第四話
僕はお弁当を用意していないのでお昼は学食で食べることになる。
購買で買うか学食で食べるかの二択が、お弁当を持たない生徒の二択だが、この二択なら僕は温かいご飯がいい。
ということで僕は券売機でざるそばの券を書い、注文を済ませざるそばを受け取りテーブルについた。綾文さんも同じテーブルで、彼女は持参したお弁当を広げている。
なんとも彩り鮮やかで、黄色い玉子焼きがめちゃくちゃ美味しそうだ。
「そのお弁当、綾文さんが作ってるの? 玉子焼きとか」
「ううん。お母さんが作ってくれてる」
「へえ、それはいいね。お弁当って結構手間のかかるものだしさ。玉子焼きなんて上手く作れた試しがないよ」
「お弁当作ったことあるの?」
「ああいけない、作れた試しどころか作ろうと試みた試しがなかったよ。玉子焼きは食べる専門だった」
「ふーん」
「綾文さんのお母さんは料理上手なんだね。その玉子焼きとかすっごく美味しそうだよ」
「うん、美味しいよ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
違いに一歩もゆずらない。幸い僕のお昼はざるそば。時間が経っても延びないし当然冷めることもない。表面が渇いて固くなってしまうかもしれないけど、学食の流水麺にそこまで味を求めたりしない。
持久戦になれば条件は五角。口先で押し切れる・・・!
しかし僕は、その見通しが砂糖たっぷりの玉子焼きの如く甘いということを、すぐに思い知ることになる。
「・・・ぱくっ」
「なにぃ・・・!?」
なんと、綾文さんは勝者に与えられる景品であるべき玉子焼きを、食べてしまったのだ。
考えてみれば当たり前。綾文さんのお弁当箱の中にある綾文さんのお昼ご飯があの玉子焼きなのだから綾文さんが食べるのは当然。自明の理。
なんという愚鈍、なんという愚劣。
戦況ははじめから綾文さんに圧倒的に有利だったというのに、僕はそのことに気付いていなかったのだ。
美味しそうな玉子焼きが僕から冷静な判断力を奪ってしまった。
今、玉子焼きは綾文さんの口の中でグチャグチャに噛み砕かれ唾液と混ざり合い、紅い舌で舐めとられて粘膜で被われた咽頭を経て胃へ落とされることだろう。羨ましい。
しかし、僕はまだ諦めない。
玉子焼きはまだあと二つを残している。この二つのうち、ひとつを手にすれば僕は僕の勝利を得ることになるのだ。玉子焼きを食べる。今この場にこれ以上の勝利など存在しえない。
「ぱくっ」
残る玉子焼きはあとひとつ。綾文さんめ、僕が狙っていることを知っていながら早々に玉子焼きを片付けるつもりのようだ。これは悠長に構えている場合ではない。
もう、手段は選ばない。
「玉子焼きを僕にください」
「最初からそう言えばいいのに」
全くだ。僕は自分の甘さと玉子焼きの甘さを同時に噛み締めたのだった。正直者こそ得をするという、これが好例なのだろう。
●
僕がざるそばを啜り、綾文さんがお弁当を食べる。
午前中の授業のこととか、昨夜のテレビのこととか、今朝の占いのこととか、午後の授業のこととか。時系列を無視した、順序立ても論理立てもないお手本のような雑談をしながら食事を続けた。
学食のざるそばは期待通りの味で、玉子焼きを最後に取っておけばよかったと後悔した。せめて天ざるにすればよかった。
「僕前世は未使用の割り箸だった気がする!」
意味と意義が行方不明になってしまった奇怪な言葉とともに食堂に入ってきたのは、言わずもがな全哉先輩だった。やはり鬼先輩も一緒にいる。今から食事らしい。
僕は音もなく椅子を動かし綾文さんの影に隠れた。先輩方が座ったのは食堂のほぼ中央。幸い見つかってはいないようだ。
あんな奇人と知り合いだなんて思われたくない。
「僕ペペロンチーノ食べるけど蒐さんなに食べる?」
「麻婆豆腐お願い」
「はいはーい」
箸使えよ。
綾文さんは背後の先輩を意に介することなく、むしろ僕の視線に戸惑っている風に見える。
視線としては、綾文さんの直線上にいる奇人を観察しているのだけど、見方によっては綾文さんの目を真っすぐに見詰めているように見えるかもしれない。取り合えず微笑んでおいた。
やがて全哉先輩がペペロンチーノと麻婆豆腐をトレイに載せ(唐辛子の臭いが凄い)て自分のテーブルに。全哉先輩はマイフォークを取り出し、鬼先輩は液体の入った容器を取り出した。
どろりとした琥珀色の液体。気泡が浮いてキラキラと輝いている。鬼先輩は一切の躊躇なく、その液体を麻婆豆腐にぶちまけた。
僕の甘いものセンサーが告げている。あの液体はハチミツだ。
鬼先輩は麻婆豆腐にハチミツをぶちまけ、ぐっちゃぐっちゃと掻き混ぜ始めた。とろみがついた麻婆豆腐とどろりとしたハチミツが混ざって、木綿豆腐まで崩れて凄い有様だ。
更に鬼先輩は、麻婆豆腐について来た白いご飯にまでハチミツをかけ始めた。零れないように真ん中に穴を開けているのがムカつく。
ハチミツかけご飯に元麻婆豆腐をかけ、大きなレンゲですくって口に入れる。眉ひとつ動かさず咀嚼し飲み下す。全哉先輩も反応を示すことがない。まさかあれが日常の食事風景なのだろうか。
これが【奇食】の由縁なのか。
程がある。気色悪い。
●
放課後、僕は未だに残る胸やけに辟易としながら帰途についていた。もちろん綾文さんも一緒に。
昼のハチミツご飯が意識に張り付いて、全身にハチミツの臭いが染み付いている気までしてきた。しばらく甘いものは控えよう。
そんなわけで、友達と駄弁ってお昼食べて、部活やらずに帰る途中である。
もっとも、部活をやってはいなくても部活見学はしてきたけど。心霊探偵部をちょっと覗いてみた。
斉藤と名乗る茶髪や緒方と名乗る青年、夢幻と名乗る黒づくめが部員だった。
生徒会が奇人窟なら、心霊探偵部は変人党だとか言われるべき混沌ぶりを示していた。僕なら絶対入部しない。
「なんで? 面白そうだったじゃない、心探部」
「もう略す程に馴染んでいるのかい綾文さん。やめておいた方がいいよ、あそこは常人や凡人のいるべき場所じゃない。変人の集まりには凡人の立ち入る隙なんてないよ」
「そこまで言うほどおかしかったかな? 面白くてよかったと思うけど」
「類は友を呼ぶ、か・・・」
「この流れで言われると私がすごい変人みたいなんだけど・・・。入部してみて、つまらなかったら行かなきゃいいんだよ。幽霊部員になっちゃえばいいんだよ!」
「・・・・・・・」
こんなことをドヤ顔で言い切る女子高生を向こうに話す場合、どう返すのが正解なのだろうか。
会話が途切れかけたタイミングで丁度バスが来てくれた。僕が一方的に感じているらしい気まずさを払拭するべく、僕はレディファーストも無視してバスに乗り込んだ。
乗り込んですぐに、声をかけられた。
「よお、化物」
化物。
僕たち超能力者を指す言葉だ。
名前と同じくらい、もしかしたら名前よりも多くかけられた愛すべき蔑称。
他人に言われることもあるし、三親等以内の親族に言われることもある。
今となってはそう言われてもなにも感じることのない、「ああ呼ばれてる」くらいにしか思わせない名称だ。
僕を(あるいは綾文さんを)呼んだのは、少なくとも僕は見たことがない男だった。体格の良い厳つい男で、二の腕なんか僕の倍ほどもあるだろう。一応同い年くらいには見える。老け顔だけど。
綾文さんの知り合いか、もしくは馬鹿にしたがりか。
全くの初対面の人間に化物呼ばわりされた可能性もある。
狂犬病の犬にタグがつけられるように、僕たちは制服を着ているのだから。
近付くと危ないよー、こいつ狂犬病だよー、というタグと。
近付くと危ないよー、こいつ超能力者だよー、という制服。
僕たち超能力者が一目でそうとわかるように、学校から制服が支給され、制服着用の校則がある。
でもなけりゃ、差別の対象になっている超能力者の学校に制服があるわけないしね。管理・教育するための隔離施設みたいなものさ。学校は。
「よお、化物」
もう一度、今度は綾文さんを睨みつけながら、男はそう言った。
綾文さんの肩がビクリと揺れた。
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ハチミツかけご飯とか、やめといた方がいいですよ。