第九章
数週案が経った頃、体に異変を感じた。まさか、と思い婦人科に行くと……。
「三か月ですね。おめでとうございます」
「嘘……」
私は頭が真っ白になった。ダンテが帰国中のこのタイミングで、妊娠が発覚してしまったのだ。
勇気を振り絞りメールで事実を伝える事にした。
『ダンテ、久しぶりのアメリカでどうお過ごしですか?実は大事な話が合ってメールしました』
『絵美、引っ越しの準備を着々と進めているよ。どうしたの?』
『あのね、動揺せず読んで欲しい。妊娠したの。三か月だって』
その後メールが途切れ、返事は翌日まで来なかった。私はダンテが困っているのだと思い込み、自分の行動を悔いて泣いて夜を過ごした。すると、翌朝こんな返事が返って来た。
『やったー!僕達の赤ちゃんに祝福を!』
動画が添付されていて見てみると花を手に一杯抱えて嬉しそうにほほ笑んで私の名前を叫ぶダンテの姿があった。
「良かった……」
安堵と嬉しさにまた涙が溢れた。
『ダンテの帰りを二人で待っています』
そう告げて私はなっちゃんに逢いに行った。
「えー!おめでた?」
「そ、そんな大きな声で言わないで恥ずかしいから」
「あ、ごめんごめん」
若干周りの視線を感じたけれど落ち着きを取り戻したなっちゃんと会話を再開した。
「で、彼はなんて?」
「ダンテは喜んでくれているみたい」
「なら問題無いじゃない!」
「そうだけど……ちゃんと帰って来てくれるか不安で」
「帰ってくるに決まってるじゃない!帰ってこなかったら私がアメリカ行って殴ってやる」
「そんな、いや多分帰ってくるんだけどさ」
「そうだよ。身重の妻を置いて不在なんてダメダメ!」
「まだ結婚してないけど……」
「さっさと籍入れちゃいなさいよ」
「簡単にはいかないと思うけど……」
「いつ?いつ結婚するのよ~!」
「十月……かな」
「半年も先?」
「まだダンテアメリカだし、手続きとか色々していたら多分」
「そっかぁ。結婚したらすぐ出産じゃない」
「そうなの」
「彼はいつ戻ってくるの?」
「いつだろ……えぇ!」
「え?何?」
「だ、ダンテ……」
「絵美!元気かい?」
「ちょ、なんでここに居るの?」
「家に帰ったら居なかったから君がよく行くカフェを探していたんだ」
「えと……なっちゃん、彼がダンテ。ダンテ、なっちゃん、いつも話してた元同僚」
「ハジメマシテ!」
「な、ナイストゥーミートゥ―」
握手をするダンテとなっちゃん。なっちゃんも突然のダンテの登場に戸惑っていた。
「早く帰って驚かせようと思ってね。上手くいったみたいで良かった」
そうダンテが言うと花束を取り出した。
「僕達の赤ちゃんにおめでとう!」
「うわー外人らしい」
なっちゃんが羨ましそうにダンテをみていた。日本人男性にはあまり見られない行動に私も照れてしまった。
「ありがとう」
「もう少し二人で話すかい?」
「大丈夫です!あとはお二人で!」
「なっちゃん!」
「またね、えっちゃん」
嬉しそうになっちゃんはその場を去っていった。『お祝い』と、言って伝票を持って。
「ダンテ、帰ってくるなら言ってくれれば迎えに行ったのに」
「ダメだよ大人しくしてないと。羽田までは電車一本とは言え遠いからね。座れなかったりしたら大変だ」
「う、うん」
「さぁ、家に帰ろう。夕食は僕が作るよ」
「そんな、時差で疲れているでしょう?」
「疲れている暇なんて無いさ。子供ができたんだから栄養をしっかり取って貰わないとね」
「ありがとう」
ダンテはどこまでも優しい。その優しさを受け継いでくれる子供が産まれれば良いと思った。
我が家の猫となった八割れのオスネコは、ウミと名付けた。私達の子供の様なもの。ウミはやんちゃで、毎日走り回っていたけれど、食欲旺盛で去勢した後はどんどん太っていてしまった。一度病院で体重を計ると十キロあって、お医者さんに糖尿病の心配をした方が言い、おやつは禁止、ダイエットを。と、言われてしまった。
「ウミ~ダイエットしなきゃだって」
「にゃー」
分かっているのか分かっていないのかは分からないが、ウミは温厚な性格なのでのほほんと返事をしてきた。
私は餌を減らしておやつはあげないようにした。ダンテがすぐおやつをあげるのでダメだよと静止するのが大変だった。
そんな平和な日々を過ごした十月三十日、私達は区役所に居た。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
婚姻届けを出したのだ。Miraiさんが予言した、十月最後の日、私達は晴れて夫婦となった。お腹はもうかなり大きくなっていて、冬には出産予定を控えていた。
「ジョーンズ家の一員だね、絵美」
「うん、改めて宜しくお願いします」
ダンテの苗字はアメリカ人によくあるジョーンズ。ジョーンズ家はダンテのように優しい人ばかりで皆大好きだ。逢った事は無いけれどメールで何度もやり取りしたから人となりは知っている。私は結婚した事でジョーンズ・絵美という名前になった。
子供の名前はもう決めた。ジョーンズ・エリザベス・絵里香。少し仰々しい名前になったけれど私はダンテが考えた名前を気に入っていた。
「子供が産まれたら挙式をしよう」
「いいよ、挙式なんて。私呼ぶ人居ないし」
「なっちゃんが居るじゃないか。あと叔父さんや叔母さん」
「まぁそうだけど」
「二人だけでも良いよ」
「お金かかるし」
「君のウエディングドレス姿が見たいんだ。着物でも良いけどね」
「分かった。そのつもりで居るわ」
「じゃあきっと絵美に似て美人だね」
「私に似ても良い事無いよ」
「そうやって自分を卑下しないの。絵美は素敵な大人の女性なんだから」
「そうかな」
「うん、だから愛してるって毎日言っているだろう?」
ダンテの力強い言葉に私は照れつつもお礼を言った。
迎えた臨月、予定日より二週間早く赤ちゃんは無事産まれた。
「絵美、頑張ったねありがとう」
「ダンテ……」
お産の痛みと疲れで名前しか言えなかったけれど、可愛い我が子を見て安堵した。
「とてもキュートな赤ちゃんだね」
「ふふ……ダンテに似てる」
「絵美に似てるよ」
そんな絵にかいたような幸せな出産を終えて、これから二人平和な生活をしていくのだろうと思った。が、問題は娘である絵里香がまだ0歳の時に起こった。
「もしかするとお子さんは耳が聞こえていないかも知れませんがこの病院では詳しい検査ができないのです。紹介状を書きますから大学病院に行ってください」
「え……耳が?」
たしかに私達の言葉に対する反応が薄く、心配していた。でも耳が聞こえていないなんて思いたくも無かった。
「ダンテ……どうしよう」
「大丈夫、もし耳が聞こえなくても大事に育てよう」
「ニャー」
ウミも心配そうに私を見つめ、ニャーと一声鳴いた。
「私、Miraiさんに会いに行く」
「占って貰うのかい?」
「うん、良い先生見つけて貰う」
「僕も行こう」
「うん……」
久しぶりに行く奥多摩は夏の木々の香りがした。桃の缶詰を見るとダンテは少し不審そうにビルを見つめていた。私も最初そうだったから分かる。信じろと言って信じられる状況では無い。
「ここが必ず当たる占い館。Miraiさんに占って貰える所」
「いらっしゃいませ」
「コンニチワ……絵美、本当に大丈夫かい?」
「大丈夫、安心して」
そう言って私はカーテンを開けた。
「お久しぶりです」
「お久しぶり。絵美さん。そしてダンテさん。ご結婚、ご出産おめでとうございます」
ダンテは驚いて私の事を見つめていたけれど、私は結婚の事は相談したけれど出産の事までは相談していなかったのでまたも言い当てられたのだ。私はダンテに頷き、話を始めた。
「Miraiさん、ここに来た理由、もう分かっていますよね?」
「お子さんの事ですね」
「そうです。娘の……絵里香の耳が聞こえていないらしいのです。先天性難聴かも知れないって。でも今行っている病院では見て貰えなくて、遠くの大学病院まで行かなくてはいけなくなったんです。どこか良いお医者さんに巡り合えないでしょうか?」
「そうですか。占術はどうしますか?」
「タロットで」
「分かりました」
Miraiさんはタロットを何かの規則性に準えて何枚かのカードを表にした後言った。
「お子さん、まずはその大学病院に連れて行ってください。最初の検査だけです。そしてあなたが住んでいる区にある小児科、さくらんぼ小児外科に通いなさい。そこで野末先生という先生に出会います。その先生はその道のプロで、沢山の小児病患者を診てきています。信頼できる方でしょう」
「ありがとうございます!」
「あと、お子さん、前世でも貴女のお子さんでしたよ。その時事故で耳の聴力を失ってしまったので今世では難聴として症状が出ているだけで、前世から強い絆で結ばれたご家族です。安心して生活されて下さい」
ダンテは何が起こっているのか分からず戸惑っていたけれど、私の顔が明るくなったので安堵しているようにも見えた。
「娘さん、難聴治りますよ」
「本当ですか!」
「あと、結婚式は娘さんが三歳になったらすると良いでしょう」
「何故?」
「その時には、耳が聞こえています」
「そんなっ」
私は嬉しさのあまり泣き出してしまった。ダンテは悪い事を言われたのかとMiraiさんを睨んだが、Miraiさんが英語で『大丈夫、奥さんは喜んでいます』と告げたので安堵していた。
私達は言われた通り大学病院に娘を連れて行った。結果、先天性難聴が確定されてしまった。しかしMiraiさんは治ると言ってくれた。きっと良い治療が受けられるのだ。
私は紹介状を書いて貰ってさくらんぼ小児科への転院手続きをした。
さくらんぼ小児科はとても混んでいて、今か今かと皆が野末先生という人の診察を待ち望んでいた。
「ジョーンズさん、ジョーンズ絵里香ちゃん」
「はい!」
ダンテと私は緊張しながら診察室に入った。
「こんにちは」
とても温厚そうで、賢そうな先生が現れた。年の頃はダンテと同じぐらいか少し若い感じがした。
「先天性難聴ね……絵里香ちゃーん」
先生がガラガラを持って目の前でパフォーマンスをしても見つめてボーっとするだけの絵里香。確かに耳が聞こえていないようだった。
「先天性難聴は何も怖い病気じゃありませんよ。まずは補聴器を試してみましょう。効果が得られなければ人工内耳埋込術を一歳半以降に行う事も出来ます」
「補聴器で聞こえるんですか?」
「十分その可能性は有りますよ」
ダンテは日本語が分からず、先生に英語で質問をしていたけれど、野末先生は流暢な英語で丁寧に説明してくれた。
私はホッと胸を撫でおろした。補聴器が有ればこの子も音を聞く事が出来る。それだけで嬉しかった。
「補聴器の準備をしますから一週間程お時間をください。絵里香ちゃんの耳は小さいのでオーダーメイドになります」
「分かりました、お願い致します」
「ねー絵里香ちゃん、ちゃんとママとパパとお話できるようにしてあげるからね」
聞こえていない筈の絵里香に対しても丁寧に接してくれる先生は神様のようにも思えた。
「先生、ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
「お母さん、まだ聞こえている訳ではないですから。補聴器が届いて装着してみないとお礼の言葉は受け取れませんよ。アハハ」
「でも本当によくして頂いて……有難いです」
「では次は一週間後の水曜日に来てください。予約取っておきますから」
「はい、お願いします」
ダンテと私は手を繋いで、ダンテが絵里香を抱っこ紐で抱っこして歩いた。
「治るんだね」
「そうだね。でも一生聞こえなかったとしても僕の絵は見ることが出来るから一生懸命絵を描こうとか、聴導犬を導入しようかとか色々考えたよ」
「考えてくれてたんだ……ありがとう。ごめんなさい。元気な赤ちゃん産めなくて……」
「絵美のせいじゃない!」
ダンテは怒った。私の責任では無い事、持つべくして持った障害なのだから二人で絵里香を支えていかなければいけないという事、希望があるから大丈夫、という事を一生懸命伝えてくれた。
「ダンテと結婚して、絵里香を産んで、良かった。ありがとう」
「僕も二人に出会えた事に感謝しているよ」
「私も」
その夜。三人でベッドに眠った。
「あーうー」
耳が聞こえなくても唸ったり夜泣きをしたりは出来る絵里香。朝方その声に目を覚ますとダンテがニコニコしてオムツを変えていた。
「あ!ごめん!私がやらなきゃいけないのに」
「絵美は疲れているんだからゆっくり寝ていて。オムツ位変えられるさ」
「でもダンテも寝てないでしょう?」
寝る時間が私より圧倒的に遅いダンテ。なのに夜泣きや早朝の起床を苦労とも厭わずに対応してくれる。
私は当然夢の中だ。申し訳ない気持ちで一杯になった。
「せめて交代制にしようよ」
「絵美は日中ずっと絵里香と居るんだから夜は僕が面倒を見るよ」
「ただでさえ睡眠時間短いのにダンテが倒れちゃうよ!」
私は涙を浮かべて訴えた。ダンテは元気と言ってももう五十三歳。いつまでも元気に過ごして貰うには十分な睡眠が必要だ。私はそれを妨害していると思い、涙が溢れた。
「大丈夫だよ絵美。僕が昼寝しているの知らないだろう?僕、昼間絵を描いている時手が止まったら昼寝しているんだよ」
「うん……」
「だからちゃんと寝ているし大丈夫なんだよ」
「でも無理はしないで。協力して育てていこう?」
「勿論。さ、まだ早いから寝てな」
「うん……」
私はダンテが心配だったけれど眠さの余り眠りに就いた。
一週間後。
「おはよう」
「おはよう、絵美」
「絵里香は?」
「遊んでる」
「今日病院だね」
「うん、楽しみだね!」
ダンテは何でも良い様に捉える。マイナス思考があまり無いのだ。それは人間としてとても魅力的で、私とは真逆の性格だったから最初は戸惑ったけれど今ではダンテのプラス思考に引っ張られている感じもする。
「絵里香、おはよう。耳が聞こえるようになったらママとパパと沢山お話しようね」
そう言って着替えをさせた。
診察は意外と早く回って来て、先生に逢う事が出来た。
「ジョーンズさんこんにちは」
「こんにちは野末先生」
「補聴器、届きましたよ」
「わぁ、小さい」
「補聴器だけで過ごすなら成長と共に大きさも変化しますよ」
「なるほど……」
補聴器を付けた絵里香は少し驚いた顔をしていた。
「絵里香?ママの声聞こえる?」
「あー」
「絵里香、パパだよ」
「だー」
「絵里香ちゃん~野末って言います。よろしくね」
「あの……聞こえているのでしょうか?」
「あまり聞こえていないかも知れませんが一度様子を見ましょう。恐らくこの反応だと多少は聞こえているのでしょう。あまりにも聞こえないようだったら二歳前になった時手術をするかどうかを判断して下さいね。手術すれば補聴器も必要なくなりますから」
「はい……」
「勿論女の子ですから傷を残す心配も有るでしょうが、それはこの子が戦った勲章にもなり得ると僕は思いますね」
「勲章……」
「いずれにしても、これで様子を見て下さい」
「はい、ありがとうございます」
補聴器生活を始めて絵里香の顔には表情がよく出るようになった。まだ言葉を聞ける段階ではないけれど、もしかすると一歳を過ぎれば他の事同じ様にパパ、ママ、と呼んでくれるかも知れない。そう思うと楽しみで仕方なかった。
そして迎えた一歳の誕生日。
「ハッピバースデートゥ―ユー」
ハッピーバースデーの歌をダンテと私とで歌うと、絵里香は満面の笑みで蝋燭を見つめていた。
「はい、これパパとママからのプレゼントだよ」
「良かったねぇ絵里香。ダディにも見せてくれるかい?」
「だ、だ!」
「え?」
「絵里!」
「今ダディって言った!」
「絵里香~ダディだよ」
「だ、だ。ま、む」
二人で肩を寄せ合って泣いた。
一生そう呼んでもらえる事が無いかも知れないと思った時もあった。
張力が無いと判断された時の絶望感は忘れ得る物では無い。
「そう、ダディとマムだよ。絵里香は賢いねぇ」
「ダダ!」
絵里香はそんな感動する両親を余所目に、ケーキに興味津々でダンテのセーターを引っぱっていた。
「そうだね、絵里香。ケーキ食べよう」
「私、切るね」
三人で蝋燭を消して、ケーキを切り分けた。
補聴器を付けているのは痛々しかったが、声が聞こえている、コミュニケーションが取れる。それだけで十分幸せだった。
絵里香が二歳を迎えた時、私達夫婦は決心した。
人工内耳埋込術を行う事を。
「絵里香、少し痛いかも知れないけれど、君の耳をもっと良くする為に手術うけてくれるかな?」
「だだ、いーよ」
分かっているのか分かっていないのかは分からなかったが、私達は本人の希望を尊重したかった。
「野末先生、人工内耳埋込術をして頂けませんか?」
「ふむ、そうですね。補聴器だけでは不十分な聴力のようですし頃合いでしょう。来月、手術の予定を入れておきます。それまでに体調を万全にしておいて下さい」
「ありがとうございます!」
翌月、風邪をひくことも無く元気な絵里香を病院に連れて行き、人工内耳埋込術を施してもらった。
入院期間は二か月。術後二週間後に初めて音を聞かせる事になるらしい。
手術を終えた絵里香はまた音を失っていたが、前の様に唸り声を挙げるだけではなく、簡単な単語は朧げに発する事が出来た。
「だだ、まむ……いたいた」
「そうか、痛いんだね。看護婦さんに言っておくよ」
「手術の後だから痛いんだろうね。私ナースステーションに行って伝えてくる」
「うん、よろしく」
ナースステーションで担当看護師さんに痛みがあるらしい事を伝えると痛み止めを処方出来るよう先生に確認してくれた。
痛み止めを打つと絵里香は深く眠ってしまった。
「子の状態が一週間は少なくとも続きますから痛みがあるようならすぐ仰って下さいね」
「ありがとうございます」
代われるものなら代わってあげたい。そう親なら誰しも思うだろう。
どうして音の無い子を産んでしまったのだろう?その答えはMiraiさんの占いにあった。『前世から親子として結ばれていた絆の深い家族』もしそれが本当ならば、私は目の前に居る絵里香を倍以上可愛がってあげたい。そう思った。




