第五話
第三話、【奇物】の大黒柱を【奇持】の大黒柱、に改訂しました。
よお、化物。
僕にとっては慣れ、いっそ親しんだとも言える言葉であったのだが、綾文さんにとってはそうでないことは一目瞭然だった。
化物。
そのたった一言で、綾文さんは精神的に追い詰められてしまったのだ。
指が食い込むほど自分の体をかき抱き、身を竦めて、歯をガチガチ鳴らして、まるで寒さに凍えているようにも見える。
「終わったのに・・・終わったのに・・・」
ぶつぶつと呟いて、その目は今を見ていない。
そんな綾文さんの様子を見て、男は汚物にでもそうするように視線を外した。外した先で、僕と合った。
「お前も化物か」
「化物だなんてひどいたあ、繊細な僕が傷付いちゃうぜ? いきなり喧嘩腰だなんて随分な応対だけどカルシウムが足りてないんじゃない?」
「ああ? そういうお前だって喧嘩売ってんじゃねえのか?」
「やだなあそんなことするわけないだろう。この僕がさ、なんでそんな一昔前の不良みたいな真似しなくちゃいけないのさ。出会い頭に因縁つけて喧嘩売るとか頭どうかしてるとしか思えないよね。昭和中期で止まってるんじゃない?」
ね? と同意を求めてみたけれど、男は怒っているし綾文さんは震えているしで同意は得られなかった。
「この・・・!」
やれやれと肩を竦める僕が気に入らないらしい男は声を荒げよいとしたが、すぐにそれを止めてニヤリと笑って、
「俺を怒らせて矛先を変えて、その化物を庇おうってのか? 涙ぐましいね化物の馴れ合いってのは」
だなどと、得意げに言った。
僕はさも驚いたと柏手を打って大袈裟にのけ反る。
「そうだったのか! 我が身を呈してまで友達を助けようだなんて、僕はなんて優しく思いやりに溢れた男なんだ今の今まで知りもしなかったよ」
僕の態度がいちいち気に障るらしい男は舌打ちひとつ、まだ震えている綾文さんに向き直った。
「そっちの男なんてどうでもいいんだよ。俺が用があんのはお前だ、化物」
僕を無視して綾文さんを見据え、男はさっきまでとは別種の怒りを露にした。
「ここらに出てる通り魔って、お前だろ」
「・・・っ!」
決定的とも言える男の言葉に、綾文さんは愕然と顔を上げた。男は答えを待ち、綾文さんは何も言えず、車内は走行音だけが満ちている。
「・・・やられた女子高生、中学のときお前をイジメてた奴らじゃねえか。仕返しかなんかのつもりだったのかよ!?」
いるよねこういうの。
自分がする分には構いやしないけど自分がやられるのは想像もしていない我が儘な子供みたいな奴。勝手に自分を格上だと思い込むから、やり返されるのが気に食わないんだよね。そんな器の小ささでよく人類として生きて行こうと思ったものだよ。
僕は心中で男を嘲りながら、男と綾文さんの間に体を割り込ませた。男がまたも舌打ちする。僕はそれを無視する。
「察するに、君はその被害者ちゃんの誰かと懇意だったんだね? 恋人とか片恋とか? まあそんなのどうでもいいんだけどさ、一体何をもって綾文さんを、僕の友達を断罪しているのかな? 証拠とか根拠とか明証とか確証とか事実とか真実とか、しっかりしたものを提示してほしいものだね。被害者ちゃんが証言でもしてくれたのかい?」
「あいつは意識不明で眠ってる!」
僕の不用意な一言が逆鱗の隣くらいに触ったらしい。男は今までで一番の大声を出した。おいおい、忘れてるかもしれないけどここってバスの中だぜ? 公共の場だぜ? もう少し落ち着けって。
「意識不明じゃ証言は取れないよね。それともあれかな、凶器から指紋でも取れた? もしそうなら中々に決定打だよね。ああでもその場合、仮にそうだったとしても、君がそれを知っているはずがないか。警察が教えてくれるわけがないものね、こんな直情型の行動派じゃ、見込みの暴走なんかもありえちゃうし。今みたいに。しかしそうするとなんだね、やっぱり君はただの思い込みで僕の友達を犯人扱いしてるんだね? いやいや、いやいやいや、いやいやいやいや、それはちょっと看過できはいな。犯人が誰で、どこをなにでどんなふうに何発どうしたのかなんて知らないけどさ、綾文さんが犯人ってのは難しいと思うなあ。だって綾文さん、こんなに腕が細いんだぜ? 肌が白いんだぜ? 白魚のような、なんて綾文さんのためにあるような言葉だぜ? そりゃまあやりようによってはできるかもしれないけどさ。参考までに教えてないかな。被害者ちゃんは、どこをなにでどんなふうに何発どうされたのか、なんにも知らない僕に教えておくれよ」
「・・・・・・・」
「教えてよ」
「・・・そこに転がってた石を使って、上から頭を一発・・・・」
「石を振りかぶって一発、か・・・」
僕は顎に手を当てて、ううむ、と唸った。もっそもらしく考えている素振りを見せて、ポンと手を打って答える。
「やっぱり綾文さんには無理だよ。その石の詳しいサイズなんて知らないけど、あまり小さいとダメージにならないしあまり大きいとそもそも持ち上げられないじゃないか。やっぱり綾文さんの細腕じゃ無理だよ」
そう結論づけた。確証検証実証、なにもありやしない、僕がこの男をあしらうだけの暴論だ。
さっきから強調している"細腕"という言葉に、男は目論見通り食いついた。
「細腕だなんだって、そこの化物は、化物らしい気持ちの悪い能力があんだろうが!」
譫言を止めて僕の反証を聞いていた綾文さんの肩が大きく跳ねた。男は最初からそこに重きを置いている。論旨を意図的にずらしては来たが、やはり本人にとっての最重要事項を取り沙汰しないわけにはいかないようだ。
そもそも、超能力者である、という一事だけで疑われるのは、まあ仕方のないことなのだから。
僕はやれやれと、またも大仰に肩を竦めてため息とともに首を振った。
「なにかと思えば能力だって? それならさっきから僕が言っている"細腕"で解消できるレベルの問題点じゃないか」
綾文さんの能力は念動力。しかも自分の筋力に依存する程度で、自分が持ち上げられないものは持ち上げられない。
実際にこの説明が正しいかはわからない。もしかしたら綾文さんが嘘を吐いているかもしれない。
だが、ことの真偽や正誤なんてどうでもいい。大切なのは、僕が綾文さんにそう説明されたという一点。
仮に綾文さんがこの男に、ひいては中学時代の同輩に別の説明をしていようと、そんなことは関係がないのだ。僕が綾文さんにしてもらった説明を元に、僕が綾文さんを庇う。これが大事。
だってほら、そうすると僕がいい人に見えるだろう?
「綾文さんの能力は念動力。なるほど確かに姿を見られず人を襲撃するには適した能力だよでもね。綾文さんの能力は本人の筋力に由来しちまってるんだぜ? それがどういうことか解るかい? つまり、綾文さん本人に出来ないことは、能力を使ってもできないんだよ」みたいな趣旨のことをベラベラと、いかにももっともらしくまくし立てる。もちろん大した意味は込めていない。ここでの論争はついさっき終えたものの焼き直しだからだ。
化物でない、いわゆる善良な市民の多くにみられるように、やはりこの男も例には漏れない。化物に対等に接せられると簡単に語気を荒げる。
「お前ら化物なんてのは、それだけで迫害されて当然なんだよ!!」
自分より格下だと思う相手に対等を気取られるのは、普通に見下されるように腹が立つことだろう。小馬鹿にされたのに腹を立てたのかもしれない。大馬鹿野郎を小馬鹿にするに留めているんだから、むしろ僕の謙虚さを称えてほしいものだよ。
男は先のくだらない大声で気を高ぶらせ、肩で息をしている。僕はその彼を拍手で称えた。
「いやはや、その化物を相手に向かい合って正面きってそう言えるなんてのは、中々できることじゃないよ。感心するね」
僕としてはもう少しここで会話を楽しむのも吝かじゃないのだけど、しかし如何せん、もうじき綾文さんが降りるバス停だ。手短に済ませよう。
「がっ・・・・こぉ・・・・・!?」
僕が何をするでもなく、男は突然目を見開いて喉元を抑えた。口を大きく開けて喘ぐように呻き、後は声もなく苦しみだした。
「ほんとに、感心する。化物が化物たる由縁、超能力を持っている『僕たち』相手に裸一貫で向き合って、堂々と罵倒するだなんて、無謀とも言える勇敢さだね」
その言葉でようやく、僕がなにかをしたらしいと悟った男は苦しさに戸惑いながらも僕に掴みかかってきた。本来体育会系である男に胸ぐらを掴まれ、しかし僕はなんなくその拘束を逃れた。
体格も筋密度も僕より勝る相手であるが、しかし興奮状態で酸欠も付与されては大して力を込められるはずもない。男はすぐに床に倒れ込み、喉を引っ掻くように苦しみはじめた。
「空気を喉に詰まらせるのは初めてかい?」
這いつくばって芋虫のようにうねる男を見下しつつ、僕は綾文さんを伴ってバスを降りた。最後まで何も言わなかった運転手だったが、最後に「なんとかしてけ」と呟いた。僕がなんとかするまでもない。どうせすぐに起き出すさ。
僕と綾文さんが降りてすぐバスは停留所を出て、窓を開けた男が罵声を飛ばすのが聞こえてきた。当然の如く聞き流す。聞き苦しい、聞くに耐えない稚拙な罵倒だった。
「綾文さん、大丈夫?」
ここに至って、僕はようやく綾文さんに声をかけた。手酷くイジメを受けていたらしい綾文さんは、トラウマのわかりやすい対象がいなくなったことで大分平静を取り戻していた。
「うん、大丈夫・・・。ありがとう。さっきのが七五三くんの能力? 空気を・・・喉に詰まらせるのが?」
「どれだけ局地的な能力だいそれは。限定的な能力だってないわけじゃないみたいだけど僕はその類じゃないよ」
ここで言葉を切ってしまうと、「じゃあどういう能力なの?」という言葉がやって来るのは火を見るよりも明らかなのですぐに続ける。
「そんなことより、さ。ちょっと落ち着けるところにでも行こうよ。コーヒーくらいなら奢れるぜ?」
動揺が足取りに滲む綾文さんの歩調に合わせながら、僕はゆっくりと歩きだした。近くに公園でもあればいいのだけれど。
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