第16頁 小さな町の大きな祭り
海鳥の鳴き声が聞こえ、漣が船を押し、揺り籠のようにやさしく揺れる。それがなんだか気持ちよかった。
海風が肌を撫で、ほんのりと潮の匂いが鼻をくすぐる。海を照らす日の光は、涼しげな風で少し冷えた体に温もりを与える。
「――旅人さん!」
男のでかい声で目が覚める。旅人と呼ばれた人間は目を擦りながらゆっくりと起き上る。
「旅人さん! いい加減起きろって! もう着いたぞ!」
「……あー、おはようございますぅ……」
そのままぱたりと寝付く。
「あ、おい! 二度寝すんな!」
体格とおなかが大柄な若い男の服装から漁師と判断できる。漁師は旅人を揺さぶり起こすが、なかなか起きなかった。
「縄に括り付けて落そうかなこいつ……」
そう呟いた数分後、ぼちゃんと海に何かが落とされる音がした。
「まさか海に落とされるとは思いませんでしたよ」
漁船の上。ずぶ濡れになりながらも旅人イノは笑っていた。
「五分ぐらい叩き起こしてやっと起きたと思ったらまた寝るもんだから嫌になったんだよ。あんたほどの居眠り野郎は見たことねぇ」
「いやぁいいですよそんなお世辞」
「褒めてねぇ。って聞いてねぇし」
イノは漁船から飛び降り、桟橋に足をつける。ギシ……と木の板の桟橋が軋む音を立てる。
目の前には小さな町が広がっていた。一階建ての石壁の質素な民家の数々、いくつかの小さな石橋、土道の端には雑草が生えている。桟橋の傍には多くの木箱が積まれている。人の姿も確認でき、民家の前で談笑をしている。奥の方から賑やかな声や音が聞こえてくる。
「ここが東……なんでしたっけ、おサルさん」
「だーからその変な仇名やめろ! サルフだサルフ!」
漁師のサルフはため息ひとつついた後、町を眺める。
「東マガラ大陸アリオン地方だ。んで、ここは港町ウィア。小さい町だが、港なだけあっていろんなもんが売っている。旅人にうってつけの品も揃っているはずだ。ま、そのほとんどは水都から輸入しているものだがな」
イノは「へぇー」といいながら、町を見渡す。サルフは説明を続けた。
「船の上でも言ったが、ここはあの『竜』が多く棲んでいる大陸のひとつだ。中でも有名な『厄神の祠』は竜すら避けるほどの危険地帯で……まぁ好奇心旺盛な旅人さんなら行きかねんから自己責任で頼むぞ」
「賑やかな音が聞こえますね。なんかやっているんですか?」
「ん? ……あぁ確か今日だったか。王国行列祭」
サルフは独り言のように話した。
「なんですかそれ」と振り返る。白銀の髪がふわりと流れた。
「ここアリオン地方の全領土はアリオン帝国が治めていてな、いろんな町や村が独立していても、納税かなんかで間接的に帝国と関わっているんだ」
んで、と付け足し、
「王国行列祭ってのは帝国のいろんな役職の人たちが行列となって地方内の各町へ行く、パレードみたいなものさ。最終列辺りでは貴族や王族が来られるから、まぁそこが目玉みたいなものだな。あと神輿」
「おー、それは楽しそうですね。あと屋台とかありますかね」
「まぁあるんじゃねぇか? 祭りだし」
「王様たちはここに来ますかね」
「んー、どうだったかなぁ。国や町に訪れる順番は決まっているらしいが、時間帯まではな。そもそも俺はここの大陸の人間じゃねえしな」
そのとき、風と共に大気のうねるような音が空から鈍く響く。町の人々は一度空を見た後、すぐに談笑に戻ったり、店の作業を再開したりする。
「……今のは多分、飛竜の鳴き声だ。響き具合からだと、ここから遠いところにいるはずだから心配はないな。ま、十分に気をつけろよ」
「はい。ありがとうございました」
「おうよ、また水都に来いよ! エリナが待ってるからな」
漁師はニッと笑う。
旅人もニッと笑い、
「いつかまた、訪れます」
そう言って、背を向けた。
*
イノは港町ウィアの街並みを眺めながら歩を進める。小川に架かる石橋を渡り、奥へと進む。
「おなかすいたなー」
そう呟きながら、賑やかな音のする方へと進む。
街角を曲がると、少し広めの通りに出る。
「おぉ~、楽しそうですね」
あまり広くない村の通りに、大勢の民族的衣装を着た人たちや護衛兵が行列となって歩いていた。数は少ないが、両側の民家の前に屋台のようなものが並び、通路端には行列を見ている町人や、楽しそうに行列の中の人たちと談笑する町人もいた。
屋台から何かを焼いたような香りが鼻腔を撫でる。
ふらふらと匂いにつられ、屋台に向かおうとしたとき、微かに鈍い音がどこからか聞こえた。
「?」
音がしたであろう方へと向かう。狭い上、人の数が多いので、人混みが激しいが、するすると人の間を抜けていく。
「このあたりからだったような……あらら」
民家同士の間の薄暗い隙間に、壁に蹲って座っている少年がいた。泣いているようで、体を震わし、だが声を出さないように必死に泣き堪えている様子だった。奥を見ると、3人の若い男がお金を手に、笑い合いながら反対側の通りへと出ていった。
「大丈夫ですか?」
イノは少年に声をかける。顔を上げた少年の顔は傷だらけであり血と泥が混ざっていた。よくみると、服も擦れ、ぼろぼろになっている。
齢17に見える弱弱しそうな顔つきの少年はびくりとし、目を逸らし、目を擦った。
「あ、えと、いや、な、なんでもないです!」
「でもボロボロですし、泣いてますし」
突っ込まれたくないところを言われてしまった少年は更に焦った表情になり、しどろもどろになる。
「なんでもないです! 本当にごめんなさい!」
「あの、別に何もしてませんけど……」
少年は慌ててイノから離れようとしたが、怪我が酷いのか、立ち上がった途端、ぐらっとふらつき、膝から崩れ、地面に転ぶ。日陰のためか、少し湿った地面は泥に近く、少年の身体に泥がこびりつく。
「うぐ……」
「無理しちゃダメですって。大丈夫ですか」
「す、すいません、本当になにもないんで……」
その声は弱弱しかった。
「謝ることと離れようとする理由があんまりわかんないです。そうだ、ついでにこの町についていろいろ教えてほしいんですけどいいですか?」
「……え、と、あれ、この町の人じゃないんですか?」
「はい、旅人ですよー」
イノは笑顔で両手を広げる。だが、その容姿は少年のイメージしている旅人の服装とは異なっていた。それだけではなく、少年は旅人を見た時から少々見惚れていたように顔が僅かに紅かった。
紅顔可憐、明眸皓歯という言葉が似合うほどイノの顔立ちは若々しく整ってはいる。しかし男女の区別がつかず、中性的な顔、体つき、声をもち、だがどちらかといえば少女寄りの姿だった。年は大人でも子供でもない顔つきから17歳から19歳辺りに見える。髪、肌ともに白く、瞳は血のように紅く染まっていた。黒いジーンズのようなズボンに白いYシャツ、その上に黒い外套を羽織っている。
使い方を間違えてるのか、首に巻くものであるはずの赤いマフラーはベルトのように腰巻きに使われていた。
「よかったら家まで案内してくれませんか。そこまで運びますんで」
「えっ、いや、そんな……別に大丈夫です!」
「まぁまぁ人の親切は受け取っておくものですよ。その代りこの町の案内とかお願いしますね」
イノはニッと無邪気に笑う。少年はつい目を逸らしてしまう。
「わ、わかりました……」
少年はその言葉以外思いつかなかった。
少年の住んでいる場所は宿屋の二階奥だった。宿屋のオーナーに頼んで特別にずっと住んでもいいようになったという。宿屋の手伝いを条件にだが。オーナーは祭り関係の仕事で今日だけ宿屋は閉めていると怪我をした少年はその時話した。イノは少年を担ぎながら階段を上る。
部屋は至って質素なものだった。少々古臭く、狭く感じる上、もので散らかっていた。歩く場所が限られている。
「へぇ、ラコレって変わった名前ですね」
「うぐ……」と少年ラコレは二度傷ついた。一度目は部屋を見た旅人の第一声が「散らかった部屋ですね」と言われたことだった。
「僕はイノっていいます。よろしく」
名乗った白髪の旅人はラコレのベッドに座り、微笑む。綺麗で可愛らしい顔つきの旅人の性別を女性だと思っているラコレは、その表情にドキリとする。
「で、これはなんですか?」
イノは唐突に、壁に掛けられている、竹で作られた剣のようなものを見つめる。
木製というよりは竹で作られているようで、分割した竹片4本が何かの動物の皮で纏められ、剣先から柄までに一本の弦が張られている。
「あぁ、えっと、それは竹刀っていって、えーと……その……」
「大切なものなんですか?」
そう言われたラコレは考え込むように俯く。そして、ぼそりと話し始めた。
「小さい頃使っていたんです。親が強くなれって剣術とか教えられたんですけど、正直嫌で、辛かったんですよね。でも、15になって親から離れて、列車でこの町で独り暮らしを始めたんだけど、俺って見た目からして弱そうじゃないですか。だからこの年でも歳の近い奴らにいじめられてばっかで、さっきもまさにかつあげされてたとこで、でも俺、立ち向かおうとしたんですよ。やられてばっかりじゃダメだって。でもあっさりとやられちゃって。あの、竹刀についてで、それでその前の話なんですけど、ある日部屋の片づけをしてた時に――って聞いてませんよね?」
ラコレは少し悲しそうな顔をしてベッドで寝ているイノを見た。イノは寝返り、眠たそうな顔でラコレを見る。
「長いです。よくわかんなかったので簡単に十文字以内で伝えたいこと言ってください」
「じゅ、十文字!? ええと……」
「大体でいいですよ」
ラコレはあたふたと考える。
「つ、強くなろうとして竹刀を使って素振りとか練習してました。……去年からですけど」
「大体四十字ぐらいでしたね」
文字数を数えられていたことに驚き、同時に次から次へと刺さってくるイノの言葉にラコレは疲れ切っていた。
こんなかわいい人にボロクソ言われているようじゃ情けないなとラコレは思う。
「でもいいじゃないですか。強くなろうとそれ使って鍛錬積んでるってすごいですよ」
「え、ほ、ほんとですか?」その顔は少しうれしそうだった。
「はい。毎日やってるなら強くなれますよ」
イノはにこっと笑うが、ラコレは苦笑しているようにも見えた。
「あ、ありがとうございます……」
しばらくの間。でも、とラコレは付け足す。
「でも、どうせ続けても勝てやしないよ」
ぽつりと呟いた。しかし、それはしっかりとイノの耳に届いていた。
「なんでですか?」
天井の黒いシミを見ながらイノは訊いた。体育座りになったラコレはちらりとイノを見、目を逸らす。
「どんなに頑張っても辿り着けないものはあると思うんです。勝負とかに至っては尚更だと思うんですよ。成功は努力なしでは実らないけど、それってほんの一部の話だし、どうせ努力しても、少なくとも俺みたいな凡人の中の凡人じゃ何にもできないまま終わりますよ絶対……」
口を尖らせながらぶつぶつと話す。知っている人には話せない自分の中の鬱憤が溜まっていたのだろう。
「小さい頃、剣術というか剣道っていうその竹刀を使った稽古を前に住んでいた田舎町でやってたんですよ。でもそこでも自分より体格よくて、身長の高い奴らにいじめられて、試合練習でそいつらが竹刀の中に鉄の棒とか膝にプロテクトとか入れて痛めつけてきたことが結構あったんです。でもみんな俺が弱いからって責めてくる。親にも信じてもらえなかった。あいつらの不正がなんでかバレてないんだよ。とても剣道の稽古でできたような痣や怪我じゃなかったのに。酷いと思わないか? それはさすがにプロでも勝てるわけないだろ。どんだけ上手くても、そんな反則されたら絶対勝てない。正々堂々じゃないとダメだろそこは!」
途中で自分が熱くなっていることに気が付いたのか、急に挙動不審になりだし、「す、すみません」と謝った。
イノはベッドに寝っ転がりながら天井の点々としたシミの数を数えていた。
「ひどい話ですねー。でも珍しい話じゃないですよ」
「それって、いじめられて苦しんでいるのは君だけじゃないって言いたいんですか」
昔のことを思い出し、少し苛々しているラコレは眉を寄せる。
「それもそうですけど、それを理由にして逃げている人はよくいるってことです」
「……それってどういうことですか」
静かに言ったラコレを前に、イノは少し困った顔をする。
「どういうといわれましても、そのまんまですね。人間がふつうに逃げてるなーって」
「……っ、この――」
「『ふつう』がいちばんだと思いますよ。変に『特別』になる必要はないですから」
イノはベッドから降り、玄関へ向かおうとする。
ラコレは拳を震わしながら何かを言いたげにしていたが、堪え、そして肩を落とした。
「今日はめったにない祭りなんですよね? 一緒に満喫しましょっか」
ラコレの気持ちを知らず、イノは玄関を開け、振り向いた。その表情はこの辛気臭い空気を壊すほどの、うきうきとした笑顔で輝いていた。




