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第21話 「遅い来るテイア人 3」



 日も傾いた頃、生徒達が借りたマス釣りの竿を大原と田之上は管理小屋に返却をしに来た。そして、用意されていた晩御飯となるバーベキューの食材を手分けして持って帰ろうとすると、受付の老人が帰り支度を始めた。


 大原は食材が乗った大皿を持ち上げると、老人に話しかけるr。


「もう小屋を閉められるんですか?」


「そうだよ。今日は他にお客さんがいないからね……」


 老人の妙に手早く戸締りをする様子に、いつもこのキャンプ場の客は少なく、それに慣れているのかなと大原は感じた。


「こんな良い所なのに、完全に穴場ですねっ! もっと宣伝してはどうですか? 例えばインターネットとかで」


 そこで、後ろ向きに窓の鍵を閉めていた老人の動きが一瞬止まった。


「せ……宣伝ね……。えっと、何かあったらすぐに伝えてある電話番号にかけてね。まあ、多分……大丈夫だと思うけど……」


「はぁ……?」


 老人は何やら歯切れが悪かった。大原は体調でも悪いのかと思ったのだが、彼の様子に敏感に反応したのは田之上だった。


「ちょ…ちょ…ちょ…ちょっと待って! 何か……あるんですか? こ…こっ…怖い訳じゃありませんけど……生徒達を預かっている身ですから、何か変なモノでもあるのなら……教えてもらいたいんですけど……。べっ…べつにお化けが怖い訳じゃないですけどねっ! お化けなんてホント、子供だましで……あっはっはぁ!」


 急に腰に手を当てて胸を張る田之上に、大原は少し距離をとり怪訝な顔をする。そんな中、老人は小声で話し出した。


「あんたら……噂を聞いて無いのかい? 地元のもんは信じておらんが、この辺りで……幽霊を見たと言う人間がいるんだよ……。その、いんたーねっととか言うパソコンの中では噂になっていると言う話だ。それを知って、肝試しに来た大学生アベックも行方不明になったとか……」


「ひぃぇぇぇぇぇぇ!」


 ムンクの叫びのように頬に手を添えて絶叫する田之上に、大原はさらに離れて顔をしかめた。


「まっ……まあ、どこぞの悪い奴が変な噂を広めたせいで、このキャンプ場は閑散たるもんだよ。迷惑な話だが、人の噂も七十五日と言う。すぐに元通りになると思うがの。さて、わしはこの辺で……」


 促された大原達がラップで包まれた大皿を二つずつ持って外へ出ると、老人は木戸に南京錠をかけてそそくさと帰って行った。


「……なるほど。それで安かったのか」


 つぶやきながらコテージへ戻る大原の後ろで、笑った膝で歩く田之上が震える声で言う。


「おおおおおお…おいっ! 大原先生! なんて変な所に連れて来てくれたんだっ!」


「田之上先生が勝手について来たくせに……」


 田之上の持っている皿は、ラップの中で食材がポップコーンのように縦に細かく跳ねている。今の彼はカラスが一声鳴けば、完全に腰を抜かしてへたり込むだろう。


「まあ、女性や子供達は怖がるといけないから、皆にはだまっていましょうね?」


「わわわわわ分かった……。お…女の人や…子供は…本当に怖がりだっ…だからなぁ! わはははは……」


 180センチを超える長身を持ち、普段からスポーツで体を鍛えている田之上だが、今はウサギよりも小動物らしかった。 


 ログハウスまでの帰り際、たった100メートル程の道のりだと言うのに、田之上の足取りは相変わらずおぼつかない。皿の上の食材が、右に左に寄って固まる。


「田之上先生、肉と野菜が混ざってビビンバみたいになりますよ」


「分かってるよっ! 山道が歩きにくいんだっ!」


 時刻は午後五時。真夏ならまだ日が落ちる時間ではないはずだが、この辺りは山の陰で薄暗くなりつつあった。とは言え、木々の隙間から差し込む夏場特有の強い光で、完全に暗くなるまで二時間はあると思われた。


「……んっ?」


「どっしぇぇぇぇぇ!」


 ログハウスまでの中間地点で大原が足を止めると、その横で田之上が奇声と共に皿を空に放り投げた。すぐに落ちてくるそれを大原は軽やかにキャッチし、田之上にまた渡す。震える手で受け取った田之上は口を尖らした。


「きゅっ……急に大声を上げるなよっ! 大原先生っ!」


「俺……大声でした? それより、あれ……」


「……ほぁっ……ほぁぁぁぁぁ……ほぁっ!」


 田之上は気功の達人のような声を発したが、別に何が出せると言う訳でも無く、あえて変化を上げるなら顔が青くなっているだけだった。


 大原が指差す場所、二人から30メートルほど先には河原にしゃがみ込んでいる長い黒髪の女性がいた。声は聞こえないが、誰かと話をしている様子にも見えた。


「おばっ…おばぇ…ぼばぁ…おばけっ……」


 幽霊のような物かと思い、カチカチと歯を鳴らす田之上だが、大原の方は当然テイア人を疑う。


「田之上先生、そこで待っていてください」


 大原は食材の乗った皿を左手で持ち、右手を自由にして河原の女性に近づく。いざとなればすぐにでも右足首に隠して取り付けてある銃を抜けるようにだ。


「何をしていらっしゃるんですか?」


 大原は、生徒の保護者相手にする時のように丁寧に話しかけた。こんな寂しい所で突然後ろから声をかけられたと言うのに、驚く風でも無く振り返った女性は大原の顔を見上げる。歳は大原や田之上と同じ二十代後半のようで、目鼻立ちのはっきりした美人だった。


「お姉さん、こんな所に一人でいるなんて危ないですよ」


「うわっ! 田之上先生! 瞬間移動っ?!」


 いつのまにか足音無く近づいて来た田之上が、眉をきりきりと上下させながら女性と大原の間に割り込んできた。


「あ……あの……」


 そこで女性は少し怖がったように見えた。寂しい場所で男性二人に囲まれたからか……、はたまた、田之上の奇怪な様子にびっくりしたからかもしれない。しかし、食材が乗った皿に気が付くと、すぐに落ち着きを取り戻したようだった。


「キャンプに……来られた方達でしたか……」


「ええ、子供達とね」


 大原が答えた瞬間、女性の顔は曇った。


「子供……。そうですか……」


 視線を下げた女性の左手に、大原は小さな花束があるのに気が付いた。しかもその中に、花束には珍しく向日葵の花がある。何かその花には特別な意味があるのではないかと大原は思った。


「……もしかして、お子さんがここで?」


「はい。六月の梅雨の時期、僅かに増水している程度だと油断していまして……気が付いた時には……もう……。あなた達のように、夏休みまでキャンプに来るのを待てば良かった……」


「それは……お気の毒に……。あっ、お供えするお花のフィルムに寄れががありますよ。そこ」


「えっ……? そうですか?」


 女性は良く分からなかったようだが、大原が指差す場所のフィルムを引っ張って伸ばした。もちろん寄れなど無く綺麗に包装されていたのだが、大原はその透明フィルムに付着する指紋を確認したかったのだ。そこには、人間だと言う証拠となる指の後がくっきりと付いていた。女性はテイア人では無かった。


 それから数分話をし、そろそろ暗くなるからと促して大原は女性を帰した。


 またコテージへの道に戻る二人だが、田之上の鼻息は先ほどと打って変わって荒くなっていた。


「いやぁ、美人だったなぁ。子供さんの件は可哀そうだったけど、早く元気を取り戻して欲しいよなっ!」


「まあそうですね。しかし、本当に田之上先生は分かりやすい人だな……」


「何がぁ? やっぱり大原先生もあの女性が俺を見る熱い眼差しに気が付いていたのか? しかし、彼女には旦那がいるしな。俺はやはり片瀬先生…うぉっほんっ!」


 その田之上の大きな咳払いに気が付き、腹を空かせた子供達はコテージの扉を開けて二人に飛びかかってきた。



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