第二十一話
「失礼します」
「失礼なんてことはないさ。俺とお前の間でなにを遠慮することがある」
「親しき仲にも礼儀あり、と言いますからね。ならば親しくもない僕は先輩には礼儀正しくあるべきだと思いまして」
「そうか」
「そうです」
生徒会でのいつもの一幕だ。本来無駄なことを話すのが好きではない僕だ。無駄話はそうそうに切り上げて生徒会役員の仕事に従事したいところだが、今日も今日とて仕事がない。
「今日通学途中でこんなもの拾ったんだ。ナイフだぜナイフ。百円ショップで売ってそうな」
「拾ったからって持ってこないでくださいよ、学校ですよここ。それともなんですか、学校にナイフとか持ってきちゃうオレカッケーとかしたいんですか?」
「いやそんなつもりじゃねぇよ。後で交番に届けようと思ってな。他にもほら、ゴムボールとか漫画雑誌とかロープとかプリキュアの絆創膏とか色々拾ったぜ」
九重先輩は体の前でごそごそやって(恐らく抱えた鞄の中から取り出して)後ろに位置する僕たちに拾得物を見せ付けた。ぽんぽん出てくる異物に目を丸くした大黒柱先輩が「今日はずいぶん沢山拾ったね。今までで一番多いんじゃない?」と首をかしげた。
「そうかもな。普段なら多くても三つ程度だ。今日はなんかあるかもしれねぇな」
意味深に呟く九重先輩。その声はこれまでのふざけた印象が薄れ、真面目さが増しているように聞こえた。
「なにかって、なんですか?」
「なにかはなにかさ。そんなもん俺にわかるわけないだろうか
。何となく意味ありげなこと言っちゃうオレカッケー、だよ」
「はあ……」
受け答えしてくれたというだけで、今の応答では無視と変わらない。僕には関係のないこと、なんだろうか。しかし関係が無いからといって気にならないわけじゃない。関係が無いことは知る意味がないことだなんていうのは暴論だ。そんなことを言い出したらメディアの存在意義が無くなる。地球の裏側の扮装も、海の向こうのスポーツも、隣の県のご当地グルメも、多くの人にとっては関係が無い。
男の秘密なんて興味もないから聞かないけど。
「そういえば、今日は早いな七五三。いい加減校舎の構造も覚えたか」
「さすがに生徒会室までの道のりがくらいすぐに覚えますよ」
「ん、ん? もしかしてお前生徒会室までの見回り徘徊忘れてんのか?」
「鬼先輩それ美味しいんですか?」
「ぁえ? これ?」
話を振られるとは思っていなかったのだろう、鬼先輩はハチミツの水割りから口を離した。
「美味しいよ。割合としてはハチミツ8水3がベストだね」
「ハチミツだけに? それ零れてるでしょ」
「ウソ、零れてる?」
にこやかに話に加わった全哉先輩の指摘に、鬼先輩が慌ててコップを持ち上げた。いやそうじゃない。
全哉先輩と鬼先輩が話を弾ませ、大黒柱先輩もそれに混ざりながらにこやかに見つめる。僕はそれを聞きながらたまに口を挟む。実に平和で平穏な、ここ最近で定着しつつある生徒会室での放課後の風景だった。
【鋭利掘削】からの接触はあれ以降全くなく、当然他の『クラスメイト』からのコンタクトもない。僕は当たり前の高校生としての日常をつつがなく過ごすに至っている。クラスで話すようになってきた人もいる。友達と言えるかは人によって解釈が違うから難しいけれど、他人から知人くらいにはランクアップしているはずだ。
友人が出来てしまえばあとは友人の友人へ。さらにその友人へ。友人というのは芋づる式にねずみ算式に増えていくものだ。まずはそのための足掛かりを確保する。慎重に、時に大胆にいかなければいけない。攻め時と引き際を見極めるのだ。
奇人窟での会話はそのためのいい研磨剤である。ここで自分の会話力に磨きをかけ、目指すは友達百人だ。
●
昼休みの生徒会駄弁りを終えて教室に戻った僕は、まず友人候補に話し掛けた。
「こうも毎日生徒会室に行かなくてはいけないのが煩わしいし、それ以上に疑問だね。活動らしい活動もないのに集まる意味はあるのかな。しかも昼休みと放課後、一日二回も」
開口一番のウザい愚痴に応じてくれたのは、午後の授業の準備をしていた男子生徒、横縞純粋くんだった。
横縞くんは僕に苦笑を示し、僕の怠惰に同調してくれた。
「昼休みまでの駆り出されたりしたら友達と語らう貴重な青春の一分一秒が過ごせないじゃないか。僕は、例え灰色でもいいから青春を謳歌したいのにさ」
オーバーに肩を竦めてため息を吐いてみせる。分かりやすい「やれやれ」のボディランゲージだ。横縞くんは僕の言葉に疑問で返した。
「灰色でもいいのかって? いいに決まっているさ。青春を送れないよりずっといい」
そんなものか、と横縞くんは適当にうなずく。そんなものさ。
横縞くんとの会話を切り上げる。焦ってはいけない。彼との会話はこれくらいがベストだ。残念だが僕と横縞くんとはそこまでの仲ではない。ウザいと思われる前に止め、マイナスの印象を与えない。
僕も自分の席に戻り次の授業の準備をする。教科書を出しノートを開き、シャーペンと消しゴムを出して準備完了。あとは黙して教師の来室を待つのみだ。授業が始まる前のこのラグを、友達との語らいで埋めることができれば言うことはないのだが、それはゆくゆくのことだ。今は大人しく携帯でもいじって待つとしよう。
新着メールが一件。綾文さんからだ。朝のメールへの返信だった。
綾文さんとの交遊関係は言うまでもなく継続している。昨夜のメールには写真も添付されていた。現在綾文さんは能力の強化目的で腕立て伏せに勤しんでいるらしい。彼女も中々に迷走しているらしい。肩幅の広くなりつつある綾文さんに応援のメールを送ったところで、校内にチャイムが響いた。
すわ授業開始かと思いきや、スピーカーからくぐもった声が先に続いた。
『全校生徒にお知らせします。午後の授業を始める前に緊急の集会を行います。全員速やかに講堂に集まってください』
「おや」
思わず声が漏れる。今の放送の声には聞き覚えもなく誰の放送かは分からないが、その後訂正の放送が入らないということはま違いでもイタズラでもなく、本当に集会があると。よしんばイタズラだったとしても、善良で平凡な一生徒でしかない僕としては放送に従わざるを得ない。
せっかくした授業の準備だが、僕は大人しく筆記用具と教科書ノートを机にしまった。しまってから別にしまわなくてもいいことに気づいたけど、だからといってもう一回授業の用意をしなおす意味もないので、僕は素直に机を離れ、友達と談笑しながら講堂へ向かう横縞くんの、三歩ほど後ろを、携帯をいじりながら歩いていった。
●
携帯でネット小説サイトを眺めていたら講堂についた。
講堂内には既に多くの生徒が着座していた。安くて薄いパイプ椅子に在学中の生徒の半数以上が集まっている。僕の背後からも続々と歩いてくるから、この分なら問題なくすべての生徒が呼び出しに応じそうだ。
校内放送の呼び出しを「かったるい」とか言ってサボるようなドラマティックな生徒は、僕は見たことがない。
僕は携帯をポケットにしまい、名もない生徒たちに混ざるべく講堂内に入った。学年ごとにスペースで分けられた椅子の群れを抜け、僕の学年の僕のクラスの僕の出席番号の僕の席に座る。マイクが設置された壇上にはまだ誰の姿もなく、集まった生徒たちもほとんどが座ったまま雑談を交わしあっていた。
漏れ聞こえる雑談の内容は主に呼び出された理由。色々と話し合っているようだが、結論など出るわけもない。なにせ情報が出ていない。これが突発的なイベントであるなら、予期も予測も出来はしないのだから。
予期と言えば、と僕は全哉先輩の姿を探した。雑談相手がいなくて暇だったのだ。携帯をいじるのも周りを見回すのも暇が潰れるのであればどちらでもいい。強いて言うなら、先生方への心証はきっと携帯をいじる方が良くないだろう。
二年生の座席郡へ首を向けると、存外すぐに全哉先輩の姿は見つかった。そこで僕は信じられないものを目にする。
「バ、バカな…………!?」
驚くなかれ。驚くべきことに全哉先輩は、隣に座る男子生徒と楽しそうに笑いあっていたのだ! いや、隣だけではない。時に体を捻って後ろの男子とも実に楽しそうにじゃれあっているではないか。
まるで、友達とくだらない話で盛り上がっているかのように。
僕は素早く視線を切った。見間違いだ、あるはずがない。奇人窟の住人に友達がいるなんて、あってはならないことだ。
物理的な作用すら持っていそうな衝撃に頭を振り、僕は再び首を巡らせた。九重先輩を探すためだ。全哉先輩に輪をかけて人として欠けている九重先輩には、友達などいるはずがない。その事実を、僕は自分の目で確かめる必要がある。
三年生が座っているのは二年生の群れの向こう側であるため少々見づらいが、少しして九重先輩らしき人影を捉えることができた。たった一人だけ壁際ギリギリで、壁に膝を着けて座っている生徒の背中。恐らくあれが九重先輩だろ。あんな奇抜な行動をとる人物は他には知らない。
よかった、九重先輩は一人だ。これで九重先輩まで誰かと一緒にいたら僕はもう立ち直れないところだった。
正面を向いて息を吐く。ふう、と安堵の溜め息だ。九重先輩も一人なんですね。僕は友達いますよ。ここにはいませんけど。
友達がいる僕から友達がいない九重先輩へ憐れみの視線をチラチラと送る。そんな視線には気付きもしない九重先輩は、ピクリとも動かずに壁に向かい合っていた。
『あ、あー、あー』
唐突に、講堂内に男性の声が響いた。いつの間にか壇上に立っていた男性がマイクを通して発声していた。ふむ、僕もこの学校に入学してそこそこ日数が経っているけど、あの人は見たことがないな。事務の先生とか、育児休暇でも取っていた先生だろうか。しかしえらく童顔だ。上背こそあるものの、あれでは高校生だと言われても信じてしまう。
『えー、皆に集まってもらったのは他でもない。我々が君たちのことを深く理解し、また我々のことを広く理解してもらうためだ』
生徒の視線が自分に集まったことを確かめ、男性が発声を意味ある言葉に変えた。
『まずは名乗っておこう。私は『クラスメイト』の広報委員長、八坂十六夜。今日はここ、能力者が軟禁され続ける非道の城に囚われる君たちに、ここから脱する道を示しに来た』
男の言葉が途切れた時、着座する生徒の中から一つの炎弾が飛び出した。スイカほどの大きさの炎の砲弾。異常なる素を備え、酸素も可燃物も必要としない異様な炎が男に迫った。薄い笑いを変えぬままに男の顔が炎に照らされる。いざ炎弾が男の顔を焼こうと言うとき、男がぼそりと呟いた。
『鍵匣人形』
呟きの一瞬ののち、男はその薄ら笑いを焼かれるはずだった。もしかしたら爆発でもしたかもしれない。だがそうはならなかった。生徒の誰かが放った炎弾はその軌道上で消滅したのだ。鎮火ではなく消滅。
消えたのは炎弾だけではない。壁も床も天井もパイプ椅子もマイクも、周囲のもの全てが消えた。僕の尻の下にも、パイプ椅子の感触こそあるもののパイプ椅子自体は見えない。床も同様だ。ただ黒い闇だけがある。生徒や教師、壇上の男の姿は見えるし、着ている服も見える。だが建造物やその付属物だけが暗く染まってしまったかのようだ。
『ここは私の空間だ。ここでは一切の能力は使えない。中のものを破壊することも出来ない。ただ私の支配のもとにある』
男は余裕たっぷりに言い放つが、その台詞のどこまでが事実でどこからがハッタリなのか分からない。恐らくはその分別をつけられまいと多くを語らないのだろう。抑止と示威のために能力を披露した。
『この学校は現在我々の支配下にある。テロリストに占拠される学校を、単身奪還する妄想をしたことのある者もいるだろうが、現実はそううまくいかない。この学校にいる生徒は一人残らず能力者だ。当然相応の警戒を持って当たっている。講堂に来ていない生徒が……ふむ、二人ほどいるようだが、その二人もすぐに捕まりここに通されることだろう』
男の言葉は先に続く。自分たちは優位にいると発し、お前たちは劣位にいると示している。
『出ようとするのは自由だが、どうせ出られない。大人しく私の話を聞くことを進めよう』
男は悠然と微笑んだ。
学園異能日常ものは終わりを告げる。だらだらと引き伸ばされた学園異能バトルものが、ようやく幕を開ける。