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第八章

「夏休み、京都を観光したら絵美の家に行こうかな」

「私の家?」

「まだ解約していないだろう?」

「まぁそうだけど……良いの?あんな狭い部屋」

「勿論さ」

「東京のマンションは会社が契約しているマンションだから半年以内に引っ越さなければならないの。私、言ったように横浜に引っ越そうと思っているから横浜のマンション一緒に見に行かない?」

「良いね!横浜にも行こう」

 八月の蒸し暑い空気の中、私達は横浜に居た。

「えーとファミリー向け物件ならこちらとこちらがお勧めですね。ペットは飼われる予定ございますか?」

「ダンテ、どうする?」

「絵美はどうしたい?」

「私、猫飼いたい」

「ならペットOKの所にしよう」

 猫を飼って二人で育てる、そんな夢物語がすぐ眼前にあった。

「僕は一度アメリカに帰って荷物の整理と再入国の手続きをしないといけないけれどその前に猫を飼おう。そうすれば絵美も寂しくないだろう?」

「うん、そうだね」

 不安が無いと言えば嘘になる。もしかしたらダンテが再入国せずに日本に帰ってこないかも知れない。そう考えるだけで怖かった。

「大丈夫、僕は必ず日本に帰ってくるよ」

「ダンテ……」

 心の中を見透かされた様な言葉に私は嬉しさを抑えられなかった。

「ペットOKのマンションはあるかな?」

「それでしたらこちらですね。内見されますか?」

「勿論です」

 二人で不動産屋さんの運転する車に乗り込んだ。

「ここ、良いじゃないか。畳があって日本らしい」

「和式の方が良いの?」

「うん、畳の上に布団を敷いて寝たいね」

「日本人みたい……」

 ダブルベッドで二人朝寝坊をするという夢は打ち砕かれたけれど、そんな日本好きなダンテも好きだ。

「じゃあここに決めます」

「分かりました。事務所に戻って書類の準備を致しますね」

 手続きを終えた私達は横浜の街を散策した。みなとみらい、桜木町、元町、中華街。

 中華街はアジア系の観光客が多く、日本人だと思って見ると聞き覚えの無い単語が飛び交っているシーンが多かった。

「凄いねぇ本当に日本じゃないみたい」

「僕中華料理好きだよ」

「私も。辛いのは苦手だけど」

「僕も辛いのはダメ。チャーハンが好きだな」

「ここ入ろうか」

 手頃な店を見付けてディナーにした。

「ビールください」

「絵美さっきも飲んでたけど大丈夫?」

「平気平気!私酒豪だからね」

「飲みすぎはダメだよ」

「はーい」

 ダンテはもう私の酒豪に慣れたという青をしていた。

「いつ引っ越そうかなぁ。いつでも良いんだけど早めの方が良いな」

「期限もあるしね」

「そうなの。だから早く引っ越さなきゃ。今週引っ越し業者さんに見積もりして貰う」

「うん、僕も付き添うよ」

「ありがとう。あ、猫はどうする?私保護猫が良いと思っているんだけれども」

「そうだね。ペットショップで買うより、困っている猫を一匹でも救えたら良いね」

「うん、来月譲渡会が東京であるみたいなんだけど行っても良いかな?」

「勿論。その頃には引っ越しも終わっているかな?」

「そうだね」

 私達はファミリータイプのマンションを借りる事にした。ダンテの部屋もあるし、私の部屋もある。そして、将来子供が産まれても良いように子供部屋も。

 引っ越し業者三社に見積もりをして貰って、一番安い所に決めた。荷詰めを二人でしたけれどとても多い荷物に私達は疲弊した。こんなに荷物あったんだ、そう思う程に。

「絵美、少し荷物捨てた方がいいんじゃないかな?広い所に引っ越すとは言えこれだと場所が……」

「そうだよね。少し捨てるよ」

 私の荷物を捨てるもの、持っていくもの、持って行くものの中でもクローゼットや台所、本棚と場所を分けて一目で分かるようにカラーテープで印をつけた。かなり捨てる物があって驚いた。

「絵美は物を大切にする人なんだね」

「ただのズボラだよ。捨てるのが面倒なだけ」

「でもほら、これ……すごく大切にしてくれている」

 ダンテがそう言って手に取ったのはいつかダンテが私にくれた猫の形をした入れ物。ガーネットは相変わらず箱の底で煌めいていた。

「これは特別。ダンテがくれた物は全部特別だよ」

 こんな恥ずかしい事もサラッと言えるようになった自分に少し驚いていた。

「さぁ荷詰めも終わったから食事に行こう」

「そうだね。お腹空いた」

 夜更けになり食事を近所の蕎麦屋で済ませ、私達は小さなシングルベッドに二人で眠った。

 二日後、引っ越し業者がやって来て横浜の家に移動した。

 なっちゃんにはダンテと婚約した事や、引っ越した事を伝えていた。

『なっちゃん、今日から横浜です。いつでも良いから遊びに来てね』

『OK!横浜行ったら中華街行きたい!旦那様にもよろしくね』

 旦那様、と言われて少し照れたけれど私達は結婚を控えているのだ。それも来年の十月に。Miraiさんに言われたからでは無い。ダンテの学校が終わるのは来年の三月。そこからアメリカに一度帰り、再入国の手続きをし、横浜へ引っ越しをしなければならない。そうこうする内に十月なんてあっという間だ。

「絵美、この荷物は本棚だよね?」

「そう、本多くてごめんね。本棚買ったからもうすぐ届くと思うんだ。そこに置いといて」

 私はインターネットで注文した本棚の到着を今か今かと待っていた。大量の本を納める本棚が必要だ。

 漫画、雑誌、小説、図鑑。色々な種類の本があった。どれも捨てる気になれず持ってきてしまった。

「僕も日本語が読めたら絵美の好きな本が読めるんだけどな」

「その内読めるようになるよ。日本語難しいから時間がかかるよ」

「そうだね。さ、もう少しで片付けは終わりだ」

「うん、もう少し頑張ろう!」

 やっと片付けを終えるとダンテが料理をしていた。

「食事なら私が作るのに」

「いや……あのね。僕実は柔らかく煮た野菜苦手なんだ。野菜はサラダで食べたい方なんだよね」

「えっもしかして京都では我慢して私の食事食べてたの?」

 ダンテを我慢させて私の料理を食べさせていたと思うと驚きと申し訳なさで一杯になった。

「我慢はしていないよ。君の料理は美味しいから」

「でも我慢していたんでしょう?」

「あはは、まぁそんな不安そうな顔しないで。僕は料理が好きだし家事は僕がするよ」

「じゃあ私は何をすれば良いの?」

「絵美は好きな事をしていれば良いよ」

「好きな事って言われても……それならお皿洗いとか掃除は私がやるよ。それで良い?」

「勿論」

 その日の夕食はダンテが作ったタコスだった。特製の生地に豆のペーストとチーズを挟んだそれはとても美味しくて私は二つも食べてしまった。

「ダンテ料理上手だね」

「一人暮らしが長いからね」

 東京の家は狭くて一緒に料理する事なんてできなかったけれど、横浜の家は広く一緒に台所に立つ事ができた。

「今度餃子一緒に作ろうよ」

「良いね。餃子僕好きだよ」

「知ってる。ふふ」

 夏休みはあっという間に終わり、ダンテの学校が再開された。また休みの日京都に来るよう言い残して。

 ダンテは仕事を辞めた私の為に新幹線代を猫の入れ物に入れてくれていた。

『なっちゃん、近日中会えるかな?』

『今度の金曜日でどう?その日半休だから昼から空いてるよ』

『ありがとう、じゃあ金曜日に』

 久しぶりになっちゃんに会おう、そう決めたのは彼女の助言が欲しかったからだ。

「久しぶり~」

「久しぶり、時間空けてくれてありがとう」

「いいえの。で、どうしたの?」

「うん、ちょっと助言が欲しいっていうか相談したい事があって」

「珍しいね。何?」

「ダンテがね、家事は僕がやると言っているの。どうも私の料理が口に合わなかったみたいで今まで我慢して食べていたらしいの。ダンテは固い野菜が好きで触感を大事にしているらしいのね。でもこのままじゃ私ダンテにお世話されるヒモになっちゃうから悪い気がして……掃除とお皿洗いはさせてくれるみたいなんだけどさ」

「良いなぁそんな旦那様欲しいわ。でもヒモっていうのは違うんじゃない?ダーリンは好きでそうしたいって言っているんだからさ。それに好みって段々に分かっていくものだから、それを徐々に自分のものにしていって、和食もアレンジして出してあげれば良いじゃない」

「アレンジ……か」

「固い野菜が好きなら煮込んだり焼いたりする時時間短縮しちゃうとかさ。まぁあんまり美味しくは無さそうだけど」

「ダンテの好みに合わせるって事ね」

「そ。一緒に食事に摂るって大事だと思うのよ。夫婦って一緒に寝て一緒にご飯食べる所から始まると思うし長続きの秘訣だと思うの」

「なるほど……私はダンテが最初で最後の旦那さんであって欲しいから寄り添わなきゃね」

「うんうん、頑張れ!」

 なっちゃんに相談して良かった。Miraiさんに相談するような事でも無いし、なっちゃんも今年婚約をしたので年上の友達の意見が聞けるというのは有難かった。

 私達はお酒を飲んで最近の仕事の様子や、ダンテの話をして夜を過ごした。

 翌日、ダンテが用意してくれた新幹線代を握り占めて新横浜に向かった。

 ダンテが学校の日は、SNSでテレビ電話をしてお互いの様子を知らせ合っていた。しかし、今週の金曜日、なっちゃんと別れた後電話するとダンテは泣いていた。理由を聞いたけれど泣きじゃくるダンテの英語が理解できず、電話を終えていた。理由が分からない私は京都への道を焦っていた。

「ダンテ!」

「絵美」

 少し元気が無さそうなダンテが心配だった。

「一体どうしたの?」

「母さんが……死んだんだ」

「えっ」

 ダンテが泣いていた理由は、ダンテのお母さんが亡くなったからだった。そんな事があったにも関わらずダンテは私を京都駅で待っていてくれたのだ。

「アメリカに帰らなきゃ!」

「葬儀は身内だけで行うらしい。僕も少しアメリカに帰って葬儀に間に合わなくてもお墓参りをしたいと思うんだ」

「うん、私の事なら気にせず行って来て!」

「日曜日、飛行機を押さえたよ」

「本当は今日行きたいんじゃない?」

「飛行機が無くてね。仕方ないさ」

「ちゃんと供養してあげてね」

「ありがとう」

 日曜日、ダンテと私は空港まで行った。羽田まで行くと言うので付いて行った。

「これ……香典。日本のやり方だけど、亡くなった方と遺族の方に少しだけどお金を渡すの。アメリカには無い習慣かな?」

「コウデン?知らなかったな。アメリカではお金のやり取りは無いよ。お花を贈る位かな」

「そうなんだ。でも気持ちだから、受け取って」

「絵美、ありがとう。兄弟達に渡しておくよ」

「無事に帰ってきてね」

「うん、行ってきます」

 ダンテは日本語で行ってきますと言うと私にキスをした。

 いつも外でキスをされるのでもう慣れっこだ。

 ダンテは一週間、アメリカに帰国してすぐに日本に戻って来た。私は横浜の家でダンテの帰宅を待っていて、なっちゃんに言われた通りダンテの好みでありそうな固い野菜を入れたシチューを用意した。味見したけれど、固い野菜のシチューは美味しいとも美味しくないとも思えなかった。

 ベルが鳴り、ダンテが返って来た。

「お帰りなさい!長旅ご苦労様」

「ありがとう、寂しかったかい?」

「うん……でも仕方のない事だから」

「絵美に渡したいものが有るんだ」

「何?」

 荷ほどきをしながらダンテは嬉しそうに笑った。

「これ、僕からのプレゼント。ダイヤじゃなくてごめんね」

「えっ可愛い」

 ダンテがプレゼントしてくれたのはシルバーのブレスレット。ハートの飾りが付いていてとても可愛らしかった。

「それとこれ、母さんの形見なんだけど、結婚指輪にどうかと思って」

「そ、そんな!お母さんの形見なんて大切な物貰えないよ」

「大丈夫。姉さんも兄さんの嫁さんも同意してくれたから。これは僕の家族からの贈り物、かな?」

「ありがとう……凄く嬉しい」

 私は抱き締める様に金色のリングを胸に当てた。ダンテはそれを優しく解いて、私の薬指に嵌めてくれた。

「大事にする」

「うん、僕は日曜日になったら京都に戻るけれど、年末年始の休みとアメリカにもう一度帰国する前はここで過ごすよ」

「年越しが一緒にできるんだね!」

 嬉しい約束に私は胸躍らせた。

「勿論土日祝日には京都においで」

「うん!」

「それはそうと、猫の譲渡会も行かないと君の相棒が出来ないね」

「ダンテがアメリカに帰る江直前で良いよ。子猫から育てるならここに置いて京都には行けないし」

「そうだね。そうしよう」

 その日はシチューを食べて二人一緒に眠った。

 日曜日が来るとダンテは京都へ戻っていった。

 横浜の家にはダンテの作品が飾ってある。才能豊かな人だと心底思う。私は美術が得意だったので絵を見る才能は多少有ると思っている。贔屓目では無く、ダンテの絵には真心が籠っている。見る者を温かい気持ちにさせる。

「でもこれって幾らなんだろう……」

 絵画の値段は分からなかったけれど、多分安い金額では無い。ブランド物すら持たない私には高級品だ。

 今年の夏は長く、十月になっても強い日差しの中沢山の人が仕事に励んでいた。私は貯金を切り崩しながら生活していたけれど、そろそろアルバイトでも始めないといけないなと思っていた。

 しかし、働く事自体が私にとって重荷になっていた。一日誰とも逢わず、ダンテとだけやり取りをする日々。ダンテに生活の援助をして貰いながら生活していると本当に働く気力が無くなっていった。

「仕事?」

「うん、そろそろ始めないとと思っているんだけれど」

「無理して働く事は無いさ。来年には僕達結婚するんだし」

 さらっと結婚という単語が出てきて私は照れてしまった。ダンテの奥さんになる。それは私の夢であり、待ち望んだ事。この温厚な人の傍らで生きていきたい、そう思う。

「絵美は普段何をして時間を潰しているの?」

「私?うーん、本読んだり落書きしたり、かな」

「絵美も絵を描くんだね」

「ダンテみたいに上手には描けないよ?でも美術好きだったから」

「漫画を描いてみたらどうだい?」

「漫画?」

「絵美は漫画も好きだから、漫画家になれば良いさ」

「良いさってそんな簡単な道のりじゃないよ」

「絵美ならできるさ」

「そうかなぁ」

「絵、見せてごらん」

「そんなプロに見せるような絵じゃないよ」

「良いから」

 半ば強引に紙を取られて絵を見られてしまった。

「これは……」

「あぁ……それ、ダンテの持ってる写真見てダンテの家族を描いてみたんだけど……ダメだね」

「これ、僕にくれるかい?」

「え、良いけど」

「素敵だよ。愛が籠っている。絵美は絵の才能があるよ」

「そんな……」

「嬉しいよ。こんな風に描いてくれて。母さんも活き活きしてる」

「お母さん亡くなった時に描いたの。渡そうかと思ったけどプロのダンテに渡すようなものじゃないと思って隠してたの」

「僕に隠し事は出来ないよ」

「そうだね」

 今までダンテに嘘や隠し事はした事が無い。Miraiさんの事も伝えたし、私の生まれの事や苦労した事もダンテは知っている。私の唯一の心配はダンテの再入国が無事に済むかどうかだった。

 年越しを迎えて、私達は初詣に近所のお寺に向かった。私は真剣に『ダンテが早く再入国できますように』と、願った。

 一人でいる事の寂しさに慣れた筈の人生、今ではダンテが居ないと寂しいのだ。

「絵美、何お願いしたの?」

「ダンテが無事に卒業した後再入国できますようにってお願いしたの」

「大丈夫だよ。旅行ビザで入国すれは九十日は日本に居られる。例えば、一度別国、韓国なんかに行けばまた日本に戻って来た時再度九十日は居られる。結婚するまではそうすれば良いさ」

「婚姻ビザを取得するって事だよね」

「勿論。色々アメリカで手続きする事があるから戻ってくるのは夏頃だろうけど、安心して。必ず帰ってくるから」

「うん」

 ダンテの手が私の冷たい手を覆っていた。

 それだけで安心出来る。こんな日が来るなんて思ってもみなかった。 

 三月、ダンテは無事卒業試験を終えた。

「絵美、譲渡会に行こう!」

「約束していた猫ね!」

「そう、僕が居ない時代わりに君を守ってくれる存在が居れば僕も安心だからね」

 そう言ってダンテは私の手を取り東京に向かった。

 造像以上の混雑で、どの子も可愛くて私は目移りしていたけれど、ダンテが八割れの子猫を見付けて私を呼んだ。

「この子、とても可愛いよ」

「本当だ、カギシッポだから縁起良いね」

「カギシッポ?」

「そう、シッポが真っ直ぐじゃなくてうねっていたり、おれたみたいになっているのをカギシッポっていうの。幸運の証」

「じゃぁこの子にするかい?」

「うん!」

 私達はその場で引き取りの手続きをし、後日保護主さんが連れてきてくれることになった。保護主さんは二度とこの子が苦しい目に合わないように、慎重に飼い主を選ぶ。

「一生この子を守ってくれますか?」

「勿論です」

「ではお願いします」

「ありがとうございます!」

 こうして私達の家族が一匹増えた。

 ダンテは四月まで横浜に滞在するとアメリカに帰国した。

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