第17話 「ティーチャー 大原辰巳 4」
非常階段を上がり、鉄の分厚い扉を開けて外へ出た。その日は特に強風では無かったが、さすがに五十階建ビルの屋上ともなると二人の髪がなびく風が吹いていた。
舞花が北西の方角に顔を向けると、目標の三都ホテルが積み木くらいの大きさに見下ろせた。
「確実に一キロはある。オリンピックのメダリストでも六百メートルで尻ごみをするはずだし、私も目標の眉間を確実に撃ち抜くにはその距離が限界だ。辰巳、何を考えている?」
前髪を押さえながら舞花が振り返ると、大原は屋上の縁の陰から油紙で包まれた物を拾い上げた。少し広げると、中からは銃身の長いライフルが覗く。もちろん屋上への扉の鍵を事前に開けていたのも、銃を用意したのも諜報部の仕事だ。日本国内の任務なら、情報入手や銃の調達などの細かい段取りは諜報部が行い、暗殺部の大原達は作戦立案及びその実行と、作業が分担されている。
「後は頼むぞ、舞花」
[ガァーン]
大原は立ったまま銃を構えると、三都ホテルに向かって一発の射撃を行った。狙いと実際に着弾したズレで微調整を行うためだ。それを確認した舞花は、ようやく大原が本気だと理解した。
「馬鹿な……。本当に一キロの遠距離射撃が……出来るのか?」
「世界には、二キロを超える狙撃を成功させた奴もいるぞ」
「そんな話……虚栄心からの虚言かと思っていたが……」
時間は丁度午後八時となっていた。多田議員がパーティー会場に現れる時間まで後三十分だ。
超遠距離射撃とあって、大原はコンクリートの縁に寝そべり伏せ撃ちの体勢に入る。そしてこれから三十分間、微動だにせずスコープを覗き続けなければいけない。もちろん、一時も集中を切らすこと無くだ。その間、完全に無防備となる大原のために舞花は観測手として周囲の警戒を行う。舞花の方も風の音に混じる不審な物音を聞き分けるために精神を尖らした。
◆ ◆ ◆
午後八時半を少し回った時、ホテルの前に強めのブレーキで止まる黒塗りの高級車があった。
屈強な体つきの男達にサンドイッチされるように車から出てきた恰幅の良い人物は、時計を一度見ると周りの男達を急かした。その様子から、若干スケジュールが押して予定の時刻を過ぎてしまったようだった。
四方向を囲まれた眼鏡をかけ髭を蓄えた男は、エレベーターに慌ただしく乗り込む。すぐにSPと思われる男の一人が目的の階への釦を押した。
「今日は大事な日なんだ」
警護されている男はそう呟いた後、上を見上げてエレベーターの表示階をじっと確認する。
エレベーター内液晶の数字が30で点滅し、すぐに扉が開いた。だが、出て行ったのは先頭の男だけだった。その男はフロアを見回しながら用心深く歩く。辺りに誰もいない事が確認できると、エレベーターに向かって目配せをした。すると、男を二人付き従えた眼鏡の男が腕時計を確認しながらようやく出てきた。『開く』の釦をエレベーター内で押し続けていた残りの男も慌てて続こうとする。
しかし、突然その眼鏡の男は腕時計を確認するには不自然に首を左に傾けた。そして、そのまま膝を突き、ゆっくりと体を床に倒した。右のこめかみに穴が開いており、簡単に即死だと伺える。
「た…多田議員!」
先に出ていた男一人と、遅れてエレベーターから出た男も集まり、計四人の男が多田議員と呼ばれた男を見下ろして愕然としていた。
「馬鹿な……。一人がエレベーターの釦を押した事で人壁の右に出来た一瞬の隙、それを狙ったと言うのか……」
男達は弾丸が飛んできたと思われる方向を見た。フロアにある五十センチ四方の嵌めごろしの窓、それに小さな穴が刻まれていた。
「防弾ガラスで囲まれた会場はすぐ目の前だったのに……くそっ!」
回転を始める世界の中で、男達は恨めしそうに窓ガラスの穴を見つめ続けていた。
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