第10頁 入れ違う運命
「……あのなぁおまえってやつはよぉ、ホントに勘弁してくれねぇかなぁ」
アウォードが苛立ちを隠せず、今にも怒りが爆発しそうな雰囲気を醸し出している。頭をガシガシと掻き、イノを呆れた目でみる。
「おまえ旅人のくせに道に迷うかよ普通」
アウォードはため息をつく。
広場から出発して二時間半が過ぎる。家につくどころか、ここがどこなのかさえ全くわからない状況へと陥っていた。所謂、迷子だ。
「何言ってんですか、旅人だからこそ迷うんじゃないですか」
「誇らしげに言うことじゃねぇ」
アウォードはイノの頭を掌で叩く。力が強かったのか、イノは前のめりに倒れそうだった。
「俺は別にここからでも勝手にテメェの家帰れねぇことはねぇけどよ、おまえどうすんだよ」
「んーと、まぁ気長に歩きますよ」
呑気な口調でイノはなははと笑う。
「笑い事じゃねぇよ! 流石に俺も疲れたぞ!」
「じゃあ一旦休みますか」
「そう言う問題じゃねぇ!」
虚しい怒鳴り声が街中で響く。しかし、ザザァ……と水路の水の流れる音しか返ってこない。
「……なぁ旅人さんよぉ、そいつの家の周りに何かあっただけでも覚えてねぇか?」
あぁ、とイノは思い出したかのような表情を浮かべ、
「塔ありましたよ。すっごく古い廃墟みたいな白い塔です。森の中にありましたね」
会話に間ができる。アウォードは頭をガシガシと掻いて、
「もっと早く聞けばよかったわ」
アウォードはイノを連れ、悲哀の獣の塔の方面へと向かった。
*
エリナの家に着くまでかなりの時間がかかった。
道を知っている上で向かったならば一時間程度で着いたはずが、イノの方向音痴のおかげで三時間半以上の時間をかけてしまった。
今は十二時前。深夜の街並みは殆ど明かりが点いてなく、しんとしていた。
「うわー、みんな寝てますね」
「……俺もう帰っていいか?」
アウォードは肩を落とし、ぐったりしている。
「何言ってんですか、ここまで来たら意地でも食べさせますよ」
「……おまえどの立場?」
「エリナさん寝てるかもなー。でも心配性だからなー多分」
「……」
「ここだここだ。うわ、真っ暗だ」
イノはエリナの家へ自宅のようにずかずかと入る。アウォードも気怠そうにしているも、それに乗じて家へ上がる。
「エリナさーん! リードォ! 起きてますかー?」
「せめて寝かせてやれよ」
イノの空気の読めなさにアウォードは呆れを越えて、最早溜息しか出ていなかった。
イノは二階の階段をドタドタと登る。アウォードは居間を見渡す。
(一人暮らしか……いや、前は二人で暮らしてたか)
棚の上に立てかけてある写真を見ながら思った。ふたりとも幸せそうな顔をしている。
(へぇ、なかなか可愛い嬢ちゃんじゃねーか。ま、俺の好みじゃねーが)
再び辺りを見回す。しかし、他人の住宅とはいえ、何かの違和感を抱いていた。
庭と通じる大きな窓が開きっぱなしであり、夜風がカーテンを揺らしている。ダイニングテーブルには食べ残った二人分の料理。そして、部屋全体を見てアウォードは思う。
(家の外見の割に結構荒れてんなぁ。いや、もしかしたら……)
「ねぇねぇ赤髪ちゃん、ふたりともいないや」
二階から降りてきたイノは落ち込んだような表情でそう言った。
「なぁ、もしかしたら、この家襲われたかもしれねぇぞ?」
少しの間がより静けさを増す。イノはぽかんとした表情をしたままだ。
「……うわー大変だ」
「えらいあっさり言ったなおい」
棒読みで言ったイノは辺りを見回し、ふと床に小さくついている何かに目が行く。アウォードもそれに気が付いた。
「……血か? シミじゃねぇ、鮮血じゃねぇか。まさか暴行沙汰でもあったのか?」
イノは血を指ですくい、しばらくそれを見続けた。そして、ゆっくりと立ち上がる。
「……塔へ行きましょう」
あまりにも物静かに、唐突に言い放ったイノに、アウォードは少し違和感を持つ。
「塔って、この近くの悲哀の獣の塔か?」
そういうと、イノは無言で部屋を出る。
「ちょ、待てやおい!」
アウォードはすたすたと立ち去っていくイノを追いかける。
家を出る。外は暗く、街灯も心もとなかった。
「おい待てよ、もしかしてそいつらそこに居んのか?」
アウォードが話しかける。イノは何ら変わらぬ表情で返事をする。
「はい」
「なんでそんなことがわかんのかわからねぇが、俺も嫌な予感はしてんだ。様子見として一緒についてくぜ。お前だけじゃ危なそうだからなぁ」
「助かります」
イノは暗闇の中微笑む。
そして、辿り着いた森の入り口から塔を見通すようにまっすぐとその先を見つめた。
*
数刻前。
「リード君、晩ご飯できたよー」
「うん、わかった」
部屋にいたリードは入ってきたエリナと共に一階へ降りる。肉の焼いた美味しそうな匂いが漂ってきて、思わず涎が口の中で一気に分泌される。
食べている最中、エリナが心配そうな表情で言う。
「イノ、どこいったんだろうね」
「……知らない」
リードは怪訝そうな表情で言う。その様子にエリナは小さくため息を吐いた。
「……まだ、怒ってるの?」
「怒ってないよ」
「う~ん……それならいいけど」
再び沈黙になる。リードは内心気まずかったが、とりあえず黙っていることにした。少し気まずくなったエリナは場を紛らわす為に話題を提供する。
「ねぇ、リード君って好きな人いるの?」
「……え、えぇ! いや、別に……」
一瞬だけ驚いた表情にエリナはほっとする。
「あーいるんだー。その焦った顔は好きな人いるって言っているのと同じだよ~」
「ち、違うって! お、俺は別に好きな人なんか……」
「ねぇねぇ、教えてよ。私に言っても大丈夫だよ。絶対誰にも言わないから!」
「そういう人に限って人に言うんだよ」
「あ、やっぱいるんだ」
「い、いないって!」
リードは恥ずかしそうに戸惑う。顔が赤くなっている様子を可愛らしく思う。
「ふふーん、やっぱり同い年? それとも、年上好きなのかな?」
「い、いやそれは……」
「にっひひ~、言っちゃいなよ少年~。お姉さんに教えるまで寝かせないぞ~」
リードは顔を更に赤くする。その様子にエリナはますます調子に乗った。
「あ、もしかして、好きな人って私のこと? へへへ、なんてねー」
そう言った途端、リードの顔は紅潮し、顔を俯かせる。「ち、違うよ……」と弱々しい声は最早確信といっても良かった。
「え……あれ、もしかして……私?」
リードは目をきょろきょろしながらこくりと頷いた。
「……」
エリナは席から立ち、後ろから座っているリードをぎゅっと抱きしめた。
「わっ、ちょ、エリナさん! てか苦しい!」
そう言いながらも、離れようとはしなかった。どうすればいいかわからず、真っ赤にした顔で挙動不審に目をきょろきょろさせる。エリナはリードの頬に顔をすり合わせる。
「えへへ~、リード君もかわいいとこあるね~。お姉さん嬉しいぞ♪」
思い切り抱きしめられているリードは顔を赤くしながらこの状況にどう対応すればいいのかわからないでいるままだった。
「もしかしてー、初恋?」
「そ、そんなこと聞かないでよ」
「かっわいいなーリード君。デレデレに照れちゃってる」
「か、からかわないでよエリナさん」
「あははは」
エリナが笑い、つられてリードも少し笑った。
エリナは気落ちしていたリードが元気になったことに内心では安堵していた。同時に、リードもエリナが笑顔でいることに安心感を抱いていた。
そのとき、ノック音がエントランスから微かに聞こえてきた。エリナはその音に気が付き、振り向いた。
「あ、イノ帰ってきたかも!」
エリナは急ぎ足でエントランスへ向かう。
そして、ガチャリ、とドアを開けた。
「――またお会いしましたなぁ、エリナさん」
「ぇ……」
突然の事態。それを把握するのに時間はかからなかったが、あまりの展開に言葉の対応ができなかった。
そこには、小柄な体格のデクトと二人のボディーガード、そして背後には装甲を纏った数人の兵が並んでいた。
「本当はこういうことするつもりじゃなかったんだが、予定が変わってね。ちょっと我々を塔へ案内してくれるかな?」
「……な、何故ですか?」
「理由をきく必要はない。それ以前にその権利はない」
デクトは冷酷な表情に切り替わり、
「ま、テメェのことだ。ぐちぐち言い訳して断るに決まっている。テメェの話を聞くつもりは毛頭ねぇよ」
そして、一歩下がり、
「行け」
と命じた瞬間、背後の数人の兵が家に押し寄せてきた。
「……っ!」
エリナは走って居間へと向かった。
「リード君! 逃げて!」
リードは考え事をしていたようで、エリナの叫ぶような声で我に返った。
エリナはリードの手を取り、庭へ駈けようとするが、閉まりきっており、それを開けるのに数秒の時間を要する。
すると、居間に兵が入ってきた。ひとりの兵がリードを見るなり、エントランスにいるであろうデクトに報告する。
「中に子供が一人いますが、いかがなさいますか?」
するとデクトはつまらなさそうに、
「あー、そういや口悪いガキもいたっけか。ついでに気絶させて連れていけ」
「はっ」
「くそ、何だよ突然!」
リードは悔しそうに奥歯を噛み締める。
「リード君、早く!」
ガラス戸を開けたエリナは庭の先を見て唖然とする。
「……っ!」
そこには、目の前にいる兵と同じ装甲をした姿が闇夜に不気味に待機していた。
「この俺がそう簡単に脱出口を作ると思うか?」
土足で居間に入ってきたデクトは歪んだ表情で煙草を吸う。
「おい、さっさとやれ。殺さん程度にな」
すると、リードはエリナの前に行き、両手を広げた。
「お、なんだクソガキ、刃向う気か?」
デクトはニタニタと嗤う。しかし、それに反してリードは真剣に言い放った。
「……エ、エリナさんは、俺が護る!」
「り、リード君……」
すると、デクトは部屋中に響くほど哄笑した。
「クソガキが気取ってんじゃねぇぞ。なんだ、できると思ってるんか? 馬鹿らしいな。反吐が出るぜ」
「うるせぇドチビ! 俺はやってやるさ!」
その言葉が禁句だったようで、デクトの額に血管が浮かび上がり、顔をピクピクと震わせながら、酷く顔を歪ませた。
「そのガキに現実見せてやれ……っ!」
ひとりの兵がリードの顔を蹴り、リビングの棚へ激突する。あまりにもあっけなく、軽く吹き飛んだ。
「ただの時間の無駄だったな。おい、さっさとこの女を連れていけ」
そう言ったときだった。
「――うぉおおおおおおぁッ!」
横からリードが兵に突っ込む。その力は少年にしては強く、不意を突かれた一人の兵を押し倒した。
「絶対にそんなことさせねぇ! 俺がエリナさんを護るんだ!」
だが、その威勢も虚しく、他の兵に首を掴まれ、床に叩き落とされる。そして、腹部を踏みつけられ、ものを消化したばかりの胃液が吐き出る。
「リード君!」
リードは嗚咽をするも、ボカボカと兵の脚を叩く。鬱陶しく感じたのか、兵は踏みつけた脚でリードの顔を顎から蹴り、さらに腹部を再び蹴る。
「ぅぐ……ぁぁ……」
「もうやめて! 言うこと聞くから! これ以上は……っ!」
しかし、その声は虚しく、数人の兵は無慈悲にリードを蹴り続ける。それでも、リードは兵の脚を掴んでなんとか倒そうとしている。しかし振り払われ、床に押し倒され、ただひたすらに蹴り続けられていた。
リードはとうとう動かなくなった。気絶だろうが、それでも怪我が酷いことにかわりはない。顔や体中が傷や痣ができ、血が流れていた。床に血が多少なり飛散されており、その少年の姿は悲惨そのものだった。
「……っ」
その光景を前に口を両手で塞いでいたエリナは、言葉が詰まっていた。
怒りを収めたデクトは再び冷静に言い放つ。
「大人げないことをしてしまったが、まぁよい。さて、君はおとなしくしてくれるんだろうな」
デクトがそう言った瞬間、エリナの背後から兵が首を叩きつけ、エリナは床に倒れた。
「気を失えばこっちのもんだ。そのふたりを連れていけ」




