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第十章

 二か月のリハビリを終えると、大分絵里香は話せるようになっていた。

「だでぃ!まむ!」

「絵里香~すっかり良くなったねぇ」

「みみ、きこえる」

「うんうんマムもダディも嬉しいよ。さ、野末先生にお礼を言って帰ろう」

「せんせー」

「あ、野末先生!」

 絵里香が『先生』と言って指を指すとそこには野末先生が満面の笑みで立っていた。

「絵里香ちゃん、退院おめでとう」

「わざわざありがとうございます」

「せんせー、えりか、なおった?」

「うん、治ったよ。パパやママとお風呂も入れるし、プールも行けるよ」

「えへへー」

「本当にありがとうございました」

「いえいえ、私は自分の職務を全うしただけですから」

「この子、大事に育てます」

「そうしてあげて下さい」

 纏めた荷物を抱えて三人で先生に手を振ると先生も手を振り返してくれた。

 Miraiさんに相談してよかった。こんな素晴らしいドクターに出会えて、絵里香を救う事が出来た。

「本当にMiraiさんの占いは当たるんだね」

「占いっていうかもうほぼ予言だけどね」

「変わってるしね」

「ぷぷっそう思った?私も最初信じなかったの!もう怪しさ満点過ぎて笑えちゃうくらい」

「そうだよ!桃の缶詰なんてビルおかしいし、あの受付の人の無表情って言ったらホラーだよ」

「あはは」

「まむ、たのしそう」

「あーごめんね絵里香。そう、面白い話していたの。大きくなったら話してあげるね」

「うん!」

 絵里香が三歳になった時、ダンテは絵里香の誕生日の日にバラの花束を私に渡して、こう言った。

「絵美、僕と結婚してください」

「えっ?ちょ、どういう事?」

「絵里香が三歳になったら、挙式を挙げるって言ったじゃない」

「あぁ、覚えてたんだ」

「Miraiさんの予言は絶対だからね。覚えていたよ。ここ、パーティールームを押さえたんだ。ドレスレンタルも付いているから便利だよ。来週ドレス見に行こう」

「嬉しいっ」

 感極まってダンテと私は抱き合ってキスをした。

「まむ、だでぃ、キスしてる~」

「あ……」

「ハハハ、絵里香もダディとキスするかい?」

「やーキャハハハハ」

 キャッキャとじゃれ合う二人を他所に私は子供の前でキスしてしまった事を少し後悔していた。だって恥ずかしいもの。


 翌週、絵里香を連れてウェディングドレスを選びに行った。

「これなんか似合うんじゃないかな」

 ダンテが手に取ったのは純白のマーメイドタイプのウェディングドレス。

「着られるかな?」

「着てごらん。あ、すみませんお願いします」

「かしこまりました」

「あと子供用のドレスも見立てて貰えませんか?」

「承知致しました。お嬢様ですね」

「イエース!この子のドレス、お願いシマース」

「ダディ、私もお姫様?」

「そうだよ、絵里香もお姫様になるんだ」

「やったー!」

 そして私は叔父と叔母となっちゃん夫妻を呼び、小さなパーティーを催した。

「本日はお越しいただきありがとうございます。籍を入れた時には既に絵美が絵里香を身ごもっていたので結婚披露がこんなに遅くなってしまいました。申し訳ありません」

 ダンテが挨拶をすると、拍手が起こった。

 そしてフラワーガールを務めた絵里香の花びらに誘われて、私はダンテの元へ辿り付いた。

「マム、ダディ、おめでとう!」

 そう言うと、おばちゃんの居る席に向かって走っていった絵里香。

「絵美、綺麗だよ」

「ダンテも格好良い」

 私達は人前式を選択した。二人で誓いの言葉を述べるのだ。

「私達夫婦は、病める時も健やかなる時も、悲しい時も楽しい時も気持ちを共感し合い、助け合い、我が子を慈しみ生きていく事をここにいる皆さんに誓います」

 拍手が巻き起こり、リングボーイを務めてくれた従弟甥の子からお母さんの形見のリングをダンテが手に取り、私の指に戻してくれた。

「では、誓いのキスを!」

 司会者の人に言われてドキドキしながらキスをした。

 まるで初めてキスした時のように。

 それからは皆と会食をし、楽しい時間を過ごした。ダンテはひっきりなしに私の写真を撮っていて、後から携帯を見ると私の笑顔の写真ばかりがメモリに入っていてた。

 こんな素敵な結婚式を挙げてくれた事に感謝した。

「ダンテ、結婚式挙げてくれてありがとう。私、世界一幸せだよ」

「僕からの最大のプレゼントだよ」

「うん!」

 挙式の後は叔父とダンテと絵里香四人でホテルのバーに行き、ワインを飲んだ。楽しい一日はあっという間で、大切な思い出になった。


 絵里香の成長は早かった。幼稚園、小学校と進み、中学受験を控えていた。

 絵里香は美大に行きたいと言い、中高一貫校で美術に強い学校を受験する事にした。これは間違いなくダンテ譲りの遺伝だろう。

「絵里香、受験も良いけど頑張り過ぎないでね」

「マム、心配し過ぎ。大丈夫だって。ダディは?」

「絵描いてるわよ」

「後で見に行こうっと」

 絵里香はダンテに似て明るく、利発な子に育った。ダンテの絵を見るのが好きで、目標にしている。

 私はと言うと、ダンテにいつか提案された漫画家になるという夢を諦めずブログで四コマ漫画を投稿していた。

 とある日、出版社から電話があり、本にしないかという誘いがあった。私は迷ったが自分の体験が誰かの背中を押す事が出来るのであればと思い、出版を決めた。

「絵美!おめでとう!」

「Congratulations, mom!」

「ありがとう二人とも。こんなケーキなんて用意しなくても良かったのに……まだ売れるかどうかも分からないし」

「きっと売れるさ!」

「うんうん!」

 クラッカーのリボンで頭がぐちゃぐちゃになっているのを解きながら、私は考えた。本当に本が売れたら、もう少し広い家に住み替えても良いかも知れないと。

 手狭な訳では無かったけれど建物自体が古いので私は新しいマンションの広告が入る度に良いなぁと思っていた。

「もし……もしだよ?大きな収入になったら家族三人と一匹で横浜市内で引っ越さない?ここ不便だし古いし」

「やったー!」

 絵里香は無邪気に喜んでいたけれど、前提を忘れているようだった。

「売れたら、だよ」

「あ、そっか。でもマムの漫画面白いから売れるよ」

 あっけらかんとしている所もダンテそっくりだ。

「絵里香は本当、ダンテに似てる」

「ダディに?」

「そっくりよ貴方達」

「絵美にも似てるよ。美人な所がね」

「ダンテ!子供の前でそう言う事……」

 頬を赤くして反論したけれど絵里香は慣れっこといった感じでケーキに貪り付いていた。

「いいじゃない仲良いんだから。私気にしないよ」

「そ、そう?でもお友達の家ではこう言う事ないでしょう?」

「無いけど可哀想だなって思う。お父さんとお母さんが仲悪いと子供に影響するから」

「あなたって時々物凄く大人の発言するわよね」

「これでも勉強は欠かしていませんから。じゃ、私受験勉強するね。あとはお二人で~」

「絵里香、ありがとう」

「good night dad」

 絵里香は私とダンテの教育を受けて英語バリバリに育った。家族の会話は日本語と英語が混ざっていた。

「絵里香ったら……」

「可愛いじゃないか」

「まぁね」

「あ、クリーム付いているよ」

 ふっとキスをされて舌でクリームを拭われたのを感じて頬がかぁっと熱くなった。

「い、言ってくれれば自分で取るよ」

「絵美はそういう所がまだまだ僕に慣れていないよね」

「日本人の男はこう言う事しないから未だに照れるっていうか……でも本当は……嬉しいんだよ?私、ダンテに出会ってから幸せしか無い」

「結婚十周年も終えて、もう十四周年だね」

「そうね。早い物だわ」

「二十周年には家族で旅行だね」

「私アメリカ行きたい」

「それは別にお祝いの時じゃなくても行こうと思えば行けるよ」

「パスポート作らなきゃ」

「だったら絵里香の受験が終わったら三人でアメリカ旅行に行こう。兄さんがカリフォルニアに住んでいるんだ。カリフォルニアと、姉さんの住むアリゾナに行こう」

「本当?嬉しい」

 私の中はいつの間にか沢山の夢で溢れていた。アメリカ旅行、絵里香の成長を見守る事、本の出版、ダンテとの平和な生活。そして次の二十周年に向けて愛し合う事を忘れない事。

「来月には受験だから絵里香の体調管理しっかりしなきゃね」

「そうだね。大丈夫。栄養満点の食事を作るよ」

「たまには私にも作らせてね」

「勿論」

「寒いから早く寝よう。風邪引いちゃう」

「そうだね。絵里香は大丈夫かな?」

「電気毛布買ったから包まって勉強している筈よ」

「それなら大丈夫だね」

「寝ましょう」

「うん」

 私はおむすびを作って絵里香に夜食を出すとダンテの待つベッドに潜り込んだ。ダンテは体温が高い方だからお布団はとても暖かった。

「暖かい……」

「うん……」

 もう寝ぼけ眼のダンテはすぐいびきをかき始めた。

「i love you」

 そう告げて唇を重ねると、少し目を開いてダンテが笑みを浮かべた。

「アイシマス……」

 寝ていてもしっかり返してくれる愛の言葉。

 ダンテは日本語で愛を紡ぐ時、『アイシマス』と言う。まるで誓いの言葉を述べる様に。


「あ、健康診断の紙来てる。ダンテ!」

「はいはい何だい?」

「今年も健康診断、受けてね!」

「え~大丈夫だよ」

「無料で受けられるんだからちゃんと受けて!」

「分かったよ僕の負けだ」

 渋々ダンテは健康診断に行った。一週間して結果を聞きに行くと。

「前立せんがんの疑いが有ります。すぐに大きな病院で検査して下さい」

「そんな……」

 不安と恐怖が押し寄せた。もし癌だったら……そう思うと体の震えが止まらなかった。

「大丈夫だよ絵美、癌とは決まっていないしもし癌だったとしても治療法は有るよ」

「うん……」

 待合室で必死に涙を堪え、私は大きな恐怖に直面していた。

 勿論ダンテはもう六十七歳で、どこか悪くしてもおかしくない状況ではある。しかしダンテが居ない生活等考えられる訳も無く、私はMiraiさんに逢いに行く事を決めた。あと何年、一緒に居られるのか。それを知りたかった。

「こんにちは」

「……こんにちは」

 Miraiさんは少し難しい顔をしていた。

「あの……ダンテが癌かもしれなくて……私達、いつまで」

「ちょっと待ってください」

「え?」

「貴女はお忘れですか?寿命に関する質問をすると貴女は人生をやり直す事になるのですよ?」

「人生を……やり直す」

「そう、苦しかった幼少期から人生をやり直す事になります。

「そんなまさか……」

「貴女も禁忌の言葉が欲しいのですね」

「そんな……嘘ですよね?」

「嘘では有りません。寿命に関する事を聞いてしまうと貴女は人生を繰り返す。無間地獄の様な状態に陥るのです」

「分かりました……今日は帰ります」

 私は真っ直ぐダンテの入院している病院へ向かった。

「大丈夫?」

「うん、針を刺して組織検査をしたんだ。十二本も針を刺したんだよ?あー怖い怖い」

「痛い?」

「痛くないよ。大丈夫」

 私を落ち着かせる為に嘘をついているのではないだろうか。そう思った。

 検査結果は、癌では無い事が分かった。しかし私の頭の中にはダンテの寿命の事がこびり付いていた。

「ダンテの家系って長生き?」

「そうだね、父さんは九十、母さんは九十五だったね」

「そっか」

「僕の寿命が気になるんだろう?」

「だって……」

「あのね、僕がいくら年を取っているからってすぐ死んだりしないよ。安心して」

「でもっ」

「Miraiさんに逢いに行ったんだろう?」

「なんで?」

「顔に書いてあるよ」

 そう言ってダンテは私の頬にキスをした。

「ダンテの寿命を見て貰おうとしたの。でも、寿命に関する質問をすると私は無限に人生を繰り返すんだって……」

「そんなリスクを背負う必要は無いよ。そんなの辛いじゃないか」

「うん……」

「大丈夫、僕はまだ死なないよ」

 ダムが決壊したかの様に私はわんわんと泣いた。愛する人が苦しんでいるのに何も出来ない。役に立つことができなかった。

「ごめんなさい……ごめんなさい」

「何を謝る必要が有るんだい?君が健康診断を勧めてくれなかったら分からなかった事だし、検査結果は異常なしだったんだから。絵美は泣き虫だなぁ。よしよし」

 丁度お見舞いに来た絵里香が私達の様子を見てぎょっとした。

「マム、どうしたの?」

「アハハ、マムは赤ちゃんになっちゃったみたいだよ」

「そんな事無い~」

「ダディ、検査結果は?」

「異常なし」

「だったらそんなに泣かなくても……」

 娘に呆れられる程私は泣いた。背中を擦ってくれて、余計に涙が溢れた。優しさが、心に突き刺さる。

「ごめん……ごめんなさい」

「もう良いよ謝らなくて。よしよし」

「だって……ダンテの……寿命」

「分からない事の方が自然だと思わないかい」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げて「どういう事?」と聞くとダンテは言った。

「人間いつ死ぬかなんてわからない。もしかしたら絵美の方が先に死んでしまうかも知れない。絵里香が先かも知れない。僕が最初に死ぬ確率なんてわからないだろう?それを占いに頼って知ろうとするなんて馬鹿馬鹿しいと思わないかい?」

「あ……」

 そうだ、もしかすると明日私は交通事故に会って死ぬかも知れない。絵里香が病気になって死ぬかもしれない。ダンテが先に死ぬ保証なんてどこにも無いのだ。

「う……グスっ」

「ほら泣き止んで」

 ティッシュを渡されて私は豪快に鼻をかんだ。

「ははは、鼻が真っ赤だ」

「マム、泣き過ぎ……」

「ダンテ……絵里香……」

 私の大切な家族。その家族を失いたくないと、また恐怖に駆られて占いに走っていた。

 悪い事が起きませんように、悪い事を回避できますように、と、占いにハマっていたあの頃のように。

「私怖かった……やっと手に入れた幸せが壊れてしまうのが」

「それは絵美が今幸せだと思ってくれている証拠だろう?僕はそれが嬉しいよ」

「マム、私はずっとマムの傍に居るよ」

「うん……」

「あーもう泣かない泣かない。分かったから」

「マム泣き過ぎ~」

「だって……二人が優しいから」

 嬉し涙は止まる事を知らなかった。その晩はダンテの入院先に夜更けまで居て、深夜絵里香と家に帰った。

 ダンテはすぐ退院できた。家に着くと私を抱きしめ、キスをすると大きく背伸びをした。

「はぁ、家は良いね!」

「病院食嫌がってたもんね」

「和食ばかりで困ったよ。タコスが食べたいな。作ろうっと」

「もう台所に立って大丈夫なの?」

「病気じゃないんだから大丈夫だよ」

「そっか。無理しないでね」

「勿論」

 そう言って三人分のタコスを作ったダンテ。久々に食べるタコスはやはり美味しかった。ダンテの作る料理が好きだ。ダンテの描く絵は私の宝物だ。ダンテの横に寝ている時聞こえる寝息は私を安堵させてくれる。

 幸せだ。

 私は翌週新作の本の出版の打合せに東京に出た。ついでに、と言うか本当はこちらの方が私の目的地。そう、桃の缶詰だ。


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