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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

魔王を倒した勇者様

作者: 香坂 みや

私自身そんなに得意ではないので、全年齢で問題がない程度だと思いますが、一部に残酷な描写があります。

 彼女らしい、控えめなノックの音が聞こえる。

「ケイ様、お食事の準備が出来ました」

「…うん、分かった」

 あたしに割り振られた豪華な部屋の入り口の方から侍女のミリアが声をかけてくる。彼女の鈴の転がるような声もあたしの心には届かない。あたしはベッドに横になったまま、無意味に手のひらを握ったり開いたりを繰り返していた。どんなことにも、もう意味は無い。

「お体を起こしましょうか」

「ううん」

「ケイ様…」

 彼女の心配そうな声も、あたしの耳を素通りしていく。あたしはただ手のひらを見つめるだけ。

「少しは召し上がりませんと、お体に差し障りますわ」

 ふと気付くと、ミリアの美しいブロンドがあたしの目の前にあった。それを見てゆるゆると視線を上げると、ミリアと心配そうにあたしを見つめる目と目が合った。美しいのはブロンドの髪だけではなく、その容姿全てが美しい。彼女は国王の侍女の一人で、あたしがこの城に滞在している間はいつも世話をしてくれている。立派な家柄のお嬢様らしく、その立ち振る舞いもお手本になるほど綺麗だ。彼女を見ていると、あたしがいかに庶民なのか分かる。ミリアに何度も世話を断っているのに、彼女は勇者様に仕えられて幸せですと首を縦に振ることはなかった。

「…お腹が空いたら食べるから」

「もう三日前からそう仰って、ほとんど何も口にしていないではありませんか」

 そう言ったミリアのエメラルドの瞳からは涙が零れてしまいそうだった。それを見て、申し訳ないなと思う気持ちがある一方でどうしようもなく放って置いてほしいのが本音だった。

「ケイ様までお倒れになられたら、陛下も悲しまれます」

 ミリアのその言葉にあたしの心がカッと熱くなり、あたしは感情を止められなかった。

「死んだ人間が悲しめるわけないでしょ!レオンがここで泣いてくれるなら、いくらだって病気にでも何でもなるよ!」

 あたしが怒鳴りつけると、ミリアはびくりと体を揺らしてその大きな瞳であたしを見つめた。ミリアの表情を見て、はっと我に返って苦々しい気分になる。ミリアに当たっても仕方ないと分かっているのに、あたしは言葉を止められなかった。

「…ケイ様、申し訳ありませんでした。出すぎた言葉でした」

「…あたしも、ごめん、ミリアは心配してくれてるのに。ごはんそこに置いておいてもらっていいかな。

もう少ししたらちゃんと食べるから。だからちょっと一人にしてもらえる?」

 ミリアが頭を下げたのを見て、心の中で自分にため息を吐いた。自分の心も不安定すぎてやるせなかった。いつも誠心誠意仕えてくれて、あたしを支えてくれているミリアにこんなことを言ってしまうなんて。

「はい。承知致しました。外におりますので、何かありましたらいつでもお声をおかけ下さいませ」

「うん、ありがとう」

 あたしが僅かばかりの笑顔を見せると、ミリアは少しだけ安心したような顔を見せて頭を下げると部屋を出て行った。

 ミリアが部屋を出て行ったのを見つめて、ふうとため息を吐いた。彼女が持ってきてくれた食べ物へ視線を送るも、ほとんど食べる気がしなかった。でも、そう太ってもいなかったお腹周りが変わってきた気がするくらいなのでそろそろ食べなければいけないのであろう。

 レオンはあたしをこの国へ召還を命じた国王張本人であり、魔王を倒すためのパーティの一人。そして、あたしの最愛の人。一緒に過ごした時間は決して多いとは言えなかったけれど、身分や立場も関係なく傍にいるうちに恋人という関係になるまでに時間はかからなかった。初めは国民に受け入れられないのではと心配をしたものの、国を救うためにやってきた勇者とまだ独身の国王の恋物語は概ね好意的に受け入れられたようだった。

 元の世界へ残してきた家族への気持ちを断ち切って、このままこの国へ残ろうと決断していたのにそれは突然だった。ここ数日はようやく意識がはっきりする様になったけれど、それでも魔王を倒す前後のことはほとんど覚えていない。ただ、断片的に写真の様な記憶があるだけだ。最後に記憶しているレオンの姿は血に塗れ、あたしへ微笑んで息を引き取った瞬間だった。魔王をどうやって倒したのかも覚えていないけれど、国中で見かけられた魔獣が居なくなったということは魔王がいなくなったと見て正しいのだろう。


「この国に居る理由無くなっちゃったな…」


 ぽつりと呟いた言葉が広い部屋に消える。前にこの城に滞在していた時は、時間を作っては彼が逢いに来てくれたのに。彼が来てくれない部屋はただ冷たい。

 あたしがここに来た理由は魔王を倒すため。それが終わったら、国王であるレオンと結婚してこの国に残る予定だったけれど、その理由も無くなってしまった。

 あたしは体を起こすと、ベッドの傍のサイドテーブルから冷めたスープを口へ運ぶ。冷めてしまったとは言え、さすがお城お抱えのシェフが作るスープは優しくておいしい。ただ悲しんで、落ち込んでこのまま何も食べずに消えてしまいたかった。でも、あたしの体は必死に生きようとしているかのように、体に染み渡る。久しぶりに口に運ぶ料理がこれほどまでにおいしいなんて、レオンに申し訳なかった。

 あたしはあなたを悲しんで死ぬことはできないのだと体に言われている気がした。なんて薄情な恋人なのだろうか。

「…レオン、ごめんね」

 そう謝っても、きっと彼は優しく微笑んで許してくれるのだろう。

『ケイ、何を謝ってるんだ?』

 ふいに優しく微笑む彼の姿が目に浮かんで涙が零れそうになる。まだ彼はあたしの心の中に居て、笑い方や声までもはっきりと覚えている。けれど、子どもの頃に亡くなったおばあちゃんの時の様に、いつかは笑い方や声まで思い出せなくなってしまうのだろう。そう思うと辛かった。あたしはまだこの悲しみの中に身を置いていたかった。

 その時、またドアをノックする音が聞こえて目尻の雫を人差し指で拭いながら声を返す。ミリアが食器を片付けに来たのだろうと見当をつけながら、ドアを見ると予想外の人が居て思わず口を閉じた。

「ミリア、ごめん。全部食べられなかった――」

「…悪い。俺の顔は見たくないだろうと思ったが、ケイに話を聞きたくて」

 バツが悪そうに顔を歪めるのは、レオンと全く同じ顔のパーツを持った彼の双子の弟であるデュークだった。レオンと違うのはレオンが性格とは反対に私の髪に似た漆黒のような色の瞳だが、デュークのそれは輝く金の瞳をしていることだろうか。

「…いいえ。気にしないで下さい、デューク様。私もそろそろ話さなければと思っていたところです。こんな格好で失礼します」

 デュークはあたしの言葉に静かに頷いて、傍にある椅子に腰をかけた。デュークの顔を見た瞬間は彼と同じ顔に嬉しく感じる気持ちもあったけれど、それは一瞬のこと。見れば見るほど彼とデュークの違いに気付いて気持ちが陰る。そういえば、レオンが笑うと僅かに目尻に皺が出来ていた。あたしは上掛けを自身の方へ引き寄せて、ごまかすように笑みを作った。

「いや、いい。楽にしていてくれ。…その、なんだ。…ああ」

 そう言ったきり、デュークは口を閉じたり開けたりと何となく話しずらそうにしている。明るく朗らか

なレオンと違い、デュークは物静かで口数も少ない。しかし何も言わないわけではなく、言いたいことははっきり言う性格であったし、こんなデュークは何だか少しおかしかった。

 そんなデュークを見て、きっとレオンの最後のことが聞きたいのだろうと思った。あたしはあの前後は錯乱状態でほとんど話せる状態ではなかったし、きっとデュークも気を使ってくれているのだろう。血の繋がった兄弟であり、さらに王族にしては珍しく仲の良い兄弟だった。彼の最後を知りたいと思うのは当然だろう。

「ごめんなさい。本当はレオンの最後を看取った私がきちんと話をしなくてはいけないのに。ほとんど覚えてなくて。きっと落ち着いたら思い出すと思います」

「…覚えていない、のか?」

 あたしの言葉にデュークは驚いたように目を見開いた。あたしはそれに申し訳ない気持ちになった俯いた。

「…はい」

「そうか。それならば、それで良いのかもしれない。そのまま忘れるのが幸せだろう」

「え?」

 デュークの言葉に信じられないと顔を上げた。すると、デュークは安心したような顔で笑って、あたしに向けて手をかざした。その手のひらには魔力の集まりを感じる。あたしは嫌な予感にびくりと体を揺らして、嫌だと頭を振るが魔力はどんどん高まってどんどん魔方陣が構成されていく。

「ケイ、忘れろ」

 デュークの瞳がまっすぐあたしを見ていたことで、あたしは彼が本気だと分かった。しばらくほとんど食べていないおかげで体には力が入らない。だけど、あたしはそこでじっとしているわけにはいかなかった。

 確かに彼の言うとおり、全て忘れてしまえれば楽だろう。レオンのことを忘れ、また日常に戻る。だけど――。

「私、レオンのこと忘れたくないんです!」

 そう言い放ったあたしは掛けていた上掛けをデュークに被せるように投げ、近くの窓を開けてバルコニーへ出る。体は依然としてふらつくが、あと少しだけなら持つだろう。

「――ケイ!」

「今までお世話になりました」

 デュークに向かって笑いかけると、バルコニーから体を投げる。そして、首にかけていたペンダントをぎゅっと握り締めた。

 そして、魔王に挑む前にレオンに聞いた呪文を口に出す。


「―――」


 さよなら、あなたが居た世界。



「んっ…」

 ゆっくり瞼を開けると、そこは数ヶ月前まで見慣れた自分の部屋だった。お城のふかふかで体が沈みそうになるベッドとは違い、それなりの弾力のベッドはむしろ固いとさえ感じるくらいだ。その感触にこれが現実だと思い知らされるようだった。

 レオンが最後の最後に教えてくれたのは、この世界への帰り方だった。あたしをあの世界に召還したのはレオンその人で、彼にしか帰し方は分からない。けれど、絶対に離れたくないと言っていた彼がこの呪文を教えてくれたのには何か思うところがあったのだろうか。


『ケイ。今まで教えられなかったけど、今なら言える。君の世界への帰り方を一度だけ言うからしっかり聞いて』


 そう言って優しく笑ったレオン。今思えば、彼は自分が死ななければならないことを初めから分かっていたのだろう。

 そしてあたしが覚えたことを確認すると、彼は急に顔を歪めた。

「レオン!?どうしたの、苦しい?」

 レオンは胸を押さえて苦しそうに顔を歪め、その場にしゃがみ込んだ。旅に出ている時も時々苦しそうに胸を押さえていることがあったが、こんなに苦しそうにしているのは初めてだった。ここに辿り着くまでにも何度も医者の所に行った方が良いと言ったのに、レオンは決して頷くことはなかった。

「…どうやら、もう限界、みたいだ」

「え?」

「僕から離れろ――」

 ドンッと強い力で押されて、あたしはレオンから離れて転がった。加減はしたのだろうが、普段とは違う様子への戸惑いと驚きですぐに起き上がることは出来なかった。

 そして、次に目を開けた瞬間。そこに居たのはレオンであって、レオンではなかった。


「…レオン、なの?」


 恐る恐る口に出した言葉に、それが急に現実を知らしめる。

 目の前の男から発せられる存在感、真っ黒で禍々しい魔力、そして圧倒的な強さを感じる。傍にいるだけで肌は鳥肌が立ち、びりびりと毛が逆立ちそうだ。金の色だった髪は黒く染まり、瞳は紅に変わり、さらにこめかみの辺りからはぐるりと渦を巻いた角が生えている。でも、顔は優しかったレオンのままだった。

「…うん。ごめんね、ケイ。僕を殺して?」

 レオンはまるで懇願するかのような表情だった。

「嘘、でしょ」

 あたしの口はカラカラに乾いて、その言葉すら上手く紡げない。

「お願い。魔王を殺すのは勇者の君にしか出来ないんだ」

 確かに、この世界の住人は魔王を殺すことは出来ない。魔王は神にも等しく、その生死に人が関わることは許されない理なのだそうだ。だから、あたしがこの世界へ呼ばれた。神殺しの剣も与えられ、その使命を果たすために。この世界の人々を魔獣たちや天変地異の恐怖から救うために。

「でも、あなたは――レオンでしょう?」

「僕はレオンだよ。そして魔王なんだ。僕が君をこの世界へ召還できたのも、魔王である証拠だよ。この

世界では僕の他は誰もそんなことは出来ない。魔王が神に等しいと言われる所以は異世界から召還を行えるからなんだよ」

 レオンは哀しそうに笑った。誰よりもこの世界を愛していたレオン。自分が守らなければならない住民へ恐怖を与える魔王を誰よりも怒っていた。そして、美しい世界を守りたいと願っていた人。

「な、んで」

 何故、あなたが魔王なのと続けたかったのに言葉が出なかった。けれど、レオンには意味がしっかり通じていたようで口を開いた。

「――王族の双子は忌むべき存在。そう言い伝えがある。けれど、今では古い口伝にしか過ぎないって王族の誰もが思っていた。だって、その理由が残されているものが何もないんだ。けれど、残されていないのにも理由があった。それもそのはず、双子の片割れは世界を壊す魔王になる呪いがかかっていたんだよ」

「呪い?」

「ああ。詳しいことは記録に残っていないけど。大昔に、王に捨てられた魔女がその魂を輪廻転生の輪から外してまでかけた呪い。呪われた王は人を愛すると魔王となる。そして愛する人に殺されるか、世界を壊すかどちらかを選ばせる」

 そう言って、レオンは自嘲気味に笑った。

「でも、あたしとレオンはこの世界に来て初めて会ったじゃない。それなのに、必ずしも愛せるとは限らないんじゃないの」

 震える声でレオンに問いただす。そう、あたしとレオンはこの世界に来て初めて出会った。召還の間で初めて会ったあなたはとても美しくて、女のあたしは恥ずかしさで顔を真っ赤に染めたのを覚えている。

 それが初めての出会い、でしょう?

「初めてじゃない。僕は子どもの頃から君を知っていた。いつか僕に会いに来てくれる君を。夢の世界でいつも君を見ていたよ。初めはただの不思議な夢だった。僕とそう変わらない年頃の女の子が日常を健やかに送る夢。王族の生活とはかけ離れているだけではなく、世界すらも違う。初めはそう頻繁に見る夢ではなかったけれど、年を重ねる事に夢を見る頻度が増えていった。そして、早く君に会いたいと自覚する頃には君を愛していたよ」

 レオンはいつもの優しい笑顔で笑ったが、すぐに笑顔が陰る。

「君を恋しいと思えば思うほどに段々と増える、魔の気配と己の意思に反する破壊衝動。物心がつく頃には、自分がいつか魔王になってしまうのだと分かっていた」

「…そんな…!」

「それは両親にも言えなかった。弟だけには気付かれてしまったけれどね。もちろん、そんな身の上だから王になることは弟に譲ろうと思っていた。デュークはそんなことさせてくれなかったけれど、今思えばそのおかげでケイを召還することができたのだから幸運だったね」

「レオン…いや、あたし、できない…っ」

「お願いだよ。ケイ、僕を殺してくれ。僕はこの世界を壊したくないんだ」

 レオンは目尻に雫を溜めて、あたしを見た。

 きっと今も怖いはずだ。自身が死ぬことも、自身の手で愛する世界を破壊してしまうことが。

 あたしはぐっと息を呑んで強く瞼を閉じた。そして、一呼吸置いて瞳を開けてレオンを見た。レオンは辛そうな顔であたしを見つめたままだ。

 まるでゆっくりとそうすれば時間なんて経たないかのようにゆるゆると、右手を左の腰に掛けてある剣へと伸ばす。神殺しの名を持つその剣は名前のように仰々しいものではなく、女であるあたしの手にもすっぽり納まるくらいに軽くて手に馴染む。持ち主によって姿を変える神剣なのだと手に入れた際に聞いた。

 そして、一息吐いてそれを抜いた。

「――今まで辛かったでしょう。…あたしが、楽にしてあげる」

 その言葉と同時に剣がレオンを貫いた。

 この神剣は魔に属するものしか切れないとされる剣。これが彼を貫いたのであれば、彼は紛れも無く魔王であるということに他ならなかった。そして、魔王が居なくなったことを示すかのように辺りから魔の気配が薄まって清廉な空気へと変わっていく。

「っケイ、…あ、りがとう」

 ほっと安心したかのような笑みで安らかに笑ったレオンの口元からは溢れるように鮮血が流れている。その体から剣を抜くと、崩れ落ちる体を抱きしめた。彼の腹からは真紅の血が流れ、その血であたしの身体も同じ色に染まる。彼の体は魔を打ち払ったかのように元のレオンの体へ戻っていた。

 囮になって、あたしたちを先に行かせてくれたパーティの仲間が魔王との決戦場に辿り着いたのはその時だった。


「こんなっ、こんなのって無いよ…!」


 あたしの言葉に返してくれる優しい人はもう居ない。

 最後に口づけをした唇は僅かな温かさと血の味だった。


 そこまで思い出して瞳を開けると視界に飛び込んできたのは懐かしい狭いアパートの天井だった。部屋の隅にある染みに夜中目を覚まして怯えたことすら今では懐かしく思えた。

「そっか。レオンを殺したのはあたしなんだね」

 ぽつりと漏らした言葉に涙が流れるのが分かった。ベッドに横になったまま流れ続ける涙を止めることもできず、拭うこともしなかった。ただ悲しみと絶望の世界に身を置いていた。

 側に置いてあった携帯電話で確認するとあたしがあの世界に旅立った日から不思議と時間は経っていなかった。それがあの現実だったはずの世界の存在をさらに霞の世界のように感じさせた。

 あの世界から自分の世界へ帰ってきて三ヶ月経った。さすがに三ヶ月も経つと涙は枯れ果て、元の世界へ心が慣れていくのが分かった。むしろ、あれは悪夢だったんだと思い込むことであたしは心を保っていた。戻ってきた最初の一週間は再び大学に通うこともできなかったけれど、心配して支えてくれた友だちのおかげで大学にも通えるようになった。

蛍子(けいこ)、おはよう!」

「優衣、おはよ。どうしたの、何かあった?」

 講義室に入るといつもの真ん中の列の定位置で友人たちが集まって黄色い声を上げていた。あたしはさりげなくその輪に入ると、一番後ろから一つ前の端の席に座る。そしてグループの中でも一番仲のいい優衣に声をかけた。優衣はあたしが大学に通えなかった一週間の間に何度もアパートまで来てくれた。彼女のおかげで今があると言ってもおかしくないだろう。

「うちのクラスに留学生が来るみたい」

「ほんとに?」

「うん。ほんとほんと!さっき山城先生に聞いたもん」

 今は9月。まだ後期が始まったばかりで時期的にはちょっと変だけど、ありえない話でもないように思えた。でも、変なのと首を傾げたあたしに姉御肌でリーダー的存在の恵美が肯定した。

 山城先生はあたしたちの学科の担当教諭で准教授だ。四十代のおじさんだけれど、丸いシルエットと穏やかな人柄であたしたちのグループではかわいいと評判だ。

「はい、授業始めるぞー。で、ほら。オルブライト君、入って」

 山城先生の声に導かれて講義室に入って来た姿に女子からは歓声が上がった。けれど、あたしは声を発することもできずただ二人の間の時間が止まるのが分かった。

「レオン・オルブライトです。よろしくお願いします」

「みんなよろしくなー。それじゃ、オルブライト君は適当な席に座って」

「はい」

 そう言って歩いている姿はまさにレオンだった。彼の髪はブロンドに輝く金の髪ではなく、魔王であった姿を留めるかのように黒の色へと変わっている。しかし、瞳の色は見覚えのある以前と同じ黒であることがあたしの胸を安心させた。

 もちろん彼はあの世界の王族が着るような服ではない。シンプルな白のシャツにジーンズ、それにストールを首に巻いている。だけど背筋はまっすぐで、歩き方一つで彼が普通の男の子ではないことが分かる。彼は迷いも無く、あたしが居る隣の列の一番後ろの席に座った。通り過ぎる一瞬だけあたしに視線を寄越して。

 当然のように授業の内容はあたしの頭の中に入って来なかった。斜め後ろに彼が居ると思うだけで落ち着かない。振り向かなくても彼の視線があたしの背中に突き刺さっていることは分かっていたけれど、彼を振り向くことはできなかった。

 彼がもし彼ならばと期待ばかりが心を駆け巡った。そして長い授業は終わり、彼に話しかけようか悩んでいると優衣が楽しそうに話しかけてくる。

「蛍子、すごいかっこいい人だね!」

「…うん。優衣、あの――」

「ケイ、だよね?」

 自分にかかった影に顔を上げると、そこに立っているのはレオンだ。彼は少しだけ緊張した様子だが、いつもの優しい笑みを浮かべてあたしをじっと見ている。

「――っ」

「えっ、何!知り合いなの!?」

 あたしはレオンを見たまま声を出すことができずに混乱の中にいたが、あたしの代わりに優衣が驚いたように声を上げている。

「ケイの友人なんですよね?」

「はい!どこでお知り合いになったんですかー?もう、蛍子ってば言ってくれればいいのに!」

「ごめんなさい。ケイのこと借ります」

「えっ、レオン!?」

 そう言って彼の手はあたしの手を掴んで講義室から飛び出した。背後からは同級生たちの驚いた声が届いていたけれど、レオンはそんなこともおかまいなしに楽しげに口角を上げるだけ。

 彼になすがままになっていたあたしも彼の手をぎゅっと握り返して、彼が進むままに着いていく。もう二度と離れたくないから。

召還した国王が魔王の設定のお話が書きたくて。

ネタ自体はずっと温めていたものなので少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。


しかし短編って難しい…!

終わり方に悩んでいたら半年ほどかかってしまいました。

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