第三章
「え!英会話習い始めたの?」
月曜日、なっちゃんに軽くダンテの事を話すと驚いた様子でそう言われた。
「習うって言っても会話自体が英会話だから翻訳無いと無理」
「だよね~私も英語苦手!全然喋れないもん。でも新しい出会いってやつ?」
「そんなんじゃないよ。まぁ出会いではあるけれども、彼年齢五十だし、私には年上すぎるかなって思うし」
「でも最近歳の差婚増えてるじゃない、もしかしたらもしかするかもよ~」
「そうかな?まだやり取り始めたばかりだからよく分からない」
「えっちゃんも隅に置けないなぁ」
「止めてよそんなんじゃないって」
笑いながら答えるとなっちゃんは少し嬉しそうに話し続けた。
「えっちゃんってあまり人を寄せ付けないタイプだと思ってたからなんか新しい出会い見つけたって聞くと私まで嬉しくなっちゃうなぁ」
なっちゃんのその言葉は素直に嬉しかった。私の事を真剣に考えてくれている様だった。
「確かに、今までの私なら想像もつかない行動だよ」
「誰かに言われたの?それとも自分から思いついて行動?」
「まぁ何となく始めた感じ」
私は嘘をついた。
なっちゃんに必ず当たる占い館の事を言おうかどうしようか考えあぐねていたが、何故か言ってしまうと二度とMiraiさんに逢えなくなる気がした。。
「私も英会話習おうかな~外国人観光客とかにちゃんと道教えてあげられたらかっこいいよね」
「そうだね。今の所英語で会話してるけど本当に翻訳サイト頼りだからさ。早く話せるようになりたいよ」
「頑張れ~」
ランチの時間をなっちゃんと過ごすのは毎日の日課になっていた。前の私なら今日のラッキーフードを選んでランチに行っていたけれど今は違う。
Miraiさんに言われた『これから貴女の運勢は向上する』という言葉を信じようと決めたからだ。
悪い事ばかりが起こる訳では無い、私の運勢はこれから上がっていくんだと自分に言い聞かせて。
帰宅し、パソコンを開くとダンテからメールが来ていた。
『やぁ絵美、仕事は捗っているかい?添付した画像は僕の書いた絵だよ。日本をテーマにした絵なんだ』
そう綴られたメールには添付ファイルが付いていて開くと池に鯉が居て、ゆっくりと泳いでいるような油絵が映されていた。
「綺麗……』
ほっと溜息が出るほど美しい油絵を見てダンテの才能に感心した。私にはこういう特技が無い。羨ましいと思った。
私は翻訳サイトに日本語の文章を打ち込み、翻訳結果をコピーしてメールを送信した。
『ダンテ、素晴らしい絵を見せてくれてありがとう。貴方は才能が有るのですね。私には特技が無いので貴方を尊敬します』
メールを送信して、シャワーを浴びると早速返信があった。
『僕の絵を褒めてくれてありがとう。絵美は優しい心を持っているね。特技が無いと言ったけれど、そんな事は無いはずだよ。きっと君にも得意な事が有るはず』
優しい返信に心が温かくなる気持ちだったけれど、特技と言えるものは思いつかなかった。強いて言えば、仕事を淡々とこなす地味さ、位だろうか。
『私に特技があるとは思えないけれど、仕事を毎日こなす事が私の特技だと思います』
正直にそう伝えると、今度はこう言われた。
『仕事を頑張っている君は偉いと思うよ。僕は学校で働いていたけれど途中で辞めてしまったからね。一つの事に真剣に取り組める事は非常に大きな特技だよ』
『ありがとう、またメールします。おやすみなさい』
私は短い返事をして眠りに就いた。
それから私達は度々メールのやり取りをした。
私が使う英語は翻訳サイトで得た情報なのでおかしな英語があり、時々ダンテはExcelで添削したメールを添付してくれた。赤文字で指摘された生の英語に私は感心するばかりだった。そして、私は日本の文化や歴史を紹介するようになった。勿論ひらがなを使って英語とそれに対する日本語を綴り、日本語をダンテに教えるようにした。
『お は よ う え み』
そんな風にダンテは一生懸命ひらがなを習得し、時々メールで日本語のメールをくれた。
平和な日々がこれからずっと続くかも知れない、そう思っていた真冬十二月十五日、おばちゃんから再び連絡が有った。
仕事中だったので、ショートメールが入っていた。
『おじいちゃん、危篤』
私は愕然として急いで職場に有給申請をした。
飛行機を手配したが、いざ飛行機に乗ると北海道は吹雪になっていて、上空を五回程旋回した後、羽田空港まで戻されてしまった。
急いでいるのに、おじいちゃんに一言『ありがとう』と言いたいだけなのに、焦る気持ちが先走って私は振替便に乗り込んだ。
何とか吹雪の間を縫って着陸した飛行機から走って一分一秒を争う気持ちで室蘭へ向かった。
おばちゃんに聞いていた病院に辿り着き、スーツケースと一緒に走って病室に向かうとそこにはおばちゃんたち家族が涙を流しながらおじいちゃんを囲んでいた。
「ごめんね、絵美ちゃん。間に合わなかったわ」
「そんな……」
ベッドを見るとまだ温かみを帯びたおじいちゃんの体が横たわっていた。
私は号泣しながらおじいちゃんの体に抱きついた。
「何で……どうして……どうして先に逝っちゃうの!」
順番で言えばおじいちゃんが先に死ぬのは頭では理解していたけれど、私にとって父と同等のおじいちゃんが居なくなることは考えもしていなかった事で、悲しみは深かった。一瞬、後を追いたいという衝動に駆られるほど悲しかった。
おじいちゃんが死んだ……私の心も同時に死んでしまったかのようだ。心にぽかんと穴が開くと言うのはこう言う事を言うんだ。
私は意気消沈したまま暗い声で会社に電話を入れた。
「係長、祖父が亡くなりました。忌引き休暇を頂けますか?」
「それはご愁傷様だったな。ゆっくり休め。おじい様が亡くなった場合は四日間忌引きが取れる。それで良いか?」
「はい……ありがとうございます」
こうして忌引き休暇を四日貰った。
私は結局おじいちゃんに何もしてあげられなかった。
その晩は眠れず、おじいちゃんの遺体を家に運び、となりの部屋で眠った。
「おじいちゃんね、日記付けてたの。読んでみて」
そうおばちゃんに言われて夜通しおじいちゃんの手帳を読み漁った。その中で、私が十六の時母を失った頃の事が書かれているのを見つけた。
『絵美が元気ない、早く元気になって欲しい』
涙がまた溢れた。
おじいちゃん、私おじいちゃんのお蔭で元気になったよ。寂しくなかった。おじいちゃんはいつも味方で居てくれて、私のヒーローだったよ。
そうおじいちゃんの遺体が安置されている部屋に向かって心の中で語りかけた。
次の日、通夜が行われた。
「武田さん、ありがとうございます」
「この度はご愁傷様でした。まさか佐藤が死ぬなんてな……もう少し持ってくれると思ったんだけどな」
「武田のおじいちゃん、絵美です。来てくれてありがとう」
「絵美ちゃんか、社会人らしくなったの。あまり気落ちするなよ」
「うん……」
武田のおじいちゃんというのはおじいちゃんの家の近所に住む人で、おじいちゃんとは長い付き合いだった。友人として何十年も親交を深めた人の一人で、私が幼い頃はおじいちゃんと武田のおじいちゃんと三人でよく遊んだ。
久しぶりに逢う武田のおじいちゃんに声をかけると心底悲しそうに話してくれた。
「絵美ちゃんの事よう自慢しとったわ。真面目に仕事しとるってな」
「そっか……そんな頑張ってるっていうか地味に仕事こなしてるだけなんだけど……」
「それが偉いんだよ」
おじいちゃんが私の話題をして喜んでいてくれたという事を知って、私も嬉しかった。でも、そのおじいちゃんはもうこの世に居ない。どれだけ逢いたいと思っても、話したいと思っても、もう叶わないのだ。
「最後に絵美ちゃんと飲んだ時も絵美ちゃん帰った後何度も絵美が酒持ってきてくれたって言ってよろこんどったよ」
「あれは……うん、私も一緒に呑めて良かった」
占いとおばちゃんからの連絡があったからだ、という答えを私は飲み込んだ。
通夜は粛々と行われ、沢山の人が家に来てくれた。近所の人、友人、仕事でお世話になったりお世話をしたりした人、親戚。
おばあちゃんも悲しみに暮れながらも来客の対応をこなしていた。
生涯の伴侶を失うという悲しみはどれだけ深いものなのだろうか。そんな事を考えた。おばあちゃんは働きに出ていた母の代わりに私の面倒を見てくれた人だ。おじいちゃんも大好きだけれど、おばあちゃんも私は大好きだ。
「おばあちゃん、大丈夫?」
「絵美ちゃん、大丈夫だよ」
「無理しないでね」
「ありがとう」
一回り小さくなったように見えるおばあちゃんが心配だった。
「おじいちゃんとおばあちゃんと私でよく出かけたよね」
「そうだねぇ。おじいちゃん、絵美ちゃんには特別甘かったから」
「うん、可愛がってもらったと思ってる」
「そうねぇ、ほら、植物園行ったり公園行ったりね」
「懐かしいなぁ。あの頃楽しかった」
「今は楽しくないのかい?」
「そんな事無いけど……やっぱり懐かしいし、沢山おじいちゃんとおばあちゃんに遊んでもらって幸せだった」
「おばあちゃんも楽しかったですよ」
「そっか。なら良かった」
「可愛い絵美ちゃん、これからも元気でね」
「うん」
まだまだ子供扱いされているようだったけれどそれも素直に嬉しかった。




