自身の肩の関節を掴んでいる竜人の指を抜く。

 一寸の間を与えず、竜人は左足の蹴りをイノの首元に当てる。頭蓋骨が破裂したような音とともに、その蹴りはイノの頭部に直撃しているように見えた。

 だが、その左足の蹴りはイノの左手に受け止められていた。

 持った手を捻り、竜人の重心を崩す。一瞬だけ浮いた巨体。


「――ッ」

 大気が変わる。覇気あるオーラは暴れ揺れた大地を畏怖させ、時空の流れを一瞬だけ止めた。イノの赤い目が鋭くなり、ザッと足を踏み込んだ。

 それは一瞬の出来事だった。あまりの速さに、旅人は何もしていないかのように見えたが、凄まじい音と同時に半壊した黒鋼岩に激突した竜人の姿がそこにあったことから、目に見えぬ速さで一撃を放ったのだろう。外部へ衝撃波や音さえ漏らせないほど凝縮されたエネルギーの膨大さの余り、一瞬だけ光が発生し、閃光が走る。

 半ば岩に埋まった竜人は心臓部に深い拳型の穴が開き、血が流れ続けている。呼吸が思うようにできていないようだった。

 纏っていた、否、竜人の身体から発していた炎や電流は収まり、蒸気だけを発散している。感じていた熱は失われてきたものの、死の大地から溶岩地帯へと化した環境はそのままだった。ピクピクと震えているが、これ以上暴れる気配はなかった。


「……少しは落ち着きましたか?」

 一呼吸したイノはスタスタと竜人の前へと歩く。何の不可解力(魔力)によるものなのか、竜人に繋ぎとめられていた鎖は生きているかのようにピンと張り、十字磔のように竜人の体の自由を奪う。

 竜人から放っていた熱量と蒸気は徐々に収まっていった。それと同時に、異常に隆起していた筋肉も収縮し、真っ赤な鱗も人肌に変化する。元の姿に戻るように、骨格も変わっていく。そして、人間に近い姿となった。

 紅蓮の髪が爛れるように垂れる。


「……」

「ずっと、独りでここに閉じ込められていたんですか?」

「……」

「あれ、伝わってないのかな? どうしよ、他の言語使えないや」

 イノは少し困った顔をする。

「――誰だテメェは……」

 力を搾り取ったかのように、声を微かに振るわせて囁くように、赤髪の竜人は発した。


「あ、よかった。ちゃんと喋れるじゃないですか」

 イノはほっとした。傷口から流れ出ていた血は既に止まっていた。

「さっさと名乗れ。喰うぞ」

 ギン、と竜人は睨む。よくみると顔や全身に血痕が付いている。

「僕ですか? イノって言います。旅人です」

 そっちはなんていうんですか? とイノは呑気に尋ねた。だが、竜人は黙ったままイノの瞳を観続ける。

「……? どうしたんですか?」

 首を傾げるイノ。そして竜人は、

「旅人か……」

 とつぶやいた。それが何の意味なのかはイノに知る由もなく、まぁなんかあったんだろうな程度しかとらえていなかった。


「オレは正気じゃなかったみてぇだな。少し暴れたような記憶はあるが……」

「あー、はい。お酒の酔った勢いみたいに思いっきり暴れちゃってましたよ。そういう病気なんですか?」

「ただの空腹だ」

「うそだぁ、おなかすいて宇宙目前まで人殴り飛ばすなんてボクサーでも考えませんよ」

 ここまで滅茶苦茶な人久しぶりに見ましたよ、とイノは笑う。それを怪訝な目でみる竜人。


「まぁなんでもいい、とにかく食いたくて仕方ねぇ。ここまで腹減ったのも懐かしさ覚えるぐらいだ」

 竜人はニヤリと牙のような八重歯をむき出して微かに笑う。だが、目は一切笑っていなかった。

「なんか持ってきますか? というかよくあんだけ暴れて鎖とか壊れませんでしたね。その鎖の方が怖いですよ。なんですかそれ。というかなんで捕まってんですか」

「るせぇガキだな。オレが知りてぇよ。……おい」

「なんですか?」

「オレを解放したのはテメェみてぇだな」

「あーはい、おっきくて黒い鉄みたいな岩を触ったらバッカーンって壊れて、殴られました。痛かったです」

 子供の感想みたいに言いつつ、頬をさする。

「そうか」と竜人は息を吐く。一気に力を抜き、ぐったりした。

「え、あの、だからなんですか。突然生きる気力なくなったみたいな顔しないでくださいよ」

「生きる気……まぁ、疲れたといやぁそうかもな」

「早まる前に人に相談ですよ。あ、僕に相談しても困りますけど。僕も正直何のために生きてるとかそういうの特にないんで」

「本当にうるせぇガキだな。別にテメェみてぇに目的なく生きているわけじゃねぇんだよ」と言った。

「じゃあ何かやりたいことあるんです?」

 煩わしいといわんばかりに睨む。だが、空腹と先程の一撃でこれ以上力が出なかった竜人は口を開いた。

「……テメェに言ったところでどうにもなる話じゃねぇ。ま、こんなとこで一生を終えるようなつまらねぇことはしたくねぇがな」

「そうですかー」とイノは耳をほじる。「うわ、炭っぽいの耳に詰まってる」

「……」

 竜人は何も言えないほど呆れかえっていたが、言い返す力もない。声もだんだん弱ってきている。


「それじゃあ、僕といっしょに旅しませんか?」

「……は?」

 さりげなく流すようにいわれた一言。

 なんでそうなる。そう言いたいが、喉にすら力が入らない。


「気力なくてもここで死ぬ気はないんですよね、やりたいこともありそうですし。なにより、岩からこんなおもしろい人出てきたんですもん! こんなの初めてです!」

 イノは楽しそうに笑う。その意味がわからなかった竜人だが、馬鹿にされている気は何故かしなかった。それよりも一瞬の唖然が思考を途切れさせる。

 だが、すぐに憤りが口へと出る。

「ふざけんじゃねぇ! 誰がテメェなんかと――」

「じゃあ交換条件! ここから出してごはんあげる代わりに僕と友達になって、いっしょに旅するってことで!」

「テメッ、勝手に決めんじゃ……そもそもどうにかできんのか、この鎖」

 ジャラジャラと金属音を鳴らす。ピンと張ってもびくともしなさそうだった。

「はい! そこんとこは大丈夫です! じゃ、どうします?」

 にっこり笑うイノはにひひと歯を見せる。対抗するように竜人は鼻で笑った。

「ハン、馬鹿を抜かすな。そんな条件は呑まねぇ。オレ一人でなんとかしてやる」

 その声は力ないそれだった。かなり弱っており、限界なのだろう。だが、その眼は燃えるように力強かった。

 しかし、手足、首に繋ぎとめられた鎖とそれに繋がった同じ材質の柱は一向にびくともしない。その頑丈さは柱も地球の核に突き刺さっているかと思ってしまうほどだ。何度力を入れようとも、鎖が引きちぎれる様子がない。


「……なんとかできなさそうですけど」

「黙ってろ白髪。人の手を借りる必要なんかねぇ」

「こりゃすごい自立心だ」と感心する。

 ですけど、とイノは首に繋がれた鎖と首輪を掴んで、ぐっと引っ張る。

 すると、土を掴んだようにぼろぼろと脆く崩れ落ち、カラン、と地面に落ちる音を立てた。

「なっ……!」

 竜人は半ば驚き、鎖を取ったイノを見る。

「人に頼っても損はないですよ」

 にっこりとそう微笑んだ。


「……っ」

「おねがいですからいっしょに行きましょうよ。拳も交し合えば友情できるってどっかの人の言葉もありますし、こうしてお話もしましたし、そんでおもしろかったし、もう友達決定ですよ」

「っ、だからオレはテメェとなんか――」

「どうしても一人でいたい理由があるんですか?」

「……なんでもいいだろ」

「そっちも我を通すなら、僕もわがまま言いますよ。絶対友達になって一緒に旅してくれるまで、僕はここから動きませんからね」

 なんて勝手な野郎だと、竜人は思った。その身勝手さ、あきらめの悪さ。その言葉と紅い瞳を見ただけで、本気で折れるつもりはないとわかった。

 そのめんどくさいまでのしぶとさに、懐かしさを感じさせる。古かった記憶が呼び覚まされるような。身に沁みるような感情は現在と過去を繋げた。

 正直、竜人はその旅人の言っていることを理解できなかった。

 初対面で殺そうとこちらから襲ったのにも関わらず、向こうは先程までの出来事を気にせず、ただおもしろそうというだけで友達になろうと言われる。

 条件があまりにも簡素で、不可解だった。


「なんでそこまでして」

 自分を誘うのか。そこには疑問で埋め尽くされていたが、ほんの少しだけ別の感情も湧き始めていた。

 旅人はすぐに答えた。

「さっきからずっと言ってるじゃないですか。あなたと友達になりたい、ただそれだけです」

 一瞬、彼の目の色が変わった。だが、それを態度に表すことはなかった。強いて述べるならば、気づくか否かの間が置かれたことか。

「その先の理由を聞いている」

「えぇー、仲良くなりたいことに理由なんてないですよ。でもあえて言うとしたらそうですね、あなたの視ているものに興味があると言えばいいでしょうか」

「それはどういう意味だ」

「おもしろそうって意味です!」

 呆れたような沈黙。男が想定したあらゆる回答はこの旅人から得られなかった。より不可解になっただけ。

 だが、何を思ったのか、竜人は呆然と旅人を見つめる。少し俯いた後、ぷっと笑った。

「……わかった」

 竜人はぽつりと言葉を置く。「んぇ?」と間の抜けた声をイノは出す。

「馬鹿な野郎だぜ。周り見て見ろ、こんだけぶっ壊して、ぶん殴られたってのに、友達になろうなんざ……おまえただのバカだろ」

「へっへへ~」と照れる。

「……やっぱり馬鹿だな」

「それじゃあ! 友達になってくれるんですね! いっしょに旅してくれるんですね!」

 イノは竜人の眼前まで顔を近づけ、嬉々とした表情で訊いた。

「うるせぇ、鬱陶しいから離れろガキ。何度も言わせんな。ダチになってやっから、出すなら早く出せ」

「はいはーい、最初からそう頼ってくれればいいんですよ~」

 腹立つ言い方だ、と竜人はやっぱり情けをかけるべきじゃなかったと、こんな得体のしれない旅人に一度折れた自分に恥じた。

 イノは小躍りしつつ、鎖に手をかけようとする。

「とっもだち! とっもだち!」

「黙ってできねぇのか白髪頭」

「白髪じゃないです、イノですよ」といいつつも、嬉しそうな顔をしていた。

「わかったよイノ。さっさとここから出してくれ」

「はーい」と、機嫌よくイノは竜人の首に繋がれている黒い首輪を掴み、ぐっと引っ張る。すると、鎖に繋がれていた首輪が砕け、同時に体に繋ぎとめられていた鎖からも解き放たれる。

「よっと」

 イノは竜人を手放し、地面に放り投げる。2メートルはある裸体の大男は一度地に倒れ、起き上がる。

 鎖を断ったときだろう、岩から竜人が出てきたと同じ空気の重さが感じられ、封じていた何かが解放し、爆ぜたような圧をイノは感じた。それは再び大地を押し潰さんばかりに刻まれた罅を深く裂かせる。


「あれ?」

 同時にバチバチと体中から電気が走り、シュゥゥゥ、と蒸気を発する。

 封じられた力の解放。それにより本能の一部を取り戻し、理性が飛びかけていた。

「ヴォルルルル……」

 白目と化した竜人は振り返り、目に見えぬ速さでイノを喰いにかかる。

 だが、竜人の視界は360度回転する。大地に叩き付けられ、頭部を掌握され、脳内に強い衝撃が走る。


「がっ……は……」

 視界が眩み、竜人は気を失う。それを確認したイノは頭部を離し、立ち上がる。

「本能なので仕方ないですけど、普通に約束破ってるじゃないですか」

 イノは息を一つ吐き、倒れた竜人の傍に座る。


     *


「……んで、つまりをいえば、『厄災の祠』に眠っている獄龍の正体がこの素っ裸のマッチョなんだな」

 クレイズは関心と警戒、そして感嘆の溜息をつく。

「まぁ、はい」

 とイノは返答する。

 祠の大穴の傍で四人は話す。イノ一人で気を失っている竜人をここまで担いできたようだ。

 円形の渓谷の外は来た時とは大きく異なっており、なだらかな大地は深く罅割れ、地割れが幾つも見られる。岩盤の沈降や隆起があちこちで起きていた。周囲の奥に見える山脈の一部が崩壊しており、風が吹き抜けてくる。

 そして、祠の大穴がさらに深さと規模を増し、クレーターと化していた。

 クレイズら三人は祠へ向かっていたものの、天災並の地震に加わる熱波と心臓が押しつぶされ、神経が掻き乱されるような異質な威圧に身が持たず、しばらく気を失っていた。

 数十分後、運よく怪我ないまま気がつき、祠に着いたときには、イノと竜人がその場にいた。

(結局、さっきのはなんだったんだ。まだ頭がくらくらする)

 クレイズは気怠い身体を伸ばすが、疲労感は取れなかった。

「リック、この人……」

「ああ。……"竜人族(ティエンレイ)"だ」


 竜人族。人間族とは異なる異人族の一種であり、名の通り竜と人間が混ざったような特徴を持ち、大まかに分類すればリザードマンもこれに属す。

 基本人間と何ら変わりはないが、標準的には鋭い耳、竜眼、表皮に薄い鱗があるなどの特徴がある。竜の種類に伴い、それの型の竜の特徴を持った竜人がいるので、パターンを考えればきりがない程の種類がいる。その上、竜型、竜人型、人型に変化するタイプもいるが、例外も多い。また、分類が非常に困難な種族の一つである。

 最大の特徴のひとつとして、人間より数倍から数十倍の筋力を備わっているが、それ故に太古から奴隷として扱われることもあり、幾つか普通の人間と異なる部分があることから差別種族として嫌悪されてきたが、現在はそこまでその傾向は強くはない。


「まぁ竜人族のなかでも希少性の高いベースをもつ竜人はいるっちゃあいるが、こいつはなんのベースだ?」

 クレイズは腕を組む。距離を保っているので、恐れているのだろう。

「そんなの俺たちが知りてぇよおっさん」

「じゃあさっきの大地震や山脈が崩れたのもこの男がやったことなの? 火山地帯みたいに急に暑くなったのも……」

「僕それさっきいいましたけど」

 気絶している竜人をつつきながらシーナを見る。シーナは恐れつつ意識のない男を見つめていた。

「つーか、こいつをぶっ倒したのマジでお前かよ。俺は未だに信じられねぇが」

 リックは半ば呆れた顔で、しかし少し畏れたような目でイノを見る。


 環境を変える程大地を砕き、溶岩を創る程の熱量を発し、雷のようなエネルギーの塊を大気圏を越えて飛ばし、そして10kmほど遠くの山脈を殴打の風圧だけで崩すほどの次元が違う怪力をもつ竜人も凄まじいが、その竜人の怪力をまともに受けたにも関わらず、怪我をしつつも特に致命傷を受けていることもなく、竜人の胸部に大きな拳の形をした傷を刻み、意識を奪った旅人の方がもっと信じられなかったのだろう。


「ほんとですよ。あんな強く殴られたの久しぶりですね」

「殴られましたで済む話じゃないだろ。それに……」

 リックは崩れた白石灯篭と大穴の底の祠を見る。底は暗くなく、大地の岩盤に埋まりかけている黒い鋼岩や鎖が小さくだが確認できた。最早残骸に等しい。

「あの見るからに厳重な封印がしてあったような岩とか鎖を、おまえが触れただけで解けたってどういうことだよ」

「普通にわかんないですね。風化じゃないですか?」

 さらっとイノは言う。


「……ん、あぁ……」

 男からうめき声が聞こえた瞬間、イノを除いた3人は神経が痺れたかのようにびくりとし、警戒態勢をとる。

 目覚めたときの殺気だけで神経細胞を潰されたような痛みと畏怖を与え、地殻ごと大地を叩き割った天災そのもののような怪物だ。3人が警戒するのも無理はない。

 何より、胸部に深い穴のような傷があるにもかかわらず普通に起きてきたからだろう。

「……人間か。誰だテメェら」

 上体を起こし、イノ以外の3人を睨みつける。

「それはこっちのセリフだな。おまえは誰で、なんであそこに閉じ込められていたんだよ」

 リックは黒い大剣の切っ先を向け、シーナも白い重砲の銃口を向ける。本能的かつ反射的な動作だった。

 だが、それは一切の脅しにはならなかった。赤黒い髪の竜人は虫を払うように、双方の武器を手の甲ではたく。

「「ッ!?」」

 武器が自分の意志で動いているかのように、強く叩き飛ばされようとしていた武器は強引に持ち主の体勢を崩した。

「調子に乗んな」

「……す、すごい力だな」

 クレイズは二人の無事を確認した後、素の感想を言った。リックやシーナは力の格の違いに驚愕的な絶望感を味わった。

「まぁ、とりあえず名前教えてくださいよ」

「あ? なんでテメェに名前なんか――」

「とーもだち。とーもだち。とーもだち。とーもだち」

 手拍子に合わせ、友達コールを続けるイノ。約束した以上、それを破るのも自分が廃る話だと竜人は舌打ちした。

「……ったく、わかったよ白髪野郎」

「イノです」

 竜人は不満げな表情をしながらも、無愛想に話し始めた。


「……リオラだ。リオラ・G・ペルテヌス」

「リオラかー。いい名前ですね」

 イノは変わらずのほほんとしていた。

「ペルテヌス……? どこかで聞いたような」

 クレイズは考え込む。倒れていた二人は立ち上がり、イノたちのもとへ戻る。

「この岩に閉じ込められていたワケは忘れた。多分なんかしでかしたんだろうな。……で、いま何年だ? あとここどこだ」

 竜人「リオラ」の問いにクレイズが答える。


「ユーグレス歴1216年。ここは東マガラ大陸アリオン地方で、この殺風景な場所は約千年以上前から『厄災の祠』という名がついている場所だ」

 リオラは石灯篭を見、周囲の地平線を見渡す。


「まったく聞いたことねぇ場所だな。てことはあれか、少なくともオレは千年もここに眠っていたというわけか」

「まぁこれだけの破壊力を持つんだから、封印された理由も薄々わかるが……イノ、どうするんだ。伝説とされてきた龍が人の形で復活してしまったぞ」

 真剣な表情でクレイズはイノをみた。

「そんな警戒しなくていいですよ。もうリオラとは友達になるって約束しましたし」

「友達っておまえ……」

「ほ、本気?」

 リックとシーナはイノの言動に慣れてきたのか、驚きつつも呆れたような表情をした。


「勿論です! ね、リオラ」

 ニッとイノは笑う。

「……まぁ、約束は約束だしな。けどよ、それ以上になんでお前みたいなやつに負けたのかが知りてぇ。あと腹減ってるしな」

「うわ、それ完全に殺る気じゃないですか。やめてくださいよ」

 イノは露骨に嫌な顔をした。クレイズたちはリオラの向けた不気味に見開いた赤い眼に畏怖を感じていた。

「……つーか、おまえ完全に解いてないだろ」

 ジャラ……とリオラは両の手首についた黒い手枷が付いており、千切れた鎖の一部が手枷に繋がっている。両足首も同様だった。

「こいつのおかげで力が出ねぇんだが」

「そんなの知りませんよ。それがいちばん封印する力がすごそうですし、僕は解きたくないんで、しばらくはそれで我慢してください」

 リオラの額に薄く血管が張るが、堪え、舌打ちだけした。今の飢餓状態や過剰な筋肉疲労、先程の戦闘を体験し、今のままではこの変な旅人に勝てないだろうと判断したのだろう。

「んじゃ、厄災の祠の地獄龍の正体も暴いたことだし、その大男連れてさっさとここから出るぞ」

 リックは剣をしまい、地平線の先のうっすらと見える山脈をみる。

「歩く気になんないほど遠いけどね。それに、私たちもおなかすいているし」


 ザクン、と音がする。見てみると、リオラが堅い地面に手を入れ、掘ってはそれを食べていた。

「おお、よくそれ食べれるな」

 クレイズはまじまじと見ながら顔を少し引きつる。

「これ旨くねぇな。土が死んでる」

 リオラは独り言を放つ。

「腹が減り過ぎると砂とか食べるって本当だったんだね」

 シーナが半ば感心した表情でありつつ、その顔は赤く火照っていて、先程からずっとリオラの方をチラチラとみては視線を逸らしていた。それもそうだ、筋肉質の男が素っ裸でいるのだから。

 だが、理由はそれだけではなかった。

「そういやシーナって、がたいのいい長身の野性的な男が好みだったよな。ドストライクじゃん」

「ッ! ~~このバカリック!」

 砲撃音が寂寞の大地に響く。


       *


 山脈前。壁のように立ちはだかるそれは、半ば疲れた表情が見えてきたクレイズ、焦げた煙が漂っているリック、紅潮したまま少し不機嫌なシーナのモチベーションを遥かに下げた。崩れた山脈の方は瓦礫の山と化しており、おそらく普通に上るより困難だろう。

 リオラは裸であったのでクレイズの持っていた黒い外套や、持っていた大きな布で体を巻き付け、トガに似た黒い服装になり、帯を腹部に巻いていた。だがわずらわしかったのか、上半身の部分を脱ぎ、上体だけ裸となった。

「今からここを登るのか……」

「仕方ないでしょ、この先まっすぐ進めば町なんだから」

「壊れた山の道から進んでも、時間的には遠回りになる。登った方が早いだろう」

「それでも疲れる量が違うだろ……」

 ぐったりとするリック。「よいしょー」とイノは何のためらいもなく登ろうとした。


「おい、なんか食うもんあるか?」

 リオラが突然話し出す。

「あ、あぁ、一応獣竜の肉があるが……」

「くれ」

 クレイズは一瞬躊躇ったが、この状況をなんとかする為の何かをするのだろうと半ば期待のような感情が勝り、「わかった」と背に背負ったリュックから大きめの肉塊の入った皮袋を出す。

 奪い取るように皮袋を取り上げ、豪快にリオラは肉を皮袋ごと食う。

「3日分でこんだけか、いつになっても人間ってのはやけに少食だな」

 瞬く間に肉塊を平らげたリオラは一言言った後、


「まぁ、うまかったわ。ありがとな」

 と呟き、山脈の急斜面の前に立つ。ミチミチ、と何か生々しい音が聞こえてきたが、

「……え?」

「うそだろ……」

 イノの一撃で穴の開いた心臓部の傷が塞ぎ始めていたのだ。育つ樹のように繊維が伸び、絡み、噴き出てきた泡と共に再生していった。

「……おお」クレイズが感嘆の声を出す。

 胸の傷は塞がった。だが、完全には再生できず、太陽のような模様の古傷の跡が胸部の中心に残る。

「うしっ、力出てきた」

 ガツン、と拳同士をぶつける。イノはいつのまにかリオラの後ろにいた。

「下がってろ」

 リオラは息を大きく吐き、拳を握る。右腕含む右上半身の筋肉が隆起し、血管が張る。歯を食いしばって岩壁――の手前、つまり大気を思い切り殴打した。


 ――ズドォン!!!


 耳を劈くような轟音。身が吹き飛ばされそうな豪風。爆発の如く、山は悲鳴を上げ、大地が歪む。

 崩壊してゆく環状山脈の一部。抉れる大地。リオラの目の前には山などなく、ひとつの渓谷に似た道ができていた。巨龍が喰らったかのような風穴の道の奥には山脈を囲っている黒葉の「永夜の森」と青空が微かに見えた。ビュオォォ、と外から強い風が入り込む。

「うぉぉぉっ、すごいですね!」

 イノは真っ赤な目を輝かせる。「風圧だけで山なくなりましたよ!」

「……まぁ、調整はできるようだな。早くなんか食わねぇと死んじまう」

 腹の音を鳴らし、リオラは穴の開いた山脈の中へと進む。


 クレイズたちは踏み堪えながらも十数メートル程後方へ吹き飛んでいた。3人は前を見、唖然とする。

 この大地や山脈が壊れる様は気絶している間に起きたこと。3人が直接、リオラの破壊力を見たのは初だった。


「……ねぇ、竜人族ってこんなバケモノ染みていたっけ」

「んなわけねぇだろ。あいつが異常なだけだろ」

 シーナの呟くような言葉にリックは静かに答える。

「でもあんな危険すぎるの、竜でもみたことないわよ」

 すると、クレイズがふたりの肩をたたく。

「ま、あんたらもまだまだ世界を知らんってことだ。もちろん、俺もだがな」

 苦笑しつつそう言い、意気揚々と進むイノと堂々歩くリオラの後をついていく。

 広がる空は、生を取り戻したかのように清々しかった。


細かい戦闘場面の描写はやっぱり難しいです。うまく表現できるようにこれから努力します。

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