第十話
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皆さんありがとうございます!
翌放課後、僕は手早く鞄に教科書をしまい、素早く教室を出て、最短距離で生徒会室へ向かった。
急いでいるのはもちろん会長が怖いからだ。
平気の平左で平然と人を脅迫するような人だ、昨日のサボりをねちねちねちねちねるねるね〜るね(うんま〜い☆)と追求されるかもしれない。
まあその時は、正直に話せばいいか。
脅迫を仕掛けてくる張本人のところになんて、できれば行きたくないのが人情だとも。僕は誰よりも自分に正直だから、行きたくないから行かなかっただけ。正直に話せばきっと分かってくれるはずだ。
分かってくれなくとも、無意味で責任逃れをするためだけの嘘を吐くなんてありえないではないか。僕は正義に目覚めたのだ。昨日から今日にかけてのタイムラグはあるが。
ところでそういえばなんとなくなんとはなしにふと思い至った思い付きなんだけど、僕が昨日から使ってしまっている言葉、「正義」とは、一体全体果たして、なんなのだろうか。
「正義の反対はまた別の正義」という言葉があるが、ならば悪はどこにあるのだろうか。
人を助ければ正義?
人に害なせば悪?
法律を守れば正義?
法律を破れば悪?
なんかもう面倒臭いから正義はやめようかな。正義漢とか正義の味方とかはやめて、そうだね、善人になろう。
いやでも善人なんてそれこそ前任者が星の数に(は大きく劣るだろうけれど)いることだろう。
善良な善人とか健善な善人とか偽善的な善人とか。
どうせなるなら他に誰もいない、僕が初めての善人になりたいものだ。一番駆け。
前例がいない善人。すなわち独創性に溢れた善人。
よし決めた。僕は独善的な善人になろう。
●
二十分後、僕は生徒会室の前に立っていた。
なぜこんなに時間がかかったのか? 最短距離を行ったのではなかったのか? この校舎はそんなに広いのか?
そんなことを思った誰かさんはなにやら勘違いをしている。僕は最短距離を至極ゆっくり、牛の歩みの如くゆっくり歩いてきたのだ。最短距離だからといって走ったわけではない。
素早くしたのも手早くしたのもあくまでも教室を出る前までであり、出た後足早になった描写などない。これぞ、叙述トリック。
「・・・・・・・」
暇潰しも済んだところで、なんとなく虚しい気持ちを抱えながら、僕は生徒会室の扉に手をかけた。実際扉に手をかけたところでどうしようもないのであくまでも比喩であり、実際はもちろん取っ手、扉を開けるための機構に手をかけた。
さして勢いもつけずに扉を開け、室内へと踏み入った。
「すいません、遅刻しました!」
いかにも申し訳なさそうな声で、顔で、謝罪する。実際には申し訳ないなんて思ってない、申し分ない狂言なのだけど、どうせわかりゃしない。
生徒会室は、別段特記事項のなに、ありふれた一室だった。扉の正面の窓際に置かれた机。扉と机を繋ぐ橋のように置かれた二脚の長机。パイプ椅子。書類的なものが納められた棚。そして人間が四人。
机は正面を向いているにもかかわらず本人が後ろを向いている、九重先輩。
数学の課題に取り組みながら二人の後輩と談笑している、大黒柱先輩。
パックのりんごジュースにハチミツを注ぎながら話し込む、鬼先輩。
全哉先輩だけは、僕が来る前から扉を注視していたらしい。僕と目が合った。
「遅かったな、七五三」
当然背中を向けたまま、九重先輩が僕に話し掛けてきた。
「もう歓迎会は終わったぞ」
「遅かったって、まさか昨日からカウントしての、遅かったですか?」
なんて気の長い人だ。しかも今「終わった」って言った。終わったからには始まっていたということで、つまりこの人達は歓迎する当人がいない中歓迎会を行っていたことになる。暇なんだろうか。
ともあれ、いつまでも突っ立っていてもしょうがない。立っているのは電信柱とアンテナだけで充分だ。僕は空いている席、全哉先輩の隣にパイプ椅子を引いて腰を下ろした。
座ってから思い出したのだけど、そういえば僕は全哉先輩の側は苦手だった。全哉先輩自体は、その奇行を除くという一大事業を挟むにせよ、好ましくは思っている。しかし側となるとダメだ。酔ってしまいそうになる。
けれども一度座ってしまったのだし、わざわざ下ろした腰を上げて、二対二の対面で座っているところを三対一にすることもあるまい。それに少し楽しくもあったりするし。
据わりの悪い腰を努力で落ち着け、僕はふう、と息を吐いた。なんだか随分と無駄に時間を使ってしまったように思う。
いやそもそも放課後特にするべきことのない僕のこと、無駄でない時間の過ごし方など、ないかもしれない。
現役の高校生たる僕としては、勉強とか習い事とかで時間を費やし、未来への投資にでもすれば優等生らしいだろうか。けれどもそれは、未来が、十年後が、明日が、必ず来ると無邪気に信じられる平和な人間の思考かもしれない。
いや、そんなことはないか。
当人に死ぬつもりがない以上、生きていくつもりがある以上、未来への投資は当然か。
だけどせっかくの十代。十年間しかない十代。五百二十一週と三日しかない十代。三千六百五十二日しかない十代。
未来への投資のために今を投げうつのではなく、むしろ未来への足掛かりとしての今を・・・・。
「ところで七五三よ」
「はい、なんでしょうか九重先輩」
「七五三は自分からこの生徒会に入ったわけだし、初心表明というか、とにかくほら、生徒会に入って何がしたいとか、そういう感じのアレを発表しろよ」
信じられない。脅迫しておいて僕の意思だというのかこの悪党は。
僕が入れてくれと言ったのは、そりゃ間違いのない事実だけれど、しかしそれは僕の意思であっても僕の自由意思は一切合切介在していないではないか。
それでも僕の意思として初心表明しなくてはならないのか。理不尽を感じる。釈然としない。
けど、釈然としないながらも、せっかく入ったからにはやりたいことがないわけでもない。仕方ないとため息を吐いて、僕は立ち上がった。
思えば立ち上がる必要は必ずしもなかったとは思うけど、立ち上がってからそれに思い至っても、それこそ仕方ない。
改めて室内の面々を見渡した。
ジュースを飲んでいる全哉先輩。ハチミツ入り(後入れ)ジュースを飲んでいる鬼先輩。僕に「初めまして、大黒柱です。よかったら、どうぞ?」とパックのジュースをすすめてくれた大黒柱先輩。やはり背中を向けたままの九重先輩。
ありがたくジュースを受け取りつつ、僕は自分の初心を、目標を告げた。
「僕は、友達百人作りたいです」
●
僕の宣誓の後、生徒会室内は重々しい沈黙に包まれてしまった。まるで僕が何か、痛々しい間違いを犯してしまったかのような、「お前がそれを言うのかよ」みたいな空気をひしひしと感じる。
なんだと言うのだ、僕はなにかおかしな事を言ってしまっただろうか。
「友達百人って、お前、綾文みたいなやつをもう百人も作る気かよ」
背中越しでもわかるくらいに引いている九重先輩の声が、僕を質した。なんで引いているのか分からないけれど、今の言葉はそれこそ心外だ。
「綾文さんを除外しないでくださいよ。僕の目標は『友達百人』です。あと百人、じゃなくて、総計で百人です。綾文さんがいるから、あと九十九人です」
朗らかな笑顔で言った良い台詞のはずなんだけど、見える限りの先輩達の顔は盛大に引き攣っていた。なぜだろうか。
僕と綾文さんが友達だということに異論があるわけでは、まさかないだろう。僕は変わらず綾文さんが好きだし、今だってメールのやり取りくらいは続いている。
物理的に距離が開いてしまったから、そうそう遊ぶことはできなくなってしまったけど、それだって、それだけで友達じゃないという理屈にはならないはずだ。遠距離友愛だってありのはずだ。
「あ、もしかしてなんですけど、先輩達も僕の友達にカウントしてほしいとか・・・・」
「悪い冗談はやめてくれ。頼む」
九重先輩の言葉は、どうやら先輩達の総意であるようだった。
そんな、照れなくたっていいのに。
僕は苦笑しながらパイプ椅子に座り直した。錆び付いているのだろう、ギシギシと耳障りな音が鳴る。
顔が見える三人はそれとなく視線を逸らしているように見える。神には触らず、藪は突かず、石橋は叩かず虎穴にも入らない、というスタンスを感じる所作だった。
やれやれ、いくら先輩と言えどもこれはいくらなんでも失礼ではないだろうか。
奇人ゆえの奇行だ、と寛大な心で許してあげよう。
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