第14頁 夜明けの再会
「……んで、つまりあれか、自滅ってことか」
「そうなりますねー。顔触っただけですもん」
アウォードはデクトの持っていた携帯電話を片手に、塔の裏の壁に背もたれて地面に座り、倒木の上に寝そべっているイノと話している。
「デクトの意気地がなかったのか、それとも、バケモノ染みたおまえの怖さに耐えきれなかったのか、まぁどっちもって感じだな」
「バケモノってどこからがバケモノなんですか?」
イノは夜空を眺めたまま訊く。さらさらと傍の雑草と花が弱い風で小さく揺れる。
「んー、そんな基準、俺の知ったことじゃねぇが、まぁ神と畏れられた太古の巨大な生物を素手で倒す人間は、まず人間離れ以上に人間じゃないって思われるだろうなぁ」
そうですかぁ、とイノは力の抜けた声を出し、
「人間も、バケモノ扱いされるものも、結局は同じだと思うんですけどね~」
「まぁ、人間ってのは人格で仏にも鬼にも変わるからな。その内、精神だけじゃなくて身体までそうなってしまいそうだな」
「ですね。あ、でも既にそうなってるとこもありますよ」
アウォードがその話に少しだけ関心を示す。寝そべっているイノの姿をみる。
「旅先でそういう国があったのか?」
「はい、『妖怪』っていう不思議で面白い人たちがいる里です。『鬼』や『神様』っていう人たちもいましたよ」
「へぇ~、マジでいるんだそういうの。そういや俺も、一度だけ『鬼』ってやつと戦ったことがあるぜ」
「そうなんですか」
「ああ、人の形をした女の『鬼』だ。まぁ見事に殺されかけてな、見た目は大して変わんねぇのに、人間とは格が違う強さだったぜ? 話じゃ、一般の獣人族より、いや確か竜人族よりも強いらしいからな。ま、この敗北をきっかけに俺はその『鬼』みたいに強くなろうとしたわけよ」
アウォードは横に立てかけてある錆びた大剣に触れる。傷のついた口元を緩める。
「それでそんなにも力があるんですね」
「まぁな。だが、今の俺でもまだあのときの『鬼』には勝てねぇ。せめて引き分けにはできそうだが」
「いつか追い越せますよ。もう一回『つりがに』やってみたらどうですか?」
「なんだよ『釣り蟹』って。『罪狩り』だ馬鹿野郎」
「あぁ、そうともいいますね」
「それしかねーよ」
夜にしては暖かい風が吹いてくる。それで眠気を誘われたアウォードは欠伸を一つする。
「そういえばさっきその小さい機械でなにしてたんですか? 電話みたいに話してましたけど」
イノは寝たままアウォードの傍に置いてある何かの端末機を指さす。
「おまえ電話知ってんのに携帯電話知らないのかよ。まぁこれはデクトが持ってたやつなんだが、これ使って俺の務めていた『罪狩り』んとこに連絡しといた。今こっちに向かってるそうだ。こっからけっこう遠いが、朝までには着くだろ」
「そこの仕事は辞めたのに連絡に応えてくれたんですね」
「一市民の報告としてやっただけよ。まぁ向こうはびっくりしてたが」
アウォードは懐かしそうに少しだけ笑った。
「じゃあ後はその人たちに任せればいいんですね」
「そうだ」
「ということでリードとエリナさんはどこにいるんですかね」
「話つながってねぇぞ。まぁリードは塔の入り口の傍でぐっすり寝てるだろ」
アウォードはイノを一見した後、夜空を見、深く息を吸った。
「あいつも悲惨だな。お前から旅を学ぼうとしてついていっただけなのに、早速拉致されて雇われ兵や財閥の社長にボコられたり、塔のてっぺんから突き落とされたり、バケモノの恐怖を目の前で体感してしまったり、ガキにしてはいい思い出以上にトラウマになるかもな」
イノは一度アウォードを横目で見、そして再び空を見つめる。
「そうですね、それはリード次第ですけど……まぁ、覚悟を決めた上でのことなんですし、リードは後悔していませんよ」
それを聞き、軽く笑う。
「ははっ、おまえが言えることかよ。じゃ、俺もそろそろ寝るとするか。おまえらもそうだが、俺も疲れてるんだ」
傷だらけの腕を組み、より背に体重をかける。寝る体勢に入ったアウォードはすぐにでも眠りにつきそうだった。
「身体を酷に使い過ぎですよ。人生に疲れたっていうレベルの疲れですね」
「はは、冗談でもねぇな。はぁ、もうすぐで五時か。できれば『罪狩り』の連中が来たら起こしてほしいんだが、まぁいいや」
「あ、エリナさんはどこにいるんですか?」
よいしょ、とイノは起き上がり、倒木から降りる。
「いや、俺は知らんが、もしかしたら塔の中にいるんじゃねぇか?」
「わかりました。じゃ、おやすみなさい」
「おう、ゆっくり休むわ」
イノは目を閉じたアウォードを後にし、塔の入り口へと回る。
入り口に入ると、傍の大きな平たい瓦礫の上にリードが寝ていた。服も汚れており、顔や手足には傷や痣が見られる。相当疲れていたため、すやすやと眠っている。身体を揺すっても起きそうにない、深い眠りだった。
「……おつかれさまです」
イノは少し申し訳なさそうに、しかし微笑んでリードの寝顔を見た後、塔の中央ホールへと向かう。
「ここにもいないか」
デクト財閥が製作した、塔の地下深くを掘る装置に占拠された中央ホールは静まり返っていた。中央の大穴を覗きこむと、そこには気絶した装甲兵全兵とボディーガードのドリーとメリック、そしてデクトがいた。先程までイノとアウォード、リードの三人で全員をこの穴に入れる重労働を行っていたことをイノは思い返す。意識を取り戻しても、この穴の深さなら逃げ出すことはないだろう。
「ここにあのデッカイ神様が眠っていたんだなぁ」
イノはそう呟き、崩れかけた塔の階段を上る。
塔の屋上に着く。下にいたときよりも風が強く、しかし穏やかに流れていた。真っ暗に近かった夜空もうっすらと明るさを取り戻し、森を越えた山や海もはっきりと見える。塔の淵にはエリナが夜空を見上げながら座っていた。
「あ、いた」
イノの声に反応し、エリナは振り返る。薄暗くても、その紫の瞳はしっかりと見えた。
「イノ……いつからいたの?」
その表情は彼女の背景に芽生える森のように穏やかで、弱々しかった。
その黒い長髪からみえる紫の瞳は少しだけ潤っていた。
「今来たとこです」
イノはエリナの隣に座る。
「……」
「……」
ふたりは何も話さないまま、目の前に広がる薄暗い、しかし薄明かりに照らされた景色を見続ける。
「……ごめんなさい」
謝ったのはイノだった。
「……え?」
「エリナさんとフィルさんの大切な塔を傷つけてしまいました。護れませんでした」
緑の景色を見つめるイノの横顔は切なくもみえる。
「そ、そんな……、いいよ全然! 気にしなくていいよっ、そんなことよりも私は、みんなが無事で……イノが無事でよかったって気持ちで一杯だから……」
エリナは慌ててそう言った。顔が微かに赤い。しかし、イノの申し訳なさそうな、気の落ちた表情は変わらない。
「そう、ですか」
「うん、だから大丈夫。みんなの無事が一番だよ。あ、そうだ、リード君とアウォードさんは今何してる? やっぱり疲れて寝てるかな?」
無理に話題を切り替える。少し冷えた風が身を撫でる。
「あ、ぐっすり寝てましたよ。でもあのまま寝たら風邪引きそうですね」
「ふふ、そうだね。イノは寝ないの?」
「今は眠る気にはなれません」
「私も。夜中ずっと起きてるのに、不思議だね」
「ですね」
夜空が少しだけ明るくなる。右側の奥に見える水平線が特に明るく見えた。そこから日が昇るのだろう。
「ねぇイノ、あの大地の神様、ずっと動いてないけど、結局倒したの?」
エリナは下にいる動かなくなった巨神をみる。巨体だが、塔の高さよりは劣る。
「倒したっていうより、助けてあげた、ですかね」
「助けた? それってどういうこと?」
イノはうーん、と考え、
「あの神様、まだ生まれるには早かったと思います。身体もまだまともにできてないのに機械で叩き起こされて、操られて、悲鳴を上げていたんです」
「言われてみればそうかも。それに、上半身しかなかったし、なんだか未完成って感じがした……」
イノは森の景色を見つめたまま話を続ける。
「とりあえず人に機械で操作されている束縛を外してみたんです」
「それが、あの胸の一撃だったの?」
エリナはそのときの一瞬を思い出す。しかし未だにその出来事が半ば信じられないでいた。
「はい。でも、それでも苦しそうにしてて、生きることが苦しいって感じでした」
「じゃあ暴れていたのは……」
「暴れずにはいられないってほどの苦痛ですかね。もがいてる感じでした」
「だから、神様を殺したの?」
「はい、命を奪いました」
残酷な一言を淡々と言ったイノに、エリナはしばらく何も言えなかった。
冷たい風が吹く。
「でも……それで救われたんだよね?」
「はい。それに、今までここで失った命や昔あった国の人々、フィルさんの一族もみんな、救われたと思います」
「そうなんだ……でも、どうしてそんなことがわかるの? 神様のこともそうだし……」
イノはしばらく何も言わず、そしてその口をゆっくりと開いた。
「そういうのが視えるから、ですかね」
イノはそう言って笑う。
エリナもそれにつられ、くすりと笑う。
「イノってあのときの朝もそういうこと言ってなかった? ほら、フィルを見かけたって」
忘れかけていたのか、少しポカンとしていた。
「えーと……あ、そうだった、フィルさんについていってエリナさんに会ったんだ」
「でも、なんでフィルはイノを……?」
「それはわかりません。でも、今回の一件でみんな、自由になれたってことは確かです」
エリナは不思議に感じていたが、すぐに理解した。というよりは自分の勝手な推定かもしれない。
恋人は旅人という救世主を連れてきたということに。
「成仏したってこと、ね。……それも『視えた』の?」
「そうですとも。今、隣にフィルさん座ってますよ」
「えっ?」
エリナは思わず隣を見る。
しかし、そこには誰もいない。
「僕ら人間は、目に映る世界の中で生きていますが、案外視えないものってたくさんあるんですよね。気付かないだけなんです」
白い髪が風で靡く。イノの紅い瞳は真っ直ぐと世界の先を見つめていた。
「……ホントに、ここにフィルがいるの? 嘘、じゃなくて?」
「はい。でも、魂にははっきりとした感情や視覚といった感覚はありません。それに、魂は現象としてどこかへ行っちゃいます。今のうちにせめて一言、何か伝えておきませんか?」
イノの言葉を聞くうちに、次第にそこにフィルがいるような気がし、彼の像が浮かぶ。
それが仮に自分の作った幻覚だとしても、イノの言葉を信じる限り、彼はそこにいる。いてくれている。それもあの日から今日までずっと。
今日でお別れするのはとてもさびしい。だけど、今まで苦しんでいたのなら、そして今解放されたのなら、それでいいのかもしれない。また、どこかで見守ってくれるのかもしれない。
愛してる。それもそうだけど、それよりも彼に言うべきこと。
それは―――
「―――ありがとう、フィル」
日の出が海の向こうの水平線から顔を出す。一気に閑静な世界は明るく染まり、風も暖かくなる。巨神の巨躯は日に照らされ黒く美しく輝き、悲哀の獣の塔に陰りができる。
朝焼けを背景に一瞬だけフィルの姿が映し出された気がした。陰りで表情が見えにくかったが、僅かに見れたその表情はあのときの優しい笑顔のように見えた。
「……もう、フィルはどこかにいっちゃった?」
「はい。でも、嬉しそうでした」
「そう……」
それならよかった、とエリナは昇る太陽を見ながら呟いた。
「……ねぇ」
「どうしました?」
エリナはイノに寄り添い、頭をイノの肩に乗せる。
「しばらく、こうさせて……」
その声は微かに震えていた。イノは黙ったまま、ただ朝焼けで照らされる森を見る。
お互いに密着する。互いの心臓の音が聞こえる気がした。
温かい日の出の光が寄り添った二人を包み込んだ。




