【短編056】 根:島で生まれ、島にいる。ただ、それだけの話。
生まれてからずっと、島にいる男の話です。
短い物語ですが、よろしければ。
朝、起きると海が見える。
昨日も見えた。一昨日も。生まれてからずっと、窓を開けると海がある。
風が来て、塩の匂いがした。
それだけのことだった。
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隆二は三十四歳で、父の漁を手伝っている。
特に決めたわけではなかった。高校を出て、島を出ようとも思わなかった。ただ、そこにいた。
父も祖父も漁師だった。それが理由というよりも、それ以外の理由がなかった。
「跡を継ぐ」という言い方を、父はしなかった。隆二もしなかった。ある朝、船に乗った。次の朝も乗った。そのうち、自分の道具ができた。
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浜にハルがいる。
いつからいるのか知らない。集落の誰に聞いても、昔からいるという。
茶色と白の、耳の先が少し欠けた猫だ。右か左か、毎回どちらか忘れる。
船を出す前、隆二はよくハルのそばで煙草を吸う。ハルは特に近づいてこない。逃げもしない。
砂の上で丸くなって、目を細めている。
話しかけたことはない。
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県外から来た人間は、海を見て必ず何か言う。
きれい、という。
こんな海、見たことない、という。
住んでみたい、という。
隆二はそのたびに、「そうですね」と返す。
否定する気はない。
ただ、きれいという感覚が自分の中にあるのかどうか、よくわからない。
きれいとは、比べるものがあって、初めて出る言葉だと思う。
隆二には、比べる海がない。
これが海だ。
それだけだ。
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四年前、移住してきた女が一人いた。
三十代。陶芸をやっていた。
波の上工芸店に少し顔を出して、集落のゆんたくに一度来た。
隆二も同じ席にいた。
よく笑う人だった、と思う。それだけ覚えている。
それからあまり見かけなくなった。
一年後に帰ったらしい。
浜の公民館の前に、素焼きの皿が一枚置いてある。
誰が片付けるでもなく、そのままになっている。
雨が降っても、そこにある。
隆二はそれをどこかから聞いた。特に何も思わなかった。
それがこの島のやり方なのかもしれなかった。
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夕方、船を戻す。
エンジンを切ると、波の音しかない。
海が夕焼けで赤い。
毎日この色を見ている。
子どもの頃からずっと。
きれいか、と聞かれれば、そうだと答えると思う。
でも誰にも聞かれない。
聞かれる前に、縄を結んで、魚を降ろして、次の日の準備をする。
父がそうしていた。
隆二もそうする。
それでいいのか、と、ふと思った。
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ハルが浜に来ていた。
隆二が船を降りると、ハルがそばを少し歩いた。
隆二も少し歩いた。
ハルが立ち止まって、海を見た。
隆二も立ち止まって、海を見た。
波が来るたびに、砂が濡れて、引いた。
ハルはその縁に、ぎりぎりまで近づいた。濡れなかった。
何を見ているのか、猫に海が見えているのかも、わからない。
ただ、二人して同じ方を向いて、しばらく立っていた。
それから、ハルはどこかへ行った。
隆二は家に帰った。
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夜、祖母がテレビを見ながら言った。
「ゴーヤ、今年は遅いねえ」
祖母はリモコンを手探りして、音量を少し上げた。
部屋に線香の匂いが残っていた。いつもそうだった。
画面の中に、どこかの都市の夜景が映っていた。
きれいだと思った。
でも行きたいとは思わなかった。
それが不思議かどうかも、よくわからなかった。
ここ以外の場所で眠ったことが、一度もなかった。
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次の朝、起きると海が見えた。
カーテンを揺らして、塩の匂いがした。
いつもの匂いだった。
ハルが、浜にいた。
縁側から見えた。
耳の先が、朝の光で少し透けていた。
隆二は顔を洗って、船に向かった。
お読みいただき、ありがとうございました。
海も、猫も、いつもそこにあるものとして書きました。
ご感想などいただけたら嬉しいです。




