『婚約破棄されましたが、月光で織った布が国宝になったので、公爵家は詰みました~なお苦情は受け付けません~』【転生・悪役令嬢・ざまぁ/短編完結】
「セレスティア・ヴェルネスト。お前との婚約を破棄する」
きらびやかなシャンデリアの下、ヴェルネシア王国の夜会。王太子アルヴィスの声が、大広間に響き渡った。
数百の視線が、私に突き刺さる。
(……ああ、やっと言ってくださいましたのね)
私は淡々と、目の前の男を見上げた。金髪碧眼の華やかな美貌。けれど、その中身が空っぽなことを、私はもう知っている。
「何だと? もっと取り乱すかと思ったが……地味で陰気で、機織りごときに没頭する田舎女め。お前より、社交を輝かせる令嬢がふさわしい」
アルヴィスの隣で、伯爵令嬢ミレイユが勝ち誇った笑みを浮かべていた。豪奢な巻き毛。昼間だけ強烈に光る、けばけばしい魔法織物のドレス。
「まあ、可哀想なセレスティア様。あなたの織る布、ちっとも光らないんですもの。価値がないって、みなさま言ってましてよ?」
(価値がない、ね)
私は前世の記憶を持っている。
日本の伝統織物工房の跡取り娘。糸と染めと機織りに人生を捧げた、あの記憶を。
だからこそ、見えていた。
ミレイユが得意げに裾を翻す。
「ご覧になって? わたくしのドレス。魔力を惜しみなく込めた、昼に燦然と輝く最高級の織物ですのよ。あなたの薄暗い布とは、格が違いますわ」
(派手なだけで魔力効率を無視した織り……糸目の詰めも甘い。素人ね)
「……そうですか」
この国は『昼の魔力光』しか評価しない。
そして――『月光の織り込み』という失われた技術の存在を、誰も知らない。
「どうした、言い返さないのか。惨めなものだな」
「いいえ。あなた方に申し上げることは、何もございませんもの」
私は静かにドレスの裾をつまみ、優雅に一礼した。
「そうですか。では、失礼いたします」
喚かない。縋らない。涙も見せない。
ざわりと、広間が揺れた。もっと取り乱すと思っていたのだろう。
「……っ、待て、それだけか!? 泣いて縋るとは思わんのか!」
私は踵を返し、まっすぐに扉へと歩く。
(喚かない。縋らない。涙も見せない。……光らない田舎女、上等じゃない)
「なお、苦情は受け付けておりませんので」
扉が閉まる。冷たい夜風が頬を撫でた。
見上げれば、満月。
(さあ、始めましょうか)
誰も知らない、月の光を糸に織り込む技術を。
◆
婚約破棄の翌日、実家の公爵家からの沙汰は早かった。
「価値のない娘に、屋敷の一室すら惜しい」
父の言葉は、それだけ。私は辺境の廃工房へと追放された。
馬車に揺られること三日。着いたのは、朽ちかけた木造の工房だった。
(……悪くないわ)
埃をかぶった機織り機。錆びた道具。けれど、骨組みはしっかりしている。何より――夜になれば、遮るもののない月光が降り注ぐ。
「ここなら、月の魔力を存分に採れる」
私が袖をまくり上げた、その時だった。
ゴンッ、という鈍い音。
工房の裏手から、何かがもがくような気配がする。恐る恐る覗いてみれば――
(……え?)
二メートルを超える巨体。褐色の肌に、赤銅色の鱗。竜人族の戦士が、床下の梁に頭を突っ込んで、身動きが取れなくなっていた。
その腕の中には、震える一匹の子猫。
「……動くな。今、出してやる」
低く唸るような声。けれど子猫を潰さないよう、巨体を必死に丸めている。
「あの、何を……?」
「っ! ……見るな」
「はあ」
「この子猫が、梁の隙間に入り込んでな……助けようとしたら、俺が抜けなくなった」
(戦鬼が、子猫を助けようとして……挟まっているの)
後で知ったが、彼はガルド・ドラケンハート。辺境守備隊長にして『冷酷の戦鬼』と噂される男。その威圧感だけで新兵が失神するという。
その戦鬼が今、床下で顔を真っ赤にしていた。
私は思わず、口元を緩めた。
「少々お待ちを。梁の角度を変えれば……ええ、そこの支柱をこう」
織物職人は、構造を見るのが得意だ。私が支柱を蹴り込むと、ガルドの巨体がずるりと抜けた。
子猫がにゃあと鳴いて、彼の腕から飛び出していく。
「……助かった。あんた、公爵家から来た織り子か。噂とは、ずいぶん違うな」
「噂?」
「取り乱しもせず、機織り機に触れた時だけ目の色が変わる女、と聞いた」
ガルドはまっすぐに私を見た。
「……良い目だ。職人の目だ」
私は、少しだけ驚いた。
「……この国で、私を『職人』と呼んだ方は、あなたが初めてですわ」
この国で、私を『職人』と呼んだ者は、ただの一人もいなかったから。
◆
工房の奥から、しわがれた声がした。
「誰だい、勝手に人の工房に入り込んで。都から来たお嬢様が、昼に光る安っぽい布でも織るのかい」
背の曲がった老女が、鋭い眼光でこちらを睨んでいた。ヴァルカ婆。この廃工房を、たった一人で守り続けてきた者だという。
私は答えず、糸箱を開けた。中には、月光を溜め込むための特殊な糸――誰も扱えず、放置されていたものが眠っていた。
(湿度を保って、月の出とともに張力を調整……前世の宵張りの要領ね)
私は迷わず糸を選び、機に掛けていく。経糸の張り。緯糸の打ち込み。染料の配合。
すべて、前世の記憶と、この世界の魔力の理を組み合わせて。
ヴァルカ婆の目が、見開かれていった。
「……その手つき。月の張りを読む糸の掛け方……あんた……あんた、あの技を知っておるのかい」
「月光の織り込み。この国が捨てた技術です」
老女の皺深い頬を、涙が伝った。
「わしはずっと、待っておったんだ。この技を継ぐ者を……。国は昼の光ばかりを尊び、月の織りを『無価値』と切り捨てた。誰も、誰も継いでくれなんだ……」
ヴァルカ婆は、腰の袋から古びた巻物を取り出した。
「口伝と、染料の秘密だ。……あんたに、託す」
その時、工房の入り口から、小さな声がした。
「……あの。その糸……触っても、いいですか」
痩せた孤児の少女が、栗色の髪を揺らして立っていた。リリ。口減らしで売られかけていたところを、ガルドが保護したのだという。
大きな瞳が、機織り機に釘付けになっている。
「ええ。おいで」
私が手招きすると、リリは怯えながらも近づいてきた。糸に触れた瞬間、その目が輝く。
(この子……糸を見る目がある)
「教えてあげる。ゆっくり、一緒にね」
こうして、辺境の廃工房に、小さな灯りが点った。
その夜、初めて織り上げた一反の布を、私は月光の下に広げた。
昼は、地味な灰青の無地。けれど――
月の光を浴びた瞬間、布は天の川のごとく、無数の星をちりばめて輝き始めた。
「わあ……! セレスティア様の布、夜になると空みたいっ……!」
私は、静かに微笑んだ。
(さあ。ここからよ)
◆
月光織りの真価が明らかになったのは、それから間もなくのことだった。
辺境は、夜ごと魔物の襲撃に晒されている。守備隊は疲弊し、犠牲も出ていた。
その夜も、遠くで魔物の咆哮が響いた。
「セレスティア様、危ないですっ。魔物が近づいて……!」
リリが私の袖を掴む。けれど私は、織り上げたばかりの布を手に、工房の外へ出た。
「大丈夫。試したいことがあるの」
月光を浴びた布が、淡く光を放つ。私はそれを、工房の周囲に張り巡らせた。
次の瞬間――
迫ってきた魔物が、見えない壁に阻まれたように、ぴたりと足を止めた。
そして、苦しげに後退していく。
「あっ……魔物が、見えない壁に阻まれて……逃げていきますっ!」
「……効いてる。月の光を糧に、半永久的に。ミレイユの布のように魔力を浪費することもなく」
月光を織り込んだ布は、魔物避けの結界効果を持っていたのだ。
その報せは、瞬く間に辺境中に広まった。
月の布が、村を守る。魔物の被害が激減する。
人々は、いつしか私をこう呼ぶようになった。
――『月織りの聖女』と。
私は結界布を量産し、辺境の村々に配った。ヴァルカ婆が染料を、リリが糸を紡ぎ、私が織る。小さな工房は、いつしか活気に満ちた織物ギルドへと成長していった。
そして、ある満月の夜。
ガルドが、遠征帰りに工房を訪れた。鎧は傷つき、疲れ果てた様子だった。
「……布を、一枚くれないか。隊の者が、夜襲で凍えている」
「一枚と言わず。あなたにも。……竜人の巨躯を包めるよう、大きく織り上げましたの」
私は、彼のために織った特別な一反を差し出した。
ガルドは戸惑いながら、それを肩に羽織った。
月光が、布を星空に変える。
その瞬間――
ガルドの琥珀の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……っ、あたたかい……なんだ、これは。こんなに、あたたかいものが……」
巨体を震わせて、彼は泣いていた。
「俺はずっと、寒い戦場ばかりだった。誰も、俺のために何かを織ってくれたことなど……」
私は、そっと目を伏せた。
「気に入っていただけたなら、何よりです」
「……セレスティア。あんたの布は、本物だ。あんたは、本物の職人だ。都の連中は、とんでもない宝を、自分から手放したんだな」
胸の奥が、じんと熱くなる。
(もう、光る布ごっこに付き合う義理はないわ)
「……ありがとうございます」
満月の夜、辺境の工房には、静かで確かな幸福が満ちていた。
◆
同じ頃、王都では異変が起きていた。
華やかな夜会の最中。突如として、王都を守る大結界が、鈍い音を立てて揺らいだ。
「なっ……結界が!?」
悲鳴が上がる。結界の外に、魔物の群れが押し寄せていた。
王太子アルヴィスは青ざめた。
「馬鹿な、王都の結界は最新の魔法織物で強化したばかりだぞ! ミレイユ、お前の布は――」
言いかけて、彼は絶句した。
王都の結界には、ミレイユの派手な魔法織物がふんだんに使われていた。彼女の『昼に輝く布』こそが、社交界の流行の頂点だったからだ。
だが、宮廷魔術師の報告が、すべてを暴いた。
「陛下、原因が判明しました。……結界に使われた伯爵令嬢ミレイユ様の織物、あれは魔力を無駄に消費するだけの欠陥品です。昼にしか発光せず、夜間の結界効果は皆無。それどころか――周囲の魔力を吸い上げ、正規の結界の稼働を妨げておりました」
「なっ……」
夜会の空気が凍りつく。すべての視線が、ミレイユに集まった。
「ち、違うわ! 私の布は最高級品よ! みんなが褒めてくれたんだから!」
「ミレイユ嬢。あなたは、ご自分の織物の魔力効率を、理解しておられたのか」
魔術師の問いに、ミレイユは言葉を失った。
彼女は、織物の本質など何も知らなかった。ただ派手に光ればいい。それが価値だと信じていた。無知ゆえに、自分の布が国を滅ぼしかけていることにすら、気づいていなかったのだ。
「わ、私は悪くない……悪くないのよ……! ただ光ればいいって、みんなそう言って……」
ドレスの裾を握りしめ、後ずさる彼女を、社交界の令嬢たちが冷たく見つめた。
昨日までの取り巻きは、誰一人、彼女を庇わなかった。
そして――王都を救える術は、ただ一つ。
夜間に機能する結界布。月光を織り込んだ、失われた技術による布。
それを織れる者は、この国でただ一人。
「……セレスティア。探せ! セレスティアを探し出せ! 彼女を連れ戻すのだ!」
王太子は、青ざめた顔で叫んだ。
だが――彼はまだ知らなかった。
侮蔑した『光らない布』こそが、この国の命綱だったという、その皮肉を。
◆
王都の使者が辺境の工房に馬を飛ばしてきたのは、それから数日後のことだった。
だが、彼らを迎えたのは、思いもよらぬ光景だった。
工房は、もはや小さな廃屋ではない。堂々たる織物ギルドの本拠地となり、隣国と辺境の同盟の旗がはためいていた。
そして、その入り口には――辺境伯となったガルドが、腕を組んで立っていた。
「……何の用だ、都の犬が」
「ひっ」
戦鬼の威圧に、使者が後ずさる。
やがて、王太子アルヴィス自らが、辺境へとやってきた。かつての華やぎは失せ、憔悴しきった顔で。
私は、機織りの手を止めずに彼を迎えた。
「あら。どちらさまでしたかしら」
「セレスティア……! 私だ、アルヴィスだ!」
「ああ。……『光らない田舎女』を捨てた方でしたわね。それで、何の御用でしょう」
アルヴィスは、床に膝をついた。王太子が、追放した令嬢の前に。
「頼む……! 国を救ってくれ! 王都の結界が崩壊寸前なのだ! お前の布が、月光の結界布が必要なのだ!」
私は、ようやく機から顔を上げた。
「おかしなことをおっしゃいますのね。あなたは以前、こうおっしゃいました。『機織りごときに没頭する田舎女』と。『お前の織物は光らない、価値がない』と」
私は、織りかけの布をそっと撫でた。月の光を宿す、天の川の布を。
「その『価値のない布』を、今さら求めていらっしゃるの?」
アルヴィスの顔が、屈辱と焦りに歪む。
「あ、あれは……間違いだった! 私が愚かだった! 頼む、この通りだ!」
「残念ですが」
私は、静かに告げた。
「私の月織りの布は、すでに隣国と辺境の同盟によって『国宝』に指定されております。技術も、私自身も、この地の庇護下にありますの。……ヴェルネシア王国に、融通する義理はございませんわ」
「そんな……! では、我が国はどうなる!」
「さあ? ご自分たちで、『価値ある布』でも織られては? 昼に光る、派手なものを」
私は、うっすらと微笑んだ。前世から受け継いだ、職人の矜持を込めて。
「唯一の才能を、自ら手放したのはどなたでしたかしら。……公爵家は、さぞ国中の笑いものでしょうね」
「あ……あ……」
事実、その通りになった。
ミレイユの詐術は完全に露呈し、社交界から永久に追放された。
アルヴィスは、失って初めて私の真価に気づき、廃人同然に崩れ落ちた。
そして公爵家は――『唯一の才能ある娘を、自ら切り捨てた愚家』として、国中の嘲笑を浴び、静かに没落していった。
喚くこともなく、指一本汚すこともなく。
ただ、良い布を織り続けただけで。
「あら。まだ何か?」
膝をついたまま動けぬ王太子に、私は最後の言葉を贈った。
「なお――苦情は受け付けておりませんので」
背を向け、私は再び機に向かう。
もう、振り返ることはなかった。
◆
王都の騒動が過ぎ去り、辺境には穏やかな日々が戻ってきた。
織物ギルドは日ごとに栄え、月織りの布は隣国からも引く手あまた。リリはすっかり明るくなり、今では立派な織り子見習いだ。
「セレスティア様、見てくださいっ。私、経糸を掛けられるようになりました!」
「上手よ、リリ。……ええ、とても良い張りだわ」
ヴァルカ婆は、そんな私たちを見て、いつも目を細めている。
「わしの技が、こうして生き続ける。……もう、思い残すことはないねえ」
「まだ早いですわ、お婆様。染料の秘伝、あと三つは教わっていませんもの」
「はっ、欲張りな弟子だよ、まったく」
工房は、笑い声に満ちていた。
かつて『地味で陰気』と侮られた私が、ここでは尊ばれ、必要とされている。
前世で織物に人生を捧げ、今世で報われた。それだけで、もう十分だった。
そして――満月の夜。
私は工房を出て、丘の上に立った。銀糸のような黒髪が、夜風に揺れる。
見上げれば、大きな満月。
その光が、私の織った布を、天の川に変えていく。
「……ここにいたのか」
背後から、低い声。
ガルドだった。その肩には、あの日私が織った布が、大切に羽織られている。
「その布、まだ使ってくださっているの?」
「当然だ。……手放せるものか」
彼は、少し照れたように顔をそむけた。強面の戦鬼が、布一枚に見せる不器用な優しさ。
私たちは、しばらく並んで月を眺めた。
言葉はいらなかった。
やがて、ガルドが布をそっと引き寄せ、月光に透かすように広げた。
星屑のような輝きが、彼の褐色の頬を照らす。
「……あたたかい」
ぽつりと、彼は呟いた。
初めて布を羽織った、あの夜と同じ言葉で。
けれど今度は、涙ではなく、穏やかな微笑みとともに。
私は、そっと彼の隣に寄り添った。
「ええ。……あたたかいですわね」
月の光が、二人を静かに包んでいた。
光らないと侮られた布は、誰よりもあたたかく輝いている。
それを分かってくれる人が、隣にいる。
(前世でも、今世でも。……私は、間違っていなかった)
「……なお、婚約破棄については、今も苦情を受け付けておりませんのよ」
「……ふっ。あんたらしいな」
満月の夜。辺境の丘の上で、新しい物語が、静かに芽吹き始めていた。
――なお、苦情は、これからも受け付けておりません。




