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第5話 「スチューデント 高田舞花 5」




「どんな奇術(トリック)だ? さっきのメトロノームを砕いたのは目の錯覚だったのか?」


 舞花が床を見ると、砕かれた部品をベートーベンが蹴飛ばして歩いた痕跡が残っている。


「……少なくとも、手と足は実体。体や頭もそうだと思った私が浅はかだったのか? しかし、なら次はどこを狙えば……」


 舞花はすぐにボールペンから二発目の弾丸を取り出し、先ほどと同じように銃に込めた。そして銃を構えようとした時、ベートーベンはもう手を伸ばせば届く距離に立っていた。

 舞花の銃口が素早く動く。


「ここか?」


[パァーン]


 舞花は振り上げたベートーベンの右腕、その手の平に狙いを定めて引き金を引いた。だが、先ほどメトロノームを砕いたはずのその手は、またしても舞花の放った弾丸を素通りさせた。


―ブンッ―


「ちっ!」


 そのまま振り下ろされた腕を舞花は仰け反ってかわす。勢い余ったベートーベンの腕が隣にあったピアノを打つと、当たった側面は砕け、更には三百キロあるはずのグランドピアノが1メートル程横にずれた。


「なんて……怪力だ。人間の物では無い……」


 舞花はそのまま床を後ろに転がり、膝立ちになるとまた銃を構えた。再び弾薬を込めようとしたが、弾を弾倉に送るために動かす銃の上部がスライドしなかった。


「二発が限度と聞いていたが……正確だな。さすが日本製。見栄を張るために水増しして報告する隣の国と違って謙虚だ」


 舞花はすぐに銃を元のように制服の袖の中に仕舞った。そして立ち上がり、ベートーベンを正面にしながら窓に沿って教室の後ろへと移動する。


(窓から飛び降りるか? いや、奴の能力は未知数で、背を向けるのは危険過ぎる。ここは教室の後ろ扉からの脱出が好ましいか。鍵が掛かっていたなら廊下側の窓を突き破る)


 いく通りもの逃走方法を考えながら舞花はじりじりと動くが、その逃げ道をベートーベンは塞ぎに来ようとはしなかった。舞花から視線を逸らし、床に寝転がっている有璃を見ている。


「よし……奴の狙いが変わった。ここは一旦後退して……」


 舞花は第一に作戦を優先し、続行不可能となれば生き抜く事に全力を尽くす。もちろんそのためには人を犠牲にするし利用もする。兵士としてそう教え込まれてきた。今回のように攻略の糸口がつかめない相手が有璃を狙うなら、その隙に舞花は迷うことなく一人で逃亡する。……はずだった。


 しかし、なぜか舞花の足は扉へと進まなかった。

 有璃が襲われたなら次は舞花の番だと言うのに、舞花の体は逃げ出そうとしない。それどころか、すやすやと眠る有璃の顔を見ると拳に力がこもった。そして、武器も無いと言うのに殺気だった目をベートーベンに向ける。


 そんな舞花の眼前で、長髪を揺らすベートーベンが、床の上に寝転んでいる有璃に手を伸ばしていく。舞花の全身の筋肉は緊張し、つま先が床を掴んで体が前のめりになった。


……その時、


[ビシッ]


 厚い氷に亀裂が入る音のようだった。


 我に返った舞花は、音がどの方向から聞こえたのかを判断する前に床に飛び伏せる。這いつくばった姿勢のまま顔を上げると、ベートーベンが倒れていく所だった。そのまま有璃の上に覆いかぶさると、ぴくりとも動かない。


「狙撃か……?」


 舞花の予想通り、窓ガラスには小さな穴と、そこからクモの巣のように放射状にヒビを残す弾痕があった。舞花を向くベートーベンにも、ちょうど眉間の中央に黒い銃創がある。


「……私を監視していた諜報員(エージェント)か? 一応、助けてくれたのか?」


 眉間のど真ん中を撃ちぬいている事からして、どこかの流れ弾がたまたまベートーベンに当たったはずはない。最初からこの古めかしい姿の男を狙って放たれた攻撃だ。


 舞花は外に姿を晒さないように立ち上がり、カーテンの陰から隣の南校舎の様子を探ってみた。どこにも人影は無く、更にはその校舎が邪魔になって他にこの音楽室を狙撃できるような建物は見当たらなかった。


「しかし、何故私の撃った弾は効かなかったのに、この狙撃者(スナイパー)の弾は効果があったのだ?」


 舞花の使った銃の口径は22口径。護身用の銃に多く使われる小型の弾丸を使用し、殺傷力と貫通力は最低レベル。普通なら38口径の拳銃を使うだろうし、ライフルなどでは格段に威力が増す。


 舞花は使われた銃器の威力の違いかと考え、ベートーベンに撃ちこまれた弾丸を調べようとかがみ込んだ。


「なっ……なにっ!?」


 しかし舞花は伸ばした手を引っ込めた。舞花で無くとも、どんな度胸にある人間でもそうしたであろう。触る対象が恐ろしかった訳では無い。それは……とても奇妙だった。


「消えて……ゆく」


 舞花の目の前で、赤いマフラーと黒いコートの男は見る間に色あせて行き、半透明になり、そしてクラゲのように向こう側が透き通って見える物体になったと感じた時にはもう何も無かった。

 ベートーベンが覆いかぶさって隠していたはずの有璃だけがそこに横たわっている。


「白昼夢? 幻覚か? それとも……やはり何かしらの立体映像と工夫(トリック)か?」


 舞花が窓ガラスに空いた弾丸の穴に触れてみると、それは紛れも無く実体だった。間違いなくガラスが物理的に穴を開けられている。そして、ピアノにも先ほど砕かれた損傷がそのまま残っているし、ずれたせいで床に刻まれた傷跡もはっきりと見える。


「……考えても無駄だな。私は兵士。目の前の敵と戦うだけだ。謎の解明が仕事ではない。……しかし」


 舞花は自分の手を見つめ、開いたり握ったりを繰り返してみる。


「なぜ先ほど私はすぐに逃げなかったのだ? そして、一体何をしようとした?」


 軽く頭を振り、舞花はため息と共に窓の外に視線を投げる。


「こんな不可解な行動をしていては、いつまで経っても内通者(スパイ)の疑惑は拭えないな……」


 舞花は自分に監視がついていると考えている。理由は、某国から連れ戻された舞花だが、それこそが某国の作戦だと考えても不思議が無いからだ。つまり、二重スパイ。疑われる事を寂しがりはしないが、それが行動の枷となる気がして舞花は早く払拭したかった。


「あれっ? ……ひょっとして私、舞花ちゃんに迷惑かけちゃった?」


 いつの間にか目を覚ましていた有璃は、体を起こしながら眼鏡の奥で目をぱちぱちとさせている。


「…………いや、まったくそんな事は無かった」


 舞花が手を差し出し、有璃がそれを掴んで立ち上がる。

 舞花はその時、有璃の手は暖かいなと、なぜか強く感じた。


有璃は、ピアノの位置がずれて少し壊れていたのも、窓ガラスの穴も、目覚めてすぐだったからか気が付かなかった。ベートーベンはと言うと、舞花が音楽室を出る前に確認した時にはいつものように写真の中でたたずんでいた。


 その後、靴箱で先に逃げ出していた女子達と合流し、有璃が怖さのあまり気絶した事で盛り上がりながら下校する。



 謎が残った事件であった……。音楽室にも、舞花の心にも。





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