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第13話 「もう一人の諜報員 8」



「さて、ここで俺の専門、理科の授業を始めようか」


大原は厳しい表情のままそう言い、立ち上がると黒板の前まで行った。


「問題。約46億年前に『月』が出来たと言われているが、どのように出来たのでしょうか?」


「ジャイアント・インパクトだ」

 

 舞花は即答をする。それを聞き、ようやく口を緩ませた大原は声を出さずに感心した顔をしてみせた。


「正解。地球に隕石が落ちてくる事はディープ・インパクト。それよりもっと大きい、惑星に惑星にぶつかるような衝突の事をジャイアント・インパクトと呼ぶ。その地球にぶつかったと言われる星の名前は知っているかな?」


 その質問には舞花も答えに詰まった。指を組んで一瞬うつむいた舞花だったが、思い出したように顔を上げる。


「確か……『Theia』と呼ばれて……。待てよ。テイア?」


 その時には、大原は黒板に丸を二つ書いていた。片方はもう片方の半分にも満たない大きさだった。


「それも正解。地球の半分ほどの直径のテイアと言う惑星がぶつかった。それほどの巨大質量の惑星が正面衝突してきたならば本来はどちらも砕け散るのだが、運よく斜め上にかすめるような角度でぶつかり地球は何とか存在を保った。そして、その際に砕け散ったお互いの破片が固まり月となった……と考えられているのがジャイアント・インパクト説だ」


 大原は、地球の進行方向を右に水平な矢印で表し、もう一つの惑星が進む方向も左斜め上への矢印で表し、黒板に二つの惑星がぶつかった軌道を描いた。


「さて、このテイアと言う星。これはどこへ行ったのかだ。完全に砕けて地球に吸収されたとも、衝突の勢いで宇宙の彼方へ飛び去ったとも言われている」


 大原は、黒板の丸を消して見たり、小さな丸に書き変えて野球ボールのように飛んでいく様子を漫画調の絵で描いたりをしている。


「しかしだ高田。実際は……」


 次に大原は、地球を現していた丸に重ねるように丸を書きこんだ。


「そこにあった。ここにあるんだ。分かるか? テイアはここ、地球と同じ座標に存在する。太陽系第三惑星だ」


 舞花はそう言われて、なぜか周りを見回してしまった。そして大原に首を傾げながら聞く。


「意味が分からない。私は宇宙に出た事は当然無いが、地球の隣に惑星があるなら肉眼で見えるはず…」


「違う! テイアはまったく地球と同じ所に、重なるように存在するんだ! ……少しずれた次元にな!」


 大原は少し声を荒げ、黒板に二重に書かれた丸を手で叩いた。


「……ま……まさか。位相の違い……」 


 新しい仮説を組み込み、舞花の明晰な頭脳がこれまでの事を解析する。


 そこにいるのにいないような敵。効かない舞花の銃。大原の銃に装填されていた言葉では説明できない特殊な弾丸。奴らを倒したならば、過去も未来も変移してしまうような、歴史を変える事に似た『次元修復』と呼ばれる現象。


「た……多次元宇宙と呼ばれるもの……か? しかしそんなサイエンスフィクションなど……」


 ここで普通の人ならば一笑に付しただろう。だが舞花は、この世で最も信頼している鉛の弾、それが効かなかった敵を目の当たりにしている。あれが幻覚で無かったとすれば、そのような物は絶対にありえない。つまり、ありえない物が存在すると言う事とは、ありえないの反対。それは……


「あれが……あの化け物が……テイア人? バッハ達だけでなく、菅原も?」


「そうだ」


 大原は黒板消しで綺麗に全て消してしまうと、大きな丸を一つだけ書いた。


「あちらの世界では、二つの惑星が衝突してばらばらになった方が地球だ。おそらく、月もあり、それは地球の破片で形成され46億年前に出来たのだろう」


「おそらく? だろう?」


 舞花が聞き返すと、大原は首を横に振った。


「ああ。こちらの科学力ではあちらの世界には行けないんだ。向こうの事は推測や、ほとんど根拠のない憶測になる。……話を続けるぞ。テイアと地球が衝突した際、莫大なエネルギーが発生した。核ミサイルはもちろん、地震などとも桁違いのものだ。それは、辺りの宇宙空間を揺るがし、次元境界線を破壊してもう一つの世界を作った。テイアが太陽系第三惑星として存在する宇宙をだ。いや、もしかすると俺達の方が別次元に放りだされたのかもしれない。まあ、どっちが本物かどうかは関係のない事だ」


 大原は黒板から一度舞花に視線を移し、舞花が頷いたのを確認して続ける。


「テイア人は次元の壁を乗り越える技術を持ち、いつ頃からか分らないのだが地球に来ている事が判明した。難民や亡命では無い。こちらに来て行う事は、犯罪やテロなどから始まり、官僚や企業のトップにいつの間にかすり替わって不可解な指令を出したりもしている。総合すると、どうやら地球人殲滅のための下準備と言う可能性が高い」


「菅原もそうだったのか?」


 それを聞くと大原は間を置き、深いため息をついてから言う。


「菅原さんは……実はいたんだ。ここの用務員さんだった。だが、テイア人にすり替わられ、始末されたと思われる。テイア人が関わった部分は全て次元修復時に削除される。つまり、テイア人に殺された菅原さんは、その存在した痕跡が次元と共に切り取られ、……最初から地球に存在しなかった事になった」


「有璃もあの時に殺されでもしていたら、出席名簿から名前が消えていたのか?」


「そうだ」


「…………。他には、テイア人を見たと言う記憶も教諭達や生徒達から消えて無くなったと言う事か。それならば、なぜ私やお前は?」


「俺達は体に特殊な物質を打ち込まれている。予防接種を受けただろ? あれだ。そして、その技術は武器にも生かされ、僅かに位相をずらした弾丸で奴らにダメージを与える事ができる」


「これか……」


 舞花は、机の上にあった大原の銃より抜き取った弾を指で押す。金色の弾はころんと横に転がった。


「そうだ。ほんの1%だけ存在をずらす技術で作られている。奴らへのダメージも通常の1%となるため、脳に直接撃ち込んで倒すのが効果的だ。同様の性格の物理法則を使い、テイア人達も時には体を実体化して攻撃を加えてくるようだ」


「テイア人が進軍してくる目的は何だ?」


「奴らを捕える事は容易ではない。例えば弾丸と同じ金属を使って拘束したとしても、体の一部を変形させて逃げられる。捕まえたとしても、エネルギー体である奴らに尋問は叶わない。こちらが出来る事は、姿を現している一瞬を狙って息の根を止める事だけだ。ちなみに、それで奴らが死ぬのかテイア星に帰るのかは分かっていない」


「防戦一方と言う事か」


「モグラ叩きに似ているな。……進攻の目的は推測だが、地球資源に目をつけたのかもしれない。テイア星は地球の半分程度の直径しか無く、球体の大きさが半分になれば質量は一割程度になる。目的は資源を奪い持ち帰る事、もしくは居座っての地球乗っ取り。それが最も有力な説だが、他には隕石やエネルギーの暴走などでテイアが汚染されたなど……上げればきりがない」


「……なるほど。まだ完全には信じられないが、私は兵士だ。考える事は仕事では無く、ただ上からの命令を遂行する。しかし、一つ教えてほしい」


「なんだ?」


「どうして……最初からそれを説明せず、私を一か月も放って置いたのだ?」


 その時、大原の目が少し柔らんだ。


「この学校にテイア人が出なければ、まだまだ放って置くつもりだったんだけどな。俺は、お前と同じ兵士でもあるが、先生でもあるからな」


「……? 今お前が言った事が一番難解だな」


 眉間にしわを寄せる舞花を大原は笑い、それを見た舞花は首を傾げた。それを、大原は更に笑うのであった。


 



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