愛護紋は最強でした ~無能令嬢、真の愛に触れた瞬間に全属性無双覚醒します
「役立たずに、俺の隣は務まらない」
夜会の大広間に、イルヴァンの声が響き渡った。
招待客たちの視線が、一斉にセイラへ集まる。右手の甲に刻まれた「愛護紋」は、今夜もなんの光も示さない。誰かに深く愛されるとき初めて開花する――古書にはそう記されていたが、セイラの人生にそんな感情を向けてくれた者は、ただの一人もいなかった。だから紋章は眠り続け、セイラは「紋章を持ちながら何もできない落第者」として扱われ続けてきた。
「妹のフィーナを見ろ。あれが本物の加護持ちだ。お前のような無反応では、我が家の名が廃る」
隣に立つ妹が、掌に金色の炎を灯してみせた。会場がどよめき、称賛の声が上がる。セイラは静かに頭を下げた。
「……承知しました」
涙は出なかった。もう驚くことにも、傷つくことにも慣れていた。ただ右手の甲だけが、かすかに熱を持った気がした。
「待て」
その声は、広間の奥から静かに、しかし確かに響いた。
人垣が割れ、一人の男が歩いてくる。ガルド。北の魔境を単騎で退けると噂される、辺境の将。視察のために王都へ来ていた彼が、なぜこの夜会にという疑問を持つ者は多かったが、ガルドはそんな視線を一切気にせず、真っ直ぐにセイラの前に立った。
「……ガルド様?」
「お前は何も間違っていない」
それだけ言うと、彼はセイラの手をそっと取り、迷いなく引き寄せた。
胸に包まれた瞬間、セイラは息を詰めた。温かかった。これまでの人生で感じたことのない、揺るぎない温もりだった。誰かに、ただそこにいるだけで守られていると感じたのは、これが初めてだった。大切にされる、ということの意味を、体が初めて理解した瞬間だった。
右手の甲が、燃えるように熱くなった。
光が、弾けた。
白い輝きが広間全体を満たし、招待客たちが思わず目を細める。セイラの体の中で、眠り続けていた何かが一気に目を覚ました。段階などなかった。迷いもなかった。ただ一瞬で、すべてが満ちた。
「……これは」
ガルドが静かに呟いた。
「攻撃も、防御も、浄化も、強化も。全部、今この瞬間から使えます」
自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。愛護紋は、真に愛された瞬間に完全開花する。受け取った愛の深さに比例する。だとすれば、ガルドがセイラに向けてきた想いは――それほどのものだったのだ。
「馬鹿な……!」
イルヴァンが顔を歪め、護衛の魔導士に目配せした。次の瞬間、魔力の奔流がセイラへ向けて放たれた。
触れた瞬間、消えた。
奔流はセイラの前で跡形もなく霧散し、白い光の粒となって広間に溶けていった。護衛の魔導士が呆然と自分の手を見つめる。
「もう一度」とイルヴァンが叫ぶ。
また放たれた。また消えた。
「……無駄です。あらゆる攻撃は、私には届きません。防御ではなく、消滅します。魔力の大小は関係ありません」
広間が水を打ったように静まり返った。かつてセイラを「無能」と笑っていた貴族たちが、今は一人残らず青ざめて立ち尽くしていた。
フィーナが震える声で呟いた。
「お、お姉様……その加護は……」
「愛護紋の完全開花です。あなたの炎も、私の前では届きません」
フィーナは何も答えられなかった。姉が無能でいてくれれば自分が輝き続けられる、そんな計算が全部崩れ落ちた瞬間の顔だった。
「セイラ」
ガルドが、静かに名を呼んだ。
「俺と来てくれ。辺境には、お前の力を必要としている民がいる。だが、それだけが理由じゃない」
「……知っています。あなたが私に向けてきた想いが、この力を目覚めさせました。それがどれほどのものか、今は体で分かります」
ガルドは不器用に視線を逸らした。
「……それは、恥ずかしいな」
「少しだけ。でも、とても嬉しいです」
差し出された手を取り、セイラは広間を後にした。振り返らなかった。
後日、王家の調査官が動いた。フィーナが長年、姉の紋章に抑制の魔道具を仕掛けていたことが明らかになった。イルヴァンは爵位の一部を剥奪され、かつてセイラを蔑んでいた人々の視線が、今度は彼らへと向いていた。セイラはそれを聞いても、胸に何も湧かなかった。ただ静かな安堵だけがあった。
―――
砦へ移って半月が過ぎた頃、魔王軍の先遣隊が押し寄せた。将軍格の魔人を先頭に、数十体の魔獣が夜の砦を囲む。
「全員、下がれ」
ガルドが低く告げると、兵士たちが一斉に後退した。残ったのは、セイラとガルドの二人だけだった。
魔人が嘲るように言った。「人間の女一人で、我らを止められると思っているのか」
「止めません」
セイラは静かに右手を上げた。
「消します」
光が放たれた。魔人の奔流は膜に触れた瞬間に霧散し、飛びかかる魔獣たちは光に触れるたびに白い粒となって消えた。魔人が渾身の一撃を叩き込もうとした瞬間、その力ごと光の中に溶けた。
三十秒も経たなかった。
「……終わりましたね」
「……ああ」
ガルドはしばらく黙っていた。それから、セイラの頭に大きな手をそっと乗せた。
「無茶はするな」
「無茶はしていません」
「お前がいなくなったら、俺が困る」
「……困らせては申し訳ないですね」
「笑うな」
横を向いたガルドの耳が、かすかに赤かった。
―――
辺境に根付いた日々は、穏やかで満ちていた。ガルドは口数が少なかったが、セイラが疲れた顔をしていれば誰よりも早く気づき、余計なことを言わずただ隣にいてくれた。夜には温かい茶が置かれ、寒い夜には暖炉に薪が足されていた。
「心配性ですね」
「お前に関してだけは、どうしても」
その言葉を聞くたびに、右手の甲が淡く光った。愛されるほど力が増す紋章は、ガルドの不器用な優しさを受け取るたびに、静かに輝き続けた。
かつて役立たずと呼ばれた娘は、誰かに深く愛されることで最強になった。そしてそれよりも大切なものを、この辺境で初めて手にしていた。
完




