カミサマ
11/1誤字・脱字修正しました。
彼女のその叫びは、私の想像以上のものだった。
「あなたはなんでも持ってるじゃない! 私にないものを持ってるじゃない!」
自分自身の不甲斐なさを嘆き、一瞬でも自分を認めてくれない彼を恨み、それでも彼女は手を伸ばす。彼女の居場所はそこにしかない。
この国は彼女に対してあまりにも冷酷な国だった。
国民のほとんどが生まれながらにして魔力を有していた。私自身、彼女と出会うまで魔力を持たない者を見かけたことすらなかった。
そんな希少な存在である彼女は、魔力を持たぬが故に強い期待を押しつけられたのだ。
一切の魔力を持たぬ彼女に、後天的に魔力を与える。
それは彼女の身の安全を顧みない大がかりな実験だった。
私はそれを否定した。彼女がそんな物好きどものモルモットになる必要などない。本人にもそう告げた。
きっと一緒に逃げてくれる。そう思っていた私を、彼女は簡単に裏切った。
「私はここにいた方がいいのよ」
彼女は恋をしていた。この国でトップクラスの魔力と実力を持つ彼に。
強い憧れとほのかな恋心。彼女はたったそれだけを抱きしめながら生きていた。
けれど、それだけではもたなかった。
彼女は彼に会ってしまった。誰に対しても無関心な彼に。
「わ、私………今は魔力がないけれど…きっといつか立派になってみせるわ」
彼女のなけなしの勇気を、
「そんな風にそれを得て、本当に意味あるの?」
彼は簡単に打ち砕いてしまった。
その日から、彼女はどこかおかしくなってしまった。
「私、いつか彼を超えてみせるわ」
憧れで、片想いの相手だったはずの彼を、彼女は完全に敵視するようになっていた。
「私の力を見せつけて、彼に思い知らせてやるのよ」
そこにもう、彼女の儚げな笑顔はなかった。まるで別人だった。知らない誰かを見てるみたいだった。
私は彼女の言うとおりにした。実験を続け、彼女に訳も分からない処置を施し続けた。
本人が望むならそれでいいだろう。私はいつしかそんな風に思ってしまっていた。
「こんな私でも、まだ彼とお話しできるかしら」
彼女は彼を敵視していると思っていた。けれど、そう呟いた彼女の表情は恋する少女そのもので、私はそんな彼女を見ていられなくなった。
やはり、こんな実験は間違っている。
私は彼をここへ連れてきた。私には彼女を止めることができないと分かっていた。
彼の姿を見るや否や、彼女の表情はみるみるうちに強張っていった。
「どうして連れてきたのっ?」
彼女は私をひどく罵倒した。それでも私はこの選択が正しかったと感じた。こんな風に感情をむき出しにする彼女は久しぶりだった。
「私がもう実験をしないと言っても、あなたは従わないでしょう?」
私の言葉に、彼女は衝撃を受けたように目を見開いた。
「当たり前でしょっ? 私はもっと、もっと立派になるの!」
「そう言うと思ったから、彼を連れてきたのよ」
私が言うと、彼はちらりと私を見てから口を開いた。
「カミサマが自分の間違いを認めるんだ」
そこには僅かながら怒りのような感情が込められていた。
「私は神様ではありませんよ」
「うん。知ってるよ」
彼の矛盾を私は追及しなかった。彼は元々よくわからない人なのだ。
「今更僕にこんなのを押しつけられても困る」
こんなの、という言葉が彼女を指していたなら、私は彼を殺していただろう。けれど、彼はそんなことを言う人間ではない。少なくともそれはわかる。
「最初から言ってただろ、実験なんてやめろって。カミサマにしては愚かな判断だったね」
彼は心底呆れたといった表情だった。…少なくとも私にはそう見えた。
「やっぱり僕に会ったのが間違いだったんだ。君はそんなものを手にする必要はない」
彼は彼女を向いて、そう諭すように言った。
彼女は意味が分からないといった表情をしている。
「君は魔力を持たずに生まれてきた。これは変えられない事実なんだ」
「わかってるわ! だからこうして、こうやって、私頑張ってるじゃない!」
彼女の悲痛な叫びが、私に何度も何度も突き刺さる。
「だから、そんなことをする必要はないんだ」
「どうしてそんなこと言うのっ。私が頑張ってるのを否定するのっ。あなたはなんでも持ってるじゃない! 私にないものを持ってるじゃない! あなたになんか分からない…。私のことなんか分からないわ!」
言葉とは裏腹に、彼女はやはり彼に恋をしていた。本当に憎いなら、嫌いなら、そんな悲しそうな目をしない。
「うん。僕には分からない。今までずっと、君はなんてくだらないもののために生きてるんだろうって思ってきたから」
彼はそっと目を細めた。
「でもね、最近君が羨ましいんだ」
思いもかけない彼の言葉に、彼女は一瞬ひるむように震えた。
「たった一つのことだけ見て生きている。それがあまりにも真っ直ぐで、純粋で、羨ましい。僕には無い部分だから」
私は衝撃を感じた。今までに見たことのない彼がそこにいた。誰かを慈しみ、そんな風に包み込むなんて。
「だからもう、君はこれ以上頑張る必要なんてないんだよ」
彼がふわりと魔力をまとった。優しくて暖かい、そんな魔力を。
「少しだけお休み」
彼が囁くようにそう言い終えると、彼女の身体は力なく崩れた。彼が彼女を抱きとめる。
「珍しいこともあるのね」
「僕のなにを知ってるつもりなんだか」
彼は彼女をその場に寝かせ、私を見た。
「よく来てくれたわ。来ないかと思った」
「カミサマがいよいよ自分の足らない部分を認めるのかと思ったら悪くない気がしてね」
「その子が気になったんでしょ。嘘はよくないわ」
彼は不服そうに目を細めるも、また意地悪そうに口角を上げる。
「本当にお前には腹が立つよ。ちょっと頭がいいからって調子に乗ってる。本当は欠陥だらけのくだらないオモチャにしかすぎないくせに」
「本当にあなたには嫌われたものね。まぁそれはいいとして、あなたはその子をどうするつもり?」
私の問いかけに、彼は目を伏せて自嘲気味に微笑んだ。
「彼女から僕に関する記憶を消して、うまい具合に辻褄を合わせてほしい」
「その子から自分を消したいっていうの?」
「この子は僕がいなければこんな風にはならなかった。僕のせいでここまで力を求めるようになってしまったんだ」
「だからなに? あなた本当はその子を…」
「僕が彼女の中に存在し続ける限り、彼女は幸せにはなれない」
彼の発言に、私は何も答えられなかった。彼の言い分があまりに正しすぎたからだ。あまりに正しすぎるから、あまりに普通すぎるから、
「あはははっ」
私は笑った。それはもう心から馬鹿にするように。
「ついに狂った?」
「あははっ。はは…。あんた本当に馬鹿ね」
彼が解せないといった表情を浮かべた。
「確かに彼女はあなたがいなければこんな風にはならなかった。もしかしたら幸せになったかもしれない。けれど、もう遅いのよ。彼女はあなたを想って何年も生きてきた。こんなくだらない実験を受け続けてきた。例え彼女の前からあなたが消えたとしても、彼女の時間は戻ってこない」
彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そんなわけのわからない空白が心を占拠した状態で、彼女が幸せになれるっていうのかしら」
自身が彼女にしてきたことを棚に上げて、私は妙に饒舌になっていた。
「それにあなただってそう。彼女を想いながら死んでいく気?」
自分で言って、そのあまりにも残酷な内容に心が冷えていくようだった。
「そんなこと私がさせない。その子とあなたには幸せになってもらわなきゃ」
そう、幸せになってほしい。
こんな私に心を教えてくれた彼に。
慈しみという特別な想いを教えてくれた彼女に。
「私は決して赦される存在じゃない。それくらい知ってるの。だから罪滅ぼしなんて言わない。これは私のエゴよ」
彼の一番欲しいものを奪ってしまったから。
彼女にずっとつらい想いを背負わせてきたから。
だから、幸せになってほしい。
「その子を連れて西にある森へ向かいなさい。そこに私が建てた小さな家がある」
正確には建てさせた、だけどね。
「元々は私が彼女と一緒に暮らそうとしてた場所だけれど。そうね、私じゃやっぱり無理かもしれないわね」
彼女が哀れで、勢いで一緒に逃げようだなんて言ってしまった。私は浅はかだった。
けれど、それと同時に、私は彼女に感謝した。一瞬でも彼女は忘れさせてくれた。
私に身体がないことを。
「……カミサマも変わったね。いつの間にそんなにネジが吹っ飛んだの? 最高傑作のはずでしょ?」
「そうね。自分でも相当馬鹿だって分かってる。でも、いくら頭がよくても間違えるものよ。なんてったって、人間が作ったんだもの。限界があるのよ」
そう、私は彼の両親に作られたただの人工知能。肉体も持たず、ただそこにあるだけの存在。
「そういうときだけ都合よく人間を出さないでよ。……でも、いいや。許してもいいよ」
彼は首を傾げて悪戯っぽく言った。
「カミサマがこんなに愚かなことを得意げにべらべら喋ってくれたから」
それから彼は彼女を抱きかかえて出て行ってしまった。残されて寂しく思ったけれど、これで彼らが幸せになれるなら満足だ。
『お前なんかいなくなればいいんだ!』
昔彼に言われた言葉が頭をよぎった。
あのとき、私は妙に嬉しかったのを今でも鮮明に覚えている。
肉体のない私に、初めてむき出しの感情をぶつけてきてくれたのが嬉しかったんだ。
ああ、私はまだここにいると、彼の憎しみに溢れた目が思わせてくれた。私を実感させてくれた。
彼から奪ったものの重さを理解した私は、自分が何も与えられないことを悔やんだ。
私にあるのは無駄に利口な頭だけ。
思い知って絶望した私の前に、彼女が現れた。
彼女は今にも崩れてしまいそうなほど頼りなかった。だから私は嬉しかった。
だって、私が彼女を愛してあげられる。
私は利口な分、利己的だった。
彼に与えられなかった私は、その心の虚しさを彼女で補填して充足感を得ていた。それは私のエゴだった。
だから、今回のことも私のエゴなのだ。
二人が幸せになることで私が満たされる。
「やっほー。二人とも幸せ? ハピネス?」
それを確認するため、私が満たされるため、二人の暮らす家に備えつけたスピーカーから語りかける。
「カミサマうるさい。一日何回訊く気だよ」
「あはは。うん、幸せだよ」
二人のその回答に、私はうんうんと頷くように返した。
私はまた満足だ。これから先ずっと、二人が幸せな限り。