第14話 「ティーチャー 大原辰巳 1」
賑やかな商店街から一本外れた路地で、立ち飲み屋の店主が開店の準備を進めていた。のれんを外に出すと、配達されたばかりの黄色いビールケースを両手で抱え上げ、開いていた戸から中に入ろうとする。
だが、勢い良く走ってきた男が彼を突き飛ばし、店主はビールをぶちまけながら店の中に転がった。
大声でわめく店主には目もくれず、その男はそのまま走り去る。少し遅れて、緩急をつけた軽い足音が男を追って行った。
[バスッ! バスッ!]
舞花の銃から放たれた弾は、男をかすめて壁にめり込んだ。
「ちっ! 速い!」
男を追って舞花も角を曲がる。小さな手に余る大きな拳銃を華麗に操り、舞花は男が身を隠した物陰に消音機付きの銃を向けた。
腕を地面に対して平行に伸ばし、銃の照準を舞花は油断無く合わせる。とその時、すぐ左手の灰色の壁から染み出てくるように現れる男がいた。
間一髪、飛びかかってくる男を舞花はバク転でかわす。しかし男は正面から距離を詰め、舞花の立ち上がり際を狙って右腕を振り上げた。それに対して、舞花は左腕を上げてガードを試みる。
(しまった! つい癖で!)
奴らの攻撃力は猛獣並みだ。厚い板を易々と割り、コンクリートにもヒビを入れる。舞花は熱心な訓練が逆効果に働き、『対人間』相手の格闘術を使ってしまっていた。
「――っ!」
左腕を諦めた舞花だったが、男の右腕は舞花の腕をすり抜けた。そして舞花の顔に迫るにつれ、男の拳は色味が強まる。狙いは舞花と同様、相手の頭部だった。
[ガキンッ!]
一瞬の猶予を与えられた舞花は、自分の頬に数センチと迫った男の右手首に、いつの間にか金属のナックルを装着した右拳を打ち込んだ。しかし、いくら鍛錬していても舞花は中学生の女の子、人外の力を持つ男の腕を弾き返す事は不可能だ。止まる事無く男の攻撃は舞花を襲うが、僅かにスピードが弱まった男の腕を舞花は体を仰け反らしてかわした。そしてそのまま後ろに手を付いてバク転し、その際にナックルの代わりに地面に落とした銃を拾う事も忘れない。
『次元合金ナックル』……やむ得ずに格闘戦をする場合に使われる武器。人差し指から小指までを通して握りこみ、第一関節から第二関節までを金属で覆う。主に攻撃に使用されるが、使い方によっては防具とする事も可能。弾丸と同じく位相変換された合金を使用しており、テイア人に対して接触攻撃できる。
舞花は防御用に左手にナックルをはめ直し、その上に銃を持った右腕を乗せる。十字に腕を構えた姿勢から舞花は引き金を引いた。
[バスッ! バスッ!]
男の攻撃をかわしてからここまでわずか一秒だった。舞花の放った二発の弾丸は、男の眉間と左胸に風穴を開けた。
舞花を残して路地裏の景色が回転をみせる中、彼女は地面に置いていた兎柄のトートバッグの汚れを払うとまた左肩にかけた。そして、何食わぬ顔でその中に拳銃とナックルを仕舞った。
そんな舞花の所に、正面から無駄に大きな足音を響かせて髪がぼさぼさな背広姿の男が走り寄ってきた。
「舞花! 何勝手にやっているんだ! 怪我するぞ!」
「辰巳。片瀬先生に後姿が似ていたからって、急に女性を追いかけて行ったのはお前の方だ。私は目的の場所を最短距離で歩き、標的を発見して撃破しただけだ」
ばつが悪そうに頭をぽりぽりと人差し指で掻いている大原に背を向け、十五歳の少女は騒がしい通りへ向けて凛とした姿で路地を歩いて行く。その後を、スーツのポケットに手を突っ込んだ成人男性がふてくされた様子で付いて行った。
「でも、まだ完全に位相変換はされてなかっただろ?」
「ああ。顔が何とか識別できるようになってきた程度の薄黒い男だった。噂通り、地縛霊と言う呼び方がぴったりだったな」
「地縛霊なんだよ舞花ちゃん。女の子なんだから、ちょっとは怖がりなさい」
大原が先生口調でたしなめるが、舞花はきっぱりと言い放つ。
「この世に霊や妖怪など存在しない。いるのは全てテイア人だ」
舞花は大通りに出ると、斜め前にあったアイスクリームショップに入った。大原は「こんな所は子供なんだから……」とため息を付きながら、自分が注文したのは舞花を上回る三段重ねにされたアイスだった。
舞花の言う通り、テイア人は太古から地球世界に紛れ込んできていた。それは鬼や悪魔、妖怪や幽霊などと過去の人々は表現した。
次元を超えてこちらの世界にやってきたテイア人は、最初からはっきりと体を保っている訳では無い。数週間、時には数か月かけてゆっくりと人の形を手に入れる。おそらく、精神だけをこちらの世界に送り、地球に来てから物質化を始めるからだと言われている。
その根拠として、テイア人は決して武器を携帯したままこちらの世界には現れないのだ。優れた科学力を持つと思われるテイア人だが、物質を次元の壁を越えて転送させる技術までには達していないらしい。こちらの世界での武器は入手できるが、とにかくレーザー銃の類の未来兵器を持たないのは、原始的な鉛の弾を火薬で飛ばす武器しか無い舞花達には助かる。
そして、位相変換を完了後の完全体となったテイア人がまた厄介である。その成体のテイア人は、人の記憶と姿を奪ってすり替わる事が出来るのだ。その際の奪い取りはかなり短時間ではないかと考えられているが、これも詳しい事は分からない。ただ、一度人間の姿を複製した後は、すぐさま別の人間へと器用に変わる事は出来ないらしい。
複製された人間の例としては用務員の菅原であり、成体になる前の例としてはベートーベンやバッハである。ベートーベン達がそうであったように、未成体は体が黒ずんで影のように見えるのが特徴である。
ちなみに、ここ最近のテイア人の出現例は東京都心に集中している。次元の壁を抜けやすい綻びがあるのではないかと推測されているが、やはり詳細は不明だ。人間側は分からない事だらけでかなり不利と言える。
三種類ものフレーバーを堪能している大原だったが、どうにも舞花が口にしているピンク色の味が気になるようだった。五秒間に六回も視線を送って来る大原に、舞花は煩わしそうに視線を向けた。すると、大原は目をまん丸くして犬のように鼻を鳴らす。
「舞花様、そのストロベリーアイスを食べてみたいなぁ……僕」
「三種の中で満足できるような選択が出来ない奴など、無能だ」
これ以上ないくらいの冷たさで断られたはずなのに、大原は腰をかがめて舞花のアイスに頬ずりできるほど顔を寄せてきた。
「私の物に手を出したら後悔することになるぞ」
コーンを持つ舞花の反対の手には、いつの間にかナックルが装着されていた。
「ちょっ……それで殴られたら、こっちの世界の人間も普通に痛いんだけど……」
「顎が砕かれる危険がある賭けをするには、得る物が少ないと思うぞ。それより、上司に報告を済ませておけ」
「あっ! そうだった!」
大原は手をぱちんと叩くと、スーツの胸ポケットから携帯電話を取り出した。二度ほど画面を押すと、それを耳に当てる。
「あ、紅茶専門店ダージリンさん? アールグレイとオレンジペコの味は上々でした~。ストロベリーアイスの味も……」
話しながら、大原は人差し指についたピンク色の物体を舐めとった。そして、満足そうに目を細めながら会話を続ける。
「……すごく美味しいです! いえいえ、こっちの話で…」
「ああっ! キサマっ! いつの間にっ!」
プロの兵士が監視をしていたと言うのに、舞花の大切なアイスにはくっきりと指ですくい取られた跡が付いていた。
尻を舞花に何度も蹴り上げられながら、ほんの十秒程の会話で大原は電話を切ってポケットに戻した。怒りの収まらない舞花だったが、大原にアイスが溶けるよと指摘されると、蹴るのを止めて一生懸命ほおばった。その後、ピンク色に塗った口を尖らすように大原に言う。
「しかし……その呼び名は何とかならないのか? どうして私がオレンジペコなのだ?」
「だって……可愛いだろ? ぴったりじゃないか? 先生がアールグレイってのはダージリンに問答無用で付けられたし。だから先生も、舞花の名前を付けてあげたんだよ」
「いや……だから、ちょっと可愛い過ぎるのだ。もっと勇ましい名前の方が……。例えば……エイブラムスとか……プルトニウムとか……」
何やら無骨な鉄の塊や、危険な物質の名前が舞花の口から飛び出すが、大原は首をゆっくりと横に振る。
「だーめだって。紅茶の名前って決まってるんだから。……言っておくが、そのセンスはダージリンが考えたんだからな。先生じゃないぞっ!」
「それなら言わせてもらうが、オレンジペコと言うのは紅茶の種類の事では無く、葉の等級名であって……、こらっ! 聞けっ!」
舞花の話を無視し、大原は街を歩く人に落ち着きなく視線を動かす。そんな子供っぽい大原に、聞こえるようにため息を付く舞花だった。




